第二百三十七話 阿鼻叫喚コキュートス
地獄の階層には、罪の重さに応じて大きく分けて八つの階層がある。
順に、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄と呼ぶ。
最下層である阿鼻地獄は無間地獄とも呼ばれ、到達するまでに2000年も落ち続け、刑期は合計で394京年以上ともいわれる。
そして、コキュートスとは西洋の神話やダンテの神曲において、地獄の最下層のサタンが封印されている場所だ。
何を間違ってそうなったのか、今、陰陽学園二年C組の教室に、東西両方の地獄を合体させた究極の地獄が再現されてしまった。
もう、訳が分からない――――
C組教室の前でアリスが暇そうにしている。
そりゃ、好き好んで地獄の責め苦を受けたい人は少ないだろう。
ルリと咲そして春近メイドの三人が、アリスの居る受付の前に行く。
「なんか暇そうだな」
咲がアリスに訊ねた。
「暇なのです……」
眠そうな顔のアリスが答えた。
繁盛しているA組の執事喫茶とは逆に、C組の前は閑散としている。
やはり人は、地獄の責め苦を体験するより尽くしてくれる執事やメイドに癒されたいのだろう。
「開催直後には数人の客がいたのですが、怖い目に遭わされて帰って行ったです。その後はSNSで噂が拡散されて、更に客が減ったです」
「どんな酷い目だよ!」
あまりの酷さに、逆にルリは興味を持ったようだ。
「どんな内容なの?」
「阿鼻地獄を再現したお化け屋敷みたいな場所で、地獄の獄卒に扮した者たちから怖い目に遭わされる恐怖のアトラクションです」
「ええっ、何か面白そう」
「いえ……それが、リアルさを追求し過ぎてトラウマものの怖さなのです」
トラウマものと聞いて、メイド姿の春近が呟く。
「いや、それはちょっと……。こういうのは男女で入って『きゃーこわーい!』みたいな吊り橋効果を期待する程度で良いんだよ。本当に恐怖で二度と入りたくなくなるようなのはダメだろ」
「ところで……そちらの方は?」
アリスが春近メイドが気になるようで、先程からチラチラと見ていた。
「えっと、メイドの花子ちゃんな」
「そうそう、春子ちゃん」
咲とルリで名前が若干違っている。
「いや、どう見てもハルチカです!」
アリスは一発で見破った。
「さすがアリス、やっぱり騙せなかったか」
「当然です。見た目が可愛くなっても、仕草や歩き方に違和感があるです」
「うっ、鋭い観察力だぜ……」
アリスは春近を上から下まで舐めるように視線を這わせてから――
「悪い事は言わないです……その恰好で入るのは止めておくです。中で飢えた女獄卒の餌食になるだけです」
「ぶっ、お、女獄卒……ごくりっ」
「ああ、ハルチカは、そういうの好きでしたね」
「ち、違うから! そんなの好きじゃないから!」
ジィィィィィィィィー!
ルリと咲がジト目で見つめる。
「ハルぅ~浮気はダメだよ。ハルを餌食にして良いのは私たちだけなんだよ」
「そうだぞ、他の女とエロいコトするのは許さねーからな!」
「ち、違うよ……そ、そうだ、ルリや咲が獄卒やったら可愛いかもって……」
にへらっ――――
否定しておきながらも、つい口を滑らせて本音が漏れた春近を、二人は見逃さなかった。
少し口元が緩み、エッチな笑みを浮かべながら春近へと迫る。
「それ良いっ! 私たちがそれやる!」
「いいな! アタシも、その獄卒とかいうのやってやんよ」
「ま、まて、それはマズいような……」
しまった――
ちょっとだけルリ獄卒たちの責め苦を期待した自分が恨めしい……
くううっ、何度も彼女にお仕置きをくらって、体が反応するように変えられてしまったのか……
オレはMじゃないはずなのに……
この期に及んで、まだ春近はMじゃないと言い張っていた。
「おい、うちのクラスの出し物で、なに勝手にハレンチしようとしているですか。それより、客を連れて来て欲しいです」
アリスの言葉が聞こえているのかいないのか、二人は内緒話をして春近エチエチ作戦を練る。
「おい、アタシらで他の客を集めて騒がしくして、その隙にハルと一緒に入るのはどうだ?」
「いいね! 咲ちゃん。私に任せて!」
アリスは二人の内緒話を見て、もう何が起こるのかを予想したが、止めるのは諦めて春近の無事を祈るばかりだった。
「ねえねえ、このイベントに参加してってよ」
ルリが、たまたま歩いて来たクラスメイトに声を掛けた。
春近は、自分の危機も忘れて、ルリがクラスメイトと普通に会話しているのを見て、ちょっと感動していた。
入学当初はクラスで少し浮いていたのに、今では普通に溶け込めているように見える。
ルリの笑顔も増え、普通の女の子のように学園生活を送れているのが何より嬉しかった。
もう一度言うが、この後自分に降りかかる危機はすっかり忘れて――
「あっ、酒吞さん。えっ、まさかの酒吞さんからのお誘い」
「俺、ちょっと、入ってみようかな……」
ルリに声を掛けられた男子は、急にデレデレし始めて恐怖のイベントに参加しようとしている。
「ボクはルリちゃんの命令なら何でも聞くんだな」
ルリ様推しの男子も入ろうとしている。
「おい、おまえそれで良いのか? 凄く怖いらしいぞ。あと、オレの彼女を気安く名前で呼ぶなよ」
ちょっぴり嫉妬した春近が、勧誘されている男子に声をかけた。
「むふっ! 推しの為なら、例え矢の雨の中でも突き進む! たとえ負けると分かっていてもガチャを回す! それがオタクの矜持なんだな!」
ルリ推し男子の矜持に、春近も謎の感銘を受けてしまう。
オタク同士で分かり合える何かがあったようだ。
「かっけえ……おまえ男だな……」
「にちゃぁ! もし、ボクが倒れたら……ルリちゃんを頼むんだな」
「ああ、任せろ。あと、ルリはオレの彼女だぞ」
まるで背中に後光がさしているようなルリ推し男子が地獄の門を潜ろうとしている。
入る時に、受付のアリスに向かって、『アリスちゃんごめんなんだな』と推しをアリスからルリに変えた件を謝罪したが、アリスには何のことやらさっぱり分からなかった。
そして……
その直後、地獄の底から彼らの叫び声が聞こえて来た――――
「さっ、ハル、一緒に入ろっ♡」
「行くぞ、楽しみだな♡」
ルリと咲に引っ張られて、春近も地獄の門を潜った。
もはや、この先に待ち受けるのは無限地獄のエチエチだとも知らずに。
「あっ、来てくれたんだ……って、そちらは?」
入ってすぐ、遥とバッタリ会う。
春近メイドを見て、それまでマトモだった遥の瞳に怪しげな光が灯った。
「ふふっ、そういうことなら特別室にご招待するよ」
春近たちは奥の特別室に送られる。
部屋の名前はサタンが封印されていると呼ばれるコキュートスだ。
和風な内装なのに洋風なネーミングなのが謎過ぎるが。
春近メイドは台に乗せられ、手枷と足枷を嵌められ身動きできなくされてしまう。
鬼の角を付けた獄卒コスプレの遥が、ニコッと良い笑顔をしながら準備を進めていた。
もちろん、決してエッチな場所ではないのだが、春近の場合だけは特別メニューである。
獄卒
地獄で囚人を責める鬼の名称だ。
鬼の少女たちが鬼のコスプレをしているのだから変な話なのだが。
「あ、あの……オレはどうなっちゃうの……?」
恐る恐る春近が質問する。
「うふふっ、春近君、ちょっと待っててね。今、道具を準備するから」
遥が妖しい目つきで答える。
「ちょ、待て! 何だ、道具って!」
遥はルリ達を連れて地獄道具とやらを取りに行ってしまい、その場に春近メイドだけ残される。
少し期待しながら軽い気持ちで入ってしまったが、道具と聞いてやっちまった感でいっぱいになる。
いつものことだが。
そして、この地獄の底で一筋の光明が……
可愛い鬼のコスプレをした一二三が現れた。
ひょこっ!
「……えっ……?」
「一二三さん、オレだよ! 春近だよ! 助けて」
「……春近……ふっ、可愛い……」
「捕まっちゃったんだけど……これ外せるかな?」
「んっ……どうしようかな……」
一二三の顔が近付いてきた――――
「んっ♡ ちゅっ、んっ……♡ ふぅ……」
一二三は動けない春近に優しいキスをしてから、手枷を外そうとする。
「助けてくれるの? ありがとう一二三さん」
しかし、手枷を外すのに手間取っている内に、地獄の獄卒……遥たちが戻って来てしまう。
一二三は、普段無表情の顔を少しだけ哀れみの表情に変えた。
「……ごめん。無理だった……」
そう言うと背中を向けて去って行った。
地獄の底で見つけた唯一の光は遠ざかって行く――――
「一二三さぁぁぁぁぁぁーん!」
一二三が消え、代わりに戻って来た獄卒は四人に増えていた。
四人の手には電動マッサージ器が握られている。
「は、春近くん! あ、あの、お仕置きして欲しいってほんとですか!」
新たに増えた鬼コスプレ忍は、まるで女戦士ヒルドの野獣形態のように美しかった。
可愛い声で『お仕置きしちゃいます』と言いながら、最高の笑顔で電動マッサージ器の電源を入れる。
「ふっ、肩こりを取るのなら仕方がないな……」
最強エッチ女子である忍の笑顔と可愛い声を聞いて、春近は抵抗は無駄だと気付いて諦めた。
もう、されるがままだ。
ブイィィィィィィィィーン!
四つのマッサージ器が容赦のない肩こり改善をしてきた。
いや、当てている部分は肩ではないのだが。
「んちゅ♡ あむっ、ちゅっ……ハルぅ~しゅきぃ~♡」
「んんっ、ちゅっ♡ ハル、アタシにもサービスしろよぉ」
「春近くん、もっともっとお仕置きしちゃいます!」
昂った彼女たちから超ラブラブ攻撃を受けてしまう。
もう、キスしまくりだ。
「うぐあぁぁぁぁぁぁーっ!」
「このスカートの下はどうなっているのかな?」
遥が春近メイドのスカートをペロッとめくる。
崩御力の低いスカート装備では、彼女たちの攻撃を防ぐことも不可能だ。
「おい、ヤメロ」
「ふふっ、春近君、凄い!」
遥にとって春近のメイド姿が超ストライクだったようで、我を忘れて興奮状態になっている。
「はーい、ここの肩こりも取りましょうねーっ!」
ブイィィィィィィィィーン!
「そこ、肩じゃねぇぇぇー!」
この後、春近は肩のコリがメチャメチャ改善されて超すっきりした。
ただ、一二三だけは、他の生徒が入ってこないように入り口を見張っていて欲求不満が溜まり、後で思いっ切り春近に甘えようと心に決めたのだった。




