第二百十八話 真夏のイベント
その部屋の中には、杏子、黒百合、一二三が、そして春近と渚が入り全部で五人になった。
今回、夏のお台場イベントに杏子のサークル参加が決まり、その打ち合わせや事前準備で集まったのだ。
しかし、実家に帰省し重大な告白をする直前に夏のイベントに参加するとは、春近も大物なのか大うつけなのか。いずれにしても大したものである。
「サークル参加のチケットは三人分だから、オレは一般入場で入るよ。あの真夏の戦場を潜り抜けて行くから」
春近が覚悟を決めた顔になる。
そう、一般入場は真夏の戦場なのだ。
お台場で行われる某イベントでは、サークル参加者は先に入場できるのだ。しかし、一般参加者は凄まじい長蛇の列を並んで入場しなければならない。
その列は何時間も及ぶこともあった。
春近は、その戦場に他の子を一人で並ばせるわけにはいかないと思い、自らが一人で一般入場すると言っているのだ。
「春近君……健闘を祈るであります」
「熱中症対策は万全にな」
「んっ……頑張って……」
杏子、黒百合、一二三の、三人から励まされた。
「えっ、何なの? 何かのイベントなの?」
春近にくっついたままの渚が、同人誌即売会に興味を持ち話に割り込んでくる。
「渚様、杏子が漫画を描いたのでイベントで売るんですよ」
「えっ、杏子って漫画描けるの? 凄いわね!」
春近の簡単な説明に、渚は自然と感心した。
渚にとって漫画はプロが作って店で売っているものなので、身近に作れる人がいることにビックリしたのだ。
そして、褒められた杏子の頬が緩んだ。
「ううっ、何だか……凄く嬉しいです」
「良かったね。杏子」
「は、はい」
春近に祝福され、更に杏子が嬉しそうな顔になる。
「面白そうね。あたしも一緒に行くわ! その漫画のイベントに」
楽しそうにしている春近たちを見て、つい渚が一緒に行く宣言をしてしまう。
これには春近と杏子が顔を合わせコソコソと相談するのだった。
「ちょっと、杏子……これ、どう思う?」
「未経験で全く知識の無い一般人が、いきなり夏のイベントに参加するのはマズいのでありますよ。あの戦場に未経験者を実戦投入なんて、この杏子一兵卒でも許可を出せないのであります」
「そうだよね。マズいよね。あと、杏子はけっこう凄いから上級大将にしてあげるよ」
「ちょっと、なにコソコソ話してるのよ! あたしも行くから」
夏イベントの過酷さを知る春近と杏子が話し合うが、渚は頑なに行く事を諦めないようだ。
あと、全く関係ないが杏子の階級が一兵卒から上級大将へと急上昇してしまった。何階級特進なのか想像もつかない。
「仕方がない。私が春近と一緒に一般入場する」
黒百合がサークル参加のチケットを渚に譲り、自分は春近と一般入場すると言う。
「それなら――――」
「嫌よ! あたしは春近と一緒に行く!」
すかさず渚が断りと入れた。今抱きついているように、春近と離れたくないのだろう。
折角の申し出を断ってしまい、春近たちは渚に訪れる未来を予感してしまった。
「渚様……暑さ対策は万全にして来て下さいね……」
そうして、当日の打ち合わせは終わり解散となった――――
「渚様……そろそろ離れて下さいよ」
「イヤっ!」
「でも……」
「もっと、ギュッと抱きしめなさいよ。優しくないと、明日もずっと離れないわよ」
「あ、愛が重すぎる……」
杏子の部屋の帰り道の廊下でも、渚のイチャイチャは止まらない。
前から愛が重かったのだが、初めての夜から更に重くなり、春近の想像以上にベタ惚れになっていた。
もう、春近のいない夜は淋しくて淋しくて泣いちゃうくらいなのだ。
廊下の角を曲がる時に、偶然に前から夏海が現れた。
「ああっ、おにい! お盆に帰省する予定なのに、お台場に遊びに行くって聞いたけど! ちゃんと帰省する気あるの……って、あ、渚先輩……」
兄を見つけて威勢よく声を掛けたのは良いが、隣の渚に気付き急に怯えてしまう。
夏海にとって渚はイジメに遭いそうなところを救ってくれた救世主なのだが、その迫力と威圧感により恐怖の対象にもなっていた。
「あら、夏海ちゃんじゃない。久しぶりね」
「あ、はい、渚先輩こんにちは。お久しぶりです」
ギラギラとした魔眼のような美しい瞳で見つめられ、夏海は緊張で顔が強張った。
うわああっ――
ちょー怖い!
渚先輩にはお世話になってるのに、本当はちゃんとお礼をしたいのに、怖くて何も話せなくなっちゃう……
「えっと…………」
「夏海ちゃん?」
「えっ、は、はい……」
自分も実家に連れて行って欲しいと頼もうと思った渚だが、夏海が酷く怯えているのと、春近を困らせるのは本意ではないと思いやめた。
春近は、夏海が怯えて二人の関係がギクシャクしているのを憂い、少しだけ渚の良いところを教えて親近感を持たせようと考えた。
さながら、『オレが渚様の良さを教えてやるぜぇええええ!』といった感じだ。
「ええっと、夏海。渚様は一見怖く見えるけど、本当はとてもお茶目でアホ……じゃなかった、可愛い人なんだよ」
「えっ、お茶目……」
「そうそう、こんなに美人で迫力あるのに、オレがいないと淋しくて泣いちゃったり、『ずっと抱っこして~♡』って駄々こねたり、他の子に構ってると機嫌悪くなってプンスカ怒り出したり、たまにコスプレして萌えキャラになったり……って、イタ、イタタタタ――――」
これには渚が怒り出し、春近の頬をつねり始める。
「ちょっと! なに、言い出してんのよ!」
「な、渚様、痛いって! 引っ張らないで」
「あんたが余計なコトを言うからでしょ!」
「ふっ、ふふっ……あっ、すみません」
二人の会話に、つい笑い出してしまった夏海が謝った。
どう見ても二人は、のろけている仲良しカップルにしか見えないからだ。
「お二人は仲が良いんですね。では失礼します」
そう言うと、夏海は帰って行った。
「良かった……少しは誤解が解けたのかな……これで打ち解けてくれたら良いのだけど。ふふっ」
満足気の春近だが、抱きついている渚の顔は上気している。
「春近は後でお仕置決定ね♡ あたしの恥ずかしいとこばかり教えちゃうんだから♡」
「そ、そんな、オレは渚様の為にですね――――」
「うふふっ♡」
男子寮の自室まで戻っても、まだ渚が抱きついたままだ。
本当に明日の朝までくっついている気なのかもしれない。
「渚様~そろそろ離れて~」
「イヤよ! 絶対イヤ!」
「トイレはどうするんですか?」
「あたしが春近の出すとこ見ててあげるわよ」
とんでもないことを言い出した。
このままだと本当に妄想したようなヘンタイ展開になりかねない。
「それだと渚様の出すところも見られちゃいますよ」
「んっ!」
渚は急に真っ赤な顔になって絶句した。
「んんっ、と、とりあえず一旦帰るわね。後で来るから逃げるんじゃないわよ!」
「はいはい」
それはさすがに恥ずかしいのか、色々と準備の為に一度自分の部屋に帰った。
春近の妄想していた危険なプレイだけは回避されたのだった。
その夜――――
「ふふっ、今夜は徹底的にやるわよ!」
心と体が深いところで繋がるように、渚は最終安全装置を解除したかのような激しく執拗なキスを貪る。
あまりにも激しくて、鬼神王となった春近でなければ耐えることは不可能だったであろう。
そして、まさに全身全霊の身も心も全てを巻き込むような、激しい愛は絶頂を告げ静寂が訪れるのかと思いきや――――
「な、渚様……もう疲れたので寝ましょうよ……」
「ダメよ! 今夜は朝までって言ったでしょ!」
「もうっ、げ、限界ぃ……」
まるで捕食者のように春近の上に乗り、至近距離から見つめ合う。
「ほらぁ♡ ちゃんと、ギュッて抱きしめなさいよぉ♡」
「ううっ」
「うふふふっ♡ 今夜は朝まで寝かさないわよ♡」
「あ、愛が重いぃぃぃぃいいいいぃ――――っ!」
宣言通りに朝まで寝かせてもらえなかった。




