第二百十二話 可愛い人
大嶽渚
傍若無人で唯我独尊で完全無欠に見えて、本当はちょっと怖がりで乙女チックで優しい女の子――――
リビングに戻って来た春近が、ソファーに倒れている渚に気付く。
ぐったりと手足を伸ばして寝かされ、あいに看病されていた。
「あれ、渚様はどうしたの?」
春近は、寝込んでいる渚を心配すると同時に、綺麗な手足を伸ばして横たわる姿に『彼女はどんな姿でも美しい』と思ってしまった。
キラキラと輝く金髪が流れるように垂れ、一点の曇りもないような肌を惜しげもなく晒し、起きている時は威圧感の凄まじい顔も今は天使のように澄んでいる。
「ええっと、たぶん……ハルッチロス症候群かな?」
あいちゃんナースの診断が出た。
彼方此方で春近との色恋に関する病名を告げているあいだが、ほぼ全てが恋の病である。
「えっ? 治雅ロス?」
春近が、ちょっと前に結婚した人気俳優の名前を出す。
女性人気の高い俳優が結婚を発表し、世の女性達が『はるっしゃまロス』として何も手につかない状態になったのだ。
「うん、だいたい合ってる」
「あ、合ってるんだ……」
あいが適当に返事をしたように見えて、実際は的確に渚の症状を当てていた。
ハル違いだが、渚も春近を失うかもしれないという不安から、恐怖感でいっぱいになり倒れてしまったのだ。
「渚様、大丈夫ですか?」
「ううう~ん、春近~」
あいの説明はよく分からないのだが、自分が原因な気がするので渚に声を掛けた。
少しうなされているようだ。
「はるっち、渚っちは疲れてるみたいだしぃ。部屋まで運んでよ」
「うん」
春近が渚の体を抱え俗に言う『お姫様抱っこ』の形になる。
一瞬だけルリや天音が何か言いそうになったが、春近の腕の中の渚の顔を見てから静かになった。
春近は、そのまま部屋まで彼女を連れて行った。
ガチャ――――
渚が割り振られている部屋に行き、いくつかあるベッドの一つにそっと寝かせた。
タオルケットを掛けてあげて、春近が部屋を出ようと振り返った時――
ぎゅっ!
渚の手が春近のシャツの裾を掴んだ。
「あっ、渚様……気が付いたんですか?」
春近が振り向くと、不安そうな顔をした渚が見つめている。
「……かないで……」
「えっ?」
「行かないで……側にいて……」
いつもの強気で威厳のある彼女ではなく、そこには一人の怖がりで不安な少女の姿があった。
「あ、あの時言ったじゃない、一生あたしの側にいなさいって」
「渚様……」
あの時――
初めて二人が契りを交わした時。
渚は言った『責任を取って、あんたは一生あたしの側にいなさい!』と。
今の渚は、あの時の自信満々な顔とは打って変わって、心細そうな懇願するような顔をしていた。
「ち、違う……そうじゃない…………ご、ごめん……なさい……あ、あたしに悪いところがあったら直すから。だ、だから、何処にも行かないで! 側にいて! お願い……だから……」
いつもとは違う渚。信じられないほど弱気になってしまっていた。
風呂上りで髪を降ろしメイクもしていないが、彼女の美しさは微塵も損なわれず、ありとあらゆる全てが美しく感じる。
その美しい瞳から、一筋の真珠のような涙が流れた。
「渚様……」
傍若無人で唯我独尊で完全無欠に見えて……
でも……
春近は思い出す――――
初デートの時に小さな子を助けていたことを……
玉藻前の瘴気から町民を助ける為に必死になっていたことを……
自分の為にメイドコスをして喜ばせようとしてくれたことを……
本当は、ちょっと怖がりで乙女チックで優しい女の子……
やっぱり可愛い人だな…………
「渚様」
春近は渚を優しく抱きしめた。
「オレは何処にも行きませんよ。一生側にいる約束でしたよね」
「春近ぁああああ!」
渚が勢いよく抱き返し、二人一緒にベッドの上に倒れ込む。
そのまま、渚は春近の胸に顔を埋めてスリスリしてきた。
「春近! 春近! あたしの春近! ぎゅ~っ♡」
「渚様は、そのままで良いんですよ。オレは、そんな渚様を好きになったんだから」
渚の中のエネルギーが増大してゆくのを感じる。
まるで超巨大要塞の大型陽電子砲にエネルギーが充填されてゆくような。
凄まじい勢いで増大するエネルギーと共に、彼女の自信や威圧感まで増大しているようだ。
「そ、そうよね……春近はあたしのモノなんだから……春近はあたしのコトを大好きなのよね……。春近があたしから離れるなんてありえないわよね……」
何やらブツブツと呟きながら、春近に抱きついた両手に力が入る。
弱気になっていたのが嘘のように、春近の言葉で完全に自信を取り戻したようだ。
「えっと、渚様……?」
「わ、忘れなさい!」
「は?」
「今、ここであったこと、あたしが喋ったこと、全て記憶から消去しなさい!」
「えええっ……っ、そんな理不尽な……」
余程、弱音を吐いたのを見られたのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして無理な注文をしてくる。
「いいから消せって言ってるのよ!」
「そ、そんな無茶な。せっかく可愛かったのに。『どこにも行かないで~っ』とか」
「はあー!? 言ってないし! はあー!?」
あくまで白を切る戦法らしい。
しかし春近の脳には確実に、涙声で懇願する渚の可愛い姿が記録されていた。
普段とのあまりの違いに絶対に忘れられそうにない。
「もうっ! 許さないんだから! 春近が忘れるまで連続濃厚キスの刑よっ! はむっ♡ ちゅっ♡ んんっ♡」
のらりくらりとかわそうとする春近に、渚が貪るような激しいキスをしてきた。
抱き合っていた時点で渚のカラダに情欲の炎が灯り、自信回復と同時にスイッチが入ってしまったのだ。
「んん~っ……ちゅ♡ ちゅぱっ♡ ちゅっ♡ あむっ♡」
「んんんっ~! んっんんっ! ちょ、ちょっと、ダメです! エッチ禁止ですよ」
「うるさいわね! キスはエッチじゃないから良いのよ! 挨拶なのっ!」
「こんな激しい挨拶があるかぁぁぁ!」
こうして渚は復活した。
彼女のムラムラした欲求と共に。
ムラムラモードになってしまった渚を何とかなだめて、皆の所に戻ろうとベッドを出て扉の所まで行く。
渚ときたら、まだ春近に口止めを忘れない。
「絶対に内緒だからね! 言ったら承知しないわよ!」
「わ、分かってますって。言いませんから安心してください」
「ホントにホントよ! 絶対に言うんじゃないわよ!」
「はいはい、分かりました」
ガチャ!
「きゃ!」
ドアを開けると、何故かドアの前には数人の女子が張り付いていて、開けたと同時に転がった。
「あ……あんたたち、まさか……」
渚の問いかけに、皆は誤魔化そうと目を逸らした。
聞き耳を立てていたのは確実なようだ。
「ふふっ、『あたしの春近! ぎゅ~っ♡』むふっ」
天音が、からかうように渚の声真似をする。
「っ……んんんんーーーっ!」
かああ~っ!
「ああああああああ! 春近のバカぁああああああ!」
「ええっ、俺のせい?」
せっかく部屋から出て来た渚は、恥ずかしさのあまり再び部屋に逆戻りして閉じこもってしまった。
やっぱり可愛い人だった――――
「じゃあハル、今夜は一緒に寝よっ!」
「えっ?」
渚のドタバタを他所に、ルリが一緒に寝る準備をしている。
「ええっと? 何で?」
春近の疑問にアリスが答える。
「くじで決めたのです。このままだと夜這いする女が出そうなのです。くじでメンバーを半々にして、交代で添い寝だけにすれば解決です」
「いやいやいやいや、複数の女子と添い寝とか、それ絶対エッチなやつだよ! 何〇だよ」
「春近、これが最善の策です。お風呂のような事件を防ぐには最良の策なのです。諦めて皆の抱き枕になるのです(ぼそっ)」
アリスが春近に耳打ちしたが、身長が足りなくて爪先立ちになっても届いていなかった。
春近の知らない内に、6、7人と一緒に寝るルールに決まってしまったのだ。お互いにムラムラしっぱなしなこともあり、不安とドキドキの添い寝が始まろうとしていた。




