第百七十八話 あいちゃんの逆襲
平安時代中期の作家『紫式部』によって書かれた『源氏物語』には、六条御息所というヒロインが登場する。
この六条御息所、物語序盤で主人公の光源氏と恋人になるのだが、後に恐ろしいヤンデレ攻撃をするヒロインへと変貌するのだ。
愛しい光源氏が他の恋人とイチャコラしまくっていたり、正妻の葵の上とのイザコザでプライドを傷つけられた彼女は、嫉妬心やら何やらが爆発してしまい、無意識に幽体離脱を起こし生霊でライバル女を攻撃するという離れ業をやってのける。
日本文学史上最初のヤンデレキャラだと語られる程の恐ろしいヒロインなのだ。
そして、それから千年以上経った現代、この陰陽学園にも嫉妬の炎を燃やすヒロインがいた。
それはヤンデレ栞子…………ではなく――
春近が廊下を歩いていると、前方にピンクのツインテールを見掛けた。
後ろから見るとツインテールが、ぴょこぴょこと尻尾のように動いて見える。
すぐに駆け寄り声を掛ける。
「黒百合」
「んっ」
振り向いた黒百合が軽く会釈をする。
予想外の反応に、春近が困惑した。
あれっ?
何だか黒百合が素っ気無いな。
昨日は、あんなに可愛かったのに。
よし、それなら――
「黒百合ちゃーん」
「……っ」
春近が昨日のベッドの上でのように黒百合と呼ぶと、彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
あっ、もしかして照れているだけなのかな?
いつもエッチなイタズラばかりするのに、こんな清純派っぽい黒百合はレアだな。
「……そ、そういうの禁止」
ツンツンツン――
黒百合は肘で春近の脇腹を突いてきた。
照れ隠しにしか見えない。
「そういうのはエッチの時だけ」
「えっ、そういうのって?」
「うるさい!」
ポカッ!
「痛っ、もう、怒らないでよ黒百合ちゃん」
「ううぅ……恥ずかしい」
「か、カワっ、可愛いぞ。黒百合」
「ううっ♡」
「うへへぇ、こんな黒百合は面白過ぎるぜ」
「春近、ナマイキ……後でアソコぐりぐりの刑!」
「お、それだけは……ご勘弁を」
「ダメっ」
傍から見ている方が恥ずかしくなりそうなイチャイチャした雰囲気を出して、二人はふざけ合いながら歩いて行った。
そして、それを柱の陰から見つめる影が――――
羅刹あいである。
オレンジ色っぽいハイライトが入った髪、全体的にムチムチっとした艶やかな褐色の肌、派手めのメイクやネイルをしたギャルっぽい見た目の少女。
見た目の派手な印象で誤解されやすいが、実際はとても優しくフレンドリーな性格をしていた。
その羅刹あいは、他の恋人と仲良くしている春近を見て複雑な心境にあった。
「むうーっ、うちには全然手を出して来ないのに、ゆりゆりとはエッチしちゃったみたいだしー」
春近のことは、入学早々に目を付けてちょっかいを掛けまくっていたのに、後からできた女に次々とエッチされてしまい、心の中に嫉妬の炎が灯ってしまっていた。
あいとしては、皆で仲良くという方針なので他の子とエッチは許しているはずなのだが、他の子とばかりエッチして自分の所に来ないのは少し御立腹なのだ。
「もおっ、はるっちにはオシオキがひつよーだよねっ!」
この娘……オシオキとか言っているが、単にイチャイチャしたいだけである。
――――――――
その夜――――
カタカタカタ……
黒百合が自室で寝ていると、窓から何者かが侵入している気配で目を覚ます。
それは静かに足音を立てず枕元まで近づいて来た。
強力な大天狗の神通力を持つ黒百合は、誰が来ても撃退できる確信が有り、落ち着いて侵入者が誰なのか確認しようとしていた。
例えもしもの時でも、空気を操る攻防一体の能力により何とかなるはずだ。
何者かが自分の顔の近くまで来た感覚で、薄っすらと目を開けて相手の顔を確認する。
「ゆりゆり~っ……エッチはど……」
「ふぎゃぁぁぁぁぁ!」
――――――――
「はあああっ!? あいちゃんの生霊?」
翌朝、春近が寮を出た所で黒百合が抱きついてくる。
草木も寝静まった夜中、枕元にあいちゃんの生霊が立っていたと眉唾物な話を聞かされているのだ。
「そ、それが……濡れた髪で『エッチな子はいねぇが~っ!』みたいな感じに。あれは絶対あいの生霊だから」
「それは、なまはげでは?」
「なまはげじゃなく、確かにあいだったの。いつものフレンドリーな感じじゃなく、うらめしや~って感じだった。きっと、私が先にエッチしちゃったから、嫉妬で幽体離脱して……」
「幽体離脱って、どこの六条さんだよ。というか、『いねぇが~』なのか『うらめしや~』なのかどっちだよ」
それまで怖いもの知らずなイメージの黒百合が、まさかのオバケが怖いとか面白ネタである。
「ふふっ、黒百合って、オバケが怖いとか可愛いとこあるじゃないか。何か先日から黒百合の可愛いところや本音が聞けて嬉しいような。そういうのを見せてくれるのって、信頼されているって感じなんだよな。(ぶつぶつぶつ)」
顔をニマニマさせて春近が呟く。
「ちょっと、なにニマニマしてるの。バカにしてる?」
「してないしてない! あいちゃんにそれとなく聞いてみるよ」
あいに直接聞くと答えて別れた春近だったが、その機会はすぐにやってくるのだった。
春近が廊下を歩いていると、後ろから迫って来た何者かに、ガッチリと両脇から手を回されて固定されてしまう。
「はるっち確保っ!」
その声と共に、ガッチリ固められた体を持ち上げられ何処かに連れ去られる。
そして、見慣れた空き教室に運ばれてしまった。
「はるっち、今からオシオキするから。しんみょーにせよっ!」
「あいちゃんでしょ」
「バレたか」
あいが少し力を緩めてくれて向き合う形になる。
ムチムチとした艶やかな胸の谷間が見えて、春近は目のやり場に困ってしまう。
「はるっちぃ、最近うちにかまってくれないから寂しいよ。今日はオシオキしちゃうし」
たわわな体をムギュッと押し付けて、あいがウインクする。
その可愛い仕草は、とても生霊には見えない。
「あいちゃん、その前に聞きたい事があって……」
ううっ、あいちゃん……相変わらず柔らかそうなマシュマロボディでエッチな気分になってしまう。
女性をエッチな目でばかり見てはいけないと思うのに、どうしても見てしまう男心を許してくれ。
でも、先に黒百合の件を聞かないと――――
春近が問いかけると、あいはあっさりと白状した。
「ゆりゆりの部屋には行ったよ」
いきなり生霊騒動は解決してしまった。
やっぱり本人だったのだ。
「でも、黒百合が言うには髪が水で濡れていたって……」
「うちの部屋の水道の調子が悪くてねっ、なんか水飲もうとしたらビシャーってなって髪が」
「それで濡れたまま行ったと……窓から入ったり驚かせたのは?」
「うーん……ちょっとドッキリさせようかと」
「したのかいっ!」
やっぱり……生霊じゃなく、あいちゃん本人のイタズラかよ……
「だって、はるっちとのエッチがどんな感じだったか聞こうとしたら、予想以上にビックリさせちゃったから、うちもビックリして逃げちゃったの」
「もう、そんなことだろうと思ったよ」
「むーっ! はるっちが、うちに構ってくれないのが悪いんだよ。もうっ! あ~むっ、ちゅっ、ちゅちゅちゅっ♡」
とろんとした表情になったあいがキスをしまくる。
完全にスイッチが入ってしまってるようだ。
「あいちゃん、ここじゃマズいって。誰か来るかもしれないし」
「はるっち~っ♡ んちゅ、ちゅ~っ♡」
言ったそばから、廊下に人の声が近付いてきた。
会話内容からも、この空き教室に向かっているようだ。
「あ、あいちゃん、誰か来たよ」
「はるっち、コッチ!」
あいは春近を引っ張って教室の隅にあったロッカーに逃げ込んだ。
空き教室のドアが開き、二人の生徒が入って来たのと同時くらいの、ギリギリのタイミングだった。
『あいちゃん、何で隠れるの?』
『だって、急だったから』
狭いロッカー内でギュウギュウと密着する二人。初夏のモワッと暑い季節に、ロッカーの中で彼女の汗が滴り落ちる。
『はるっちぃ、ムレムレになっちゃった♡』
『あああっ、あいちゃんの良い匂いでおかしくなる』
二人がロッカーの中でピンチなのを他所に、空き教室に入って来たカップルと思わしき男女が、すでに盛り上がっていて何かを始めようとしている。
エッチなアニメのお約束展開みたいなイベント勃発に、果たしてムチムチな彼女と密着状態になった春近の運命は?




