第百六十六話 実は乙女な気持ち
「なるほど、そういう事じゃったか……」
陰陽庁長官である土御門晴雪が頷いている。先日の大津審議官の件で、晴雪が学園まで話を聞きに来ているのだ。
「もう、迷惑ばかり掛けないでよ」
話を聞いている春近の口調も、いつになく厳しめだ。これまでも迷惑をかけられたが、大切な彼女を傷つけるのだけは許せない。
「春近よ、すまなんだ……嬢ちゃんたちも迷惑をかけたな……すまぬ」
そう言って晴雪が頭を下げる。
「あのルリを連れ去ったオッサンは一体なんなのさ?」
「大津審議官という男でな、楽園計画反対派の急先鋒じゃよ」
「まったく……迷惑なオッサンだぜ。せっかく纏まりそうな話をぶち壊して」
「それがの、あの大津じゃが、戻ってから急に容認派に変わってしまい、庁内でも大混乱じゃよ」
大津審議官はルリの呪力で認識操作され、計画反対派から容認派へと記憶を改竄されていた。
本庁に戻った大津は、反対派の面々に容認してはどうかなどと話して回り、周囲の人々を混乱させているとのことだ。
「じゃあ、もうあのオッサンは来ないんだよな。ルリを泣かせたアイツは許せないからな」
「おう、もう関わることも無いじゃろうから安心せい」
「なら良いけど……」
「ところで……これは一体どういうことなんじゃ?」
晴雪は、目の前で展開されている目を背けたくなるような、エロティックで煽情的なバカップルのイチャイチャな光景にツッコミを入れた。
最初からずっと指摘したかったのだが、今まで我慢していたのだ。
春近の両脇にはルリと咲が陣取り、完全に蕩けた目でウットリと春近を見つめていた。
もう他の人の存在も忘れて言葉も届いていないほど恋に溺れているように見える。
「ほら、ルリ、咲、じいちゃんの話を聞かないと」
春近の言葉に、二人のハートマークになっていた目に焦点が戻り、はっと我に返った。
「あっ、いつぞやのジジイ!」
ルリは、相変わらず晴雪に当たりがキツい。
「嬢ちゃん、相変わらず口が悪いのう……」
一方、咲は春近の身内とあってか、いつになくおぼつかない敬語を使い出した。
「あ、あの、アタシ……私は茨木咲っていいます……あの、春近君とはお付き合いを……」
「ぷぷっ!」
「ちょ、何で笑ってんだよ! ハル!」
「いや、だって、いつもぶっきらぼうな話し方の咲が慣れない敬語使ってるのが面白くて。ぷふっ!」
「笑うなぁぁ!」
真っ赤な顔で怒った咲が、春近をポカポカ叩き出す。
それを生温かい目で見守っていた晴雪が口を開く。
「春近よ……遂に大人の階段を上がってしまったのか……うううっ、羨ましいぞ……」
「ちょっと、何言ってるのこの老人」
誤魔化そうとしてもバレバレ過ぎるようだ。
「とにかく春近よ、後のことは任せておけ。緑ヶ島の整備もかなり進んで、じきに移住もできるようになるぞ。島に陰陽学園の分校を作る話もでておるがの」
「分校……何か田舎の日常系アニメなイメージだな……」
「まあ、考えておいてくれ」
晴雪は、それだけ言うと帰って行った――――
春近たち三人は廊下を歩き教室へと向かう。
分校か……
気楽で良いかもしれないな……
でも、これまで陰キャで人付き合いが煩わしいとか思っていたのに、いざ藤原みたいな陽キャもいなくなると思うと少し寂しい気もする。
不思議な感覚だな……
あと、島に渡って完全なハーレムになってしまうと、毎日が酒池肉林で完全に成人向けみたくなりそうで怖い……
これは強い自制心が必要な気がするぜ――
春近が考え込みながら廊下を歩いていると、前方から渚がやって来るのが見えた。
渚は春近の両側にいる蕩け顔の二人を見てから、ズンズンとスピードを上げ迫る。
グイッ!
そのまま春近の眼前に立ち、有無を言わさぬ迫力で春近だけを壁際まで押し込んだ。
ダンッ!
「えっ、渚様?」
至近距離で見つめ合う。
当然、ルリと咲がムッとするが、渚が何かするわけでもなさそうなので静観した。
人々に底知れぬ恐怖心を与えてしまう、渚の美しくも魔眼のような恐ろしい瞳が目の前で春近を凝視している。
渚の毒が全身に回って痺れてしまうような感覚になり、春近は見つめ合ったまま動けなくなってしまった。
「あの、渚様」
「春近……次の土曜の夜、あたしの部屋に来て欲しいのだけど」
渚は、それだけ言うと返事も聞かずに帰って行った。
その表情には真剣に思い詰めた感情が現れており、そこにいる誰もが反論できるような状況ではなかった。
渚様……
あんなに思い詰めた顔をして……
やっぱり、ルリや咲とのことが伝わってるからだよな。
土曜日……きっと本気だ……
遂にあの渚様と……
うっ……怖気づくなオレ!
何だか畏れ多いような気もするけど、最近は少し優しくなっているし、付き合いも長いから慣れてきたし。
でも、あの目で見つめられ貪るようなキスをされると、まるで細胞レベルで犯されているような感じがして。
もう覚悟を決めろ!
渚様とは後戻りできない関係まで行ったんだ!
オレは渚様とのメイクラブやってやんよー!(いちいち表現がオヤジ臭い春近だった)
ふと周囲を見ると、ルリと咲がジト目で見ている。
「あの……咲、もしかして怒ってる?」
「べつに、アタシは何も言ってないだろ。勝手にすれば良いじゃん」
「咲……渚様とそういう関係になっても、オレが咲を大好きなのは変わらないから」
「またまたぁ、そんな手には騙されねえって言ってんだろ。えへへっ♡ まったくハルはしょうがねぇな。ふふっ♡」
口では否定しながらも、咲の顔がにやけまくっていてデレデレだ。
「ルリ……」
「去年までの私なら絶対に許さなかったけど、今は……渚ちゃんとはハルの誤爆した布団で一緒に寝た仲だから……」
「ルリ、それはもう忘れてくれ……恥ずかし過ぎる……」
「まあ、渚ちゃんが本気なのは知ってるし、一緒に南の島に行くのだから仲良くしないとね」
ルリはハルとの体験で、それまで満たされなかった幸福感が完全に満ち足りて、幸せいっぱい夢いっぱいで世界がバラ色に見えていた。
もう、他の子に嫉妬しまくって怒っていたのが嘘のように、春近だけを見て幸福感や自己肯定感に満ち満ちているのだ。
そうは言っても、もし春近が更に知らない女に手を出したら、亀の前の家を叩き潰した北条政子の如く怒るかもしれない。
※北条政子は、源頼朝の浮気相手『亀の前』という女性を許せず、部下に命じて彼女の自宅を破壊してしまったという話が残っている。
そして、土曜日――――
遂に決戦の日は来た。
「入って」
「おじゃまします……」
春近が緊張の面持ちで渚の部屋に入る。
ピンクを基調としたインテリアで可愛いぬいぐるみが並ぶ、学園で恐れられている女王には似つかわしくない部屋だ。
しかし、他人の印象と違って、実は可愛いもの好きで怖がりで乙女チックな性格だということを春近は知っている。
「よく来たわね。逃げなかっただけでも褒めてあげるわ」
「渚様、今日はよろしくお願いします」
威風堂々として完璧な女王然とした彼女だが、内心では全く違う様相を呈していた。
怖い……
覚悟を決めたはずなのに……
春近のアレがあたしのアソコにああなって……やっぱ無理……
ど、どうしよう……
いつも春近に強気に迫ってるのに、肝心な時に弱気になっちゃうなんて……
こんなあたしを春近には知られたくない……
「大丈夫ですか渚様? 顔色が……」
「はあ? 何でもないわよ!」
内心不安でいっぱいなのに、やっぱり強がってしまう女王だ。
渚の長い夜が始まろうとしていた――――




