第百一話 和沙の眠れぬ夜
鞍馬和沙の朝は早い。
早寝早起きは基本である。
前は早朝のジョギングをして、熱いシャワーを浴びてバッチリと目を覚ましてから登校していた。
この学園に転校してからも、朝のストレッチは欠かさなかった。健全なる精神は健全なる肉体に宿る。何処かの偉人の名言を地で行くような体育会系女子であった。
――――のは過去の話。
今の和沙は、夜更かしと寝坊を繰り返すダメっぷりだ。
昨夜も――――
「うあああっ! くっそ! 何で、あの男は返信をよこさぬのだ!」
メッセージアプリで春近にメールを送ったのに、待てど暮らせど返信がこないのである。
さっきからスマホの画面を見つめては文句を言っている。
「もしかして……天音と電話でもしているのか……?」
モテ女子の友人と何かしているのかと妄想は止まらない。ベッドの上でジタバタとしては、スマホの画面を確認するのを繰り返していた。
「まったく、何なんだあの男は! 他の女にはデレデレしおってからに! そもそも私に対する態度がけしからん! もうちょっと、こう、優しくしても良いんじゃないのか……」
そして再びジタバタしている。
完全に恋する乙女な和沙なのだが、本人は必死に否定していた。
ピコッ
スマホに、メッセージの届いた電子音が鳴った。
「よおっし、やっと来たか。しかたがないヤツだ。えっと、なになに……?」
『何か用ですか?』
スマホの画面に、そっけないメッセージが表示される。
「はああっ、この私をここまで待たせておいて、その短文は何だ! けしからぁーん!」
『用も何も、オマエはいつもデレデレしおって!』
『説教なら明日にして下さい。おやすみなさい』
いきなり説教から入る和沙に、春近の返信は事務的だ。
「おい、待て! 何だそのヤル気の無さは! 私を何だと思っているんだ!」
和沙の全く色気もへったくれもないメッセージに、彼女の恋愛スキルの低さが現れていた。
「くっそおおお! ルリや咲には、あんなにデレデレしてイチャイチャしているのに、私への冷淡な態度は何なんだ! わ、私のくちびるを奪っておきながら……もう、許さん! 許さんぞ!」
くちびるを奪ったのは和沙の方なのだが、春近を想うあまり頭が混乱して訳の分からないことになっている。
「まったく、どうしようもないヤツだな。この私が、あのハーレム男を更生させなければ! そうだ、これは教育的指導なんだ。けっして、好き…………なんて、わけじゃない!」
夜も更けてきたのに、まだ布団の中で悶々としている。
「あああー! 気になる! 気になって寝られん! くそぉ、土御門め! 私の心を掻き乱しおって! 全く、けしからん!」
夜中に大声で独り言を喋りまくり、そろそろ隣から苦情が入りそうだった――――
――――――――
「両舷前進微速、駆逐艦春近発進!」
「よーそろー」
和沙が教室に入ると、目を疑うような光景を見てしまう。
春近が黒百合を背負って、何やら二人で変な号令を出していた。
「ちょっと待て、何をやっているんだ?」
和沙は、顔をピクピクとさせながら質問をする。
「重巡洋艦鞍馬発見! おもーかじいっぱい!」
「おもーかーじ!」
艦船ごっこだろうか。黒百合の号令で春近が動いている。
「いや……だから、何をやっているんだ……」
和沙の質問には答えず、二人は魚雷戦の体勢に入った。あくまでごっこだが。
「戦闘準備! 左魚雷戦! てぇー!」
「魚雷発射!」
「鞍馬撃沈!」
「こらっ! 勝手に私を撃沈させるな!」
どうやら黒百合がふざけて春近を誘い、楽しそうに変な遊びをしているのだろう。
「まさか……黒百合までおかしくなってしまったのか? どうしてこうなった……」
更に和沙の悩みが増えてしまったようだ。
ちょうどそこに、ルリと咲が教室に入ってきた。楽しそうな二人を発見してしまう。
「ええっと、これは何なの……? ハルぅぅぅぅ」
いつものようにルリが嫉妬する。
「やっぱり、こうなるよな。ホント、こうなるのは分かってたんだ……」
咲の方は諦め気味だ。もう、いつものパターンである。
「軽巡洋艦茨木と超弩級戦艦酒吞を発見!」
「ちょっと待って! 何で私だけ超弩級戦艦なの!?」
ルリは超弩級という何かは知らないけど重そうな名称に噛みついた。
「超弩級とは、イギリス海軍ドレッドノートを超える、超デカくて超重い戦艦のこと。つまり、酒吞瑠璃クラス」
黒百合は全く遠慮も無しに、超重いなどとほざいている。
「はあ、はあぁ! お、重くないし! はあぁ!」
ルリは真っ赤な顔をしてムキになる。
女子に『重い』は禁句だろう。
「ちょっと、ハル! これどういうこと!」
重いと言ったのは黒百合なのに、怒りは春近に向いたようだ。
「ちょ、ちょっと待ってルリ。これは――」
春近が釈明しようとするが、重いを何かに言い換えようと思案する。
まずい、これ以上ブラックリリーに喋らせると、ルリの体重がおも……じゃなかった、グラマラスなことが広がってしまう。
違うんだ、ルリはけっして太ってはいないんだ。
ちょっと、巨乳や尻が凄くて制服をはちきれんばかりに盛り上げて迫力があるだけなんだ。
そうだ、ちょっと胸部装甲が厚い戦艦なんだ。
ここはオレが何とかしないと。
色々考えてはいるが、ルリが重いのは春近も認めているようだ。ただ、身長が高く出るとこが出ているだけで、ルリは決して太っていない。
「ルリ、黒百合が言っている超弩級というのは、おっぱいのことなんだよ。ルリの胸が超弩級なんだよ! 最高なんだよ! 大艦巨乳主義なんだよ!」
「ちょっと待て! さっきアタシの事を軽何とかって言ったよな! アタシの胸が軽量級ってことか!?」
ルリに言ったはずが、咲が食い付いてきてしまった。
「しまったぁぁ! 『彼方立てれば此方が立たぬ』とはこのことか!」
再び春近は思案する。咲の胸が小さいのを言い換えようと。
時として貧乳はステイタスだが、気にしている女子に言っては逆効果だ。
「ち、違うよ、咲の胸は、ちょうど手のひらに収まるジャストサイズで、揉んだ時に良い感じなんだよ! 感度も抜群なんだよ!」
「ちょ、ちょっと、ハル、なに……言ってんだよ……」
ハルが恥ずかしいことを言いだして、クラス中の生徒の視線が集まってしまう。これでは、春近が普段から咲の胸を揉んでいるようである。
これには咲も羞恥で耳まで赤くしてしまった。
「土御門……オマエやっぱスゲェわ……」
藤原が、もう乱世の覇者でも見るような感じにハーレム王春近を畏怖している。きっと、何人もの女子とエッチしている無双男とでも思っているのだろう。
「きゃぁー超エロい!」
「茨木さん、毎日揉まれてるの?」
「ええぇっ、やり過ぎでしょ!」
「エロすぎじゃね?」
いつもの噂好き女子も、ここぞとばかりに囃し立てる。
いつぞやの件でやり込められた仕返しとばかりに。
「は、わりぃかよ! そうだよ! 毎日揉みまくりのヤリまくりだよ! 羨ましいかこらっ!」
咲の羞恥心が限界突破して暴走した。
「ちょっと、咲! 何言ってんの。ヤリまくってないし!」
春近が止めようとするが時すでに遅し。もうクラス中に噂が広がってしまったようだ。
「ううっ……羨ましい……」
「そりゃウチらだってカレシ欲しいし……」
「チョー負けた感じなんですけど……」
「ああぁ、イチャイチャしてぇぇ……」
噂好き女子は更に大ダメージを受けた。
「ちょっと咲、落ち着いて」
「分かってる、分かってるよハル。ハルは悪くなんだよな」
春近が咲を止める。だが、咲の表情は恥ずかしさで限界ながらも何かスッキリしていた。
「咲が優しい……だと。分かってくれたのか? 咲、オレは頑張ったんだ……」
「うん、ハルは頑張ったな……。でも、ハルが頑張ると周囲の女を次々と堕としちゃうんだよな。もうオヤクソクなんだよな。てか、オマエ、いつまでハルに乗ってんだよ!」
咲の矛先が、ハルにおぶさっている黒百合に向かう。
「春近はブラックリリーの舎弟になった。もう私のオモチャ」
負けじと黒百合が反論する。
「はああぁ、ハルはアタシのだから渡さないからな! てか、ブラックリリーって何かダサくね?」
言ってはならぬことを咲が言ってしまった。これはお仕置き確定だ。
「がああーん! 春近、ダサいとか言われたから、後でアソコぐりぐりの刑確定」
「何故、オレに……」
ぶっ飛んだ女子が春近のハーレムに加わり、先が思いやられる。
「ねえっ、ハルは大きいおっぱいと小さいおっぱいの、どっちが好きなの?」
黒百合のお仕置きが迫る春近だが、更にルリが究極の選択を迫ってきた。
「これはまずい、撤退、いや、転進! 十六点回頭! 最大戦速! 急速離脱!」
春近は超弩級戦艦を前に、それっぽい専門用語を言いながら反転離脱した。巨乳と微乳の前で、どちらかを選ぶなどできないのだ。
「ふふふっ、本当に面白い男。これはクセになる」
黒百合は満面の笑みで春近に乗ったまま離脱していった。
「深蒼のスターダストですね! あのアニメを選ぶとは……やりますね!」
離れて見ていた杏子のメガネがキラリと光る。
彼女だけは、二人の遊んでいるネタを知っているようだ。
「もう、こんなクラス嫌っ!」
和沙は、目の前で繰り広げられている光景に、頭を抱えてそう叫んだ。
天音や一二三だけでなく、黒百合まで春近を好きになっているように見える。
和沙の眠れぬ日々は、まだまだ続きそうな予感がしていた――――




