第九十九話 天音の本気
十一月に入り早朝の気温が下がり、少し肌寒いと感じる季節になった。
つい先日までは暑かったのに、急に気温が変化し窓の外の景色も違って見える。
「そろそろコタツが欲しくなってくるな」
春近は、狭い自室を眺めて呟いた。
学園の寮は一人部屋になっているのだが、その分一部屋が狭く作られていた。
コタツを置くと部屋がいっぱいになってしまいそうだが、やはり冬はコタツが欲しいところだ。
「そうだ、じいちゃんにコタツを送ってもらえるようにメールしておこう。陰陽庁の手伝いをしているのだから、それくらいは良いよな」
テキパキとメールをしてから部屋を出て教室に向かう。
「ハル君っ! おはよっ!」
「うわあっ!」
寮を出た所で、突然女子に声を掛けられてビックリする。
「あれ、天音さん。おはようございます」
春近が振り返ると、そこに天音が立っていた。
「ハル君、あんまり驚かないでよ……ちょっと傷付いちゃう」
「いえ、天音さんに驚いたんじゃなく、突然でビックリしただけですよ」
「ホント?」
「ホントです。天音さんに話しかけられてイヤな人なんていないです」
「えっ、そうなの? ハル君も?」
「は、はい」
二人並んで校舎へと向かう。
「えと……」
「えっ?」
「うんん……」
天音さん、さっきから何か言いたそうにしているな――
わざわざ男子寮の前まで来たということは、何か話があるんだよな。
「あ、あの、そうだ文化祭、ハル君のクラスの舞台、凄かったんだってね」
「うわっ、それは……何と言っていいのか……」
「和沙ちゃんがあんなことをするなんてね。渚ちゃんが怒ってたわよ」
「ぐはっ、な、渚様が……どうしよう……」
頭を抱える春近。渚が怒っている顔が浮かんでいるようだ。
そんな春近とは対照的に、何か意を決したような顔をした天音が口を開く。
「えっと……じゃなくて、やっぱりダメだな……。あのねハル君、あの時ハル君が言ったコト、今なら分かるから。やっぱり好きな人とでないと、しちゃダメだよね」
「天音さん……」
「だから、私のことを信じて欲しい。軽蔑しないで欲しい」
「そんな、軽蔑なんてしてません。それに、あれはオレの考え方であって、人それぞれ考え方は違うというか、意見を押し付けるのは良くないというか……。でも、あの時の天音さんは何か無理している気がしたので……」
「うん、うん、ありがと」
「それに、オレは経験とか気にしないというか……経験豊富なお姉さんとか少し憧れるし……」
とんでもないことを言い始める春近。経験豊富なお姉さんに手ほどきされたいと言っているようなものだ。
「えっ、ハル君って気にしないんだ?」
「あっ、いえ、その……」
「ふぅーん……そうなんだぁ……ハル君のエッチ! ふふふっ」
「ううっ、それは違うけど。違わないというか」
ぎゅっ!
天音は春近に抱きつき胸を押し当てる。
「あ、天音さん、当たってますから」
「当ててるんだもんっ!」
「えええ……」
天音は抱きついたまま春近の教室までついて行く。そして春近は針の筵状態になってしまっていた――――
今、春近の周りにはルリたちの他に和沙まで取り囲み、逃げ場の無い状態のまま天音のイチャイチャ攻撃を受け続けていた。
「ふふふっ、ハル君っ! ハル君って痩せてみえるけど、腕とかけっこう逞しくて凄いねっ。やっぱり男の子だね」
「ええっ、そうかな……」
それほど逞しくはないのだが、天音の誉め言葉で春近も満更でもない感じになってしまう。
「ハル! なにデレデレしてるの」
当然ルリがプンスカする。
「ルリ、これは違うんだ……」
「ハルぅ、何が違うのかな?」
「ああっ、ルリさんや、顔は笑ってるのに迫力は隠せてないよ」
「誰のせいなのかな? ハルぅ……」
そして咲も圧力を強める。
「やっぱ、こうなるよな。分かってたんだよ。ハル」
「咲、分かってくれ。これはオレのせいじゃなく……」
「だから分かってるって言ってんだろ」
「分かってくれるのか?」
「くっそ、ハルのヤツ、デレデレしやがって」
咲は違う意味で分かっていた。
はぁ、まったくハルのヤツめぇ! 次から次へと女を堕としやがって。
天音って、黒百合が言うように根は良い子なのは分かるんだよ。でも、そこはかとなく地雷臭が漂うのは何故なんだ……。何かモヤモヤするぅ。
咲の乙女レーダーがビンビン反応している。
実際に、天音は異性にはモテるのだが、同性からは嫌われることが多かった。
「天音、あ、朝から何をやっているんだ」
和沙まで普通に参戦してしまう。以前のアレは何だったのか。
「演劇の最中にくちびるを奪う和沙ちゃんには言われたくないし」
「うわあっ、そうだったぁぁ」
あっさり自爆した。
和沙では色恋沙汰で天音に太刀打ちはできそうにない。
「ふっ、これはもしや、項羽が垓下の戦いで四方を囲まれたという……」
春近が何やらマニアックな話を始める。
オタクな話で誤魔化そうといういつもの手だ。
「何それすごーい! さすがハル君って物知りだよね。私にも教えて」
すかさず天音が乗ってきた。
「あ、あの、御主人様……四面楚歌……」
歴史の話でツッコみを入れようとした杏子が、天音に先を越されて固まる。
本気を出した天音を誰も止められない。
恋愛関係で百戦錬磨な上に、男を喜ばせるキーワードを熟知しているのだ。
そう、恋愛の『さしすせそ』である。
世間一般的に男子は、女子から『さすが』『知らなかった』『すごーい』『センスいい』『そうなんだ』と誉められると、何か知らんけど好きになってしまうのだ。
男とは、そういう生き物なのである――――
天音は、誰に教えられたわけでもなく、オートスキルで『恋愛さしすせそ』が発動してしまう。
誰にでも優しそうな笑顔と何となく許されそうな雰囲気も相まって、これまでも男子にモテモテだった。
その弊害として、ダメ男を引き寄せてしまうのだが。
今、四方を取り囲む女子達は、目配せをしながらテレパシーのように脳内会話をしていた。
『ちょっと、これどうするの? ハルが取られちゃいそうなんだけど』
『ヤベェ、誰も天音を止められねぇ……』
『この女……まさに恋愛界最強! レベル呂布か!」
『うううっ、何だか知らんが土御門が天音とイチャイチャしているのを見ると、心がザワザワするのだが。いや、けっしてこの男が好きなわけじゃないからな!』
因みに、順番にルリ、咲、杏子、和沙である。
「旦那様、わたくしのことを忘れていませんか! 側室を増やさないでくださいませ」
栞子だけ心の声が漏れていた。
もはや誰も天音を止められない。そう思った時だった――――
道理を破壊するのは、非論理的で何者にも止められない不条理である。そう、止められない者は止められない者によって止められるのだ。
ガラガラガラ!
教室に渚が入って来たかと思うと、無言のまま天音の腕を掴んで春近から引きはがし、そのまま自分のクラスへと連行する。
「えっ、あれ? あ、ハル君! また後でねっ!」
ガラガラガラ、ガタンッ!
教室の扉が閉められてから女子たちが顔を見合わせる。
「えっ、なに今の?」
ルリと渚は何かと衝突が多いのだが、今回ほど渚が仲間で良かったと思ったことはなかった。
「うっわ、こんなにも渚に感謝する日が来るなんてな」
咲も、渚の頼もしさに驚いている。
「案外、あの二人は良いコンビなのかもしれませんね」
杏子の言う通り、お互いを牽制し合えば、片方の暴走を止められる良いコンビなのかもしれなかった。
「えっと……そろそろ、オレを包囲するのを解いてくれないかな」
天音が去ったのに女子に囲まれたままの春近が呟く。
「ダメ! ハルは捕まえておかないと勝手にエッチなことになるから」
「そうだそうだ! ハルは、どっか行く度に女を堕としてくるし」
「御主人様! 貂蝉に惑わされてはいけませぬぞ!」(さっきは呂布だったのに変わっていた)
「おい、土御門! 天音にデレデレしおって! 勘違いするなよ、私はどっちでも良いのだがな、公序良俗的にだな」
「旦那様、わたくしのことを……」
「ちょっと、聖徳太子じゃないんだし、いっぺんに言われても困るから。あと、栞子さんのことは忘れてないから」
余計なことを言った春近が女子たち全員から同時に捲し立てられてしまう。
「ふんだ、ハルにはたっぷりサービスしてもらうからね! 簡単には誤魔化されないから」
「そうだそうだ、アタシをチョロい女だと思ったら大間違いだからな!」
ルリと咲がグイグイ前に出る。
「わ、わかってるって。ほ、ほら。なでなでー」
抱きっ、なでなでなで――
「ハルぅぅぅぅぅ♡」
「ふにゃ~♡」
春近のナデナデで急に大人しくなる二人。
チョロくないと言ったばかりなのに、十分チョロい感じを出してしまうルリと咲だった。




