第一章 勝気な魔法少女は今日も平和に悪を滅ぼす - 8
勉強机の椅子を引いて腰かけ、数日ぶりに問題集を開いた。視界の端に白く縁どられた写真立てが入る。視線を移すと、写真立ての中からまだ中学生だった頃の自分に笑顔を向けられた。切り取られた過去の中央で、流星群が輝く夜空を背景にしたスターライトと、青い衣装と黄色い衣装をそれぞれ身に纏った魔法少女が二人、楽しそうに笑っている。
青い服の魔法少女は、クレセント・ブルー。その正体は明星の幼馴染の望月葵だ。彼女は高校一年生まで一緒にブラックサーカス団と戦っていたが、受験勉強に専念したいから、という理由で今年の春に引退した。
黄色い衣装の少女の本名は、クレア・スファレライト。彼女は両親がイギリスに帰るために日本を離れて引退した。魔法少女としては、サンライズ・イエローという名前だった。
二人の魔法少女としての力は、スターライトが自身の魔法を使って分け与えた物だ。あくまでもオリジナルの魔法少女は明星ただ一人である。彼女はただ一人の魔法少女であり、今はたった一人の魔法少女なのだ。
だから、この二人は本来いる必要がない。それでも彼女たちと過ごす日々は、退屈な悪の組織との戦いを差し引いても充実していた。
「はぁーあ、あの頃は楽しかったのになー。葵もクレアも今頃どうしてるんだろ」
葵とは今でもよく連絡を取り合っている。とはいえ彼女が志望している大学の偏差値は明星よりもかなり高いため、高校二年生でありながらすでに予備校に通い、日夜勉強漬けのようだ。
クレアに関してはイギリスとの時差があるためなかなか落ち着いて話すこともできず、毎月エアメールでイギリスの写真が送られてくるくらいだ。先月は羊の胃袋に内臓やハーブを詰め込んだ異様な食べ物を前に大人びた微笑を浮かべるクレアの写真で、彼女なりに向こうで楽しくやっているらしい。
みんな、それぞれの道を歩み始めてる。なんだか少し、胸の辺りがキュッとする。
「二人とも自分の将来のために頑張ってるんだよ。明星ちゃんも頑張らなきゃ」
いままさに自分が考えていたことをわざわざ言語化する相棒に、明星は口を尖らせた。
「将来のためなんて言われてもいまいち実感がわかないのよね。魔法少女以外でやりたいことがあるわけでもないし、お金を稼ぐだけなら別にいい会社に就職しなくてもパパのお豆腐屋さんで働けばいいんだし。なら私は、なんのために頑張って勉強すればいいのよ?」
パタろんはベッドの上で立ち上がり、前足を腕のように組みながら「えーっと、それはねぇ」と呟いた。
「これからなにかやりたいことを見つけた時のために勉強するんだよ」
「じゃあ、やりたいことが見つからなかったら勉強は無駄になるの?」
「見つからないかもしれないけど、でも、もしも見つかった時に学歴や勉強が追いつかなくて諦めるなんて嫌でしょ? 勉強は将来の予防線なんだよ」
パタろんが言っていることには理解できる部分もある。しかし、少なくとも今勉強していることが将来の自分にどう関わってくるのかわからないままだ。だからこそ彼女は、目的の無い苦行にやる気が出ない。
「私は魔法少女を続けたいんだよねー。なんていうか、その方が自分らしい気がするの」
「それは難しいよ。魔法少女って、いわば臨時の短期集中型アルバイトみたいなものだし。本来は無給でやる蟹漁みたいなものなんだよ? しかもズワイとかタラバ」
「わざわざ苦しそうな例えしなくていいから。悪者との戦いとアラスカの荒波を一緒にしないでよ」
「けっこう的確だったと思うけどなぁ。他になにかないの? やりたいこととか、好きな事とかさ」
「んー……ないなぁ。私ってずっと高校生か魔法少女をやってる気がする」
「今の明星ちゃんは、学生と魔法少女の自分しか想像できないかもしれないけど、これから視野が広がればいろんな自分を想像できるはずだよ。視野を広げるためにも、たくさん本を読んで勉強するのが手っ取り早いんだよ、きっと」
「えー……。んー……」
自分のやりたいことを考え、彼女はとある答えを導きだした。
「そうだ、魔法少女に永久就職しちゃえばいいんだ!」
「僕の話聞いてる? そもそも二十歳とか三十歳になっても魔法少女をやるつもりなの? それはヤバいよ。社会的に。だいたい世界の危機が回避されたら魔法少女の力だって無くなっちゃうんだよ?」
「大丈夫よ、ブラックサーカス団がある限り私も魔法少女でいられるし。この世に悪が栄える限り、正義の味方は潰えないのよ! それに社会的に不味いって言ってるけど、ママだって時々私からピアスを借りて魔法少女になってるよ?」
「明里ちゃんが? いつ?」
「夜中だと思う。この間トイレに行く時、パパとママの寝室から虹色の光が出てたし」
「……この話はもう止めようか」
パタろんが突然話を切り上げたことに違和感を覚えつつも、明星は今後も魔法少女を続けて行くうえで必要なことを考えていた。
就職と言うからには収入が無ければならない。けれど、魔法少女は誰かに雇われているわけではないし、助けた人々からお金を巻き上げることも当然ながらできない。それでは正義の味方というよりも傭兵になってしまう。
一瞬、団長が渡そうとした封筒が脳裏を過ったが、明星はかぶりを振って頭から追い出した。けれど、団長のにやけ面でピンときたのだった。
「そうだ! クラウドファイティングだ!」
まだ問題集を開いただけの勉強机から離れ、意気揚々とパソコンに向かう明星。その姿を、パタろんが小首を傾げながら見つめている。
「クラウド……ファイティング? なんだいそれ?」
「この間団長が話してたんだけどね! なんでもブラックサーカス団は、市民の寄付が主な収入源なんだって! 次はこんな兵器を作りますよーってネットに公開して、応援してくれる人がお金をくれるの!」
「ああ、クラウドファンディングね……。そんなのできるの?」
「できるわよー! だってあの団長だってやれるのよ? 私にできないはずがないわ!」
「いやいや、彼はある意味、というかまさに社長だからね? 明星ちゃんよりずっと頭がいいし、コネもあるんだと思うよ」
「いいの! やるの!」
明星はノートパソコンを立ち上げて、さっそくクラウドファンディングについて調べ始めた。
小難しいネット記事を読み漁り、彼女はクラウドファンディングに三つの種類があることを知った。
一つ目は融資型ファンディング。これは集めたお金を増やし、支援者たちに儲けのいくらかを分配する方法だ。
二つ目は購入型ファンディング。集めたお金で商品を作り、売る。支援者には完成した商品や売り上げの一部を渡す仕組みだ。
最後が、寄付型。これは支援者にリターンとなる物が存在しない、正真正銘お金を受け取るだけのシステムだ。
融資型はサービスを提供している会社の年齢制限が厳しいためできない。購入型はそもそも、明星がなにかを作るわけではないため除外する。そこで彼女は、寄付型ファンディングを始めることにした。
さっそくクラウドファンディングを運営するサイトを見て回り、案内を何度も確認しながら登録した。それだけで夕食後から二時間半が経過しており、彼女は疲労感と同時に不思議な達成感を噛みしめていた。
「ふふん。いまにどさどさお金が入ってくるわよー!」
「まったくもう、こういう時ばっかり熱心になるんだから。そんなに上手くいくはずないよ」
「いいのいいの! 希望を信じる心が、魔法少女の一番の味方なんだよ!」
「あ、そうだ。せっかくだからブラックサーカス団のホームページを見てみなよ」
「なんで?」
「あの人たち、いくらお金が集まったか公開してるんだ」
「ふーん。じゃあちょっと見てみようかな」