第一章 勝気な魔法少女は今日も平和に悪を滅ぼす - 6
スターライトはむすっとした表情で立ち上がり、ぐっと背伸びをすると、プリンが入った箱を拾って帰路につく。
彼女は楽し気な音楽や人々の喧騒を置き去りにして、ペチ公前広場入り口からブーヤ駅に入った。迷路のような駅の中を慣れた足取りで歩いていく。やがて改札機が見えてくると腰を一周するように結ばれたリボンから茶色のカードケースを取り出した。中身は全国の駅で相互利用が可能なICカード、SHUGOICAだ。スターライトはカードをケースごと改札機にかざして山手線のホームへ向かった。
今は冬休みだからか、私服姿の若者が多い。彼らはスターライトを遠巻きに発見すると、スマホを取り出して無断で写真を取ってくる。スターライトは若者たちに目もくれず、ホームの上を覆うひさしの隙間から薄い雲が流れる青空を見上げていた。
ホームに並ぶ人たちに紛れて五分ほど電車が来るのを待っていると、緑と銀の塗装が施された電車がやってきた。彼女はまばらな人ごみの流れに乗って車内へ入る。立っている人は少ないが、座席はほとんど埋まっている。優先席が空いていたが、彼女は後ろから乗車してきたお婆さんに譲った。会釈するお婆さんに、スターライトはにっこりと微笑み返す。
吊り革を握って窓の外を流れる都心の景色をぼんやり眺めていると、やがてウエノ駅に到着し、電車を降りた。駅から出てアラレ横町へ向かう。人で溢れかえった商店街から逃げるように狭い路地に入り、徳小寺の裏手よりもさらに奥へと進んだ。
人気が無くなり、寂しい雰囲気が漂い始める。所せましと住宅が並ぶ一角に、《桃塚豆腐店》という古ぼけた看板が掲げられている店があった。一階はガラス戸で仕切られた店になっており、二階部分は後から増築したのか小綺麗な壁の住居が乗っている。
スターライトはガラス戸を開いて中へ入った。店先には水槽が置かれており、中には四角く形作られた豆腐が流水にさらされている。奥のレジカウンターにはショーウィンドウがあり、そこには揚げ出し豆腐やおからが値札と共に並べられている。スターライトは嗅ぎ慣れた磯の香りを鼻から胸いっぱいに吸い込んだ。
「ただいまー!」
返事はない。彼女は「誰もいないの?」と呟きながら水槽の間をすり抜けてレジへ向かう。
レジには白い毛玉のような物体が置かれており、規則正しく膨らんだり縮んだりしている。よく見るとそれは兎だ。正確には兎のような生物。耳に当たる部分から鳥の翼のようなものが生えており、額には五芒星の魔法陣が描かれている。兎は、前足の間に鼻先をつっこんで眠っている。
「パタろん! あんた店番なのになんで寝てるのよ!」
スターライトが丸い尻尾が生えたお尻を小突くと、兎は全身の毛を逆立てて飛び起きた。
「うわあ⁉ あ、あれ? 明星ちゃん!? なんでそんな格好してるの?」
パタろんと呼ばれたその生き物は、真っ赤な瞳を見開いてスターライトを見上げてきた。
「なんでって、今日はブラックサーカス団がブーヤに表れるって告知があったでしょ!」
「あーそっかそっか。お疲れ様~」
パタろんはレジカウンターの上に後ろ足だけで立ち上がると、前足で後頭部を掻きながら小さな二本の前歯を見せつけるように口を開け、大きなあくびを一つ吐いた。
「そっかそっかってあんたねー。魔法少女の相棒のクセして、どんな戦況だったかとか興味ないわけ?」
あえて瞼を半分落としてじっとりとした視線を送る。パタろんはまだ頭が冴えていないのか、前足で顔をこしこしと洗い始めた。
「えー? あー、ごめん。どうだった?」
「今日も完全勝利よ!」
ぐっと拳を握りしめてガッツポーズをするスターライト。そんな彼女に、パタろんは顔を洗うのをやめてつぶらな赤い目を向けた。
「だろうねぇ。だってそういう商売だもんねぇ。向こうからしたらさ」
パタろんの言葉を聞いて、見る間にスターライトの表情が険しくなった。頬を膨らませ、肩をいからせ両手でマジカルステッキを握りしめる。
「商売とか言わないでよ! あれでも今の時代の悪の組織なんだから!」
「戦う気がゼロの悪の組織ってもはや悪でも何でもない気がするけど……。そういえばブラックサーカス団が優良企業ランキングで、崎山パンを抜いて四十位になってたよ。本社の社員数二百人くらいなのにすごいね。いっぱい儲けてるんだね」
いっぱい、と言う時、パタろんは前足を大きく開いた。
「優良企業って……もう本当になんなのよアイツら! この間なんて栄誉国民として表彰されたり、将来就職したい企業ナンバーワンになったり意味わかんないんだけど!」
「そりゃだって超ホワイト企業だからねぇ。本社の社員は少ないけどいくつも事業展開してグループ企業も多いし。最近じゃラムマークよりもピエロマークの方が集りがいいらしいしね。羊さんも就職難の時代だよ」
「なによりムカつくのは、魔法少女に対する世間の目が変わったことよ! アイツらのせいで私は正義の味方じゃなくて単なる役者として見られているの! 最近なんて私、普通に電車乗って帰ってこれるのよ⁉ 地下アイドルみたいな扱いをされるくらいでだーれも私を正義の味方として見てくれないの!」
「みんなにちやほやされたいの?」
パタろんの問いに、スターライトは拗ねるように口を尖らせた。
「そんなんじゃないけど……もういい。私、着替えてくる」
悪の組織が日本有数の優良企業になっている事実に釈然としない気持ちになりつつも、スターライトは店の奥にある玄関に入っていった。
「はいはーい」
パタろんの眠そうな声を背中で受けとめつつ、玄関の前に伸びる灰色の階段を昇っていく。二階が居住空間となっているため、階段の一番上に置かれている靴箱に爪先が丸く膨らんだ桃色の靴を置いて室内へ入る。フローリングの床を歩いて自室の扉を開いた。
すん、と畳の香りがする。半端に締められた薄桃色と濃い桃色の水玉模様が描かれたカーテンの隙間から、午後の日差しが差し込んでいる。部屋の中には脱ぎ散らかした服が床に落ちており、学校指定の鞄もチャックを開いたまま部屋の隅に置かれている。入って右手にある勉強机の上には、手つかずのまま放置された冬休みの課題が積まれている。
部屋の中央には四角い硝子のテーブルが置かれており、その上にはノートパソコンと、レジンアクセサリーのセットが置いてある。
スターライトは部屋の左側に横たわっているベッドの上にプリンが入った箱を置いた。
目を閉じ、全身から力を抜くと、彼女の体が虹色の光に包まれ服が弾けた。主張が少ない体を露わにしておよそ一秒半。彼女の服は黒いショートパンツとタイツ。そして桃色のパーカーに変わっていた。髪の色も派手な桃色から茶色のツインテールに変わり、カールしていた毛先が耳の下にまで垂れ下がっている。星のワンポイントが入った髪留めのリボンも、地味な黒いヘアゴムになっていた。変身アイテムである星のピアスだけが、耳に残っている。
彼女の名は桃塚明星。桃塚豆腐店の一人娘だ。わざわざ自室に戻ってから変身を解いたのは、以前、エゴサーチをした時に一般人に撮影された変身シーンがネットにアップされてしまったからである。幸い大事な部分は隠れていたが、それでも死ぬほど恥ずかしい思いをした教訓なのだ。
魔法少女の力で和らいでいた寒さを一気に感じた彼女は、硝子テーブルの上に置いてあったリモコンを手に取り古めかしい作りの部屋に似つかわしくない新品のエアコンの電源を入れた。
「さて、と。これからどうしよっかな」
時刻は午後二時。明星はちらりと勉強机を見る。そこには高校で渡された数学や英語などの冬休みの課題が置かれている。彼女は腕を組んで難しい顔をした。
「うーん……ちょっとだけお昼寝しちゃお」
彼女は白い箱を硝子テーブルの上に移してベッドに寝転がると、しいたけを模した巨大な枕を抱きしめて目を閉じたのだった。