第六章 激闘の裏側で - 7
♰ ♰ ♰
「リカルド! 起きてリカルド!」
名前を呼ばれてはっと目を覚ますと、最初に視界に入ってきたのは眩い太陽と違和感があるくらい雲一つない青空。次に自分が伸ばしていた白銀の鎧に包まれた右腕。
「おい目を開けたぞ! 生きておる!」
少し視線を上げると、目からぼろぼろと涙をこぼしながら笑っている明星が見えた。その後ろにはマサトの姿も見える。
「明星、さん? ここは、テラリアか? 俺はどうなったんだ?」
リカルドが体を起こして辺りを見回すと、そこは赤茶けた大地の上。正面には超巨大なロボット、ブラック・サーカリオンが、胸から白い煙を出して見下ろしている。
黒と金のボディはところどころ溶けており、戦闘の激しさを物語っていた。
「ここは不死山の麓だ。アースイーターを破壊した後、吾輩たちはお前の行方を探しておった。ところがお前は探すまでもなく、突然黄色い光の渦から飛び出してそのまま気を失っていた、というわけだ」
ラクダ色のマントを羽織ったマサトは「無事でなによりだ」と付け加えた。
リカルドが不死山の頂きに顔を向けると、山頂付近が大きく抉れていた。もしもアストラが助けてくれなければ、間違いなく巻き添えをくらっていただろう。
心臓がきゅっとしぼむような思いがして、リカルドは胸を押さえた。
事実、鎧越しに感じる心臓の鼓動は、以前よりも弱くなっていた。
「大丈夫?」
明星は心配しているのか、不安げな表情で顔を覗き込んでくる。
彼女の方こそ目の周りに赤く泣きはらした跡が残っており、リカルドは逆に心配になった。
「君こそどうしたんだ? 酷い顔だぞ」
「ほ、ほっといてよ! いろいろあったんだから仕方ないでしょ!」
「そうか? 吾輩には成長した顔つきに見えるがな。桃塚明星はもう、ただの子供ではない。気高く強く。己の意思で前に進める一人の女になったのだ」
誇らしいとも寂しいともつかない雰囲気でマサトが笑う。明星は俯きがちに唇を尖らせていた。
「な、なによ、急に変な事いうのやめてよ! その台詞、なんか変態っぽいし……」
「どこにも変態的な要素はないはずだが⁉」
「あんたら元気だな……あれ? そういえば……」
二人のやり取りを聞きつつパタろんがいないことに気がついたリカルドは、明星を変える出来事があったことを察した。それが彼女に大きな傷を残したことは、赤くなった顔を見ればわかる。その出来事の経緯を聞くほど、リカルドは野暮ではなかった。
「どうかしたの?」
「いいや……お疲れ様、明星さん」
「あんたもね。葵とクレアはあんたを探しに行ったきり帰って来てないから、呼び戻さないと」
「葵? クレア? 誰だそれ」
「魔法少女の仲間よ! このあとみんなでうーんとパーティーする予定なの!」
両手を大きく広げて楽し気に笑う明星。けれどリカルドは、そんな彼女に対して気まずそうに頬を掻く。
「待ってくれ。できれば、すぐに元の世界に帰りたい」
「なぜだ? お前も功労者の一人なのだから、出席していけばよいではないか」
マサトの誘いに、リカルドは首を左右に振って返事をした。
「いや、俺は元の世界に戻るよ。戻らなきゃならないんだ」
リカルドの胸には、二つの思いがあった。
一つは残された寿命だ。機能が低下した心臓はやがて、完全に石化する前に全機能を失い死に至るだろう。そうなるまでにどれほどの時間が許されているのかはわからない。だからこそ彼は、自分の生まれ育った故郷、オルスロット王国で人生の幕を下ろすために迅速に帰らなければならないと考えていた。
もう一つの理由は、女神の剣。いや、剣に宿ったアストラについてだ。
アストラはかつてこの世界で、具現化した自身の心の闇に苦しめられた。世界を滅ぼす力を持っている心の闇を封じるために、彼女は自分の魂を、アストラルへと送ったのだ。
彼女の心と魂は、今も女神の剣の中に宿っている。
リカルドがこの世界に留まる時間が長びくほど、剣の中に宿るアストラもこの世界に留まることになる。そうなれば再び心の闇が具現化してしまう。
せっかく世界を救ったばかりなのに、またしても窮地に陥るなど目も当てられない。
リカルドは自分の願いとこの世界の安息の為にも、一刻も早く帰還することを望んだ。
「なにか理由があるのね……。そうだ。ねえ、ちょっと動かないで」
明星はリカルドの強い思いを察したのか、おもむろにショートパンツのポケットに手を伸ばし、スマホを取り出した。そしてスマホに取り付けられていたレジンアクセサリーを外し、女神の剣に巻き始めた。
「いいのか? もしかしたら、戦闘中に壊れてしまうかもしれないが」
「壊れないよ。だって不滅の魔法がかけてあるもん。百年どころか千年持つ一品だよ!」
「不滅、か。俺はつくづく、長生きと縁があるみたいだ」
「趣味に没頭できる時間があるのは、羨ましい限りだ」
三人は互いに微笑んだ。和やかな雰囲気は空っ風に吹かれて、寂しげな空気へと変わっていく。
明星が立ち上がった。彼女は両手を広げて目を閉じ、桜色の唇を開いた。
「スターチャーム、オン。ハイパーエクスキューション!」
明星の服が弾け、虹色の裸体に魔法少女の衣装が装着されていく。初めて見るスターライト超新星フォームに、リカルドは息を飲む。
足先まで伸びた長い桃色の髪は陽光を反射して白く艶めいている。白を基調とした服と大人っぽいメイクによるのものなのか、明星の天真爛漫な少女性が薄れ、気品のある女性としての美しさが強調されている。
神々しいその姿に、リカルドはしばし目を奪われた。
スターライトは彼の視線に軽く微笑み返し、長いステッキを地面に優しく突き刺した。
するとリカルドの真後ろに、黄金色に輝く五芒星の魔法陣が出現し、魔法陣の中央に焦げ茶色の扉が姿を現した。
二枚の扉はゆっくりと開いていく。扉の中央から白い光が漏れ出している。
いつか迷いの森で見た光と、同じ光だ。
「ありがとう、スターライトさん……いや、明星さん」
「お礼を言うのはこっちのほうだよ。あの時、人質を助けてくれてありがとう」
あの時、というのが、スクランブル交差点での出来事だと、リカルドはすぐに理解した。
「いいんだ。俺はただ、俺が望んだことをしただけだから」
「私にはそれができなかった。踏み出すべき一歩を、踏み出せないでいた。でも、これからはきっと、リカルドと同じように、自分の意思で生きる。絶対に」
スターライトは右手を差し出してきた。リカルドは「君はもう、自分の意思で生きてるよ」と呟いて、その手を握り返した。
「またいつか、プリンを食べに行こうね」
「…………ああ。もちろんだ」
どちらとも言わず手を離し、リカルドは踵を返して扉に歩いていく。
もう振り返ることは無い。
振り返ったとて、そこにあるのは自分がいるべき場所ではない。
それでもこの世界での思い出が次々と胸に込み上げてくる。
城と見まごうような夜の学校。暖かい明星の家族。頬が落ちそうな程甘かったプリン。なにより、ネクロとの激闘と自身の出生に関わる真実。
赤茶けた大地の上を、滑るように風がそよぐ。
白髪が揺れ、彼の視界は純白で埋め尽くされた。