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第六章 激闘の裏側で - 1

第六章 激闘の裏側で


 リカルド・レオンハルトはアースイーター内部を走っていた。両脇には時折蒸気を噴き出す鈍色の配管が錯綜している。床も、ところどころ錆が浮いた黒い縞鋼板で、白銀の鎧の踵で踏みしめるたびに甲高い音を響かせていた。


 内部は迷路のように入り組んでいる。けれどリカルドはネクロのおおよその居場所を感じ取っていた。奴から発せられる邪悪な気配は、鉄の壁如きでは防げない。鉄と油が混じった匂いを嗅ぎつつ、リカルドは迷いなく走り続ける。


 色気のない景色が続く中、彼は三百年前、魔王城と化した故郷の城を思い出していた――――。




♰  ♰  ♰




 当時のリカルドは、見た目こそいまと変わらなかったが、剣の腕はまだまだ未熟だった。城内を闊歩するかつて同僚や友人だった亡者や、死者の世界から呼び出された死霊を不意打ちや罠、時には爆発物をも利用して辛くもしのぎつつ、魔王の元へ向かっていった。


 魔王城の内部もアースイーターと同じく鉄の匂いがした。匂いの源泉は、石造りの床や壁に飛び散った血だった。壁にかけられた松脂の匂いも充満していた。


 彼は四人の幹部を退け、最上階である魔王の間に辿り着いた。


 かつては越権の間と呼ばれたその部屋には、等間隔に並んだアーチ形の窓が、灰色の煉瓦を積み上げて作られた左右の壁に取り付けてある。金色の枠の向こうには分厚い雲が空を覆い、時折雷鳴が轟いた。


 部屋の奥には、頼りない光を放つ二本の松明に挟まれた玉座がある。金の装飾が施されたその上で、かつての師匠が頬杖をついて座っている。顔はもう思い出せない。思い出すには時が経ちすぎてしまった。ただ魔王が着ていた漆黒の鎧と、全てを見通しているかのような緑色の瞳だけは覚えていた。


「ようやく来たか。愛弟子よ」


 低く落ち着いた声が、薄暗い室内に木霊した。


「あんたはもう、師匠じゃない。魔王だ……そして、俺は……」


 言葉に詰まる。自分のことを勇者などとのたまうほど、この時の彼には自信がなかった。泥の中でもがくように手にしてきた勝利。それは勇者という言葉が持つ華々しさとはかけ離れたものだったから。


「勇者様、か。クハハ……あの小汚いがきんちょ・・・・が、ずいぶん出世したものだ」

「やかましい……」


 リカルドは緊張で上ずってしまいそうな声を抑えて、なんとか平静を装っていた。けれど七日ぶりに聞いた師匠の声に、あろうことか懐かしさが込み上げてくる。


 穏やかで、人を食ったような性格の師匠。いつもリカルドの一歩先の世界を見せ、からかうように剣の技術を教えてくれた存在。父のような、兄のような、そんな人。


 そんな師匠が国王を殺し、故郷を死者の都に変えたことは、リカルドにとっていまだに信じられない事だった。その気持ちは三百年たっても変わらない。


「なぜ、国王を殺した?」

「ククク、俺も野心家だっただけのことよ。どうしても手に入れたいものがあった。そのためには、国王の存在は邪魔だったのだ」

「あんたは権力に目が眩むような人じゃなかったはずだ!」


 頭に血が上り始めたリカルドとは対照的に、魔王は落ち着き払った様子で玉座の傍に置かれた木のテーブルへと手を伸ばし黄金の盃を掴んだ。盃を口に運んび、ごくり、と嚥下した後、彼は盃を投げ捨てた。ふと、リカルドは、盃が二つあることに気がついた。 


「誰か死んだのか?」

「クク、死んだとも。多くが死んだ。死にすぎてしまった。全員分の弔いをするには、城の酒では足りんほどにな」

「ふざけるのもいい加減にしろよ! なぁなんでだよ⁉ どうしてこんなことになっちまったんだ⁉ 教えてくれよ!」


 両手を広げて弱々しい声を上げるリカルド。彼はただ知りたかった。この事件の原因がどこにあって、本当の悪は誰なのかを。今思えばそれは、暗に恩師の潔白を証明したいという気持ちの裏返しだった。


「ずいぶん熱い男になったなぁ、リカルド。強いて言うなら全て俺が悪い。憎むなら俺を憎め」

「違う! そうじゃない! 俺が聞きたいのはそんな事じゃないんだ!」

「……愛ゆえに、人は過ちを犯す」

「……なに?」

「一度道を踏み外した者は、自分が酷く汚い存在に思えてしまう。どうにかして罪を償おうと努力するが、過去は取り消すことができない。傍にいればいるほど。声を聞けば聞くほど。自分の罪の大きさに苛まれ、やがて取り返しのつかない災厄を招く」

「なんだ? なにを言っている?」


 リカルドには魔王がなにを言っているのか全く理解できなかった。むしろ魔王は、理解してもらうと言うよりも、ただ自分の心の内を吐き出したがっているようにさえ感じられた。


 ゆっくりと、魔王が玉座から立ち上がる。彼は玉座のひじ掛けに立てかけてあった剣を掴んだ。胸の前で水平に持ち、鞘から漆黒の刃が引き抜かれる。刃は、玉座の左右で燃える松明の炎によって、鈍い光を反射した。


「わからなくていい。ただお前は……お前だけは自由でいるべきだ。お前から奪ってしまった未来の代償に、ありあまる時間を与えた。所詮は人が作った術だ、いずれその呪いも解ける。この先どう生きるかは、お前次第だ……。だが、最後に伝えるべきことがある。さあ行くぞリカルド! これが最後の試練だ! 永久に忘れられぬよう、魂にも肉体にも刻み込め!」


 魔王との戦いは、苛烈を極めた。


 幾度か手足を切り落とされ、はらわたをぶちまけ、それでもあがきたった一撃を心臓に差し込むことだけを考えて剣を振った。


 魔王の顔を忘れてしまった今でも、自分がどのように剣を振るったのか克明に覚えている。魔王はリカルドが地に膝を落とすたびに、一つずつ丁寧に欠点をあげつらいせせら笑っていた。


 彼は楽しんでいたように見えた。リカルドも、必死になりながらも、戦うことに喜びを感じていた。憎むべき相手との戦いで喜んでいいはずがない。彼は奥歯を噛みしめて剣を振るったが、吊り上がる口元を抑えきれず、矛盾する心と体に涙が溢れた。


 終幕はあっけなかった。疲弊した魔王の隙をついて心臓に渾身の突きが炸裂したのだ。魔王はよろけながら後ずさりして玉座に座った。


「馬鹿なぁ! われが負けるなどぉ! ……なんてな」


 お道化た口調で叫び、静かな越権の間に虚しく木霊する。


「はぁ……はぁ……」


 リカルドは、彼の言葉に反応できるような体力も気力も、すでに残されていなかった。


「クク、笑えよ。それともまた不愛想になってしまったか? なにはともあれ、俺の持つ全ての技術をお前に伝えることができた。これでようやく、眠りにつける」


 魔王は穴が空いた鎧の胸を擦り、掌を見下ろした。彼の手甲は赤黒い血で濡れ、黒い鎧の角から腿の上に落ちていく。


「眠りにつける、だと? お前、自分がしたことを解っているのか⁉ なぜ今になって師匠面をする⁉ 貴様はいったい、なにを考えているんだ!」


 リカルドが激高するも、魔王は依然として落ち着いている。むしろ彼が熱くなったところをリカルドは見たことがない。いつだって、どこか浮世離れした場所に意識があるように思っていた。どこか世間を小ばかにしたような斜に構えた態度。自分よりも位の高い者にも毅然とした態度を貫く姿勢。暇なときは地面に寝そべり空を眺め、時折意味深な言葉を残す彼。


 リカルドはこの時ようやく気がついた。魔王はずっと、死にたがっていたのだということに。


「ずっと、眠れなかった。眠るたびに、夢を見るのだ。とても恐ろしい夢だ。俺は、耐えられなかった……だが……これで、ようやく……」


 魔王は、テーブルの上に血で汚れた手を伸ばし、何かを掴もうとした。けれどその手は、テーブルに届く前に、力なく項垂れてしまった。


 リカルドは足を引きずりながら、魔王の元へと歩み寄る。


 魔王は眠るように目を閉じ、すでに息絶えている。彼が最後に手を伸ばしたしたテーブルに目をやった。そこには、緑色の宝石が嵌められたペンダントが置いてある。


 リカルドはそれが、国王の娘、姫君のものだと一目でわかった。掴もうとしたその時、指先からペンダントが滑り落ち、床の上を転がった。


 ころころと転がり魔王の爪先にぶつかったペンダントが、貝のように開いた。


「これは……? ペンダントじゃなくて、ロケットだったのか」


 ロケットの中には、魔法映写機によって羊皮紙に焼きつかせた写真が入っていた。映っているのは三人。右端には白い長髪の上に豪華な赤い王冠をかぶり、立派な白髭を蓄えた国王が立っている。顔つきは穏やかで、瞳の色はこの国で最も多い金色。


 反対側には椅子に座った王妃。妙齢ながらも肌は張りがあって若々しい。緑色のドレスが良く似合っている。けれど険しい顔をしており、なにかを憂いているような紫色の瞳が印象的だ。


 中央に立っているのは姫君だ。まだ十かそこらの幼い少女である彼女は、年齢に対して非情に賢く、大人以上に魔法に長けていた。写真の中の彼女は、年齢相応の溌剌とした笑顔ながらも、若草色の目にはどこか知性が感じられる。頭には黄金のティアラを乗せ、桃色のドレスを身を纏い、胸元でペンダントが輝いている。


「なぜ、こんなものがここに? クソ、なにもわからない。俺はなぜ戦ったんだ⁉ 俺はなんであんたと殺し合わなきゃならなかったんだよ⁉ なぁ!」


 物言わぬ骸となった魔王はもう、返事をしない。


「そうだ! 俺の体は⁉」


 魔王を罵りたくなる気持ちを抑えて、リカルドは自分の体を確認した。全身にできた切り傷。治らなければ失血で死んでしまうかもしれない。それでも彼は、治らないことを願わずにはいられなかった。


 しかし現実は非情だった。傷は音もなく塞がり、同じ呪いを受けた鎧も治っていく。


 彼はもはや、悪態をつく元気すら失い、全ての命が潰えた魔王城から出て行った。


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