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波紋 小さな存在でも

作者: ホウキ

 全体として中の上ぐらいの区画に住んでいる友人宅を訪れるには、自転車でも三十分ほどかかる。


 通りを自転車で走っていると、学校が終わったのだろう、手にした給食袋を振り回しながら駆けて行くランドセルを背負った小学生が向うの歩道に見えた。


 ああ、今日は金曜日だったのか、そんなことを考えながら目の前の信号が変わったのを確認すると、足に力を入れてペダルをこぎ始める。



 二週間。祐介が休み始めてからもう二週間がたった



 十一月にはいってから、空は晴れとも曇りともつかない、一言で言うのなら「一言で言い切れない」天気が続いていた。別に雨が降り続けて洗濯物が乾かなくなるわけでもなく、日照りによって水が足りなくなる事もなく、ただはっきりとしないモヤモヤとした空しかここの所見ていなかった。だから少しだけ青一色の空を見てみたい、と思っていたりする。


 しかし、その影響か何なのかは知らないが、学校全体で欠席者が普段より増えているそうな。確かにクラスには常時五、六人の欠席者がいる。これが全クラスに共通するなら、全体としての欠席者は相当な数になるのだろう。


 ただし全員が風邪やら病気やらで休んでいるわけではなかった。いや、正当な理由で休んでいる人は殆どいないのだろう。


 学生にとって学校というのは、元来楽しいものだが、時としてその人の重荷ともなりうるのだ。連日のテスト地獄に嫌気が差して、もう今日は学校休んじゃおー、という考えが少なからず誰かの頭に浮かぶだろう。


 しかし普段なら、そんなことを考えても実際に実行しようとするものは殆どいないはずである。だが、今自分たちの頭上でうじうじと天気を決めかねている空はそんな考えを後押ししているようにも思えた。


 この「一言で言い切れない空」は学生の考えを後ろ向きにしていき、ネガティブな考え方を良しとしているように感じられる。


 そうでなければ宏人の友人、祐介もこんないらない時代の波に乗って、時の人となってしまわなかったのだろう。




 祐介は変わり者で周りに合わせない俺―—宏人――の数少ない理解者の一人である。


 成績、性格、素行、その他どれをとっても中の上ぐらいにはなる奴だから、必然的に祐介はクラスの中心部にいることが多かった。対して宏人は自らも周りからも「やる気、協調性、その他もろもろなし。」とレッテルを貼られ、そのくせ本人は他人事のように席に居座っているような奴だ。


 だからそんな祐介と宏人の仲が良いのは周りから見ても自分たちから見ても可笑しな話だった。


 祐介自身は先生や保護者の信頼も厚く、彼が言った事と他の生徒が言った事では、同じ事を言ったとしても彼らの反応はだいぶ異なるのだろう。


 そんな祐介に合えて欠点を求めるとするならば、少し優柔不断なところがある点だ。祐介自身に確固たる理念が無いのかと聞かれると、少なからず持っているようには感じられるが、本人が自らの意見を口にすることはあまりない。まるで周りが言う事は皆の意見で、皆の意見は正しいとでも思っているようだった。波に流されているというよりも、自ら進んで波に乗っているようにも思える。


 だからって要らない波にまで乗るなよ、と宏人はペダルをこぐ足に力を入れた。




 いきなりけたたましい車のクラクションが耳に届いた、驚いて顔を上げると、ほんの目の前を運送用トラックが凄まじいスピードで過ぎ去ってゆく。その勢いで伸びすぎた前髪が左に大きくなびいた。視界がはっきりとすると、宏人は自分が赤信号を渡ろうとして事に気付いき、そして身震いがした。


 向こう側には赤や黒のランドセルを背負った学生が歩きながらリコーダーを吹いており、そんな彼らとすれ違いながら顔すら上げずに携帯の画面にかじり付いている女子高生が必死にメールを打っている。指の動きに目が追いつけない。そして宏人の後ろには子供を抱いている若い母親二人が、宏人の視線に気付かずに、今にもぐずりだしそうな子供の背中をテンポよく叩きながら、そのくせ自分たちは自らの話に夢中になっていた。


 少し離れた公園からは子供のはしゃぐ声が聞こえ、そのまた奥から微かながらパトカーのサイレンが風に乗って運ばれてくる。


 目の前を走る車は猪の様に突っ走っていて、止まる気配も制限速度を守る気も更々無いのだろう。町の中は平然としており、宏人から見れば町にある全ての物の色がくすんで見えた。


 もしかしたら宏人はこんな色も何も無い――あるのは耳に劈く喧しい音――町の中で命を失ったかもしれない。


 もし、自分が此処でいなくなっても、リコーダーの音は止まないだろうし、メールを打つ速度も相変わらず素晴らしきものなのだろう。母親達の話は花開き、子供は眉間に皺を寄せることになるのだろう。


 自分がいなくなっても世界は変わらないと、町が嘲笑っているかのようだった。




 もし自分が大統領や芸能人や各界の著名人で、人々の注目を集めながら亡くなったのであれば、世界はほんの少し(多分二ミリ位)動くかもしれない。もしも大統領が志し半ばにしてテロで亡くなったとしたら、テロを行った国に他の国から軍隊が送られ、そこで戦争が起こるかもしれない。もしかしたらその国は世界の地図から消えてなくなるかもしれない。たった一人の人が亡くなっただけで、世界は変わってしまう。


 でも自分はそんな特異な人ではない、ごくごく一般的な庶民である。


 ・・・だから自分がいなくなっても何も変わらない。


 今この時でさえ、世界の何処かでは戦争によって人が殺されているかもしれない。未曾有の豪雨によって家財もろとも流されて行方不明になっている人がいるかもしれない。もしかしたら道に落ちていたバナナの皮に足を滑らせ、頭を強かに打ち、そのまま運悪く、家族に見取られること無く、亡くなってしまう人もいるのかもしれない。


 ・・・だから


 自分がいなくなっても何も変わらない。





 上を見上げれば変わることの無い変な空。なんだか清々しくも思い始めてきた。

 宏人は重心を体の前方に移し、最後の難所である坂を一気に上り始めた。この先に目指していたところがある。

 そういえば、さっき自分の前を走り去っていたトラックには目指す所があったのだろうか。




 何度来ても、自分とは不釣合いな家の呼び鈴を鳴らすのは、かなり勇気が必要なことだった。ちゃんとした用や目的があっても、こんな家の呼び鈴を鳴らす機会なんてピンポンダッシュ以外になかったから、心の片隅に埋め込んだ過去の罪悪感を自らの手で掘り返している気がしてならない。


 呼び鈴を二度鳴らし、少し待つとインターホンから少し憂いをおびた女性の声が返ってきた。名前と要件を淡々と告げると、その女性は「少々お待ちを」と言ってスリッパをパタパタ鳴らしながら去って行く音がした。


 祐介の家には何度か来た事がある。祐介は一人っ子で、両親との三人暮らしだ。父親には会った事はないが、母親には何度か会っているし、ケーキを貰った事もある。


 だから今の反応にも免疫はある。大方家の整理と自らの化粧を直しに行ったのだろう。世の中の母親が皆こうなのかは知らないが、祐介の母親の場合はこうなることを知っていた。


 自分の上にある空は憎らしいぐらい何も変わらないが、家の中に入ればしばらくの間、空とはおさらばだ。そう考えるとなんだか愉快な気分になってきた。


 多分空が不愉快な色をしているからだろう。いい気味だ。




 久しぶりに会った友人の母親は、一目見てやつれているのが見て取れた。


 彼女は宏人に一通り来訪に対する感謝を述べた。普段の彼女ならその後延々と最近身近に起こったことや自らの自慢の息子の愚痴を話すのだが、今回はいきなり本題に入った。


「あのね、千葉君・・・。実に言い難いのだけれど、その、祐介に、学校に行くように言って下さらないかしら・・・。」彼女は宏人の目を見ようとせず、あちこちをキョロキョロと見回し、自らのエプロンの端をずっと手でいじくっている。彼女のどこか所在無げな行動も、宏人には手に取るように分かってしまう。


 優等生で通っていた祐介が「二週間」学校に来ていないのだ。


 息子が自慢である彼女、いや息子を自慢にしてきた彼女にとってそれはとても大変な事態だった。


 以前祐介が「俺は小学校の時から皆勤賞なのが自慢だ」と言っていたことから考えるに、彼女は今までこんな事態に陥ったことが無かったはずだ。自慢にしている息子は一人で何でもしてしまい、親の目から見て不安材料など何一つ無かったのだろう。


 だから彼女は今の事態にどうやって対処していいのか全く分からないのだろう。

 祐介も大変だな、と宏人は思いながら母親に是と答え、二階へ続く階段を上り始めた。




 久しぶりに会った友人は休んでいるはずなのに、一人でゲームに励んでいた。

 変わってない、と思いつつ宏人は勝手に友人の隣に腰を下ろしたのだった。

 祐介は嬉しそうに笑っていた。




「今日は死にかけた。」


 開口一番にこういったのがまずかったのか、祐介は俺のことを、珍しいものでも見るかのように言った。


「そりゃまた災難だったな。どんなふうに死にかけたんだ。担任の鬘をまたずらしたのか、それともあの先生に年増とでも言ったのか。」祐介はケラケラ笑いながら、俺の話しをじっくり聞こうとゲームの電源を切った。


 宏人はテレビに白い線がプツッと現れて消えたのを見ると、今日あったことを単語だけ並べるような話し方で話し始めた。




「はぁ、なんかそれって単なるお前の不注意が起こした事だよな。」祐介は宏人の言葉を正確に繋ぎ合わせ、今日の出来事を理解し、そして溜め息をついた。


 こういう点で、宏人は祐介と話すのが嫌いではなかった。祐介と話す時は自分が考える必要最低限の事を話せばよくて、彼は聞き返すことも、説明を求めることもしないからだ。


 時には何も話さなくても祐介は宏人の意図を性格に理解したりもした。だから話すのが嫌いな宏人は祐介と話すのが、まぁ、嫌いではなかった。


「でも、自分小さい。消えても世界は変わらない。何も起こらない。」そう言いながら、床の落ちていたファーの付いたコートを膝に乗せて、ファーを一本ずつ抜き始める。かなり迷惑な行為だろう。


 祐介は半ば諦めたように天を仰いでいる。はたから見れば、学校を長期欠席しているのは宏人のようだったからだろう。


「それはちょっと違うんじゃないか。例えれば・・・、俺は死んでいないだろう。こうして話しているんだし。」祐介はイスに腰掛け、宏人が持ってきたプリントの整理をし始めた。


 宏人は一心不乱にファーから毛を抜きながらも、祐介が分かるくらいには頭を縦に振る。そして不意に立ち上がると、部屋の隅にあるゴミ箱を取るために立ち上がった。抜いた毛をゴミ箱に捨てないのはあまりにも失礼な気がしたからだ。いや、そんなことしても迷惑には変わりないから、と言いたげな顔を友人がしていたのは見て見ぬフリをした。


「そんな死んでいない俺が学校に行かなくなったら、お前が俺を見舞いに来た。それってつまり、世界の中がほんの少しだけ動いたんじゃないか。俺もお前も似たようなちっぽけなものなんだから、お前が学校に行かなくなっても俺という世界の一部が動いたと思う。」祐介は口ではそう説明しながらも、手は器用に動いて溜まった分のプリントの整理をしていた。


 対する宏人も黙々と自らの作業に没頭することにした。もう聞く気があるのか本人以外には分からなくなってきているのだろう。


 祐介は一方的に話すことにしたらしい。


「つまり、学校行かなくなっただけで、世界の中が少し動くんだから、誰かが亡くなったらもうちょっと動くんじゃないのか。世界は動かなくても、世界の中が動くかもしれないよ。」いままで、際限なく動いていた手を止めて、目の前の友人を見つめた。


 そして自分でも驚くほどハッキリとした声で言いはなった。


「俺は動いた。だから、おまえも動くんだろ。」宏人は答えを求めている言い方をしたつもりだった。ただ、その答えが一つしかないような気もした。


 すると祐介は顔を下に向けてしまった。うつむいているというよりも、自分の視線から避けているといった方が近い気がした。


 よくみると、祐介の方は小刻みに震えていた。多分必死に笑いを堪えているのだろう。面白そうなのでずっと観察しようと思ったら、いきなり大きな笑い声がして、不本意ながら少し飛び上がってしまった。


 これはこれで面白いのでまた観察をすることにした。


 どのくらいたったのだろう、祐介はやっと笑いが収まったらしく、何とか答えを返してくれた。


「わかった、わかった。面倒くさがりなお前が動いたんだ。俺もちゃんと動くよ。」


 祐介は一呼吸入れて、ハッキリと言った。


「明日から、ちゃんと学校行くよ。」


 聞き終わると、宏人は手元にあるファーの毛を抜き始めることにした。



 祐介はまた笑い始めた。

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