八月十五日は、靖国神社に行こう。
先ず初めに、靖国神社には、私の大叔父も奉られてます。
大叔父は、知覧から飛び立ち、帰らぬ人となりました。
私にとって、靖国神社は大切な場所です。
そして国家元首の靖国神社参拝は、誇りある事です。
さて、見出しを読んで何を感じるか。
一番初めに『靖国問題』が脳裏に過ると思います。
私からすれば「何をいまさら?」という思いです。
先ず、国家元首や議員の靖国参拝は、某国が騒ぐずっと前から続けられていた行事です。
日本は、公に国教を定めてませんので、正確には個人行事ですね。
そんな事は、国交を回復した時点で言えよ!
そもそも、自国の政治的な不満の、ガス抜きの道具にするな!
ぶっちゃけと、この事に騒ぐ人間は、日本の文化や宗教について、全くの無知蒙昧の愚か者です。
そもそも公にはしてませんが、日本の国教は『神道』です。
神道とは、天皇家が成立する紀元前660年(天皇元年)に成立した宗教です。
(賛否あります)
その考えは『死んだら、八百万の神の一員になる』
と、至ってシンプルな物です。
天皇とは即ち現人神であり、死とは肉体を捨て、神の世界に行く。
昇神する。
それらの考えが原型です。
それが次第に、付喪神。祟り神。荒神。道祖神。土地神。等の多種多様な信仰や神を生み、仏教等の他の宗教を受け入れる土台になったのです。
物を大切にする。
食べ物を残さない。
無益な殺生はしない。
それらの事をしたら親に「バチが当たるぞ!」と言われませんでしたか?
他にも、食べ物を残す。好き嫌いをすると「化けて出るぞ!」とか、物を粗末に扱うと「祟られるぞ!」
等々、言われたと事がありませんか?
その教えこそ神道です。
要は、日本の道徳や倫理の起源ですね。
今、あなたが何教はしりません。
しかし、ご先祖は間違いなく『神道』の氏子だったのです。
これ以上詳しく書くと、歴史や仏教の教え、引いては政治的な事まで、分岐し複雑に絡み合っているので、割愛します。
脱線事故防止です。
その中に、御霊信仰と呼ばれる信仰があります。
地域によって形態は様々ですが、その根底にあるのは、鎮魂昇神が殆どです。
平将門公の首塚。大宰府の天神様。お岩さん。はその代表ですね。
将門公やお岩さんの場合は、懇ろに弔う事で、祟りを避ける。仏式に近い扱いですね。
天神様の管原道真公は、時代背景や朝廷での立場もあり、神道に則り、大宰府にて天神様として奉じたのです。
つまり昇神させ、鎮魂としたのです。
そして、どの御霊も、祟り神の面が、大変強い事で有名ですね。
芸能界、特に梨園では、お岩さんや東海道四谷怪談を扱う際には、由来のある神社やお寺に、安全祈願の為に、詣でる仕切りになってます。
もし、お詣りを蔑ろにすると、必ず良からぬ事が起こると、云われてます。
将門公に至っては、名前を出したら祟られると云われてます。
管原道真公は、童謡の『とおりゃんせ』として残される程、恐ろしい祟り神の一面もありますし、時の朝廷に禍をもたらした事は、周知する所です。
小さい事で挙げるなら、地蔵祭り。
これは、幼くして命を落とした子供を弔う為の祭りです。
その反面、我が子の無病息災を地蔵菩薩に祈る面もあります。
因みに、日本の神様は、騒がしく賑やかなのが大好きです。
天照大神の逸話でも、それを表してますね。
その為、神社のお祭りは、お囃子を鳴らして、賑やかにするのです。
又、神楽舞等の神事は、神様の為だけの行事ですので、一般には公開されてない事も、多々あります。
さて、簡単ではありますが、日本の宗教について説明しました。
ここからが本題です。
靖国と略してますが『靖国神社』です。
明治天皇が、国家太平を願い建立した、由緒正しい神社です。
そして、奉られてるのは、戦没者もさる事ながらヒットラーやムッソリーニといった『悪』とされる人物もいます。
しかし、それこそ神道の真骨頂なのです。
祟りを起こしかねない怨霊を、神として祭り、護国の守護神にする。
或いは、神社という聖域に留め、禍事を避け鎮魂を図る。
極めて、日本的な考えです。
それを非難する事は、即ち禍事を願う事と、同じでは無いでしょうか?
死者を奉り太平を願う。
何故、政治家は説明しないのか、不思議でなりません。
八月十五日を終戦記念日にしたのは、間違いなく、鎮魂の願いもあると私は確信してます。
お盆。
一年に三日だけ、あの世から魂が戻って来ると、云われてます。
そして八月の十五日は、その魂が天に戻る日です。
これは神仏関係無く。日本の伝統なのです。
穿った見方をすれば、八月に「靖国!」と騒ぐ人は、実は日本の凶事を願っているのかも、知れませんね。
解りましたか?
何故、ド阿保と表現した理由。