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戻らない時間

「うわっ」

「何?」

「危ないだろーっ」


 少年は人ごみの中を走る。色々な人とぶつかりながら、躓きながら、たまに尻餅をつきながら、それでもその場から少しでも早く離れようとひたすらに走った。


「いってっ、ってマンタロー」

 すると少年はリーダーとぶつかる。肩と肩が当たり、よろけて尻餅をついた2人。

 お互いに視界がない中走っていたため、誰にぶつかったかを把握できたのは尻餅をつき、顔を見合わせた後。


「お前速いなっ、てこっち逆だぞ」

 リーダーは少年の方が先にいたことに驚きつつも、少年にそう声をかけた。

 その声は人ごみの喧騒に負けないような大きな声だが、とても優しい。


 あのかけっこの前にこんな風にぶつかっていれば、リーダーの声は怒りに満ち、少年の声は怯えに満ちていただろう。けれど今はこの通り。

 こんなことくらいで喧嘩にはならない。もうすっかり仲の良い友達だ。


「しゅうちゃ……」

 それなのに、少年の声は暗い。友達とぶつかった声ではない。

 伏せていた顔を上げるも、再び伏せられる。


「――っ」

 そして少年は走りだそうとした。もちろん友達が指し示した宇宙人がいる方向へではない。宇宙人から離れるように、友達とも離れるように。


「っておい待てよマンタロー。逆だってっ」

 中々立ち上がらなかった少年を首をかしげ待っていたリーダーは、横を走り抜けようとする少年の腕を慌てて掴む。

 体格はリーダーの方が随分大きい、少年の走りは止められる。だが、決して顔を見合わせようとはしない。


 もう片方の腕で目を押さえ、ひっくひっくと、しゃくりをあげる。


「ん? お前泣いてんのか? どうしたんだよ、うわ膝から血出てるし」

 リーダーは少年の異変に改めて気付いた。

 何度もこけたのだろう、肘や膝から血を滲ませ、けれども一切構わず泣きじゃくるその異変に。


「僕っ、もう、帰る。帰るから」

 少年は途切れ途切れに言う。

 そう言われ、リーダーは少年が泣く理由に思い至った。


「もしかして宇宙人になんか言われたのかっ?」

 リーダーは少年の性格をよく知っている。

 仲良くなった時間こそ短いが、関わりはそれなりに長かった。それはあまりにも一方的な関わりだったが、少年の性格の一面を知ることができていた。


 少年は泣かない。

 目を潤ませたりはするものの、涙をポロポロとはあまり流さない。

 鼻をすすることはあるものの、しゃくりや声をあげることなどない。


 だが、今、少年は涙を流し声をあげている。


 何があったかは、あくまで予想に過ぎないが、リーダーの中では全てが結びついた。


「宇宙人っ、あの野郎っ」

 その声は、さきほど少年にかけた声よりさらに大きく、優しい声とは全く違う怒りが滲んだ声だった。


「マンタロー宇宙人のとこ行くぞっ」

 リーダーは少年の腕を引っ張る。ちょっと人気者になったからって、と、一発分殴ってやる、と、宇宙人に向かって。


 しかし――。


「――やめてよっ」

 少年はリーダーの声よりももっと大きな声を出して、手を振り払う。


「やめてってお前なんだよっ。宇宙人のとこ行くぞっ」

「もういいっ。いいんだっ。僕は行かない、来なきゃ良かったっ」


「おいマンタロー」

「僕が馬鹿だったんだっ、僕が全部悪いんだっ。しゅうちゃんの言うことなんて聞かなきゃ良かったっ、離してよっ、離してってばっ」

「んだよそれっ。いてっ」


 再び少年の腕を掴もうとしたリーダー。少年はそれを振り払う。

 その時、振り払った手がリーダーの顔に当たる。


 一瞬ビクリと止まる少年。だが、何も言わず後ろを向いて、走りだす。


 人と人の隙間をすり抜けていく少年。

 リーダーも追いかけるが、間はすぐに塞がれ追いかけられない。


「絶交だぞっ。このまま行くんなら絶交するからなっ、それでも良いのかよっ」

 リーダーはそう叫ぶ。

 喧騒の中でもその声は少年の耳によく届いた。聞きたくなかった言葉、恐れていた言葉だから、それは本当によく届いた。


 少年の足が止まる。だが、また走りだす。

 もうリーダーの声も聞こえない。


 人ごみを抜けても少年は走る。


 家まで一度も止まらない。その足も、涙も。


 夕方、母親が少し早めに帰宅し、7時ちょっと前、晩ご飯の用意をすませ2階にいる少年を呼ぶが、少年は自室から出て来ない。

 母親が帰ってきてから一度も少年は出てきていない。


 扉をコンコンとノックしても、中から聞こえてくるのはすすり泣く声だけ。

 仕方なく母親は1人で食べ、少年の晩ご飯にラップをかけ冷蔵庫にしまう。


 少年は自室で電気も点けず、ずっと泣いていた。ベットの隅で、止まらない涙を止めようとしないまま、ずっと泣いていた。


 誰が悪いのではない、自分が悪いのだ。悲しい、辛い、でも自分が悪いのだ。頭の中を楽しい思い出と悲しい思いが交差する。

 後悔や不安も、数え切れない。


 それはもうどうしようもない悲しみだ。


 失ってしまったのだから。


 もしかしたら再び手に入るのかもしれない。だが、今の悲しみにそれは関係ない。

 大切であれば大切であるほど、辛過ぎる。


 そして、そんなどうしようもない悲しみを抱えるには、少年はまだ幼すぎた。

 流れる涙を止める術を少年はまだ持っていない。だから涙は枯れるまで止まることなく流れ続ける。


 10時を回った頃、ギシ、ギシ、とそんな音を立てながら、少年は暗い階段を下りていく。

 どこも明かりの点いていない中を歩き、リビングの扉を開け、電気を点ける。


 泣き疲れ、眠ろうと横になってもいつまでも眠れず少年はおりてきた。


 こんなに悲しいのにお腹が減ることに少し驚きつつも、少年は冷蔵庫に入っているラップのかけられた晩ご飯を取り出す。


 母親は今お風呂に入っている。

 少年はテレビをつけ、晩ご飯を食べ始めた。


 テレビではいつも通り、宇宙人の特集が行われている。

 ご飯の横に置いているリモコンでチャンネルを変えても変えても、宇宙人のことばかり。


 少年が今だけは絶対に見たくないものばかり。

 再び押し寄せてきた悲しみに、少年は涙を流し、テレビを消そうとした。


 ところが、手が止まる。


 テレビに映るキャスターが、神妙な面持ちで何かを読み始めたからだ。


 知らないことが多い子供は、分からないものも楽しめる。この世の全てが分からないものなのだから当然。


 だが知らないことが少ない大人は、分からないものを楽しめない。本当に知っていることなんて少ないのに、この世にたくさんある分からないものから目を逸らす。


 大概の場合、その感情を恐怖と呼ぶ。


 宇宙人のことを子供だけでなく、たくさんの大人が知った。

 宇宙人のことが連日連夜報道され、目新しさはすでに消え失せた。


 だからそこに残ったのは、分からないものへの、恐怖だけ。


 テレビの場面は切り替わり、少年にとって見慣れた風景が映しだされる。

 それは河川敷。

 いつもの、あの楽しかった、2度と戻って来ない河川敷。


『こちら、河川敷からの中継です。たった今、たった今入りました情報によりますと、彼の宇宙人は地球侵略を目論む敵性宇宙人であるとの発表があったとのことです』


 リモコンと箸が音を立てて床に落ちる。


『これにより自衛隊、並びに警官隊が出動、あ、来ました。早くも警官隊が現場に到着致しましたっ。宇宙人を現在包囲、盾を構え徹底抗戦の構えを見せ、現場は緊迫した状況となっております』


 少年の心臓は、止まりそうなほど冷たい。

ようやく年末年始が終わり、久しぶりの投稿と相成りました。


まだ読んで下さっている方、ありがとうございます。

大変に嬉しく思います。


次話で完結となります、お付き合い頂き本当にありがとうございました。

投稿は明後日を予定しております。もしかすると明々後日になるかもしれません。暇なときにでもお読み下さい。

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