勝負の行方
「よーい……、ドンっ」
4時限目。
太陽も高くなったこの時間、グラウンドの土から漂う熱気はジリジリと暑く、何もしなくても汗が出てくる。
特に子供は代謝が良く汗をかきやすい。授業が始まってすぐだというのに、額に滝のような汗を浮かべている子もいた。
「菊池君、汗かきすぎじゃない? 体調悪いの?」
「え、ううん。全然、平気……」
それは少年。
細身の体型にも関わらず、既に手も背中もぐっしょり汗で濡らしている。
宇宙人と特訓している時など、特に汗をかき過ぎていることもなかったのだが、今だけは他の子に比べ少々異常な汗の量をかいていた。
原因はもちろん……。
「おいのろマンタロー。出席番号順で一緒に走るんだってよ、丁度良かったな、ぶっちぎってやるよ」
まさしくこれだろう。
「よーい……、ドンっ」
体育の授業で今まさに行われている50m走のタイム測定。
ストップウォッチを持っているのは先生1人だが、2人並んで走ってタイムを計る。そのペアが少年といじめっ子達のリーダーだ。
出席番号順で並んでいる2人は色々な場合で一緒に組むのだが、まさか今回もとは。少年の心中は穏やかではない。
まして、これは勝たなければいけない勝負だ。
「俺が負けたらおっさんには何もしねえ、今日の給食のプリンもやるよ。でも俺が勝ったらおっさんのダンボール全部沈めてやる、お前のプリンも俺のもんだ」
「わ、分かってるよ」
友達である宇宙人を守るために、そして自分の1番の好物であるプリンを守るために、絶対に勝たなければいけない。
のろマンタローと呼ばれるほど足が遅い少年が、クラスで一番足の速いいじめっ子達のリーダー相手に。
ダラダラとかいている汗には、暑くてかく汗と緊張で出る汗の2つが混じっている。
「へっ」
いじめっ子達のリーダーはそれだけを言って、自分の友達の元へ戻る。そして友達とゲームの話を始めた。微塵も負けるとは思っていない態度。
対する少年は体育座りのまま、誰とも話さず考えている。
目線はチラリと自分の左腕、そこに巻かれた腕時計へ。
加速装置。
宇宙人から貰ったそれを使えば絶対に勝てる、少年はそう思っている。使い方も覚えており、文字版横のボタンを押すだけ。1度使ったら壊れてしまうので押したことはないが、ボタンが1つの腕時計だ、操作を間違えることはまずないだろう。
だから、少年がこうやって汗をかく必要は全く無い。緊張する必要は全く無い。
必ず勝てるのだ。
それでも少年はとめどなく汗をかき、心臓をバクバクと跳ねさせている。尋常ではないくらいに緊張している。
「それじゃあ次ー、菊池ー、岸田ー」
50m先から、先生の声がスタート地点近辺にいる生徒達に届く。
それは、少年といじめっ子達のリーダーの苗字。ついに、彼等の番がやってきた。
ドクン、ドクン、と鼓動は全く収まることを知らないまま少年は立ち上がり、スタート地点に向かって歩き出す。奇しくも同じタイミングでいじめっ子達のリーダーが隣を歩いていた。
「やっとか。ぶっちぎってやるぜのろマンタロー」
「……」
背の大きさも、その態度も風格もまるで違う2人。
普通に戦えば少年は負けるだろう。今までの実績もそれを証明している。
けれど少年の心は加速装置を使うのか、使わないのか、まだ全く定まっていない。
なぜなら――。
「俺はいっつも父さんと走って練習してるからな、絶対負けねえ」
いじめっ子達のリーダーが、毎日練習していることを少年は知っているからだ。
「位置についてー」
白線が引かれたスタートライン、ジリジリと照らす太陽、柔らかく吹く風、鳴り止まぬうるさい鼓動。
「よーい……、ドンっ」
振り上げられるスタートフラッグ。
何もかも定まらないまま、2人の戦いは幕を開ける。
少年は出遅れ、スタート地点で既に1mちょっとの差がついた。そしてその差は縮まることなくどんどん開いて行く。
いじめっ子達のリーダーは、毎日、走る練習を父親と行っている。
あの河川敷を、少年の家の前を、父親と2人で走って通りすぎて行く。少年はそれをずっと知っていた。
だから宇宙人と2人で特訓することが決まったとき嬉しかったのかもしれない。同じだったから。
「しゅうちゃんはえーっ」
「のろマンタローおせーっ」
少年はとても優しい。
だから宇宙人を守るために普段は何も言い返せないいじめっ子達に言い返し、勝負を挑んだ。
だから今、毎日頑張って練習しているいじめっ子達のリーダー相手に加速装置を使うことを悩んでいる。
加速装置はいわば卑怯だ。絶対に勝てる反則技。
少年はもうのろマンタローなどと言われたくない。速くなって見返してやりたいと思っている。
しかし、宇宙人との特訓で、速くなるのは大変だと分かった。
少年はとても優しい。
そして少年は、どこまでいっても男の子だ。
「う、うりゃああー」
少年は左腕に伸びた右手を拳に変えて握り締め、思い切り振る。後ろへ、前へ、後ろへ、前へ。
宇宙人から教わったフォームを思いかえし、少しでも近づくよう大きく腕を振った。
心のどこかで尊敬してしまっているその相手に、自分の今までの努力で勝つために。。
「うりゃあああああー」
「あれ、差つまってね?」
「しゅ、しゅうちゃんが追いつかれるっ」
「うりゃああああああーっ」
いじめっ子達はうろたえ、リーダーは後ろをチラリと見た。
その目には、スタートで出遅れそれからも突き放したはずの少年がすぐそこまで近づいてきている様子が映った。ありえない風景。
いじめっ子達のリーダーはさらに加速する。ゴールまではもう10mとちょっと。
リードしているのは確か。しかし――。
「うりゃあああああーっ」
その距離は縮まり、縮まり、縮まり。
「とっ、うわっ」
広がった。
「いだだだっ、ててー……」
宇宙人との特訓で出したスピード以上、まさに鍛冶場の馬鹿力とでも言うスピードを出した少年は、その足に感覚がついていかなかった。
結果、足は空転し地面を蹴るタイミングを見失い、グラウンドにダイブするようにこけてしまった。
肘と膝、それから顎もすりむく大惨事。
「お、おい大丈夫か菊池?」
先生も思わずそう声をかけた。
「あ、勝負っ」
痛がっていた少年はその声で、ハッと前を見て、再び走る。怪我なんて後回しに残る距離を走りぬいた。
けれども、少年がこけて起き上がる前に、いじめっ子達のリーダーは既にゴールしていた。記録はクラスで1番。反対に少年はクラスで最後。
「あっはっはっは、ダッセー」
「やっぱのろマンタローだよな」
「こらっ。そういうことを言うんじゃない。大丈夫か菊池」
「……うぅ、うう、ひっく、ひっく」
ゴールして、いじめっ子達のリーダーと目を合わせた少年は、ボロボロと涙を流し始めた。
それは、怪我が痛いからではない。
いつものようにからかわれたからでもない。
「大丈夫だ見た目ほどの怪我じゃない。ほら、保健室行ってきなさい」
先生にそう促され、グラウンドを後にする少年。一度も振り返ることができないまま。
少年の涙の理由は、少年と、宇宙人と、そして戦ったいじめっ子達のリーダーだけが知っている。
そして、給食も五時限目も終わり、放課後。
「宇宙人逃げてー」
肘や膝、顎にガーゼを貼り付けた少年は、宇宙人のいる河川敷へ急いだ。
勝負に負けた以上、いじめっ子達が宇宙人に何かをするのは明白だろう。プリンは守れなかったが、宇宙人は守らなければいけない。
宇宙人が寝泊りしているダンボールハウスをガンガン叩く少年。1度叩くたびにダンボールハウスは変形しており、今現在破壊しているのは少年だが、そんなことを気遣う余裕は少年にない。
「どうしたんだい? そんな――いたっ」
「あ、ごめ」
「いや、良いのさ。そんなに慌ててどうしたんだい?」
すると宇宙人が中から現れた。少年の予想よりも静かに、そしてニュッと現れたので一度ゴンッといってしまったがいつも通りに穏やかで優しい口調で、宇宙人は問いかける。
「そ、それが……。と、とにかく逃げて宇宙人っ」
そしてそんな落ち着いた口調とは丸っきり正反対の態度の少年。
理由を説明する時間なんてないと、少年は宇宙人の手を引っ張って家から引きずり出す。
少年といじめっ子達は同じクラス。少年がここにいるということは、いじめっ子達も遠からずやってくるということ。
一刻も早く宇宙人を逃がさなければ、少年はそう考えていた。
「ふむ。おや? お友達かい?」
「え?」
だが、もう時は遅いようだ。
少年が後ろを見る。
「近くで見ても気持ち悪いおっさんだな」
そこには、いじめっ子達のリーダーが1人立っていた。ポケットに手を突っ込んで、宇宙人をギロッと睨みつける。
「う、宇宙人逃げて、逃げてー」
「君は?」
「俺はしゅうたろう。おっさんに用はねえよ」
「え?」
しかし、なにやら少年の予想とは違う形で物事は進んでいる。
いじめっ子達のリーダーはそう言って、ポケットに突っ込んでいた手を出す。その手には手の平サイズの何かを持っていた。
「おい、マンタロー、これ」
そして少年に向けてそれを軽く投げる。
「わわっ。っと。え? これ……」
その何かを慌てて両手でキャッチした少年は、見てみてとても驚いだ。
それは、プリン。
「勝負は俺の勝ちだ。でも、あのままじゃ追いつかれてたかもしんねえ。だから引き分けだ、それ、俺の分、やるよ」
「え、しゅ、しゅうちゃん?」
「そこのおっさんといっつも練習してんのか?」
「あ、う、うん。宇宙人と」
「……ふうん。俺も暇なとき来るわ。じゃあな、マンタロー」
「え、え? あ、ばいばい」
何が何だか分からないまま取り残された少年。
「ふふ」
それを楽しそうに見つめる宇宙人。
「……今、マンタローって……」
「良い物を貰ったね。どうだろう、今日はそれをくれないかい?」
「だ、ダメだよっ」
「おや、怪我をしているじゃないか。治そうか?」
「あ。これは……。いいや、このままで良いっ」
「そうかい。じゃあ、今日も練習を始めようか」
「うんっ」
決着目前で転んでしまった不名誉な傷。家に帰ってから母親に驚かれたが、なぜだかとても誇らしげな様子でその状況を聞かれてもいないことまで説明した少年。
そして、晩ご飯の後に冷蔵庫で冷やしていたプリンを食べた。
いつもなら怒る母親も、その日だけは見て見ぬ振りをする。
何度も食べたことのあるそのプリンは、きっと、少年の人生で一番美味しかったに違いない。
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