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勝負の始まり

「おいのろマンタロー、早く着替えろよ」

「相変わらずおっせーなー」


 小学校の4時限目、体育の授業。

 体操服で行う授業のため、3時限目が終わってから4時限目が始まるまでに着替えておかなければいけない。また、グラウンドや体育館など教室外で行われる授業であるため、その場に集合している必要もある。

 生徒達は急いで着替え、すぐに教室を飛び出して行った。


 残っているのは数名。

 そして着替えていないのは1名。


 少年は、まだ体操服に着替えている真っ最中だ。


「わ、分かってるよ」


 シャツに袖を通しながら同級生の言葉にそう応える少年。まだ気付いていないがズボンの後ろがきちんと上がっていない。

 少年は少々ドン臭く、行動が遅い。


「やっぱりのろマンタローだよ」

「今日は50メートル走のタイム計るんだぜ? またゲベかー?」


 いつもそうやってからかわれる少年。

 最近の特訓で目標が定まり、ほんの少しだけ強くなってみせた少年だが、今日は以前のように弱気な一面を見せる。同級生達のからかいに、目を合わせず弱く応える。


 半袖のシャツを着て、お尻を隠せていなかった半ズボンをもう1度上げる。

 横から馬鹿にされながらもようやく少年の準備も完了した。これ以上馬鹿にされないようにと、少年はそそくさと廊下に出ようと歩き出す。


「あ」


 廊下に1歩出た少年。しかしその時忘れ物に気付いた。


 いつもならこれで準備万端。だが今日だけはいつもの準備に加え、もう1つ持っていなければならないものがあったのだ。

 少年は足を自分の席へと戻し、机の横にかけているランドセルに手を突っ込む。そして中から腕時計を取り出した。


「ん? 何だそれ」

 すると、からかい終わりグラウンドに向かおうとしていたいじめっ子の1人が、その存在に気付いた。


 少年が今まさに腕に巻こうとしている、雑誌の付録にでもついてきそうなおもちゃの腕時計に。


 いじめっ子の記憶にある限り、少年がそういったものを着けていたことはない。馬鹿にするといった意図もなく、ただただ口をついて出た疑問。

 なんでもない、そう返せばもうすぐ授業開始ということもあって、事なきを得るだろう。


 だが少年は……。

「こ、これは、その」


 隠そうとしてしまった。


 なぜならそれはただの腕時計ではない、宇宙人から貰った品。


 宇宙人曰く、加速装置。

 ボタンを押せば、世界最速になれる腕時計。


 今日の体育の授業内容は50メートル走。そこで使おうと考えている卑怯な道具。

 だから後ろめたかったのだろう。左腕に巻いた腕時計を右手で隠したあと、そのまま手を後ろにして見えないようにする。


「おい見せろよ」

「べ、別に良いだろっ」

 いじめっ子の1人が一歩前へ出ると、少年は逃げるようにして教室を出た。


 ガラガラ、バタ、と教室の扉が閉まる。いじめっ子達は教室の中でその3つの顔を見合わせた。

 そして、ニヤリと笑う。


「おい待てよのろマンタロー」

「逃げんなよー」

 

 いじめっ子達はすぐさま教室を出て、少年のすぐ後ろで大きな声を出しながらついていく。


「だっせーだっせー」

「ださマンタロー」


 無視を決め込み早足に廊下を進む少年。だが、その手は腕時計を隠すように強く握られる。


 最近、いじめっ子達にとって少年はからかい甲斐のない相手だった。

 足を速くして見返す、という明確な目標と努力をしていた少年の意思は強く、何を言ってもうじうじしたり泣いたり逃げ出さなくなったりしていたからだ。


 だから今の腕時計を必死に隠そうとする少年の姿は、いじめっ子達にとって久しぶりの弱い弱いいじめられっ子の姿。

 格好の餌食になってしまった少年は、3人のいじめっ子達に並ばれる。


「おい貸してみろよのろマンタロー」

「や、やめろっ」


 そしていじめっ子達の中でも代表的ないじめっ子が、少年の腕時計に手を伸ばす。体をよじり必死に触らせないようにするマンタロー。

 それが面白くて、いじめっ子達は少年を取り囲む。


「これは宇宙人に貰ったんだ、絶対に渡さない」


 少年は抵抗してそう叫んだ。


「宇宙人?」

「俺知ってんぜ。お前最近河川敷で変なおっさんと一緒にいるだろ」

「しゅうちゃん何それ」

「俺帰り道だから見るんだけどよ、のろマンタローさ、何か銀色の服着た気持ち悪いおっさんと一緒に遊んでるんだよ」

「えー気持ち悪いー」


 すると、いじめっ子達はそんな会話を始める。

 見られていた事に驚いた少年だが、いじめっ子達同士で会話を始めたその隙に、そそくさと駆け出した。


 いじめっ子達は追って来ない。


「なんか頭に丸いのつけててよ。ほんと気持ち悪いんだ」

「えー」

「ヤベエぜ? そうだ、今日見に行こう」

「行こう行こう」

「ダンボールに住んでるからさ、それ川に沈めてやろうぜ」

「うわ、しゅうちゃんカッケー」


 少年は廊下を走り、いじめっ子達を引き離した。だが、ピタリ、とその足は止まる。


「お、ヤベエもうすぐ授業始まんじゃん」

「ホントだ。のろマンタロー走らないと遅刻だぞ」

「のろマンタローじゃ走っても遅刻だけどなー」

「あっはっは」


 いじめっ子達は少年の横を通り過ぎる。


 もうすぐ授業の始まる時間。

 グラウンドまでの距離はそれなりにあり、もう走って移動しなければ間に合わない。

 真面目な少年は、今まで遅刻を一回もしたことがない。普通ならからかわれていようとも悪口を言われていようともグラウンドへ向かう。


 けれど。


「ま、待てよっ」


 少年は止まったまま、いじめっ子達に向けて大きな声を出した。


「なんだよ」

 いじめっ子達のリーダー格の男の子が振り向く。

 自分より弱い少年にそんな大声を出されたことが気に食わないのか、気分は悪そうだ。有体に言うなら、怒っている。


「僕のことは悪く言っても良い、でも宇宙人に何かするなら許さないぞ」


 だが、少年はもっと怒っている。


「なんだのろマンタロー、俺達に逆らうのか?」

「そ、……そんなんじゃないけど……」


 もちろん怒っていても簡単に強くなれるわけではない。でも。


「ふん」

「……。……ま、待てっ」


「ホントに許さない、ホントだからなっ」


 勇気だけは芽生えた。


「のろマンタロー、てめえ」

「しゅうちゃん早く行かないと遅刻しちゃうって」

「怒られるよ」


「……」


 少年といじめっ子達のリーダーが、目と目を合わせる。同級生の中でも大きな方のいじめっ子達のリーダーと、同級生の中でも小さな方の少年。

 強気さを顔に滲ませるいじめっ子達のリーダーと、弱気さを顔に滲ませる少年。


 このままケンカになってしまえば、少年は負けるに決まっている。

 少年の目にはそれを想像してか怯えも滲んでいた。しかしそれでも勇気を振り絞ってその目を逸らさない。


 力強く睨みつけ、いっこうに引かない。


 宇宙人は友達だからだ。


「……ふんっ。分かったよ」


 すると、いじめっ子達のリーダーはそう言った。

 

 少年の気迫勝ち、というわけではないかもしれないが、それでも少年は大事なものを守った。

 怖かったけれど、友達だからと少年は頑張った。


「……ほ」

 少年は胸を撫で下ろす。


「ただし、今日の50メートル走のタイム、俺に勝ったらな」

「え?」


 だが、いじめっ子はそう切りだした。


「しゅうちゃん、のろマンタローにそれは無理だぜー」

「絶対勝てっこないじゃーん。あっはっは」

「はっはっは。負けたらのろマンタローは俺の奴隷な、今日のプリンも寄越せよ」


「プ、プリンも?」


 それは少年に勝ち目のない勝負だ。少年の勇気も決意も関係ない、実力が全て。

 いじめっ子は引いたのではない、もっと有利な条件があると思っただけ。少年になら絶対に勝てると当たり前に思っているから、張りあう必要もないと思っただけ。


「ま、やるわけないか。のろマンタローじゃ勝てるわけねえし」


 それは事実。

 いじめっ子は少年が焦り困ることを期待した。そして謝ってくると思った。


「……。や、やるよ」

「あん?


「やるよ。僕が勝ったら、宇宙人に何もするなっ。2度と宇宙人の悪口も言うなっ」


 だが、少年は大声で叫ぶ。


「あと、しゅうちゃんのプリンも僕が貰うっ」


「こらー何やってるっ、もうすぐ授業始まるぞ。早く行きなさーい」


「あ、ヤベ、しゅうちゃん。見つかった」

「行こう行こうぜ」

「分かったよ。おいのろマンタロー」


 いじめっ子達のリーダーが、振り返り少年を睨む。

 声に滲む怒気に思わず少年は後ずさる。


「約束、忘れんなよ」


 そして、少年が生きてきた10年に満たないながらもたくさんの出来事があった人生の中で、一番の大勝負が始まった。

お読み頂きありがとうございます。


ほんの少しでも面白いと思って頂けたなら嬉しいです。頑張ります。

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