加速装置
「やーいのろマンタロー」
「のろまっ、のろまっ」
「……」
いじめられっ子の少年は、いじめっ子達の脇を通り過ぎて行く。
いつものように悪口を言われ続けながら。
しかしその様子は、いつもと明らかに違った。少年の態度がまるっきり違うのだ。
走りだして逃げたりせず、俯いて隠れたりもしない。
小さな声で反抗したりもせず、ただ前を向いて歩いて通り過ぎた。
その対応に、頭にハテナを浮かべるいじめっ子達。
少年がいつもと違いオロオロと反応しなかった理由はただ1つ。
見返してやると決めたからだ。
「やあ、少年。来たかい」
「うん。宇宙人」
河川敷。
夏休み前のジリジリとした暑さが多少マシになる水の畔。そこで少年は銀色の全身タイツ姿のおっさん、宇宙人と再会する。
誰が見てもまずは変態だと思ってしまう装いの宇宙人。
しかし少年はもうそんなことを思わない。
少年は今日から、宇宙人と一緒に速く走るための特訓をする。いじめっ子達を見返すために。
「あ、そうだ。はい、今日もパンだったから」
「おや、ありがとう。助かるよ」
その特訓の前に必要なのが腹ごしらえ。
少年は給食を、嫌いなパン以外きちんと食べるが、宇宙人は何も食べておらず腹ペコ。
少年がランドセルから素のまま取り出した、給食で頻繁に出るロールパンを宇宙人は今日も美味しそうに食べる。
パンをあげる少年と、それを受け取り食べる宇宙人。初めてこの関係になったのはいつの頃だっただろう。
少年も宇宙人もその日のことをよく覚えているが、お互い口にすることはない。
仲良くなった今、改めて思い返すと、少々気恥ずかしく思えるからだ。
「それで、特訓って何するの?」
宇宙人がパンを食べ終わる頃合を見て、少年は昨日からずっと気になっていたことを尋ねた。
いつものようにいじめられて、河川敷で泣いていた昨日。宇宙人と足を速くするための特訓の約束をした少年。
宇宙人は本物の宇宙人。
一体どんな特訓をするのだろう。男の子である少年は、ワクワクしている。
何か不思議な道具を使うのかもしれない。そんな風に。
「ごちそうさま。そうだね、昨日たくさん考えたんだけど」
「うんっ」
「まずは……」
「まずは?」
「ストレッチからだね」
「ストレッチ……、う、うん。まずは、うん」
宇宙人の回答は、果たして少年のワクワクに沿ったのだろうか。表情を見る限り、その答えは誰が見ても分かるだろう。
なんとも微妙な表情から、一応の頷きをみせる少年。
期待を裏切られはしたが、子供なりにガッカリした顔を見せるのは良くないと隠したのだろうか、頷きは力強く数回続いた。
「いーち、にいー、さーん、しいー」
「いーち、にいー、さーん、しいー」
宇宙人の数える声と一緒に、少年も数を数え、アキレス腱を伸ばし、前屈をし、体をゆっくり暖める。
「さあ、ストレッチも終わったね。じゃあ、いよいよ……」
「いよいよ?」
「ランニングに移ろう」
「……ランニング」
目をキラキラさせたいよいよから、隠しきれない落胆を見せる少年。
それに気づかない宇宙人ではないのだが、優しく微笑み、率先して走り始める。
宇宙人が走り始めたことで、少年は着いて行かざるを得なくなり、自然と走り始めた。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
「はっ、はっ、はっ、はっ」
銀色の全身タイツ、頭にはチョウチンアンコウのような球体をつけたおっさんの宇宙人の後ろを、小学校低学年の少年が走る。
見ようによっては、いや見ようによらずとも通報もの。
幸いなことに隣を通り過ぎたのは杖をついたお爺さん1人。
通報されることもなくランニングは30分ほど続き、お互いに息を切らせ元の河川敷へ戻ってくることができた。
太陽はほんのり傾いている。
「そろそろ塾の時間かい?」
「うん」
「そうか。それじゃあまた明日」
2人は別れ、時は過ぎ、次の日。
河川敷で待ち合わせた2人の特訓は再び行われた。
ストレッチから始まり、ランニング。
かけっこのような競争に、宇宙人がポケットから出した可愛い子犬との散歩。
動画によるフォームチェック。
7月に入り、あと1,2週間もすれば夏休み。
とてもとても暑い時期。
けれど特訓は晴れの日も雨の日も風の日も続き、最初の頃に比べて格段に速くなった少年は――。
「って違うーっ」
「ん?」
叫んだ。
「どうしたんだい?」
「違うよ、これじゃ普通じゃんっ」
「普通?」
「ストレッチして、ランニングして。フォームチェックも僕のスマホじゃんかっ」
少年が思い描いていた特訓は、もっと夢に溢れていた。
常に腹を空かせ時には倒れる宇宙人。ダンボールに住み大雨の日は家が流される宇宙人。しかし本物の宇宙人で、不思議な道具をいくつもいくつも持っている。
であるならば、特訓はそれらの道具を活かしたものであると思っても仕方がない。
唯一宇宙人の何でも入っているポケットから出てきたのは可愛い子犬。
それに関して少年はとても楽しそうにはしゃいでいたが、宇宙人という文言はそこに必要なかった。
「そりゃあ、確かにちょっとは速くなったかもしれないけどさ。もっと、宇宙人的な方法はないの?」
少年は宇宙人にそう尋ねた。
手っ取り早く、そんな意味合いも兼ねて。
「明日、体育で50メートル走があるんだ。タイム計るんだって。また馬鹿にされちゃうよ」
少年にとって切実なお願い。
いつもいつも少年はいじめっ子達に馬鹿にされている。
「学校休もうかなあ」
見返す、と決めて普段の悪口は頑張って無視しているが、体育ではまるで見世物のように扱われる。いくら心を決めていてもそれに耐えろというのは酷な話だ。
少年はまた、座りこんで膝を抱えてしまった。
宇宙人はそれを、仕方がないなあ、とでも言うように暖かい目で見守り、ほんの少し頭を悩ませポケットをまさぐった。
「ああ、なら良い物がある」
「え、ホントに?」
「これさ」
宇宙人はまたポケットから手を出す。とある1つの道具と一緒に。
「時計?」
そのポケットから出てくる道具はどれも不思議なものばかり。たまに子犬のような道具ではない生き物も出てくるが、基本的には不思議な道具。
そしてどれも見た目はおもちゃのようなもの。
だから宇宙人が取り出したのは、いつも通りまるでおもちゃのような見た目をした腕時計だった。
「こいつはね、加速装置さ」
だが、おもちゃのような見た目の光線銃は、全てを癒すことができるように、見た目で凄さは計れない。
「加速装置っ? す、すごそう」
少年もそれを知っているため、思わずそう言ってしまう。
「ここのボタンを押すと、とても速く動ける。その瞬間君は地球で最も速い男になれるよ」
宇宙人はウインクをして、腕時計を少年の腕に巻く。
雑誌の付録にでも付いてくるような安っぽいおもちゃのような外観、お世辞にもかっこ良くはない。けれども少年の目にはとても輝いて見えた。
少年の指が、恐る恐る腕時計に伸びる。横に付いたボタン、先ほど説明で宇宙人が指していた加速ボタンに。
「おおっといけない。取り扱いには気をつけて。実はこの加速装置は1度使ったら壊れてしまうんだ」
「え?」
だがそれを宇宙人が止めた。
少年も震える指をビタッと止める。
「あまりにも強力でね、そういうものなんだよ」
「そ、そんな……。も、もう1個持ってたりしないの?」
「あいにく私もこれの代えは持っていなくてね、最後の1つなんだ」
「……」
少年は懇願するように宇宙人の目を見てその言葉を聞いた後、自らの腕に巻かれた腕時計に視線を落とす。
視線同様、その心も落ちてしまった。
1度だけ足が速くなっても少年にとっては意味がない。
「使いどころには是非気をつけて欲しい」
「……うん……」
同学年、同級生と走る機会はこれから山ほどある。たった1度だけ速くても、忘れられるかインチキをしたと思われるだけだろう。またからかわれてしまう。
分かり易く落胆するその様子に、宇宙人は苦笑いのような穏やかな笑みを見せる。
「少年は、どうして足を速くしたかったんだい?」
「え?」
宇宙人は、休憩、とばかりに河川敷の芝生に腰を下ろした。
昨日は少し雨も降ったが、さすがにこの暑い時期だ。芝生も綺麗に乾いている。もっとも、宇宙人は濡れていても座る。
「僕は……」
少年は考え込む。
珍しい、宇宙人のそんないじわるな質問に。
「速くなった後、どうしたいんだい? 自分より遅い子を馬鹿にしたいかい? 加速装置に勝てるやつなんていない、いくらでも馬鹿にできるよ」
「ば、馬鹿にしたいだなんて思ってないっ」
「そうなのかい?」
「……。……。僕は誰かを馬鹿にしない。だって嫌だもん、僕も、そう言われてすごく嫌だし」
しかし、少年はそんないじわるな質問にもきちんと答えた。
俯いて、いかにも自信のなさそうな答えだったが、とてもとても優しい答え。
宇宙人はニコリと微笑む。
「そうか。少年はとても良い子のようだね。そんな君だからこそ、きちんと使いこなせるはずさ。1度しか使えない加速装置、大切に使ってくれ」
「……うん」
少し見上げる少年。
宇宙人はいつも優しい顔をしている。少年も、ニコリと微笑んだ。
「明日も特訓するの?」
「少年が望むのなら、いつでも歓迎さ」
「じゃあ、また明日」
「ああ。また明日」
少年と宇宙人は立ち上がり、別れる。いつものように約束を交わして。
明日の体育は50メートル走。
不安も大きい。
チラリ、と腕時計を見る少年。心は定まらない、けれど不安は少しだけ消えた。
少年は走る。
ほんのちょっとだけ速くなったその足で。
3000字から4000字で1話になります。
パッパッパ、と読めるので、暇な時にお読み下さい。




