第六話 一日の終わり
ショッピングモールのすぐそばにあるファミレスに手を引かれたまま入店した。
レジから出てきた同年代か少し年上くらいの男性スタッフ相手に、人数を聞かれ、優依はピースするように二人と答える。
その人は一礼した後、奥から二番目にある四人掛けの席に僕らを案内した。
優依は彼にどんな顔を向けていたのだろう。それだけのことかもしれないけれど、そんなことが少し気になる。
席に着くなり優依は「お手洗い行ってくるね」と言って席を立った。
レジの方へと戻っていく店員を横目で睨む。
いや、あれがピースではないことも、店員は何も悪くないことも理性ではわかっている。わかっていても妬ましい。
優依が離れると鈍化していた思考がいつもの調子を取り戻す。
忘れないよう、すぐに携帯のメモ帳を開いてボイスレコーダー、カラオケと打ち込んだ。
ここに書いたことを忘れなければ大丈夫だろう。あとはうまく誘えるか、乗ってくれるかということ。
あまり優依に怒られたくないし怒らせたくもないので、一応メニューは開いておこうか。
ポーチはない。コンバットナイフもなければライフルなんて当然ない。優依を守るための物が何もない。
せいぜい食器入れに入っているナイフとフォークくらいだ。
暴徒やチンピラの一人や二人ならこれで十分か。そんな連中なら「職務」と済ませることも出来るかもしれない。しかし、優依に色目を使うだけのただのナンパやその類だったらどうか。
そいつらを始末しても問題のない抜け道はないものか。
とかげどもや敵性生命体と違って殺すことに問題がある連中の方が対処がしづらい分だけたちが悪い。
「けいくん、ここだけすっごい空気悪いよ。何思ってるのか知らないけど、落ち着こう?」
透き通った甘美な声が耳に届いた。
優依が目の前の長椅子にゆっくり腰を下ろす。
よかった。誘拐されたわけでもなく、暴行を受けた形跡もなさそうだ。
「せっかく二人でいられるんだから」
甘ったるいその声が、その笑顔が、僕を耽溺させる。
昼食を食べ終えた僕らは隣にあるショッピングモールを訪れた。
買い物がしたい、よりは優依と一緒にいたいだけだ。
一応ボイスレコーダーは買ったけど、多分カラオケにはいかないような気がする。
歌に興味の無い僕と行っても優依は楽しくないかもしれない。
僕が欲しいのは優依の歌声じゃない。優依の声だ。
優依の声が聞きたい。何でもない言葉でいい。落ち着けるものが欲しい。
緊張というか興奮というか、一人で勝手に舞い上がっている今も、刻一刻と時間が過ぎていく。
ライフル握るのは簡単なのに、好きな女の子の手を握れない。
握ろうとして手の甲が触れあうと、思わず手を引っ込めてしまう。
今日はやめようなんて言っていられないのに、それなのに優依の手をとれない。
優依は死なない。僕が守るから。でも僕は死ぬかもしれない。その時僕はそのくらいの事も出来なかったと後悔しそうだから。
「けいくん、どうしたん?」
不意に優依が囁きかけてきた。
「なんでもないよ」
咄嗟に身を翻し、そう言ってみせる。
当然なんでもなくない。ただの強がりだ。
「うそ」
優依の言葉はとても優しい。
「だってさっきから……」
わざわざ僕に見せるように自分の手の甲に触れる。
やっぱり気付いていたみたいだ。僕が手を繋ごうとしていたこと。
「手、繋ごうとしてたんだよね? すっごい初々しくて、なんかこう、可愛かったよ?」
これは照れるとか恥ずかしいとか、そんな感情じゃない。もっと別の何かだ。敗北感でもない別のものだ。多分。
「もう行こっか、二人の方がいいでしょ? けいくん的には」
黙ってうなずく。
「ほら」
優依が差し出してくれたその手を、指先だけだったけど、僕はその手をとれた。
いつも握っているものよりもずっと暖かくて、柔らかい。
今の僕はきっと幸せだ。
だからこう願ってしまう。
こんな日が、こんな時間がずっと続けばいいのに、と。
繋いだ手を引いてくれる優依の姿がとっても眩しい。この手を引っ張って、壊してしまいそうなくらい思い切り抱きしめたい。
名前を呼ぼうと口を開けてもそれを躊躇って唇を噛む。
躊躇ったのは恥ずかしかったからじゃない。もっと別の感情。
多分、怖かったんだ。
なんでそう思ったのか、なんでそう感じたのか全く分からないけど。
理由なんておそらく大層なものじゃなくて、きっと僕がへたれだからだ。
帰り道、バスを降りた後僕らは手を繋ぎ並んで歩いていた。
情けないことだろうけど手を繋いだのは僕からじゃない。
沈みゆく太陽は橙色をしている。もう、今日も終わる。
なんでもない一日だった。数か月前の僕なら今日みたいな日をどう思っただろう。
無意味に思えたのか、有意義だと感じたか。
あの日、誘いを断っていればきっと今日も無意味だったと思う。受けていても優依と付き合えてなければ無意味だったと思う。
でも今日の僕は良かったと思えた。だからそれでいい。
基地も迫ってきた時、不意に優依は僕の手から離れ駆け出すと大きく跳んだ。
どうにも体力が有り余っているらしい。元気なもので。
なんだか結構子供っぽい。
基地の中ではしゃげば怒られるかもしれないから、今日という日の最期、今のうちにということなんだろう。
「けいくんっ!」
「んあ?」
間抜けな反応をする僕のもとに駆け寄ってくると、そのまま抱き着いてきた。
アニメやドラマみたいに受けきれず、普通によろけてしまう。
「けいくん」
なんというか、馬鹿っぽいというか、子供っぽいというか、随分と楽しそうだ。
「けいくんよろけたからやり直しかな?」
「まじか」
「よろけちゃったから、仕方ないね」
楽しそうで何よりだ。もう一回くらい受けてもいいかもしれない。
そう思った直後、優依の腕が僕の首へとまわされそして――。
呆けている僕の唇に優依の唇が触れる。
その一瞬で僕の思考が完全に停止させられた。
なんだかよくわからないけどよくわからない。
優依の顔が見えた。
「はじめて?」
「え?」
状況を飲み込めないでいる僕を置いて、満足そうな笑みを浮かべ僕から離れる。
自分の唇に触れてようやく何が起きたか理解した。
初めてのキスは朱色の味だったらしい。