第五話 休暇
先の戦闘では九人がとかげの餌になったらしい。僕はまだ生きている。僕はまだ死ぬつもりはない。
マスコミ連中は色々難癖つけてくるだろうけど、現場からしてみれば戦車の他に攻撃ヘリまで出してくれたんだから司令部の人たちに落ち度なんてなかったし、寧ろ十二分の働きだったと思う。
連日戦闘ばかりだったからか、それとも戦局が優勢に推移しているとみたのか、僕や優依を含めた何人かの隊員に待機ではなく休暇が出た。
優勢なら近々あるだろう大規模攻勢に備えての休暇というなんだろう。劣勢ならきっと、これから激化するから今のうちに楽しんでおけというお達しなんだろう。
あれを見て優勢なんて言えないだろうからおそらく劣勢だ。
どちらにしても前線の兵士から見れば苛烈な戦場に送られることに変わらない。
もっとも、文句を言っても仕方のないことだし、戦え、ではなく休め、と言われ、基地から出ることを禁止されているわけでもないんだ。その権利をしっかりと享受しようじゃないか。
優依は午前中実家で過ごすと言っていた。
自宅から近いからイベント会場でバイト出来ていた、ということかもしれない。
僕の実家は基地からは少し遠いので、会いに行こうと思っていつでも会いに行けるわけでもないし、優依の側に居られればそれでいい。
連絡があるまで空を見てるか、SNSを見てるかくらいしかすることがなくて退屈そのものだ。
こんな時、元の僕は何をしていたかうまく思い出せない。なにかゲームでもしていたのかもしれないし、本でも読んでいたのかもしれない。
それより今はボイスレコーダーが欲しい。優依とカラオケに行きたい。どうせなんだから今日、誘ってみようか。
気がついた時には優依が出かけてはや二時間、連絡はまだない。
僕は何をするでもなく携帯の画面とにらめっこしながら気付けば爪を噛んでいた。
二時間経って僕は漸く二時間経ったことに気付いたのだ。
右手の爪はすべて深爪になっているし、周りの皮もぼろぼろになっている。
二時間なにもしていなかったけど、気付いた今でも何かをしたいなんて思わない。
それは、何かをしている途中で優依からのメッセージがあったとき、すぐに反応できないかもしれないからだ。だから何かをしようなんて思わない。
僕は何かをしようとすることもなく携帯を充電器に繋ぎ画面を眺めるだけ。
今度はいつの間にか唇を噛んでいた。あれから三十分経ったが連絡は来ない。
まるで落ち着かないし、なぜだかわからないが無性に苛々する。平常を装うとしてはいるけど呼吸も荒い。
もしかすると優依は僕に構われるのが嫌だったのか。それでも仕事だからと仕方なく付き合ってくれていたのか。
両親に会いに行くというのは僕を傷つけないための嘘で、基地の外にいる男と会っているのかもしれない。誰かわからない、いるかもわからないその男を殺したくて仕方がない。
「優依……。優依……、優衣……、優衣、優依、優衣優依優依優依優依優依」
ヘッドセットをつけているわけでもないし、無線の奥にいるわけでもない。そんなこと、わかっていても呟かずにはいられない。
自分でも自分の感情がわからない。不安なのか、怖いのか、怯えているの、寂しいのか。それともそれらがパレットの上に練り出された絵の具がされるように、ぐちゃぐちゃに混ぜられているのかそれさえわからない。
「優依に男がいる。優依に男がいる? いや、そんなはずない。そんなはずないんだ。でもいるかもしれない。優依だから、優衣だからいてもおかしくない。違う違う、違う、優衣だから、優衣だからいない。そんな奴いるわけない。そんな奴いるわけない」
何度も何度も画面をスライドさせてメッセージを強制的に更新する。
当然来てないのだから表示されるわけがない。
来ないことが不安だ。来ないと思うと恐怖で苛立ってくる。
こんな事ならこっそり後をつけていけばよかったんだ。どうせこの戦いが終わればお義父さん、お義母さんと呼ぶ相手なんだ。優依の実家も知れ、最低でも相手の容姿は確認しておくくらいは出来たはずだ。自分の無能さにあきれる。
優依が自分の知らないところにいると思うと本当にたまらない。緊急事態で招集がかかってほしいとさえ思う。
自分のベッドへもぐりこみ、横になってメッセージアプリを確認する。
何をするでもない、ただ画面を凝視し優依からのメッセージを待ち続けるだけ。
そうやって待ち続けて一時間半、昼を少し過ぎた頃にようやく優依からのメッセージが連続して届いた。
そこには『遅くなってごめんね』『今から戻るから』とそれだけだったけど、呼吸が荒くなるくらいには嬉しかった。
書かれていた言葉が多くなくても、それだけでも自然と笑顔になれる。
少しでも早く会いたくて、部屋を飛び出し基地を囲うバリケードの外へ向かって駆け出した。
あれからおよそ二十分、父親と思しき男が運転する黒い車に乗せられて優依が戻ってきた。
いつもの見慣れた制服ではなく、紺色のカーディガンに白のブラウス、赤、いや、紅色のフレアスカートという私服姿で、優依は何を着ても可愛い。
去り際に運転手と目が合い睨まれたような気がしたので、薄ら笑いで応えておいた。優依に知られると怒られるかもしれないけれど。
それよりだ、優依の私服姿というのは今の僕にとっては貴重なものだ。出来れば写真や映像として残る記録媒体に保存しておきたい。
そうなると、制服姿も保存しておくべきか。
基地から最寄りの街までそこそこ距離があり、僕一人なら何とも思わないが、今日は優依がいるので大人しく基地の近くから出ているバスを使う。
時間帯のせいなのかバスは乗客が少なく、座席には全く困らなかった。
しかしそれは街について分かったことだ。
がらんとしているのはバスだけじゃない。前見た時よりも街全体の往来が減っているような気がした。
平日や時間帯という理由だってあるのかもしれない。車は普通に行き交っているし、近くのファストフード店にも人はいる。それでも、なんとなくそんな気がする。
生活必需品を買いだめして、いつでも逃げられるように外出を控えている人もいるんだろう。
わからなくもないし、もしかすると市や国が呼びかけているのかもしれない。
反国際平和安定機構軍の活動家の方たちはご丁寧なことにバス停にまでちらしを貼り付けている。これはバス会社や市役所から許可が出ているんでしょうかね。
鼻であしらい気にすることもない僕とは違って、優依はどこか悲しそうだった。
「私は……、けいくんや他の皆が皆を守るために命がけで戦ってるのを知ってるから、この前も何人も亡くなったこと知ってるから。ううん、違う、きっと違う。この人たちもきっと知ってる。それなのにこういうことを平気で言ってる。こういうの見ると、本当、悲しくなる」
僕は、市民なんかどうでもいい、優依のためだけに戦っている。そう言うと、優依はどんな反応をするだろう。
「こんなところでこんな下らないちらし見てないで、早く行こ。お腹空いた」
「そうだね、ちょっと遅くなったけど、お昼食べよっか」
何か食にこだわりがあるわけじゃないので、すぐそこのファストフード店でも駅前にあるショッピングモールのフードコートでもなんでもいい。
僕なんかよりも優依が何を食べたいか、が大事だ。
「優依は何が食べたい?」
「私はいいよ、けいくんが決めて」
そう微笑みながら遠慮し、僕へ選択権を渡そうとしてくる。何と言うか、予想通りの返しだ。
「ごめん、優依。僕は遠慮してるわけじゃないんだ」
僕の言葉に、優依の微笑みはゆっくり苦笑いへと変わる。
「ああもうっ、適当なファミレスでいい?」
「僕はなんでもいいよ、優依に全て任せる」
すると大きく溜息を吐かれる。どうやら僕は何かを間違えたらしい。
多分、選択権を全て優依に押し付けていることだろう。
悪いと思うけど、僕には何もない。あっても声が出ないかもしれない。
「いいよ。わかった。行こ」
袖を掴まれ優依に引かれる。
好きな人に手を引かれる、これがどれ程幸せなことか。
そういえば、優依と合流する前に何かしようと思っていたが、何をしようと思っていたか思い出せない。
優依の写真を残さなければいけない。僕が初めて執着し、一緒に居たいと願い、それだけで幸せになれる相手が側にいてくれているその証明を。
ポケットに入った携帯を空いている右手で取り出してカメラを向ける。
液晶画面に映ったシャッターボタンにあたる白い円に触れた瞬間、かしゃりというシャッター音がわかりやすく響く。
至近距離から聞こえてきたことに驚いたのか、振り返る優依に合わせてシャッターボタンに手を触れる。
「けいくん……」
僕の名前を呟きながら呆れたような溜息を吐く。
「ごめん、でも、残しておきたかったんだ。忘れないためと、側にいてくれたその証明として」
今度こそ怒られるかもしれないと思うと、思い切り目を閉じてしまう。
「いいよ別にけいくんなら」
優しいその声に、ゆっくりと目を開く。
怒っている様子はなく、その声と同じような優しそうな笑みを浮かべていた。
「でも、ちゃんと程度はわきまえてね。かしゃかしゃ、私がやりすぎだって思ったら、本当に怒るから。ね?」
笑いかけてくれているその顔につられ、僕はさっそくシャッターを押してしまう。
「えっ、いきなり!?」
驚いた様子だったが、優依は笑っていた。
「もう、写真撮ってないで行くよ」
自分より歩幅の小さい相手の後ろを歩くのは正直歩き辛い。
そんなことよりも袖を引かれるのは、自分でも不思議なくらいに嬉しかった。