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こんな世界、いらないでしょう?

作者: 若狭紫苑



「はぁ。」


ひとつ、小さくため息をつく。ガタガタと揺れる電車の振動が気持ち良く、私はすんなりと眠りに入る。


予定だった。

午後5時。この時間の電車はさほど混んでいない。いつもと同じ電車に乗り、空いている席に座った。1日で溜まった疲れが急激に私に襲いかかり、目を閉じ、眠りに入ろうとしたのが5分程前。

それは、私のとても苦手な...いや、嫌いなものだった。


私の隣の席も空いていた。サラリーマンなのだろう。スーツを着ている人だった。彼が座った時のことは見ていない。が、彼が座ったということはよく分かった。

匂いだ。ものすごく強烈な、煙草の匂い。

私はこれが苦手なのだ。というか、煙草の匂いだけで気持ち悪くなる人はそう少なくないはずだと思う。私もその類で、その場で吸っていなくても、その人の服についた煙草の匂いだけで気分が悪くなる。


昔は平気だった。両親が吸っていたからだ。しかし、その両親は4年前に離婚し、私は父と一緒になった。そうなると、急にお金が足りなくなった。だから父は煙草を止めたようだ。私が耳にタコができるくらい毎日のように煙草はやめた方がいいと言っていた効果かもしれないが。


閑話休題。


ともかく、彼のお陰で私の睡眠は遮られた。


とても眠たかった。毎日毎日、まるで周回ゲーのように続く学校と家の行き帰り。

高校に進学したら治ると思っていた人見知りも治らないまま数ヶ月が経ち、私に友達と呼べる人はいない。


そもそも私には友達がなにかすら分からない。




夢だ。そう分かった。私は夢を見ている。

暗かった。辺りを見渡しても真っ暗で、なにも見えない。というか、目を開けているのか閉じているかも分からない。つまりここには光は無かった。

まるで私のようだった。光の無い、私。見た目もぱっとしない。周りと仲良くすることも出来ない。そもそも話しかけられない。話しかけられても上手く会話が出来ない。


我ながら終わってると思う。現代を生きる女子高生として、これはいかがなものなのか。

私の中の女子高生、つまりJKとは、もう少しパッとした感じだったのだが、、。


それはさておき、ここはどこなのだろう。私が着ているのは制服だし、ポケットにはちゃんと携帯も入っていた。圏外だったけど。


「使えない携帯...」


ボソッと呟いた。


仕方ないので、少し歩くことにした。歩くと言っても、探り探りでしか歩けないからなんだか歩いてるというよりは挙動不審にうろうろしているようにしか思えない。外でやったら完全に不審者だ。

手を前に突き出して、ばたばたさせながら歩く。それでも手は空を切るばかりで、なにも掴みやしない。

多分なにも無いのだ。音もしない、光も見えない、空気の流れも感じない。つまり、密閉空間。

とりあえず分かるのは、これが夢だということだから、早く覚めてくれることを願うばかり。


コツン。


「...ん?」


なにかが触れた。ばたばたさせている手にではない。足だ。蹴った感じがしなかった。まるで、どこかから転がってきたようだった。

なんとなく辺りを見回しても、やっぱりそこには誰もいないしなにも無かった。何故なら、私の周りはくらいから。でも、何故だろう。私の足に転がってきたそれはよく見えた。まるで、それ自身がそれ自身のためだけに光っているかのように。



「運命、改変ボタン...?」


ありきたりなボタンだった。起爆装置のような、黒い台に赤いボタン。その赤いところに、確かにそう書いてある。


『運命改変ボタン』


と。


全く意味が分からなかった。運命を?改変?ゲームの中の話なのか。

そう思って思い出した。ここは夢の中だった。


「そうか、覚めればいいんだ。」




夢が覚めれば、元通り。


起きたら、いつもと同じ。


また、退屈な『周回ゲー』が、はじまる。


つまらない、このゲーム。


人生という名の、私の、ゲーム。





「ぁ......。」


天井。

そこは、いつもの私の部屋だった。ふと、違和感。


「......ぁ、。」


手に、ボタン。そこには



『運命改変ボタン』



「......夢じゃ、ない...?」


あまり信じられたものじゃなかった。

別に、信じる気にもなれなかったけど。


ひとまず、学校に行かなければ。


...このボタン、どうしようかなぁ...。

ともかく、押さない方がいいということだけは確実だった。






悩んだ末、仕方なく持ってきてしまった。

部屋に置いて、入ってきた父さんに押されでもしたら嫌だったから。なにがあるか分からないし。


私の朝は早い。7時50分には学校に着く。だからといってなにかをする訳では無い。基本的に携帯は使わないし、こんな時間から教室にいる人はいないから喋ることもしない。そもそも喋る相手がいない。


教室に入り、電気と扇風機を付ける。

前から3列目の自席に荷物を起き、扇風機のキュピピピピピーという音を聞きながらカバンから荷物を取り出していく。


しばらくすると、ガラガラっという扉の開閉音とともに、足音がこちらに向かって来る。私の隣の隣の列の1つ前の席の子だ。名前は知らないけど、大体私のすぐ後に来ていつも携帯をいじっている。

相手も私がいることを特に気にする様子も無く席に着いて携帯を触り始めた。



やがて、教室は徐々に賑わいを増してくる。


「おはよー!ねえ、昨日のドラマ見た?やばかったよねー!」

「見た見た!超やばかった!デートの時のナオトとサユリがさー!」



「なぁ、宿題やった?」

「やってねぇ。」

「だよなー、誰に写させて貰おうかな」

「ヤスノリー!宿題写させろよ!」

「はぁ?!100円な!」



「ねぇアンタ、あたしの彼氏取ったって聞いたんだけどぉ?」

「え?なんのこと?」

「知らばっくれないでくれるぅ?確かなぁ、情報網があるんだけどぉ?」


等々、聞こえてくる会話は様々。


あぁ、くだらない。早く終わらないかな、学校。


「はーい、HR始めるよ。みんな席ついて。」


明るい声色で教室に入ってきたのは、担任の弥花さん。弥花とは名前だ。本名を『佐野 弥花』という。

はじめて顔合わせをした時、自ら名前で読んで欲しいと言っていたので、みんな下の名前で呼んでいる。あとは『さのみん』とか、そういうあだ名で呼ばれることも多い。若いし可愛いし優しいから結構人気があって、私の唯一好きな先生だ。


「ーーだから、お昼に図書委員は集まること。あと体育祭近いからみんなら頑張ってね。私は体育祭までにダイエットしてチア部と一緒に踊れるように頑張りまーす。」


できんのかよー!、先生あの格好するの!写真撮るー!


相変わらず面白い先生だ。


HRが終わって教室が騒ぎ始めると、弥花さんが私の方に向かって来た。


「あ、涼乃ちゃん。お家、琥縁の方だよね?」

「...あ、はい。」

「不審者情報、琥縁から出てるから気を付けてね。」


そう言って、担任は教室を後にした。

弥花さんは生徒を名前で呼ぶ。それも人気のうちなのだろう。


「宮本...さん、ちょっと、良いかな...?」

「...?」


上の方から呼ばれた。見上げると、多分うちのクラスのHR委員(決める時に誰もやりたがらなくて無理やり押し付けられていた気がする。)が私の方を見ていた。


「え、と、体育祭なんだけど、その、出たい競技とか、ある?」

「...あんまり、無い。余ったやつで良い...。です...」

「あ...わ、分かった。ありがとう...」


名前も知らないHR委員は、また別の子へと質問へ行った。その背中はとても申し訳なさそうだった。


人と上手く喋ることができない。同い年でさえ、緊張して敬語になってしまう。年上や年下なんてもってのほかだ。

だから私は私が嫌いだ。昔から人見知りが原因でクラスでも馴染めなかった。でもそれは自分のせいだから、諦めるしかなかった。




「えぇと、次の問題......。じゃあ、宮本さん解いてくれる?」

「え...あ、はい...。」


化学の時間だった。化学は好きだ。なんだか、楽しい。実験とか、ワクワクする。意外と得意だし、テストでも唯一クラスで10位以内に入る教科だ。それでも、毎学期の評定は3。何故なら


「あ.....えと......ぅ......」

「...分からないなら、次の人に回すから大丈夫よ?」


違う、分かるんだ。そうじゃない。


「宮本さん?分かるかな、この問題。」


だから、分かるんだってば。でも、でも


「えぇと、どうしようかしら、宮本さん、分かるかしら。」


分かるけど、人がたくさん見てるから喋れないです。なんて、言えない。

だから仕方ないんだ。だから私は


「ごめん、なさい。分からないです...。」


そう言うしか、無いんだ。


先生は優しく笑って、大丈夫よ。これ少し難しいもの。と言って、次の人に回した。その人はすぐに問題の答えを言って、拍手を貰っていた。




こんなことが毎日のようにある。

ある日は英語の時間に英語で先生に話しかけられたり、数学の時間に前に出て問題を解けと言われたり。国語の時間には古文を訳せと言われたり、この時の著者の考えをまとめろと当てられたり。


もちろん全て答えられない。人が見てるのに、しかも、沢山。そんなんで喋れるわけが無い。


だから、毎日思う。


私は要らない子なのだ。





決定的なことがあった。


現代社会の時間だ。近くの席の人で5、6人のグループになって、クラス全員に共通のいくつかの課題について班全員で調べものをする。授業の最後に先生が質問をして、いち早く全員答えが出せたグループになにかくれると言うのだ。ようは班対抗の早押しだ。

景品があるということもあって、誰もがやる気だった。


調べものの時間は私もこそこそと教科書は資料集で調べて、配布されたプリントに答えだと思うことを書き綴っていた。

それがたまたまひとりの班員の目に止まった。


「あれ、宮本さんすごい書いてる!え、写させてくれない?」

「あ...、うん。いいよ...。」


ありがとう!そう言うと、彼女は自分のプリントに私の答えを写し始めた。


彼女が私にプリントを返して、私もまた調べものを再開させた時だった。


「ちょっとヒオリ、超すごいじゃん!これあんたの答え?」


私にプリントを貸してと言ってきた子はヒオリという名前らしい。同じく班員の子から、私の答えを写したプリントを見せながら自慢げに笑っている。


「そう、私すごいでしょ?ほら、みんな答えこれにしようよ。そうすれば1番で答えられるよ!」


.........?あれ?


「ほら、宮本さんも見せたげる。これ書いて。」


私の前に見せられたプリント。そこにはもちろん『私の答え』が書いてあった。


「にしてもヒオリすげぇなぁ!その問題うち分かんなかったよ。ヒオリ、実は頭いい系女子?」

「ははっ!実はもなにも、私頭いいんだって!」


待って、違う。それは私の答えで...。


「宮本さん写せた?他の人にも写させてあげたいの。もういいよね。」


ハッとしてその目を見る。笑っているその目だったけど、《なにも言うな。》そう言っているのが分かった。


「......。」


なにも言えずに、私は下を向いた。


その間も自称頭のいい彼女は『自分の答え』の自慢をして、『自分の答え』をほかの人へと教えに回っていた。




「じゃ、そろそろ時間だから質問いくよー。分かったら誰でも良いから手を挙げてね。その人が正解だったら同じ班の次の人に回して、全員が正解したら景品をあげます。誰かひとりでも不正解の場合は回答権は他の班に移るからね。」


じゃあ、まず1問目...。


「はい!はいはい!!」


質問の内容はよく聞こえなかったけど、その質問に誰が手を挙げていたかはよく分かった。


「お、杷さん早い。じゃあ杷さんの2班から行ってみよ。」


「答えはーーーーです!」


それ、私の出した答えじゃないか。


「お、正解!じゃあ次、荒木くん。ーーーーはなんの意味?」


「ーーーです。」


それも、私の答えだ。


「おぉ、いいね!んじゃ次久木さん。ーーーーはどこで起きた?」


「えと、ーーーですか?」


私の答えだ。


「いいねぇ2班!次山本くん、ーーーーーはどうして起きた?」


「えーと、ーーがーーーーしたからっす。」


「おっけおっけ!じゃ、最後宮本さんいってみよ!宮本さん正解したら景品だよー。」


よっしゃ!宮本、いけいけ!、頑張れ宮本さん!、しくじるなよー、宮本!


班員の掛け声は、全て興奮した声をしていた。その中でひとつ。


「涼乃ちゃん、頑張れ。」


隣から聞こえる声だけは、なんの感情も無い威圧感だけを感じた。


「ぁ......。」


先生、どうして私を1番最後に指名したんですか。

どうして私を1番注目される位置に指名したんですか。

どうして、私の答えを、みんなが答えていたんですか。

どうして、私の答えを、まるで自分の答えだというように、他の人に、写させていた子は、こんなにも怖いのですか...?


「ーーーーは、誰が起こしたでしょう?」


先生、答えてくれないんですね。


「.........。」


クラス中の視線が私に降り注ぐ。いや、突き刺さると言っても過言ではない。


あの地味女は果たして正解するのか。正解したらあの班にはどんな景品がもらえるんだろう。正解しなかったら、次は自分の班に回答権が回ってくるのか。


そんな感じで、とにかく色々な顔が私を見ていた。


「どうしたの、涼乃ちゃん。もしかして、分からないの?」


ヒオリという名の彼女は、私に微笑みかける。その目はやはり


《怖い》


まるで色の無い魚にじっと見つめられているような、そんな恐怖感。

もちろん答えは分かっていた。答えなければいけないということも分かっていた。


「.........。」


それでも答えられない私は、やはり、弱い人間なのだろうか。


「えーと、じゃあ、次の班に回答権回そっか。次、答えたい班ー?」


はいはいはい!私!、俺俺!


再び活気を取り戻す教室とは別に、なんとも言えない虚無感のようなものが残った場所。


「あーぁ、なんだ。あと1人だったのにな。」


荒木くんと呼ばれた彼はそう言って、私をちらっと見た。


「ね。分からないならなにか言えばよかったのに。あーあ。残念。」


久木さんと呼ばれた彼女は大げさに溜息をつきながらそう言った。


「まぁまぁ、そう言わないでよみんな。また今度の機会あるって!その時がんばろーよ!」


ね、涼乃ちゃん。と、彼女はまた、感情の見えない真っ白な目で私を見てきた。


「......うん。」


ごめんなさい、と。


静かに私はそう呟いた。


私は悪いことなんてなにもしていないのに。


偽善者め。




「涼乃ちゃん、今日日直だけど終わったら一緒に黒板消してくれる?」


やっと1日の全ての授業が終わり、HRが始まる少し前。私は入ってきた弥花さんに話しかけられた。


「あ、はい。」


弥花さんだけは、私によく話しかけてくれる。もちろん、担任だからということもあるだろうけど。

別に弥花さんを生徒と同様の扱いをしている訳では無い。ただ、弥花さん自身も心のどこかでは、自分も生徒のひとりだと思っているところがあるのだろうと私は感じていた。言動がなんだか幼いし、よく女子生徒と恋愛話をしていたりして、他の年配の先生に仕事をしろと怒られることもたまにあるだそうだ。

それでも先生たちからあまり嫌がられていないのは、彼女が仕事が出来るからだろう。

多分彼女はさほど努力をせずにこの教員という職に就いたのだと思う。昔、聞いたことがあった。


「先生、どうして先生は先生になったんですか。」

「涼乃ちゃん、私のこと先生じゃなくて名前で呼んでよぅ。」

「あ...、弥花、さん。」

「はいはい、弥花さんだよ。んーとね、なんだろう。私は英語の教員をしてるけど、特に英語が得意だったわけじゃないよ。ただ、英語を教えたいなって思って。そんな感じ。」

「......そうなんですか。ありがとうございます。」

「涼乃ちゃんは?将来、やりたいことは無いの?」


先生みたいに明るく誰からも好かれる人間になりたいです。なんて言ったら引かれるだろう。


「...特に、無いです。」

「そっかぁ、涼乃ちゃんなら素敵な職を手に取れるよ。これから一緒に探していこうね!」


手をぐっと握って、頼もしそうに笑った。

だから私も、少しだけ笑った気がする。


そんなことがあったのだ。別に弥花さんを批判するつもりは無いけれど、ただ遊んでいるだけの人と、遊んでいるけど仕事が早くてちゃんとできる人だったら、もちろん後者の方が圧倒的に評価が良い。私の場合はどっちにも属さない。遊べなくて、仕事もできない。つまり、要らない人間なのだ。

遊ぶと言っても、仕事をサボっているのか、それとも人間関係を築くために遊んでいるのか。私はどちらも苦手だから。

やっぱり私は弥花さんのようにはなれない。




「ありがとね、涼乃ちゃん。お礼に飴あげる。」


弥花さんと一緒に黒板を消し終わって黒板帰ろうとしたら、弥花さんが私に手を差し出してきた。

飴。まるで子供騙しのようだ。


「ありがとうございます...。」


この時代には珍しく、紙に包まれているタイプの飴だった。私もよく知っている、三角のいちごミルク味の飴。


「私これ好きなんだぁ。子どもの頃からポケットにはいつも入ってたよ。夏とかはよく溶けてお母さんに怒られてたけど。」


ははっ、懐かしい。弥花さんはそう言って、電気と扇風機を消して教室を後にした。


ポケットの中には、いつも飴が入っていた。弥花さんはそう言っていた。そうだ、ポケット。


「......運命改変。」


忘れていた。私のポケットには、アレがある。

なんの効果があるのかも分からないアレ。

もし、本当にこの運命を変えられるのだとしたら。私のこれからが、弥花さんのようになれるのだとしたら。

私はそれを取り出し、窓から指す夕焼けに重ねた。逆光でよく見えないそれには確かに、『運命改変ボタン』と、書いてあった。




もしこの運命が変わるなら。私はこれからどうなるのだろう。


そのボタンをまるでボールのように上に投げて遊びながら、学校から駅までの道を歩いていた。

もうすぐ夏だ。暑い。

そう思いながらも私はこのボタンのことを考えている。押したい衝動と、押さない方がいいという不安。どちらを取るべきなのか、私には分からない。今朝あれだけ押さない方がいいと思っていたのに、今はもう押してしまいたいという気持ちの方が強くなっているのだから、私は単純だ。

と、前の方から携帯を見ながら歩いてくるサラリーマンとぶつかった。


「っ、すみません。」

「...チッ、ちゃんと前見て歩けよ!」

「...あ、ごめんなさい...」


彼はもう1度私を睨むと、視線を手元の携帯に戻し、どこかへ行った。


...今の、私が悪いのかな。


ちゃんと避けなかった私も悪いと思うけど、そもそも前も見ずにイヤホンをしていた彼も悪いと思う。

理不尽だな、と思った。結局この世の中は強い者が力を握るのだ。弱い者はそれの機嫌を取るように、こそこそと生きていかなければいけない。嫌な世界だ。



階段を降りて、ホームに向かう。ちょうど来た電車に乗り、空いている席に座った。

今日はいつもより遅い時間に学校を出たから少しだけ電車が混んでいた。あと二駅もすればもっと混むだろう。二駅先はちょうど大きい駅なのだ。

本当に今日は疲れた。私の家の最寄りまでは幸運なことに乗り換えをしないで帰れるので、このまま寝てしまおうと思った。


今日なら寝れる。


そう思って目を閉じた。





どれほど経っただろう。結局、上手く寝付けないまま数駅を通過した。ふと目をあけると、家の最寄りまであと3駅というところだった。

やはり、電車は混んでいた。人がひしめき合っていて、夏なのに余計に暑く感じる。


嫌だなぁと思いながら、もう1度目を閉じる。


「最近の若者は嫌だねぇ。」


目の前からそんな声が聞こえた。

不思議に思って目を開けると、そこにはしわがれたお婆さんが立っていた。


「こんなに混んでる中であたしみたいな年寄りが立ってるのに、気にもせず自分は座ってるのかね。」


周りの他人がお婆さんを見て、そして、彼女の目の前の私に気付く。

私に非難の目が向く。

静まり返っていた車内だったから、彼女の声はよく聞こえたようで、私からは見えないところで


「いやね、今の子。」

「目上の人を気遣わないのね。」

「うちの子はそうなって欲しくないわ。」


そう聞こえた。


待って、私、無視してたわけじゃない。ほんとに気付かなかったんだ。


急に顔が熱くなっていくのを感じた。

どうしたらいいか分からない。私は立って、席を譲るべきなのか。それとも、言い訳をした方が良いのか。

分からなくて、恥ずかしくて俯いていたら


「ここまで言われても立とうともしないのかい。ほんとに近頃の若者はどうかしてるねぇ!」


大声で怒鳴られた。直後、足に激痛。


「...ぃっ?!」


老婆が、手に持っていた杖を私の足に突き刺したのだ。

じーんと目元が熱くなる。

痛い。すごく痛かった。

そして分かった。今この場では、この老婆が強者なのだ。そして、この車両にいる人は彼女の味方で、悪者である弱者の私を貶めようとしている。それが、彼らの正義なんだ。

どこに行っても弱者の私は、小さくすみません、と呟きそっと立ち上がり、よかったら座ってください。と強者へと促した。


「次で降りるから結構よ。」


そう言いながらも、彼女は私を一瞥し


「まぁ、どうしてもって言うなら座ってあげるけど。」


そう言いドカッと私の開けた席へ座った。


あぁ、もう。なんでこうなるんだ。恥ずかしい。嫌だ。私にこの世界は向いてない。


...私にこの世界は、向いてない?じゃあ、私に向いた世界にすればいいんじゃ。


私はポケット越しにボタンを触った。確かにそれはそこにあった。

未だに迷う。押すべきか、押さないべきか...。



「次はー、琥縁ー、琥縁。お出口は左側です。」


「っ、」


どれほど時間が経ったのだろう。また考え込んでしまった。

降りなきゃ。そう思い、出口へ向かった。去り際、私はなんとなく先程まで私がいた座席へ目を向けた。

彼女はまだそこにいた。色の無いような冷たい目で私をじっと見つめて。あの目は。あの目は。


「っ!!」


逃げるようにそこを後にした。




なにも悪いことはしていないはずなのに、非難される私。あの時老婆の見せたあの目は、確かにヒオリと呼ばれた彼女の目と同じだった。

階段を上りながら、もう1度ポケットを上から触った。


「...あれ?...」


無い。


「うそ、そんなはずは...」


どこかに落とした?いや、それは無い。ポケットがそんなに浅いわけでもないし、誰かにぶつかったわけでもない。だとしたら、


「消えた...?」


そんな。そんな、そんな。

何故、このタイミングで消えるんだ。なんで、私が必要とした時に、無くなるんだ。もしこれが神のいたずらだとしたら、私は神を恨む。悪魔にでもなって神を呪ってやりたい。


だからこんな世界、嫌なんだ。





ふつふつとした気持ちのまま自転車に乗り家へ帰った。


「......あれ、父さんいる。」


アパートの駐輪場に自転車を置き、階段を上がると私と父の住む部屋に明かりが灯っていた。いつもは遅い父なのに、珍しいことだった。


「ただいま。父さん、居るの?」


部屋のドアを開け中に入っていくと、キッチンに立つ父がいた。


「あぁ涼乃。おかえり。」

「なにしてるの?」

「なにって、ご飯つくってるんだ。」


珍しいこともあるもんだ。仕事が休みで家にいる日でも、ご飯はいつも私がつくっていたのに。


「先に手洗って、お皿出してくれないかい。」

「うん、いいよ。」


小さい頃から母から料理を教わっていた私の味付けは、母そっくりの味だとよく褒められて、父にも喜ばれた。

父は未だに母の話をする。昔から綺麗でよく気が利く人だったとか、悪いことはひとつも言わなかった。多分だけど、父はまだ母を愛している。たまに会う母も、多分だが父のことを愛している。2人の子どもの私が直感で思うのだから、間違いはないと思う。だけど私は、どうして離婚したのかは聞いたことは無かった。

いつか、また3人で仲良く暮らせることを心のどこかで期待していた。




「父さんのご飯、好き。味が私好み。」


目の前に広がった、私じゃない人がつくった料理。

いつもひとりで夕飯を迎える私にはとても嬉しいことだった。


「はは、そうか。久しぶりにつくったから腕が落ちてるかと思ったけど、大丈夫だったか。」


若くして私を育てた父と母はとても優秀な2人で、仕事も出来れば家事も料理も出来る、本当に優れた人だった。顔がよく2人を足して2で割ったくらい似ていると言われている私だが、ある意味私は2人とは全然似ていなかった。2人は会社でもどこでも、必要とされている人間なのだ。それでも私は、父も母も自慢に思っているし、2人のことが好きだ。だからこそまた2人のもとで一緒に生活したいと思うのだが。


「なぁ、涼乃。」

「ん?」

「父さんな、再婚しようと思うんだ。」


しばし、静止。


再婚。菜根。サイコン。さいこん。さいこん。再、婚。再び、結婚。



《《《《再婚》》》》



「会社の人なんだ。すごく綺麗で、良い人だ。多分涼乃も気に入ってくれると思う。相手は涼乃のことも知っているし、是非一緒に住みたいとも言ってくれている。......どうかな?」


どうかな、だって?そんなの、そんなの。


「母さんを、捨てるの...?」

「違うよ涼乃。母さんを裏切るとか捨てるとか、そういうんじゃないんだ。別に、もう母さんと会うなと言っているんじゃない。好きな時に好きなだけ会って構わない。」

「私は、父さんは母さんを愛しているんだと思ってた。母さんのことを1度も悪く言ったことはなかったし、母さんだってそうだった。父さんは母さんを、もう愛してないの...?」

「母さんのことは今でも好きだよ。もちろん、愛してる。」

「じゃあなんで!」


父さんは、すごく辛そうに言った。


「今後のことを考えたら、そうするのが一番いいと思ったんだ。涼乃のためにも...。」

「私のためだって言うなら!母さんをより戻してよ!!私は母さんと父さんがまた一緒になってくれることを望んでるんだ!!知らない人と父さんが一緒になるなんて、望んでない!!!」


ハッとした。自分がこんな大声を出せるなんて。静かに父を見上げると、父も同じく驚いているようだった。


「ごめんな涼乃。でも、新しい生活も悪くないと思うんだ。ここは、心機一転して、さ。」

「なにが、心機一転...?父さんは、母さんを捨てただけじゃない!!裏切り者!私の母さんは、母さんだけなんだ!ほかの女なんて知らない!!要らない!!!」

「涼乃!そんな言い方は...」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!!嫌いだ、こんな世界も、父さんも、その女も、みんな嫌いだ!!!消えちゃえ!!!!!!」


そしてなにより、再婚を祝福してあげられない弱い自分が嫌いだ。




ご飯も途中なのに、いてもたってもいられなくなってリビングを飛び出してしまった。

自室のドアを思い切り開け、思い切り閉めた。そのままベッドへ身を投げ、枕へ顔を埋めた。


「なんで...。父さんの、バカ......」


涙が止まらなかった。私の大好きな母さんを、父さんは裏切った。私の長年の夢は父さんによって壊された。


だったら、もう、こんな世界、、


「!!」


ガバッと枕から顔を上げる。窓から差し込む月の光が、私の目の前にあるそれをよく見えるように照らしてくれる。


《運命改変ボタン》


それは確かに、そこにあった。


私は起き上がり、それを手に取った。


「もう、うんざりなんだ。こんな世界も、こんな私も。」



そして私は、その出っ張りを、上から押した。







……え、その後のこと?


別に教えてあげてもいいけど、そんなこと知ったところでどうにもならないでしょ。

こんな意味の無い世界に生きていた私が結局どうなったか。そんなのどうでもいい。


いっそ、そっちも滅ぼしてみようか?

え、なんでかって?

だって、、





そんな世界、いらないでしょう?

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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく読みやすいです。 主人公の感情もくみ取りやすいので、スラスラ読めました。 終わり方が好き。 [気になる点] キャラクターの名前や経歴、状況等の設定があまりに細かすぎる気がします。 …
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