第4章 ― それぞれが交錯するとき ― その弐
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数時間、歩いた頃だった。
右方向から二つの影。シルエットからして男性と女性のようだが、一人は頭上の輪からしてHE型と窺える。どうやら向こうも僕たちの存在に気付いているようで足取りが警戒心を漂わせるようにすり足気味の小さな歩幅であった。
このまま双方とも歩いていけばあと数分くらいで衝突するだろう。ここは経路を変えるべきか。それとも衝突を覚悟の上で突き進むべきか。もし後者を選ぶならどんな会話をするべきか。相手がまだどんな人物たちか分からない以上、迂闊なことは言えない。また少女と自分がどういう関係か説明するのも難しい。だったら進路を変えるべきか。
「すみません」
と、シイラさんを後ろから呼び止め、そのままありのままを伝える。
「右方向から僕たちと似たようなヒトたちが来ています」
僕の声に反応して、右を向く少女。
「恐らくですけど、相手は警戒している様子なので話しておきましょうか」
それどころじゃないのにという苛々と、失礼なことはあまりしたくないという優しさが入り混じった心の葛藤が少女から見て取れた。
しばらくして、少女はコクと頷く。
そして僕たちは数分後に彼らと遭遇することを選択した。
代わり映えしない荒野の景色が広がる中――佇む四人。
男性の方は身長が高く、長くて艶のある銀髪を持ち合わせていた。すっとした線の細い顔立ちだが服の中のグルグルに巻かれた包帯と目つきが鋭いところは心証としてマイナスポイントである。女性の方は肩までかかった赤茶色の髪が特徴的だった。整った顔立ちはそれをより映えさせていたが、色白な肌も充分目立つ。
ただ、両人に言えることは、単なる警戒心だけではない、むしろ敵意に近い眼差しを僕らに送っていることだった。
立ち止まったところを見計らって、シイラさんより一歩前へ出る。
「こんにちは」
出来るだけ、笑顔で目を細くして敵意がないことを示す。
しかし、男性はもちろんのこと、女性も僕のあいさつに応えなかった。
「滅多にヒルベルトエリアってヒトがいないものなんですけど、お互いめずらしいですね」
これも無視。不穏な空気が生まれていることに気付く。
今度は僕が押し黙った。
すると、赤茶色の髪の女性は何を思ったのか一度、首を振り感情を必死に押し殺そうとしていた。そして落ち着くとこちらを見て震えるような声を出す。
「あなた名前は?」
「……帝龍巳ですけど」
すると、目つきの鋭い男性が顔を横に向けて隣の女性に訊く。
「知ってる奴か?」
女性は首を横に振った。
「あんた、S・I区に知り合いいる?」
「――いません」
「このヒルベルトエリアで女性とあった?」
尻目にシイラを見る。
「ええ、まあ」
この質問の嵐。既視感がある。
「最近誰かを襲った?」
「穏やかじゃないですね。誰も襲っていまいせんよ。逆に極光に襲われたくらいです」
瞬間、ピクと隣の銀髪少年の身体が硬直した。しかし、それよりも女性の深く俯き、肩を怒りで震わせていたことを不審に思う。
「襲ってないですって? だったらあんた――」
そして女性は驚愕の事実を叫んだ。
「どうして姉のCコートを羽織っているのよッ!」
その言葉はとてつもない衝撃を与えた。予期せぬ人物の名に思わず動揺する。
「君はハルカさんの――」
「やっぱり!」
しまった。口が滑ってしまった。このタイミングでその言葉は相手をより煽るだけだ。
「許さない!」
案の定、女性は懐からギラリと光るベンズナイフを取り出し、必殺の間合いまで詰め寄る。その冷静さを失ってしまっている彼女を言葉で説得するのは最早至難。しかしハルカさんの妹ということは彼女もHD型である。
触れてしまうわけにはいかない。
そう思い、後ろに跳躍しようとした瞬間、両足が動かなかった。周囲の地面には青く光る陣。そしてそこから氷の塊が足にまとわりついている。まさか――
「天術?!」
銀髪の少年が不敵に笑う。
「既にその位置は絶対零度領域だ」
視線を前方へと戻せばヒカリさんが目の前まで迫っていた。そして刃が身体を貫くその瞬間、足首にまとわりついた氷は砕け散る。そしてその勢いは凄まじく、残像のようにして後ろへと飛ぶ。
「攻竜化――“瞬”」
足首から下が竜と化し、強靭な踏み込みで一気に後ろへ跳躍したのだ。
「馬鹿な……」
銀髪の少年は驚きを隠せないでいたが、警戒心は解けない。天術の厄介なところは初動がわかりにくいところにある。
「逃げるな!」
怒鳴るヒカリさんは追撃を試みようとするがその進行を銀髪の少年は遮った。片方の口角だけが上がる。
「待て。血が騒いだ。ここからは俺がやる」
射抜く視線。ピリついた緊張感。銀髪の少年の足元に青い陣が表れ輝き、背後には自護神が出現し、冷気が周囲を取り巻いていく。
この殺気――本気だ。やるしかない。
すっと重心を落とし、足腰に力を入れ、両の手を中段に構える。
お互いがお互いの目を離さず、間合いをじりじりと詰め寄る、一発触発の瞬間。ぶつかれば互いがただで済むわけではないことは容易に想像がついた。
しかし。そんな緊張感漂う中。
互いの殺気をくぐり抜けて一人の少女が間に割って入った。
「シイラさん――」
両腕を広げ、悲しそうな瞳で僕を見据える。
“今はそれどころじゃない”
時として表情は言葉以上に物を言う。僕はそう言われている気がして思わず頭を振った。
僕は何をしているんだ。何のためにここにいるんだ。彼と戦うため?
――違う。彼女を助けるためだ。ヒトを捜すためだ。だったら――
僕は構えを解き、頭を下げた。
「お願いします」
ヒカリさんと銀髪の少年は目をまん丸とさせる。
「今、それどころじゃないんです。まずは彼女との約束を果たしたいんです。ヒカリさん、話はそれからでもいいでしょうか?」
ヒカリさんは涙を浮かべるシイラさんの様子を見て、罪悪感が芽生えたように眉をひそめる。そしてどこに発散したらいいのか分からないモヤモヤした気持ちは地に足を何度も踏むことで処理したようだ。
「――気安く名前を呼ばないで」
そっぽを向き、冷徹に突き放すヒカリさん。
だから僕は苦く笑った。
「すみません」
今はこれ以上、何を言っても無駄だろう。
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仕方がなしに四人で行動を共にすることになった僕らは決して仲良しこよしになることはなかった。とりあえずこちらがヒト探ししている旨は伝えておいたが、非常に重くピリついた空気の中、大した会話もないまま数十分ほど黙々と歩いていく。
相手側でわかったことは二点。
銀髪の少年が神仁シヲという名前であること。
ハルカさんの妹、水嶋ヒカリは姉を捜しているということ。
それくらいだった。
胸中複雑な思いを拭い切ることは出来なかったが、今はシイラさんの件について集中したい。その一貫した思いがあったため、ずっと閉口していたがそのおかげで道中の時間はとても長く感じた。
しかし。
シイラさんが足を止め、目の前に広がる荒廃した街を見つけるまでの間だけだったが。
ようやく辿りついた目的地は僕の想像以上に凄惨な現場だった。
既に老朽化しているとはいえ、崩壊した建物、散乱した瓦礫。そしておびただしい血痕。ここで一体何があったというのだろうか。まるで嵐が過ぎ去った後のような状態で荒々しく、そして静まりかえっている。
まるで地獄絵図だ。まわりのヒトたちも同様に血の気を引いていた。
その原因を知り得る少女に視線を移すが、彼女もまた、口を覆いへたり込むだけだった。
彼女も想定外の惨状だったのか。
「おい、ここで何があったんだよ」
怪訝な顔つきで神仁が訊いてくるが、それに合わせた答えなど持ってはいない。僕も状況把握では似たような解釈しか持ち合わせてはいないのだ。
「わからないです、唯一知っているはずの当の本人もこれじゃあ――」
涙が溢れ崩れ落ちる彼女にそっと、ヒカリさんは背中をさする。この状態の彼女に説明させるのは酷かもしれない。
一つずつ推測していくしかない、か。
そう思い、まわりを見渡しながら考えを巡らしていく。
発見当時、少女は一人でいた。焦燥しきった彼女は一心不乱で僕をここで連れてきた。つまり助けを求めてきたと解釈するのが自然である。そして、このヒトの業とは思えない崩壊しきった街。まるで間に合わなかったと思わせるような、泣き崩れる少女。このヒルベルトエリアで考えられるとしたら――
「――ワーム、か」
小さく呟く声に神仁が反応した。
「ワームって?」
「ヒルベルトエリアで唯一生存している生物です。あいつなら、大型であれば街もこれくらい破壊できます。だけど、滅多に出現しない。それに比較的大人しいはずですけど――」
瞬間、先日の事件を思い出す。
「そうだ、光だ」
一瞬、ヒカリさんが反応するが、そっちじゃない。思わず苦笑いする。
「極光です。先日、このヒルベルトエリアに極光が降ってきたんですけど、あの虫は光に異常に反応する。普段、地中深くに生息していますけど、体表には微小な視細胞が散在し光の方向を感知することができると聞いたことがあります。もしかしたらそれが原因かもしれないですね」
一瞬、神仁の表情が何かに気付いたように小さく口を開ける。
「どうしたんですか?」
その問いかけに、堂々と神仁は答える。
「たぶん、それは俺だ」
「え?」
「俺が聖塔ルーファスで、神の息吹を発動させた」
神の息吹。どこかで聞いたことあるような名前だけど、すぐには思い出せない。それにしても驚いた。先日、ハルカさんと一緒にいた時、突然襲われた極光の元凶が神仁だったとは。
「君だったんですか。僕、死にかけたんですよ、直撃をくらって」
「まさか、あの威力を食らって生きていたのか」
瞬間、とてつもない鋭い視線を背後に感じ、振り返る。
荒々しく近付く気配。ザッザッザッと怒りに任せるように踏み込み、その度、砂埃が足元で舞いながら詰め寄る人物はシイラさんだった。その様子を不思議そうに眺めていた神仁であるが、どうやら少女の怒りの矛先はその神仁であるらしかった。そして奥歯をギリッと噛み締め、射殺すように睨め付ける少女。
「なん――」
――だよ、と言う途中だったに違いない。しかし、それを遮るようにして、少女は神仁の頬に平手打ちした。静まりかえった空間に小気味の良い音を響かせる。視線は一瞬にして、その二人に向けられた。
涙を流し、言の葉を持たない少女は視線だけで、神仁を威圧していた。まるで“よくも私の仲間たちを酷い目に遭わせてくれたな”と言わんばかりに。
「テメェ――」
神仁から、殺気が漏れる。
思わず腰を浮かし、止めようと近付くヒカリさん。僕もこれ以上何かすれば、すぐ対応するつもりだったが、予想に反し、神仁は少女からくるりと背を向けた。
「――ちッ」
そう舌打ちしたのはこの場の空気に耐えられなかったのだろうか。神仁はそのまま、瓦礫の山へと姿を消していった。
息苦しい雰囲気だけがこの場に残る。
「とりあえず、探してみますか」
そう促してみたが、シイラさんはその場で地面に視線を落とすだけで、ヒカリさんも一瞬苦悶の表情をしたと思えば僕のことを無視し、離れていった。
僕とヒカリさん。それにシイラさんと神仁。みんながバラバラで最悪な環境。僕らを取り巻く空気は重力に容易に負けていた。
ここは呼吸がしにくいくらいどんよりと重いのだ。
8
「うぜえ」
胸の中で名状し難い何かが蠢いている。今まで考えたことのない分野で悩まされていると気付くことすら時間が掛かる程。そして自分がなぜこれほど苛つくのか、その理由が明確にはわからない。自分よりも弱そうなヒトが盾突いたからか? それとも別の理由なのか? 今まで完全な縦社会でまわりが敵だらけの環境で過ごした自分ではいくら考えてもその原因に到底辿り着けないような気もする。
誰かのために感情を剥き出して決して勝てることない相手に向かって頬を叩くという行為を果たして俺は過去にしたことがあるだろうか。もし俺にもそんな状況が訪れた時、俺の中の感情は一体どうなっているのだろうか。
常に頭の中は脱獄のことしかなかった。
他人などただの道具であり、こちらの都合の良い方向へ進ませるための話術しか持ち合わせていない俺にすれば、シイラと呼ばれている少女の行動は実に理解しがたい。
だから俺は苛々しているのか?
だったらどうして俺はその場でやり返さなかったんだ?
そっと少しだけ腫れた頬に触れる。指の腹が敏感にヒリヒリした痛みを伝えたが、それ以上に胸に釘が刺さったように重く暗澹とした痛みを感じた。
「なんで叩かれたかわからない感じ?」
不意に俺の背中に声が掛かる。後ろから俺の後を追っていたことは地面を擦る足音でわかっていた。そして誰かということも。
勿体ぶって振り返ると、想像通り、水島ヒカリが立っていた。どこか意地の悪そうな笑みを浮かべているあたり、あまり接触したくないところであるが無視すればまた五月蠅い。
「なら、お前はわかるのかよ?」
そんな俺の質問に「さあ」と何も考えずに答えるヒカリ。
「私だって、あんたと同じくらいしかあの子といないのよ。わかるわけないじゃない」
「ちッ――」
肩越しに舌打ちするが、意外にもヒカリは怒らなかった。
「察するに故意でやったわけではないけど、事実としてあの子の大切なヒトが被害に遭った。そしてその怒りをぶつける相手があんたしかいなかったってところじゃないの」
「ふん」
「ま、あんたはあんたで災難ね。もし彼女の探しヒトが死んでしまっていたら一生あの子の恨みを受け続けなければならないもの」
「そんなもの、俺からすれば痛くも痒くもない」
ヒカリはそんな言葉に笑った。嘲笑するでもなく、ごく自然に。だがそれが逆に苛つかせる。
「なんだよ」
「あんたって心で思っている事も時々漏れるけど、口と表情が全然違うわよ」
からかわれているのが気に入らないので思わず剣呑する。
「……テメェ」
「あんたは別に畏怖されるようなヒトじゃないってことよ。ニート生活をしていたコミュニケーション不足の、ただのヒトよ」
知った風なことを。
「お前こそな――」
と、言い返す。
「俺から言わせてみれば、あの帝龍巳って男がお前の姉を殺したとは到底思えないけどな」
途端、ヒカリの表情が強張って怒りを露わにする。
「あいつには証拠があるのよ。姉のCコートを羽織っているという証拠が……!」
しばらくヒカリを見続けるが、底知れぬ思いを秘めているのは容易に伝わった。とりあえず「ふん」と鼻を鳴らしてごまかす。
「まあ、とにかく。ヒトを探すぞ」
業腹な感情は時として目を狂わせる。今のヒカリに言ったところで無駄だろうがな。
9
改めて、見渡すとやはり不気味である。血の飛び散り方がおかしいのだ。仮にワーム=カンディルの仕業としてヒトが襲われたとしても、その場で大量の血が地面に染み付いたり、引き摺ったような形跡が残るのは理解出来る。しかし、そうではなく少量の血を満遍なく周囲に撒き散らされているのだ。これに何か理由があるのか。
と、思った矢先、ワームの習性を思い出した。
ワームは長時間を地中で過ごすため、目が退化しているので、土から栄養分を摂取するか、鼻で餌を捜索して食べるのだ。だからシイラさんの知り合いも血を広範囲に渡って垂らすことによって、敵の捜索をかいくぐったのかもしれない。つまり、その心理状態を考えれば、血のない場所に潜伏している可能性が高い。
考察、結論を得て、荒廃した街の中で探す場所を血液の付着のないところに絞ることにした。
瓦礫が邪魔して進めない場所も多々あったが、捜索という面ではそれほど苦ではない。要は血のない場所を見つければいいわけであるから。
そして数分後。不自然なほど、盛り上がった瓦礫が視界に入る。その傍らには目印のように転がっているヘルメット。その箇所を仔細に眺めると、瓦礫の底に指だけが覗かせていた。間違いない。
「みなさん! 見つけました!」
そう叫び、みんなに知らせると同時に瓦礫へと駆け寄る。そして上から順番に瓦礫を退かしていくと、そこに男の顔と刺青の入った腕が見えた。瞬間、躊躇する。HD型なのか。
いつの間にか全員が後ろに集まっていたが、神仁がそんな僕の姿を不審に見る。
「どうしたんだ?」
「いえ、大丈夫です」
僕が慎重に残りの瓦礫をどかしていくと、ピクリとも動かない軍服の男が出てきた。全身が砂まみれに汚れているあたり、血を拭いた後かもしれない。片手に軍刀を握っているところ、この刃一つでワーム=カンディルと戦闘していたということなのだろうか。なんとも恐ろしいヒトだ。
その姿がはっきり現れた瞬間、シイラさんが泣きながら彼に抱きつく。どうやら探しヒトだったようだ。言葉がなくても充分、伝わる。シイラさんにとってどれほど大切なヒトかを。しかし生きているのか、死んでいるのか。正直、全身血塗れの彼を見る限り、後者側に近い状態のようだが。
近くまで寄りヒカリさんが軍服の男の手首を優しく握る。
「脈はあるわ」
その瞬間。
目の焦点が合っていなく、意識も明朗としていないはずなのに彼はシイラさんの腕の中で予想外に口を開くのであった。まるで振り絞って声を出さなければいけないような使命感を背負って。そしてその言葉は僕たちを容易に戦慄させた。
「ま、まだ……終わっていない」
途端、ずっと先の建物が崩れ落ち、虫の奇声が周囲に轟く。そして這い出たその巨体に全員がギョッと目を見開いた。
「なによ! あの化け物は!」
取り乱すヒカリさんに対し僕は冷静に名称を告げる。
「あれがワーム=カンディルです」
激しく伸縮して、俊敏にこちらに近付いてくる姿は身の毛もよだつ。それに圧倒的なあの巨体とずらりと並ぶ鋭利な牙。ヒカリさんやシイラさんの表情は恐怖や嫌悪感を全面的に押し出していた。
しかし、ここでただ呆然と立ち止まっているわけにはいかない。間違いなく奴は僕らに気付いて襲おうとしているのだから。
「シイラさん、ヒカリさん、このヒトを連れて離れて下さい。ここは僕と彼で食い止めますから」
「なっ! なんで私があんたの指示を――」
と言いかけて噤む。現状、そう言い合っている間も惜しいことに気付いたのだろう。渋々、ヒカリさんは男の肩を担ぐ。シイラさんも既に男性の片方の腕を自分の肩に乗せていた。
そして振り返り様、キッと僕を睨む。
「あんたの命令じゃなく、あくまで私の意志よ!」
「ありがとうございます」
僕は笑顔で答えた。その隣で標的を見続けたまま神仁がうんざりそうに呟く。
「勝手に俺まで巻き込みやがって」
「すみません、でも君は口ほど悪いヒトじゃないと思ったんです」
「けッ」
吐き捨てるような言葉を吐き、鼻で笑う神仁。そして続けざまに話す。
この時、ワームは地面を削って下に潜りだした。
「せっかくのシャバだ。こんなところでくたばってたまるかッ!」
瞬間、僕たち前方の地面が盛り上がる。臨戦体勢のまま身構えると、ワーム=カンディルが地面を砕く音を響かせながら突き出てきた。そしてその勢いで宙に浮いた奴は重力に身を任せ、上空から大口を開けて僕らを襲う。地面と巨体がぶつかる衝撃音。間一髪、それを避ける僕らであるが、そのまま奴は地中へと潜り、反撃の隙を与えなかった。胴体にはいくつかの切り傷があったが、恐らくは先程の男性によるものであろう。
「で、なぜかやたらとあの虫に詳しいお前はこれからどんな戦術であいつを退治してくれるんだ?」
反対方向に避けた神仁が横目で皮肉を込めて訊く。
「ああ、どうして詳しいか、ですか? それは僕の知り合いに研究者がいて、そのヒトがやたらとあの虫が大好きなんですよ。だから勝手に知識として頭に入っちゃって」
「そっちの話は広げなくてもいい!」
喋っている間にもワームは近くの神仁を襲う。
その隙を突き、横から踏み込み、地面にヒビが入ると同時に瞬足でワームに近付く。そして肘を引いてピタッと止めるや否やギュッと握った拳で一気に最速の衝掌を突き出す。胴体がめり込むのと、ワームの苦痛の奇声は同時だった。くの字に横に傾いたワームはそのまま地面の中へと潜り隠れる。まるで海の中で泳いでいるかのように軽やかに動くのは非常に厄介だった。
「結構、効いたんじゃねーの?」
「ワームは竜族の亜種という一説もありますから、僕の攻撃が有効なんでしょうね。僕がHD型のヒトに触れると、そのヒト死んじゃいますから」
少し間が空く。
さらりと言うには重すぎたか。
返事がなかったので、振り向くと、神仁は口を開けて驚いていた。それがいつもの哀れみの表情ではなく、まるで広大なこの世界でもう一人の自分を見つけたような驚きだった。
「どうしたんです?」
「いや、同じ奴もいるもんだと思ってな。俺はHE型を触れると殺すことができるんだ」
なるほど。キュリアウスさんから聞いたことはあるけど、やはりそういうヒトもいるんだ。だけど――
「その言い方だと、その力を利点として捉えているんですね」
神仁は不敵な笑みを零す。
「とある事情でな。まあ、この話はあとで訊くとして、まずはあいつをどうにかするぞ。俺が天術で動きを止めて、お前があいつにとどめを刺す、でどうだ?」
「シンプルで反論の余地はないですね。僕もそれを考えていました。氷の領域を作るには時間がかかるんですよね? それまで僕が時間を稼ぎます。出来れば数秒。最悪、一瞬でもいいので、奴の動きを止めてください。では――」
「俺を甘く見てるんじゃねーよ」
そう言ってすぐさま詠唱に入る神仁の姿に微笑し、僕はワームを追いかけた。すぐに反撃するために地中深くに潜っていないのだろう。地面の盛り上がりで、どこにいるのかは明白である。つまりは逃げるという選択肢が奴にはないってことになる。この場でケリをつけたいのはお互い様のようだ。ただ中途半端な攻撃だと返って怯んで逃げられる可能性もある。ここは敢えて凶暴化してもらって、彼が動きを止められる時間を稼ぐまで、防御する方が賢明か。
その思考時間、わずか数秒。一端、追うのを止め、両手首を爪で浅く傷つけ、出血させる。血の匂いが大気に混じり、滴り落ちる血は地面に染み込む。そして腰を落とし静かに耳を澄ませた。
するとピタッと地中を掘る音が止む。そして、ズズズズッと方向転換したように地面が削れ、上半身を飛び出したワームは奇声を上げた。
その獰猛さを見て餌に食いついた魚みたいだと頭の隅で思った。
「防竜化――“堅”」
途端、全身が竜の鱗と化す。HD型絶対防御。
そしてここから約五分。
この気が遠くなる程の時間。
ワームの怒濤の体当たりを身を削って凌ぐこととなる。
HD型には竜化という特技がある。
竜化には攻撃に特化した攻竜化と、防御に特化した防竜化に大別されるが、基本的には体内の竜の血をより活性化させることで行われる。部分的に竜の鱗のように皮膚が変貌し、その都度、適応したフォルムとなるが、見た目は竜の鱗というより、機械のような硬い何かで覆われているという表現の方が近いのかもしれない。
これは非常にバランスの良い戦い方が可能であり、古の戦争でも重宝されていた。
しかしこの竜化には決定的な弱点があったのだ。
それは“時間”である。
一日における竜化の活動時間は約五分。それを過ぎてしまえば、活性した竜の血が、ヒトの血を飲み込み、完全な竜となり、我を忘れ三日三晩かけてありとあらゆる物を破壊し尽くすと言われている。古の戦争ではわざとそうなったヒトもいると聞く。
だからなのかは知らない。とにかくHD型は五分以上竜化状態で活動出来ないのだ。知り合いの研究者、キュリアウス曰く、進化していく仮定の中DNAレベルで活動停止させる遺伝子が組み込まれているんだと推測していたが、僕にはそんなことどうでも良かった。
とにかく現状、五分以内に神仁シヲがワーム=カンディルの動きを止め、残った時間を攻竜化に費やすことが出来れば、奴の息の根は止められるはずである。
しかしこれは誰もが出来る業ではない。竜化は天性のもの。HE型のヒトが全員天術を扱えるのとは違い、竜化はヒトを選ぶ。そして幸か不幸か、僕には竜化の力が宿っていた。
激しい衝突音が何度も周囲に響く。
何分経過しただろうか。
ワーム=カンディルはその新鮮な血肉欲しさに獰猛な牙で噛みつく、もしくは巨体を活かしてしならせ叩き付ける。それは止まることなく、僕が死ぬまで攻撃し続ける気だろう。
まるで狂戦士だ。
横目で神仁の様子を窺えば、依然詠唱中である。天術のことは詳しくは知らないが、巨体であればある程、凍らすのが難しいのかもしれない。
しかし。
奴の攻撃で一枚一枚、鱗が剥がれ落ちる。辛うじて耐えている現状、時間が危うい。
このまま最後まで竜化状態を押し通していいのだろうか。最後、ガス欠になって、ただ殴るだけではワーム=カンディルは死なない。より怒るか、怯んで逃げて、隙を突いて攻撃してくるかのどちらかだ。最悪、こちらが全滅という可能性だってある。
――悩む。
防竜化を解けば、何発耐えられるだろうか。今度はそこが鍵となる。HD型は基本的には他の種族と違い、頑丈で痛みにも強い。しかし、この強烈な攻撃の嵐。
耐えられるか。
と気を緩ませ、あるいは自分の力を慢心した結果――僕は時間ギリギリで防竜化を解く選択をした。瞬間、まるでゴムの反動のようにしならせた巨体が横から僕に衝撃を与えた。
「かはッ」
腕と肋骨が折れたのが瞬時にわかった。奴と激突した身体は、数十メートル以上も吹っ飛ばされ、瓦礫の山へと突っ込む。意識が一瞬飛んだ。立ち上がろうとするが、足もやられているようで上手く立てない。頭も擦過傷が出来たのか、血が流れて目に入り視界が一気に悪くなった。
奴の攻撃を甘くみていた。
神仁の叫ぶような声が聞こえた。たぶん、こっちに来いと言っている。だから僕はほふく前進しながら、声の方へ近付く。途中、脳への衝撃が大きかったのか、ぐるぐるして、嘔吐する。ワーム=カンディルはその様子をまるで餌にありつけたと判断し、ゆっくり近付き、大きな口から大量の涎を垂らす。
判断を誤ったか。
ワーム=カンディルは空に向かって甲高い音を発し、こちらに向かって一気に鋭い牙で仕留めようとした、その時――
周囲の気温が一気に下がった。
まるで季節が真夏から真冬にがらりと変わったくらいの肌寒さを感じ、吐息が白くなる。そして目の前には動きが止まったワーム=カンディル。標本にでもされたようにピクリとも動かないには理由があった。その透明度からは気付きにくいが、全身が薄氷に覆われているのだ。こんな時でなければその美しさに呆気にとられ感嘆の声が漏れてしまっていただろう。それくらい目の前の氷には儚さと美しさがあった。
この氷は天術の証。
「――絶対零度ッ」
後ろを向けば、自慢げに片方の口角を上げた神仁シヲ。
間に合ったのか。
「行け! 龍巳!」
頷き、竜の血を全身に激しく循環させる。途端、両の手足が竜へと変貌し敵の命を刈り取る必殺の形を作る。そう、それはまるで竜の爪のような――
足の裏に渾身の力を込め、ワーム=カンディルをも越す程、空に向かって跳躍する。そして、一気にとどめをさすため、爆発的な殺気を放つ。残り時間がない今、竜化はこの一度きりしか使えないのだから。
しかし。
薄氷はやはり薄氷でしかなかった。限られた時間の中で巨体を凍らすには無謀すぎたのだ。薄氷はひび割れ、次第に砕けていく。それは全員の希望が砕け散ったようだった。愕然とする周囲。そして露わになった巨体はぐるりと頭上の僕を見て、獰猛に吠えた。
不意打ちと正攻法ではダメージの差は歴然である。
このまま攻撃して果たしてこいつを倒せるのか。
そう躊躇し、滞空時間も限られているその瞬間。もうやるしかないと決意したその時。
ワーム=カンディルの下半身が爆ぜた。
視線を移せば爆風で蒼色の髪のなびかせたシイラさんの姿。まるで投手が全力で投げたように、一歩足を前に出して、踏み込み、腕は振り下ろされていた。“私だって戦える!”僕には彼女の気迫に満ちた目がそう物語っているように感じた。
何を投げたのかは知らないが恐らく爆弾でも忍ばせていたのだろう。
ワーム=カンディルは苦悶の声を上げ、視線をシイラさんの方へ移す。
注意が逸れた瞬間だった。
僕は笑顔になる。
「シイラさん、離れていてくださいね」
そして――
「攻竜化――“爪”」
弓矢のように全身をしならせ、一気に刺す。両手で一つの竜の爪へと体質変化したそれは上空からその巨体を頭の先から真っ二つに切り裂いていく。まるでハムを包丁で切り落とすように滑らかに巨体は分断され、そこから大量の体液がほとばしっていた。それを全身に浴び、身体が焦げるような痛みに襲われる――が、その痛みによって顔を苦悶に歪めることはなかった。
なぜなら。僕はもともと痛みには鈍感だから。
二つに分かれたワーム=カンディルの胴体はゆっくりと、地響きを起こしながら地面に落ちる。その勢いで砂塵が舞い、視界が悪くなるがその中をゆっくり進む。
明朗とした視界の先に安堵した表情を浮かべたみんなの姿を見つけた。
ヒカリさんもほっとした表情を見せた。もちろんすぐにハッと気付いて睨まれたが。
視線をシイラさんの足元へと移す。
ぐったりと横たわるHD型の軍服の男。その腕がほんの少し竜化していた。
もしかしたら間に合わないかもしれない。今いるこの位置なら知り合いの研究者の場所も近いし、そこへ運ぶしかないだろう。
「……まずは彼を僕の知り合いのところへ連れていきましょう」
その後。
研究施設に辿り着くまで不安な気持ちはずっと拭えることは出来なかった。