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第4章  ― それぞれが交錯するとき ―  その壱

 第4章     ~ それぞれが交錯するとき ~



 誰かが床の上を忙しくなく歩いている。

 その不規則だが単調な音が、頭の奥の方で響いていた。しかし、そのおかげで曖昧だった意識が段々と明朗としてきた。

瞼が重い。ひどく深い眠りに就いていたようだ。身体も全身が焼けるように痛い。それに僅かな木の香り。ここがいつもの監禁部屋ではないのは明らかだった。

――そうだ。

俺は脱獄の途中だったはず。

そう思ってゆっくりと瞼を開けてみる。すると視界がぼんやりとする中、一人の女が顔を覗き込んでいる姿が目に入った。

「あ、起きた」

 そんな気の抜けた声がする奴、一人しかない。

「おい、アリサ。いつから勝手に俺の寝顔を――」「アリサ?」

 違う。アリサはアイルの奴に――

 一気に目が覚め、がばっと起き上がる。その勢いに「わわっと」と驚き、尻餅をつく女に視線を寄越すと全くの別人だった。直様口を開こうとするが、ひどい目眩に襲われる。視野が周囲からじわりと狭窄されたので、血の巡りが回復するのを待った。その間に女を観察する。

 赤茶色の髪が肩まで掛かっており、アリサよりはまだいくらか大人にみえるが、頭上に輪がないところを見ると、H2型かHD型のどちらかだろう。

俺は訝しみ、相手を睨む。

「……誰だ、テメェ」

「介抱してやった恩人にする目付きとセリフじゃないわよ」

 そう言ってお尻の埃を払いながら立ち上がる女。

「うるさい。ここはどこだよ」

「あなた、友達いないでしょ? 戦慄するくらい我が強いわね」

 俺は無視して辺りを見渡す。

木造建築の一軒家。どちらかというとロッジという雰囲気に近いようであるが、暖色系の色は落ち着く。あの鉄筋コンクリートで無駄に縦に伸びた塔より、随分居心地が良い。向こうには台所や冷蔵庫、食卓テーブルがあり、居間にはテレビにソファ。生活するには充分すぎる広さと設備である。ベッド脇にある棚には仰々しく鉱石が飾られており、その横で立て掛け用の写真が伏せて置いてあるのは気になるところだが。

「おまえ一人じゃないのか?」

「一人よ」

「嘘をつけ。それにしてはあまりに広すぎる」

「両親、死んじゃったし、一人出かけちゃって今は本当に一人よ」

「――そうか」

 俺は言葉短く相槌し、その後、閉口した。

 あまり身辺の情報を深追いするのは得策ではない。パンドラの箱である可能性は多々ある。話を聞いて、挙げ句、同情してしまえば終わりだ。それを武器にして揺さぶる可能性がある。しかも不本意ではあるが、この部屋で休ませてもらっていたという立場でもある。恩は充分売れている。この女がどういう部類の奴かどうかは知らないが、俺には俺の目的がある。無駄な時間は惜しい。いつ追っ手が来るかもわからないんだ。ここもまだまだ安全圏内ではないはず。

 布団を捲り出ようとして自身をよく見ると着ている服が違うことに気付く。それどころか、身体に包帯が丁寧に巻かれていた。

勝手に脱がしたのか。まさか――

「ちッ」

 布団の中を覗き込めば下の服も脱がされていた。

「あんたが着ていた服、血だらけだったから洗って干したわよ」

「変態野郎め」

「誰が変態野郎よ! 男じゃないわよ! あんた目がおかしいじゃない?!」

 変態という言葉には触れないのか。確かに美人の部類には入るのだろうが。

 とにかく反応の面白さは上々だが、時間が惜しい。

「世話をかけた。じゃあ俺は行く」

 俺はベッドから降りて身支度する。しかし周囲を見渡しても自分の服がない。外に干してあるのか?

「ちょっと待って!」

 女が俺と呼び止める。流れを遮られた。嫌な展開だ。

「なんだよ」

「あなた、脱獄犯?」

 内心、ギクリと肝を冷やす――が、顔には出さない。

 考えろ。事なきを得るにはどうすればいいのか。

 事情を知っていて、俺を匿ったのか。それとも匿ってから事情を知ったのか。その違いで、今後の展開が大きく変わる。場合によっては、この女を――

 俺は不穏な考えを頭でちらつかせ、低い声で答える。

「ああ、そうだ」

「やっぱりね、なんか天満区の方が騒いでいると思ったらあんたが原因だったんだ」

 つまり、ここは天墜区か。神の息吹の餌食となって俺も相当吹っ飛ばされたと思ったが、どうやらまだ近場みたいだな。ここにいてはやはり危険だ。早々に立ち去る方が得策だ。

 そしてまた背を向け歩きだそうとするが、またもや女が喋りかける。

「どこにいくの?」

「ヒルベルトエリア」

うんざりしながらも律儀に答える。もう、少しも変な摩擦を生じさせないためだ。

「ここもある意味そうなんだけど」

 知っている。このHE型がいない天墜区エリアが段々、浸食されていっているのを。しかし俺には関係ない。

「だからなんだ。とにかく俺は追っ手から逃げる。邪魔するなら容赦はしない」

 女は呆れ顔で溜息を吐く。

「まだ、何も言ってないでしょ」

「嫌な予感がするから先手を打ったんだよ」

「HE型には第六感が存在するのかしら」

 それはつまり、何かあるって言いたいのか。

「その顔は察した感じね?」

 ――チッ。事情を知って匿った方か。返報性のルールが色濃くなりやがった。話の展開からして俺を売るっていう最悪の選択肢はなくなったが、全て俺が懸念していた方に事が運んでいる。

「探して欲しいヒトがいるの。ヒルベルトエリアに行ったとしか思えなくて」

 まだ何も受けると答えていないのにマイペースな奴だな。しかしこれは好都合だ。

「わかった。俺が責任を持って探しに行こう。約束する」

 口約束で済ませて終わればいい。ヒルベルトエリアを抜けたらこの女と会うこともない。

「――なんて考えているかもしれないから、私も一緒に行くけど」

「ちょっと待て」

 今度は俺が流れを止めた。

 ……食えない女だ。やりにくい。これは俺が十年以上も監禁されていたことが影響しているのか? 初見の相手の考えが分からない。

くそ、こうなったらもうどうでもいい。

「――やはり断る。今は少しでもこの地区から遠くへ離れたいんだ。少しの寄り道もしたくはない。探すなら一人で勝手にいけ」

「あ、そういえば倒れている時に一緒にあった紐みたいなのを足首につけちゃったけど」

 急いで足首に目をやると確かに呪術が掘り込められた紐が足首に結びつけてあった。この術式には見覚えがある。間違いなくアイルの自護神である炎神イグニスによるものだ。あいつを吹き飛ばしたときに、何かの拍子に俺と一緒に飛んできたのか。

それにしても――

なんというありがた迷惑な話だ。取り外せばまた業火に焼かれてしまう。服の着替えはそちらに注目を集めるためだったのか。卒がない。まるで詰将棋をされている気分だ。

「……テメェ」

 ぶっ飛んだことやりやがって。底の見えぬ悪意が垣間見えるのは俺の気のせいだろうか。それとも、そこまでしてヒト探しに熱意を入れ込んでいるということか。

 逡巡し、苦虫を噛むような顔で答える。

「事情は聞いてやる」

 女はニヤリと笑みを零した。

ちッ、思い通りに動いてしまっているのが――気に入らない。

「ただし、歩きながらだ」





 乾いた空気が周囲を漂っているこのヒルベルトエリアの中――

 せっせと歩きながら前方のヒトへ視線を移して自分の取り巻く環境についてふと考える。

 女性に最近よく会うのだ。

それが彼女たちにとって幸か不幸かは置いといて。恐らくこの少女も相当ワケありだろう。昨夜の泣いていた寝顔や今の心を削ったような怖さのある決意は彼女にとって事の重大さを充分に僕に伝えていた。

 ただ、彼女は言葉を持たない。それに意思伝達の術もない。

 だから何が起きているかはわからない。とにかく、ついていけばわかると思っているが果たして僕が力になれることだろうか。相当、切羽詰っている様子だから助けにはなりたいとは思うけど。

 少女は僕の二歩ほど先を歩いており、その背中を追って僕も歩いている。

「冷静を欠くと、思わぬ結果を招きますから、落ち着いてくださいね」

 彼女は振り向き、コクと頷く。

 しかし再び歩き始める彼女の視界はずっと狭くなっているような気がした。

 正直、夜のヒルベルトエリアで蹲って焚き火で寒さを凌いでいた彼女を見つけた時は驚いた。誰かがまた使ったら良いと思って残した焚き火跡がまさに利用されていたのは何の因果か。直感的に彼女と一緒にいるべきだと思ったわけだけど。

 目覚めた彼女は隣にいた僕を見て、まず驚いた。しかしその驚きは単純な驚愕というより、どこか別の理由が含まれているような気がした。そのあと安堵の表情をしたと思ったら急にハッとなって一緒についてきてもらうように懇願してきた。その際、何かを無くした様子だったが、伝達手段を助ける道具でもあったのだろうか。とにかく言葉は分からずともその雰囲気だけで充分伝わった。そして身振り手振りをする彼女に引っ張られるようについて行って今に至るわけであるが。

 現状、会話より沈黙が多いこの道中で彼女のことでわかったことはたった三つ。

 彼女がH2型であること。

 彼女が相当追い詰められていること。

 そしてこのヒルベルトエリアで何かが起こっているということ。

「あの、一つだけ訊いてもいいですか?」

 少女はまた振り向く。

「バベル制覇隊のヒトですか?」

 束の間。

 この間に意味があるのかないのか。彼女は首を横に振った。

「そうですか。服装からしてそんな気がしたんですけどね」

 迷彩の上下にヘルメット。それにCコート。そうに違いないと思ったのだがどうやら違ったらしい。ただ彼女の表情が少し陰ったことが気になる。まずい質問だったのだろうか。

 それにしてもやはり相手を呼ぶときに名前がわからないというのは結構困るものだ。

 ということで促してみた。

「あの、急いでいるのは重々わかっているつもりなんですけど、せめて名前、教えてくれませんか。ほら、地面に描けばわかりますよ」

 そう言って地面に視線を落とし、指で見本として、自分の名前“帝龍巳”を書く。

 少女は振り返り足を止め、じっと地面を見つめていたが、ようやく小さく屈んで細い指で地面にカタカナでシイラと描いた。

「シイラさん、ですか。素敵な名前です」

 シイラと名乗った少女は笑った。しかしそれが作り笑いだとすぐ悟った。彼女は再び歩き出す。僕もそのあとをついて行く。

 自己紹介くらいでは当然のように心は開かなかった。どちらかといえば開かないというより、そんな余裕がないという方が適切かもしれないが。

とにかく。その後ろ姿からは危うさを感じ取ってしまう。

 どんな目的があるのかわからないが、この状態で果たして彼女は達成できるのかどうか。

「そういえば僕の知り合いの研究者が言っていたんですけどね」

 僕はできるだけ陽気に後ろから世間話でもするように話しかける。シイラさんも振り向きはしないが、耳には届いているはずだった。

「プレッシャーはストレスになり脳の動きを遅くするようですよ。だから焦るのは逆効果だったりします。〆切間際とかは特にですね。それは科学的に脳とホルモンが関係しているという事が証明されていて、ストレスを感じるとホルモンが出続けて脳細胞を殺してしまうからなんですって」

 シイラさんはピクッと反応し、立ち止まる。

「それに、今は僕がいます。一人じゃありません。焦る気持ちを一度落ち着かせしょう」

 シイラさんは地面に屈んで、また指の腹で文字を描く。

 “ありがとうございます”“助けたいヒトがいて、今、とても急いでいます”

 それだけを書くと、すぐに立ち上がり前へ進んでいく。その哀しみを帯びた瞳を見て思ったことは一つだけだった。

「これは一筋縄ではいかないな」

 僕は苦く笑ってシイラさんの後ろ姿を見続けた。





 話を聞くと、丸一日も俺は寝ていたらしい。身体が焼け爛れていて見続けるのも躊躇うほどだったようだ。他のヒトらは触らぬ神に祟りなしの如く一切俺に関心を示さなかったようだが、見かねてこの女が部屋で介抱してくれたらしい。それを考えれば案外良い奴なのかもしれない。

しかしちゃんと服も乾かしてくれたりと、色々世話をしてもらって助かったが気を許すのはまだ尚早だろう。相手が何者かまだはっきりしていないのだから。

「ところで部屋にあった仰々しくあった鉱石はなんだ?」

「ああ、アレ。珍しいでしょ。この間の地震の頃かしら。家の近くに落ちていたから拾って持って帰ったの」

 変な収集癖だな。

「うるさいわね! めずらしそうだったし別にいいでしょ。それよりも話すべきことがあるでしょ!」

 褒めておけば良かったと瞬時に後悔する。女って奴はどいつもこいつもこんなに面倒くさい奴なのか。すぐに顔を真っ赤にして怒りやがって。まったく。

「とりあえず、まずはこの地区の話をした方が良いのかもしれないわね」

 横で歩きながら女は俺に説明する。

「あんたもさすがに知っているとは思うけどこの地区は智天使ローレライが治めているの」

「知らん」

 女が立ち止まった。

「はあ? どんな生き方したら知らないって答えになるのよ」

 十年以上監禁されていたんだよ、と言葉は喉元までで留めておいた。話が脱線するのは好ましくない。女は変人を見るように眉間に皺を寄せて俺を見続けるが、とりあえず無視しておいた。

「まあいいわ」

 すると視線を前方へと戻し、大きな歩幅で再び歩き出す。

「とにかくHE型が圧倒的な割合を占めているこの地区にとって私たちの立場というのは狭いの。あんたなんかよりずっと、ね」

 そう言いながら視線が俺の頭上の輪に移り、皮肉ではなく事実として告げる。

「ローレライは私たちを西に追いやり、ヒルベルトエリア近くに住まわせた」

「種族差別主義者か」

「そう、HE型以外を排除しようとする右翼的な考えの持ち主なの」

 それは俺が監禁されているときから知っていた。景色として映るHE型とそうでない種別を分ける区別門。そこを境界線にまるで別の世界のように生き方が違っていた。

「だけど、それでも生きていけたわ。気を付けていればヒルベルトエリアに入ることもないし、ヒルベルトゲインも起きなくて済む。でも――天墜区を出るとき見たでしょ」

 思い出す。道中のヒルベルトエリア間際の空家や黒い物体を――

「――ああ、数々のヒルベルトゲインした物体が転がっていたな」

「あれはここ最近の出来事なの。それもちょうど地震の後だったかしら。ヒルベルトエリアの拡大。それによって私たちは一気に恐怖に駆られたわ。すぐにみんな逃げ出そうとした。だけど最初からわかっているみたいに区別門が私たちを逃がさない」

 そして女は視線を地面に落とした。

「次々とみんなヒルベルトゲインを起こしたわ」

 回顧に伴う経験からか、声色に少し陰りがあった。しかし自ら首を振り、目の前にある問題に取り組もうとする。その最前線にまずは俺に対しての説明があるようだが。

「だけど、そんな境界線がはっきりしているこの地区でも例外はあったの」

「聖塔ルーファスか」

「さすが脱獄犯」

「そこまで詳しくは知らんがな」

「聖塔ルーファスの設備系の仕事の一部で他種族が従事しているところがあって、そこだと時々情報が入る。それにチャンスがあれば、ローレライにも直接会う機会に巡り合うかもしれない。そうすることで区別門の排除を申請できるかもしれない。そう思ってあの激務に志願したヒトがいたのよ。自分のためではなく、天墜区に住むヒトたちのために」

「そんな奴がまだこのご時世にいるんだな」

「私の姉よ」

 女の表情が僅かに陰る。

「でもそんな姉が急にいなくなった。街のヒトからの情報だとヒルベルトエリアに入っていったという目撃情報だけ。何かがあったとしか思えない」

「そういう意味では俺に接触したのは正解だな」

 女がニッと笑みを零し、俺を見る。

「この道中は聖塔ルーファスのこと詳しく訊かせてもらうわよ」

 仕方がない、か。

「そういえばお前の名前も姉の名前を訊いてなかったな」

 女は名乗る。

「ヒカリよ。そして姉の名前はハルカ。水嶋ハルカよ」





「…………」

 沈黙は嫌いじゃない。しかし先日の影響か、黙々とただ歩くだけでは堪えてしまうようになっていた。しかしそこまで思い詰めて誰かを助けたいという気持ちは何があれば芽生えるものだろうか。果たして僕にはそう言った感情が心の中にあるのだろうか。

 先日のハルカさんの行動を思い出す。

あれが正しい選択だったのかは未だわからない。自分は他人の感情を読み取ることが得意ではない。ましてや、自分の感情すら正確に把握できていないのだ。

僕は本当の意味で自己犠牲心なんてものを持っているヒトは皆無だと思っていた。それは歴史が証明しているからだ。無償の愛などはなく損得勘定でしかヒトは動かず何千年も生きてきたんだ。もしそうでなくても他人に慈善を行っているヒトはその行為に酔っているか、今の生活に満たされすぎてゆとりがあるヒトだろう。

つまりは見下しているんだ。

博愛主義なんてものは一時的なものである。それは身を持って体験してきたんだ。ヒトとヒトとの関係なんて薄くて細い糸屑程度でしか繋がっていない。

――そう思っていたんだ。ハルカさんと出会う前までは。

なんだろうかこの気持ちは。説明がつかない感情が自分の中で蠢いている。ハルカさんとの約束を果たすことで何かが変われるような気がしたのはなぜだろう。たぶん僕は彼女の妹に対する思いが鍵だと思っている。それが先日、自分の頬を伝ったものに行き着くのだと。

そしてもしその他人に対する思いの強さというのもが僕が求めているものに繋がっているのなら――もしかして彼女は僕が知りたいものを持っているのかもしれない。

そして思考することに没頭して浮かんだ疑問はさらりと口へと排出された。

「そういえば助けたいヒトってどんなヒトなんですか?」

 その言葉にシイラさんは反応し、振り向く。

 そして良い思い出だったかのように微笑しながら地面に文字を指で描いていく。

 “優しくてよく笑うヒトです。そして私の命の恩人なんです”

命の恩人。

これで合点がいった。恐らく彼女は相手に対し狂信的信者のように崇拝する気持ちがあるのだろう。だからこそ身を粉にして助けたいと思うのだ。それはそれでその経緯に至った背景に興味が湧くが現状まだ訊ける状況ではない。訊いたところで彼女が俯いて黙ってしまうのが目に見えている。

そして恐らく辿っていけば彼女が何を隠しているかも分かりそうだ。誰にも知られたくない秘密が。こういうものは同類には分かるものだ。瞳の奥に宿る悲しさの深さが物語っているくらいは。だからこそ彼女の瞳を見て断言した。

「必ず僕たちで助けましょう」

 シイラさんは力強く頷き笑った。

 今度は作り笑いじゃなかった。

 どうも彼女を守ってあげたくなる。それが彼女の魅力なのかもしれないが僕が彼女に力を貸すのはそれだけが理由ではなかった。

なぜか探しヒトを助けないと彼女が壊れてしまう気がしたからだ。





「なるほどね、十年も監禁されていたら性格もひん曲がるわ」

 余った時間で経緯を話せばこれだ。

「うるさい」

「それにあんた、たまに心の中で思っていること漏れているわよ」

 そんなわけないだろ。

「あ、今とか」

 そう言ってニヤッと俺を見るあたり、やはり性格は良い方ではないな。

「でも、みんなの噂の種があんただったなんて驚きよねー。悪いことすると神喰様に襲われるぞって子供に言い聞かせているくらいだったんだから」

 初耳だな。しかしそんな風になっていると驚きだ。昔から続く伝承ももしかしたらアテにはならんのかもな。

 俺は改めてヒカリを観察する。

 この女――水嶋ヒカリはHD型だった。太腿に刺青が入っているようだが、俺たちがいる地区ではそれほど多い種族ではない。詮索するつもりはないし、本人も情に訴えかけるようなことをしてこないが、恐らくそれなりの目には遭っているのだろう。

「お前――」

「お前じゃない。ヒカリよ」

 お前もあんたって言うだろうが。と、突っ込みたいところだが、留めておいて眉間に皺を寄せるだけにする。訊きたいこと優先させるためである。

「S・I区からは出ないのか?」

「出たいわよ」

 うんざりして即答するヒカリ。

「だけどヒルベルトアリアよ。まともな装備でも横断できるかどうか。命を賭けて挑戦するようなことじゃないわ。それに反対側は区別門があってどうしようもないのよ」

 俺も暇つぶしに上から眺めていたことがあるが、こっそり抜けようとして捕らえられたヒトを何度も目撃した。その後、そのヒトたちがどうなったのかは知る由もないが。

 それにヒルベルトエリアに対抗できる装備もない。正直今も服装はまったく瘴気や日射を意識していない分、俺らだっていつヒルベルトゲインを起こすかわからない恐怖がある。天墜区のヒトたちも同じだろう。だからそんなところへ逃げ込むヒトはいないという算段で俺もヒルベルトエリアへ逃げ込もうとしたんだからな。まあ、八方塞がりってところか。

 途端、ヒカリは立ち止まり目を細めて前方を見る。

「どうした?」

「前方を見て」

 一緒になって見てみるが、点が二つあるかないかが地平線の果てにある。

「男女二人が歩いている」

 その言葉に多少驚く。やはりHD型は五感が優れているようだ。

 しかし、ヒルベルトリアに男女二人。こんな危険と隣り合わせな所、間違いなくデートではないだろう。

「警戒は怠るなよ」

「わかってる」

 しかし、そう歩き始めてすぐにヒカリは顔色を変えた。心臓が大きく鼓動したようにビクッと身体を震わせ、目がせり出すように見開いていた。

「どうしたんだ?」

「姉の――」

 その声は明らかに動揺していた。

「男が姉のCコートを羽織ってる……」

「なんだと。それはつまり――」

 お前の姉が襲われたってことじゃないのか?

 そう言いそうになり、思わず鉗む。しかし最悪の想定をしなければならない。

「……本当にお前の姉のコートなんだな?」

「間違いない。コートの裾にある花の刺繍は私が付けたものだもの……」

 震える声のヒカリを落ち着かせるためにも俺自身が冷静にならなければならない。そう自分に言い聞かせてからヒカリに声を掛ける。

「今から慎重に行くぞ。恐らく向こうもそろそろ気付くはずだ。それにこのまま歩けば接触する。俺はそのポイントを予想して自護神を張る。お前も冷静に相手から話を訊くんだ。いいな?」

 その言葉にヒカリは頷くこともなく、ただ前方を睨めつけるのみだった。

 ――嫌な展開になりそうだ。




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