The melancholy of the smoker and bookman ~喫煙者と読書家の憂鬱~
9月5日改稿
「またのりきん79」様より頂戴いたしました挿絵を文末に掲載させていただきました。
休憩時間を告げるブザーが響いた。
「やっとか」
左手に握っていた工具を脇のキャビンに放り投げると、ツナギのファスナーを鳩尾の辺りまで引き下ろす。
顔に付いた油汚れを落とすために、油で汚れた右手の甲で頬を拭う。汚れが広がっただけなのは、右手の甲を見れば一目瞭然だ。
鋳鉄と使い古した潤滑油のものが混じった、胃の底が重くなるような臭いから逃げ、工場の奥に設えられた階段に向かう。
反重力パネルに乗り、階段を昇るようなフリをして、屋上のフロアに出た。
屋上へ続く扉を開くと、強い光が飛び込んでくる。薄暗い作業所との明順応のため、瞼が勝手に重くなった。
屋上へ出ると、涼しい風が抜ける。晴天は青く高く澄み切って、まばらな雲は優雅にその白い帆で風を受け、空をたゆたっていた。
ツナギのポケットから駱駝を取り出すと、潜在熱具象装置を擦る。
瞬時に一千度を超える高熱に達した煙草の先が、赤い灯りを帯びて煙を上げる。
俺はゆっくりと煙で口腔を満たす。ニコチンとタールと香料で満ちた有害物質を、気道を通して肺へと下ろす。無論、害状誘因素子の自動分解機能の感覚を脳内でしっかりとシャットアウトした後でだ。
そうして俺は紫煙をくゆらす。
屋上に備え付けられたベンチにもたれ、青空を仰いだ。煙を吸っては吐く。
過去に煙草の健康への害悪性が取りざたされ、嫌煙の風潮が高まったことがあるという話を、俺は爺さんから聞いた。爺さんは、爺さんの爺さんから聞いたとのことで、その爺さんの爺さん、つまり俺の高祖父に当たる爺さんは歴史の教科書でそれを目にしたといっていたから、果たして何百年前の話だか。とにかくそれはつまり、大昔もいいところの話で、まだ人が死ぬことが当たり前であった時代の話だ。
その後、煙草がその立場を風前の灯火にまで刻まれ、消滅しようかという辺りで、科学は煙草だけでなく、ありとあらゆる不健康な因子を自動で、まったくもって完全に除去する技術を確立する。
そうして煙草が健康を害するものではなくなった。
それ以前に確立されていた個体環境循環維持技術によって、他者の吐き出した煙を吸う心配もなくなり、嫌煙家にしても、閾値下認識制御のおかげで、望めば煙の存在どころか、他人の口にくわえられた煙草の存在すら目に入れずに済むようにもなった。おかげで路上喫煙だろうが、公の場や狭い密閉された個室での喫煙だろうが、それを咎める声は消えた。
大手を振って吸っても咎められないものとなると、人間とは天の邪鬼なもので、それまで半アングラ同然に根強かった愛煙家もその執着を徐々に無くしていった。
煙草を吸うことによって得られる各種脳内物質を、自由に生成すること。さらに言えば、それらの物質によって得られる感覚すらも汎用性脳制御素子によって可能であったことも、その流れに棹を刺した。
そんな煙草を、俺は今ふかしている。
「うわっ、眩しっ!」
突如後方。階段の踊り場と、ここ、屋上とを隔てるドアのある方から甲高い声が響いた。
そこには手でひさしを作り、忌々しげに恒星型人工核融合炉を睨む男がいた。
男の名はおそらくリゲル。見ればアッシュブラウンの癖っ毛と童顔が特徴的な優男で、くるりと大きな目をこちらに向けていた。
なぜおそらくかといえば、リゲルが「おそらく」なんて巫山戯た姓を名乗ってるワケでは当然なく、リゲルの声も顔も、さらに言えば背丈すらも、昨日俺が接したリゲルのそれと異なっていたからだ。
副写視神経を起動して、識別コードを参照しようかと思ったが、「おそらくリゲル」が右手に携えたものを見て、その必要はないと判断する。
それは、文庫本だった。情報を閲覧するのに、わざわざ紙媒体を広げる馬鹿でけったいな真似をする男など、この工場にはリゲルくらいしか居ない。
「おそらくリゲル」は「リゲル」だ。ちなみに、リゲルとの出会いは毎日「おそらくリゲル」で始まる。
「お、そこにいるのはクラヴィスかい?」
髪と同じ色に深く澄んだ瞳をこちらに向け、リゲルが話しかけてきた。
俺はと言えば、肩越しから振り返るためにひねっていた体を戻し、煙をふかしながら一生懸命にぼんやり雲を眺める作業に戻る。
「返事が帰ってこないってことはクラヴィスだ!」
今日の声は随分と甲高く、まるで、未だ女を知らない少年のそれのようだ。
風が吹いた。俺の吐き出した紫煙が歪に漂い、まるで一瘤駱駝のような形を成す。
「まったく、また煙草吸ってるのかい? 隣、失礼っと」
リゲルはベンチ、俺の脇に腰を下ろすと手にしていた文庫本を開く。垂れ下がる癖毛を邪魔くさそうに振り払い、視線を活字に落とした。
本を読むのに邪魔な髪型ならば選ばなければ良いのに、と思いながら、徐々にちびてきた煙草の最後の一息を吹かす。
フィルターにまで火が達しそうな煙草を、中空に放る。大気中に満ちた、無色透明、目に留まることのない超微細機械が、瞬時に煙草に群がった。
千に、万に、億に。超微細機械が吸殻を散り散りに刻み、分解、吸収していく。その反応によって発生する僅かな碧い発光現象が、唯一煙草の吸殻がこの世にあった証。すべての物質の循環の墓標であり、揺りかごだ。
そんな光を尻目に、俺はリゲルに言葉を投げかける。
「なんだ? そのけったいな見てくれは」
活字を追っていたリゲルは、一切顔を動かさず、声だけで応じてきた。
「これかい? 朝、無作為で選んだらこうなった。キャプションだと二十世紀中盤に欧州で活躍した舞台俳優らしいよ」
「らしいって、お前」
「癖毛は邪魔臭いし、この声も、ホラ。甲高くて耳障りだろう? 顔は悪くないけど、この声の所為かお陰か、活躍したのは三枚目としてだったんだって。三度結婚して、三度別れて、子供は七人。徴兵を巧く逃れたらしいけど、闇街のポーカーで大負けをして、それを苦に自殺しちゃったんだって。縁起でもない顔だよね」
本当に本を読んでいるのか怪しくなってしまうほど饒舌に、リゲルは、今日の姿を説明してくれる。聞けば聞くほど、じゃあなんでそんな顔に、と問いたくなるが、相貌形成の趣味がない俺はどんな説明でも得心はしないだろう。
「にしても、クラヴィス、君はまた煙草かい?」
「それがどうした。気に食わなければ”消せばいい”だろう」
「別に僕の意識に君の煙草が認識されるのをどうこう言ってないよ。閾値下認識制御を切ってるわけでもないしね。ただ単純に、好きだねぇ、って話しさ。いつも胸ポケットに入れているんだろう? それ? 邪魔臭くないの?」
煙草を吸ってると、よく人からぶつけられる質問だ。いつも一言、無粋だ、と切り捨てている質問でもある。
「お前こそ、なんでそんな文庫本を手にしてる? 情報なら集積量子情報索にアクセスすればいいだろう。読んでるのは一度文字列を中央に送って、すべて現代語訳で文意も文脈も解かれたものだろうし、追ってる文字はもはや文庫本のものじゃなく副写視神経に浮かんだ奴だろう」
「まぁ、そうだけどね」
そこで、リゲルが顔を上げる。ギャンブル狂、それもツキがないタイプの顔をこちらに向けると、俺の煙草を指差し、「それと一緒だよ」と一言応え、再び視線を落とす。
そう言われると俺は二の句を継げなかった。
ニコチンが欲しいのなら大気中の超微細機械に命令して生成するなり、もっと言えば脳内で煙草を吸ったことを知覚できるようなスイッチを入れればいい。エッセイでも物語でも欲しければ集積量子情報索に照合して、知識として仕入れればいいのだ。かつどうしても、過程を経たいのなら、そこから脳内で閲覧してもいい。
しかし、俺はそれをしない。リゲルもそれをしない。おそらく、煙草でも読書でも食事でもセックスでも睡眠でも、例えそれが人殺しでも、それは変わらない。皆、それぞれのこだわりの過程が、フリが、ポーズが存在する。
そうでなければ、なんというか味気ない。
物質を生み出すことも可能にした。魂の座の秘密を暴き、普遍の答えと幸せを手にした。次元の壁も時間がかかったが超えることを可能にし、誰しもがどんな因果でも選択できるようになった。
科学は人を魔法使いにした。すべてはるか昔の話だ。
人が全能の階段を登る過程で、様々な意見が紛糾したらしいことはどこかで聞いた。ヒトとか神とか意味とか、なんかそういう馬鹿みたいな哲学的問題だ。
大脳生理学は、俺達の脳を二千と六十四の部位に刻み、心の在処有り様をすべて、それはもう詳らかに明らかにした。
加えて遺伝子のブランクに書かれた意味すらも解かれ、創造主の存在も確かめられると、十字架はその役を降ろされた。時間を遡り存在の創造の正体も、それ以前の状態すらも確認するに至ったのはそこそこ記憶に新しい。それは何世紀前の事だったか。
仏教はその後も少し生き残ったらしいが、最近、ここ二、三世紀ほどはあまり耳にしない名だ。
とにかく、現代は充ち満ちている。煙草も美味い。
ただ一つ、横の不景気面だけが気に食わなかった。
「同感だね。強いて言うなら僕は君の無精髭が嫌いだ」
「心を読むな、馬鹿」
「相互心交にしておいて文句言うなよ」、『馬鹿』
最後の一言だけ、わざわざ相互心交でぶつけてきたリゲルに殺意を覚える。
『このクソッタレ』
「そういえばさ、今夜だけどさ、エウディゴの奴が公衆酒場に行くらしくて、ヴァネッサの尻を、」
俺は駱駝に火をつけ、ぼんやりとパッケージのオールドジョーを眺める作業に一生懸命に成ることにした。
「って、二本目か」
俺は煙草を吸っている間、言葉を発しない。それを知っているリゲルはまた、相互心交で悪態を投げてきたが、それも無視だ。
エウディゴの公衆酒場の誘いか。
正直言うと、俺は酒を呷る奴の気が知れない。
アルコールを飲みたければ生成しろって話だ。分解酵素の生成の為に健気に働く超微細機械達の働きを無下にしておいてなにが「あー、酔っぱらっちゃった」だ。ちゃっかり二日酔いは避けるくせに。まれにその二日酔いまで楽しむ馬鹿も居るがそれはそれで救いがたく愚かだ。
本中毒のリゲルも、酒中毒のエウディゴも、ついでに言えばエウディゴが追っかけてるケツの持ち主で痩身偏執の癖に一向に痩せないヴァネッサも、どうしてこう、頭が悪いのだ。
紫煙をくゆらす。
こんなに充ち満ちた幸せな世界でなんでそんなことに心を煩わせて、手間を掛けるのか。
まったく。もっと煙草のような高尚で素晴らしい嗜みを覚えるべきだ。
「フゥーー」
風が心地よい。俺の吐いた紫煙が超微細機械に分解され碧光が煌めいていた。
『君は、馬鹿じゃないけど、自分の馬鹿さを自覚してないところがたまに馬鹿だ』
『黙れ、馬鹿』
あぁ、煙草が美味い。
始めましての皆様こんにちは、作者の武倉です。
以前に、私の作品を読んで頂いた事のある読者の皆様、お久しぶりです、作者の武倉です。
他連載作品「DI[e]VE」を呼んでいただいてる皆様、お待たせしてて本当にごめんなさい、駄目作者の武倉です。
さて、本作「The melancholic of smoker and bookman ~喫煙者と読書家の憂鬱~」は「空想科学祭2010」参加作品となります。
SFの裾野を広げ、SFを皆で楽しもう、という素晴らしい有志企画「空想科学祭2010」に参加するにあたり、自分なりにSFについて色々と考えました。
勉学の道の半ばで理系の一切を諦めた残念な頭で、考えた結果「なんかへんに自然回帰や文明忌避を謳った啓蒙くさいSFばかりが多い気もしないでもない」と思い至りました。
で、まずは、なんか説教くさくない、のほほんとしたSFを書こうと。
で、できれば、科学が世を席巻しても社会が深刻化してないと尚良いな、と。
そんな感じでこんな作品が出来上がりました。
科学技術や人の在り様については、それなりに思うところもあるのですが、あんまり細かい事をあとがきで書いてもなんなので、その辺は作品を読んでいただき、察していただければ幸いですし、また読者の皆様の頭の中に何か残せる物があればこれに勝る喜びはありません。
この作品をあえて「拙作」とは呼びません。不遜ではありますが、それなりに考えて、それなりに自信を持って、そしてなにより少なからぬ人たちのご助力を賜り書き上げた作品です。とか書いちゃったり。
さて、運営の皆様を始めとする空想科学祭関係者様にお礼を。こうした場に参加させていただけた事は大変幸せな事だと思ってます。
校正や相談に協力していただいた知人の方々にもお礼。
あと友人のまたのりきん君には特に感謝。この作品はあなたと共有した土壌に根っこを張ってます。
そんなこんなで、初めての企画参加作品でした。
ちょっぴり丁寧な後書きもそれゆえです。
最後に、
面白いと思って下さい、なんて厚顔無恥な事は言えませんが、一人でも多くの人の目に留まり、その中の数パーセントでも面白いと思ってくれれば、と願いをこめてこの後書きの締めとさせていただきます。
ではまた別の作品のあとがきでお会いできれば。
PostScirpt
またのりきんくん、挿絵、ありがとう!!