【9】青海苔の奇跡、そして東京に落ちた一筋の雷。〜リンゴ飴の懺悔〜
イレイナは新年の慈善パーティーの最中、化粧室で携帯用の水晶玉を見つめ、静かに呟いた。
「さあ、私が用意した屋台で楽しむアンジュ……撮影開始よ!」
旅館の奥には、落差五メートルの滝。
その滝壺の周囲には、屋台がずらりと並んでいた。
焼ける鉄板の音、ソースの香り、ゆらめく提灯の明かり――
神聖な滝の音と、人間界の喧騒がひとつになり、幻想的な空気を生み出している。
「流石、イレイナね! 昨日の今日でお祭りじゃん♪」
ロクシーが目を輝かせる。
ルチアーノもワイングラスを掲げながら、「正に……! ジャパニーズ屋台!」と微笑んだ。
二人の視線が交わり、同時にニヤリと笑う。
滝の飛沫が光を受け、金粉のように舞った。
アンジュはその美しさに見惚れ、思わず立ち止まる。
その瞬間、
アンジュの青い瞳が、滝の光を映したのか――
ほんの一瞬だけ、星のように淡く煌めいた。
ルシアンは息を呑む。
“恩寵の欠片”に似た輝き……だが、アンジュ本人は気付いていない。
その横顔を――ルシアンが見惚れていた。
神々しさと幼さを併せ持つその微笑みは、彼にとって何よりも尊い。
だが次の瞬間、アンジュの視線は屋台へと向かっていた。
「ルシアン! 見ろ! あれは月ではないか!?
日本人はお正月にお月様を食べるのか!?」
真顔で問うアンジュに、ルシアンが慌てて答える。 「い、いえ……! あれは“たこ焼き”にございます!」
「ふーん……」 アンジュは丸いたこ焼きをじっと見つめる。
その時、陰からロクシーが声を張り上げた。
「ルシアン! 脚本!」
彼女がそっと手渡す、熱々のたこ焼きの皿。
ルシアンはハッと口を結び、たこ焼きを受け取った。
アンジュはその様子を見つめている。
青く輝く瞳は――たこ焼きに釘付けだ。
そしてルシアンが至極真面目に告げる。
「外はカリカリ、中はジューシーでございます。 火傷の危険がありますので、私がフーフーを……!」
「ほう! やってみてくれ♪」
その一言で、ルシアンの決意が固まる。
全力のフーフー。
瞬間、青海苔と鰹節が滝の風に舞い――アンジュの頬を直撃した。
「も、申し訳ありませんアンジュさま!」
ルシアンが慌てて、ふわモコのパーカーの袖でアンジュの顔を拭う。
アンジュは一瞬きょとんとしたが、すぐにぷっと吹き出した。
「ルシアン……お前……!」
滝の音が遠のく。
そして、アンジュが肩を震わせ、笑い出した。
「お前も鼻のてっぺんに青海苔とやらが付いておるぞ!」
細く白い指先が、そっとルシアンの鼻に触れる。
粉雪がひらひらと舞い落ち、二人の間を静かに包み込んだ。
「アンジュさま! 風邪を引いてしまいます!
パーカーをお被り下さい!」
そう言ってルシアンが慌ててふわモコのフードを被せると、
そこには金色の刺繍で天使の羽根が輝いていた。
見惚れるルシアン――。
だが、アンジュがふいに微笑み、彼のフードを引き寄せる。
「お前も被れ!」
背伸びして被せられたフードの上には、金糸で縫われたユニコーンの紋章。
粉雪の下、二つの金色が静かに寄り添った。
それからも、四人は屋台を存分に堪能した。
だが――ロクシーの脚本通り、アンジュとルシアンは二人きりにしてある。
ロクシーはイカの丸焼きに齧りつきながら、生ビールのジョッキを傾けた。
「いやー……ルシアンなら全力でフーフーすると思ったけど……予想通りね!」
ルチアーノもニヤリと笑う。
「流石、ロクシー先生であります!
しかも……フードのてっぺんに刺繍がくるようにデザインされているとは……!
このルチアーノ、感服いたしました!」
「まあさあ……」ロクシーはグビグビと生ビールを飲みながら肩をすくめた。
「アンジュちゃんの天使の羽根は良いよ?
でも……いくらイケメンでも、おっさんのパステルブルーのフードにユニコーンの金刺繍で盛り上がるとは……アンジュちゃんってピュアだよね。
私なら無理! 絶対笑う!」
「恋とは……ややっ! 摩訶不思議なものなり〜!」
ルチアーノが何故か歌舞伎役者のように見得を切る。
その瞬間、ロクシーの手から飛んだ串焼きの串が――
ルチアーノのフードを見事に貫通した。
存分に屋台を楽しんで部屋に戻ると、まずは冷えた身体を温めようということになり――
当然のごとく、ロクシーがアンジュを連れて部屋付き露天風呂に入った。
ルチアーノは、リビングに新たに設えられた和室の炬燵でぬくぬくしている。
一方のルシアンは、部屋の隅にポツンと突っ立っていた。
「おい、ルシアン! 熱燗でも飲んで、風呂まで時間潰ししようぜ!」
ルチアーノが声をかけても、反応がない。
やがてルチアーノは炬燵に首まで潜り込み、
「ハイハイハイ❤️ 元旦の屋台の想い出に浸ってるのね……ラブ❤️」
と呟きながらお猪口を傾けた――その瞬間、目の前にルシアンが瞬間移動して来た。
「うわぁーっ!! 情緒不安定か、お前は!」
驚くルチアーノの前で、ルシアンは胸元に手をやり、絞り出すように語り出す。
「アンジュさまが……あんず飴を八個も食されて……。
お止めしたら、戦隊ヒーローの模様の綿菓子を五個もお買いになって……!
何とか奪い取ったものの、リンゴ飴を食べられてしまって……!
そうしたら『もう、お腹いっぱいだ。ルシアン食べてみろ』と仰られて……!
私は……アンジュさまの食べかけのリンゴ飴を完食してしまった……!
いま、神に懺悔の祈りを捧げているのだ……!」
沈黙。
そしてルチアーノは、真顔で言った。
「……馬鹿なの?」
それから、ロクシーとアンジュと入れ替わりに、ルシアンとルチアーノが部屋付き露天風呂へ向かった。
ルチアーノはほろ酔いで、湯に潜って一人息止めチャレンジを始めるなど、完全に自由行動である。
小川のせせらぎ。
檜の注ぎ口から継ぎ足される湯の音。
ルシアンは、湯の表面を伝うその音の大きさに耳を澄ませながら、夕焼けに照らされる竹林を見た。
――その時だった。
遠く東京の空に、ひと筋の光。
小さい。だが、確かに雷が落ちたのが見えた。
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