【2】異世界リムジン、まぼろし仕様で走ります!〜角を曲がれば即JAPAN〜
ハリウッドの丘の上――
アンジュの豪邸を見下ろすテラスに、四人の姿があった。
ロクシーとイレイナ。
そして、ルシアンとルチアーノ。
夕陽に染まる庭園を背に、イレイナが静かに一歩前へ出る。
漆黒のコートの裾が、風を孕んで翻った。
「旅行は私が仕切る。資金も出す。――いいわね?」
その声音には、抗う余地のない圧があった。
ルシアンの眉がわずかに動く。
「なぜだ? これは神の聖なる使命だ。」
イレイナは唇の端を上げ、静かに笑った。
「私が介入することで神の怒りに触れるなら――とっくに、私とルチアーノには雷が落ちてるはずでしょ?」
「正解! ラブ❤️」
隣でルチアーノが満面の笑みを浮かべ、喜びを隠せない。
イレイナはそんな彼を軽く手で制し、鋭い眼差しでルシアンを見据えた。
「それに――あんた、アンジュをどうやって日本へ連れて行くつもり?
飛行機のチケットは? 年末よ? どこも満席。
まさかあんたがアンジュを抱えて飛ぶつもり?」
一拍置き、イレイナの声が低くなる。
「最大限に人間に配慮して飛んだとしても――」
一陣の風が吹き抜ける。
「それでも、100%安全じゃない。
もし、アンジュに髪の毛一本でも傷をつけたら……その瞬間、私が許さない。」
ルシアンはわずかに顎を引き、低く答えた。
「アンジュさまに1ヨクメートールの傷をつける気など、断じてない。」
「でしょうね。」
イレイナが満足げに頷いた。
「だから――これを使いなさい。」
その指先が向いた先に、重厚な黒のリムジンがあった。
艶めくボディ、分厚い防弾ガラス。
それはまるで、“ビースト”――アメリカ大統領専用車を模したかのような存在感だった。
「これに乗ってアンジュの家を出るのよ。
通りを曲がれば、私の作った“時空の通路”に入り、数秒で日本に着く。」
ロクシーとルチアーノが、ごくりと喉を鳴らす。
夕陽の光を受け、イレイナの金の瞳が妖しく輝いた。
「安心して。私の魔術でアンジュを――必ず日本へ安全に送り届けてあげる。」
ルシアンは、その言葉の意味を噛みしめるように黙し、
――静かに、頷いた。
イレイナの準備は完璧だった。
ロクシーとアンジュにはブラックカードが用意され、着替えもいらないという。
持つものといえば、スマホくらいだ。
ルチアーノがアンジュに隠れて地団駄を踏む。
「俺様だって……!! アンジュちゃんのために色々用意したかったのに……ッ! 無念!」
ルシアンは、ベビーピンクのニットワンピース姿で楽しそうにロクシーとタブレットを見ているアンジュを、チラリと見た。
その耳には――
ルシアンがクリスマス・プレゼントに渡したブルーダイヤと真珠のイヤリングが揺れている。
ざっくりと空いた胸元にも、対になっているネックレスが輝いていた。
ルシアンは、アンジュからプレゼントされたプラチナのロザリオをスーツの上から握る。
あの日からずっと身につけていたのだ。
ルシアンの胸に、微かな光の粒が過ぎる。
小さな痛みと共に。
だが――その痛みは、能天気な叫びにかき消された。
「ルーシアン!
なあなあ、俺様もお洒落するぞ!
地獄の黒スーツ縛りは脱げないが、いつもの深紅のネクタイと薔薇のコサージュを金色にしてみた!
どうだ!?
ズッ友として意見をくれ!」
ルシアンは一言、
「眩い」
とだけ答えた。
結局、ロクシーに「ふざけんな! おっさん!」と一喝され、ルチアーノはいつもの姿に戻った。
だが、本人は全く気にしていない。
意気揚々とハンドルを握り、ご機嫌だ。
助手席にはルシアン。
「では〜出発〜!」
そして――イレイナの言う通り、アンジュの自宅を出て通り角を曲がると……そこは、日本の京都だった。
ロクシーが叫ぶ。
「ねえ! 私、日本語が理解できてるんだけど!?」
「俺様もだ……! さすがイレイナ……スゲーな!!」
ルチアーノも顔を真っ赤にして叫ぶ。
だが次の瞬間、ルチアーノが顔をしかめた。
そこは一方通行のお茶屋や料亭、土産物屋が並ぶ小道だったのだ。
「狭いっ!! この馬鹿でかい車で、どーやって移動すんだよ!?」
すると、ルシアンが静かに告げた。
「大丈夫だ、ルチアーノ。
周りをよく見ろ。
人間たちがリムジンをすり抜けて歩いて行くだろう?
このイレイナが用意したリムジンは、時空の空間を通ったせいで分子レベルで質量が変化した。
つまり――この日本のどこを走っても停まっても、他の車や人間に干渉しないし、されないのだ。」
ルチアーノとロクシーが息を呑む。
「つまり、リムジンは日本にいる間“まぼろし”のような存在。
どこを走っても、私たち以外には見えないし、事故も起こさない。
そもそも、この世界の人間にとってリムジンは“存在しない”ものとして処理されている。
路肩に駐車しても、他の車には見えぬのだ。だから問題は無い。」
すると、ルチアーノが焦ったように叫んだ。
「……じゃあ……俺様たちも!?
俺様たちも“まぼろし”になってしまったのか!?」
そのルチアーノの頭を、ロクシーがスパーンと叩く。
「もう! あんたの馬鹿さ加減には、ほとほと呆れるわ!
私たちがまぼろしになったら、日本旅行を楽しめないでしょ!?
変化したのはリムジンだけよ!!
ルシアンが言ってたじゃない! “時空の空間を通った時の副産物”。
物理の法則よ! リムジンの本質は何? 車でしょ?
車と人間は完全な別物。
それに、イレイナの完璧なまじないが掛かってるのよ!?
車は変化しても、私たちは変化しないの!!
ただし、リムジンに乗っていれば――リムジンがベールのように私たちも隠してくれる。
なぜなら、リムジン自体がルシアンの言う“まぼろし”に変化したから!
堂々巡りなことを言わせるな! 便利なんだから、文句は無し!!」
ルチアーノがしょんぼりと肩を落とす。
「……難しくて理解できん……」
再びスパーンと、ロクシーの手がルチアーノの頭に飛んだ。
「理解しなくてもいい! あんたは運転に集中して!」
そして――
日本の大晦日の前日が、静かに始まった。
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