学校へ行こうその5、ついに授業がはじまる、シルベ先生おおはしゃぎ、まずはアレシボメッセージについて、アレシボリプライはアレシボメッセージの返信ではないこと
「みなさん、おはようございます」
轍先生は、ニッコニコである。
「今日から新しいお友達が増えましたけど、みなさん、アイボリーくんのことは、よく知ってるみたいだし、先生もよく知ってますから、自己紹介はなしです」
いきなりすっ飛ばされたアイボリーだが、べつに気にする様子はない。他の生徒もシルベ先生なら、この程度のことはやるだろうとわかっているので、とくに異論を呈するものはいなかった。
「では、みなさん、全員揃ったようですので、これから授業を始めます」
おお、と教室の中にどよめきがおこった。自習じゃないんだ。アイボリーだけが、ついていけずにポカンとしている。
「さて、授業の前に」
吉祥轍先生は、見たこともない真剣な面持ちで話しはじめた。
「そもそも授業とは、単純な知識の伝授という場ではありません。とくに幼い生徒への授業は、そのレベルに合わせて真実が隠蔽されることすらある。色々な見方があり、真実は情報を受け取った人次第だなどというまだろっこしい言い方では、いくら授業時間があっても足りません。しょせん授業などというものは学習へのとっかかり、その場しのぎの話題作りと本格的な興味への誘いとでも思ってください。それらを踏まえて、まずは、ここから始めます」
先生は、黒板にアレシボメッセージと大書した。
「アレシボメッセージは、1974年にその時点の地球とヘルクレス座球状星団M13に照準した立体角で送出された、電波エネルギーの2進オンオフ出力です。1679ビットの2進数で、23×73ドット平面でへんな絵が出てくるように構成されています」
「せんせーい」
「はい、アイボリーくん、なんでしょう?」
「そんなの送るより、2進階層化ビットストリームにエラー訂正冗長ビットつけたほうが良いと思いま〜す」
「先生も、そう思いま〜す。でも、アレシボメッセージ作ったのは、暗号理論の専門家ではなくて、ちょっとアレな天文学者なので、しょうがないと思いま〜す」
「どんなこと書いてあるんですか」
「まあ、気になりますよね。ベッコウちゃん、でも、独りよがりのビット列ですからね。暗号文にもかかわらず、ロゼッタストーンに相当するものがありませんから、解読するだけ無駄です」
「無駄ですか…」
「無駄で〜す。でも、無駄なことしちゃいけないという決まりもありませんし、そこは自由にやって良いと思います」
「アレシボリプライとは何か関係あんの?」
「ふっふっふっ」シルベ先生は不敵に笑った「コーラルちゃん、良い質問ですね〜」
「あ、ありがと…」褒められたらしい? ので、コーラルは先生にお礼を言った。
「アレシボメッセージとアレシボリプライ、似てますよね。伝言と返信です。頭についてる単語も同じ。いいですか、みなさん、とっても大事なことですから、よく聞いてください」
シルベ先生は、大きく息を吸い込んで、ヨガのクンバカのようにいったん溜めると、明瞭に発した。
「まったく関係ありません」
教室は、しーんと静まり返り、胸を大きく張ったドヤ顔のシルベ先生だけが、ひときわハイテンションだ。俯いて肩を小刻みに震わせるシノノメが爆発する前に、ユータが小声で注釈した。
「アレシボメッセージのアレシボはアメリカ合衆国の自治連邦区プエルトリコの地方名、当時世界最大の電波望遠鏡だったアレシボ天文台の改装記念式典の記念行事のひとつとして、発信されたのがアレシボメッセージだよ」
「あー、それ、先生が言いたかったのにぃ」
「…すみません。続きをどうぞ」
「そんなわけで、アレシボリプライですが、命名者は解読者として有名なレオンハルト・ベルンシュタイン教授です。ベルンシュタイン教授は、あたかもアレシボリプライがアレシボメッセージへの返信であるかのように装い…」
「いちおう、最初は教授もヘルクレス座M13からアレシボリプライが届いていたと思っていたらしいので、装い、っていうのはさすがに気の毒かと思います。実際、そっちのほうから来てるのもありますからね」
「確かにそうですね」シルベ先生は、ユータの言い分を認めた「でも、全宇宙、全空間方位から届いているとわかってからも、アレシボリプライと言い続けてますから、まあ、確信犯です」
「それは、そのとおりです」
「ねえ、なんでまだアレシボリプライ、って言ってるの?」
ベッコウがユータに訊ねると、ユータは予算取りと答えた。
「何かとお金がかかるんだ、と言ってたみたいですね」シノノメが付け足しで説明した「吉祥財団にも先先代のころから、お金くれ、って頻繁に顔出してたそうです」
「なんで金なんかいるの?」コーラルが不思議そうに訊ねた「全天付加価値情報共鳴構造だっけ? アレシボリプライでもいいけどさ、あれ、解析するだけなら、金いらないじゃん、受信解析するだけならタダだよ」
「そうだけどさぁ」アイボリーがコーラルを宥める「アイムたちだとそうだけど、なんか他所でやるとお金かかるらしいよ。コンピューター動かすとかさ」
「デジタルコンピューターじゃ、解析できないよ」
「そりゃ、そうだけどぉ、そんなこと他所の人知らないし、もともとアイムたち造ろうとしたのも、アレシボリプライの解析させるためだったんでしょ」
「いや、それは、ジャックとかアイジュマルとか、あと落ちてきた人とか、そういう人たちだよ」
「ああ、旧式の…」
「しっ」ユータはくちびるに右手の人差し指を当てた「そういうこと言わないの。第一世代、って言うんだよ」
「ああー、もう、勝手に進まないでー」シルベ先生が叫んだ「そういうのは、先生が言うからー、先生が説明するの聞いてから、先生に質問するのー、先生の知らないこと話してちゃだめー」
みんな驚いてシルベ先生のほうを見たが、泣きそうな顔で駄々こねしている。頑頭さんが隣りで優しくなだめていた。
シルベ先生は、しばらくグズグズ鼻を鳴らしていたが、ガントーさんが二言、三言ささやくと、パッと花のように笑って、落ち着きを取り戻した。妻の機嫌がなおったのを確認して、|P T Aの世話役《シノノメ の お父さん》はP T A席に帰って行った。
「…また、…あの女、…お姫様笑い、男に媚びることしかしない…、世の中舐めきってる…」
地鳴りのような低い声に、ベッコウは恐ろしくてシノノメのほうを向くことができなかった。
「ええっと、もう、アレシボリプライまで話した? 話したね。よしっ」
シルベ先生は教壇の前にピンと背筋を伸ばして立った。
「今日の分の授業は終わり。あとは自習です」
そして、嬉々としてP T A席に向かった。
「そろそろお昼だから」ユータは立ち上がった「ちょっと保健室行って、果物もらってくるから、シノノメもお願い」
「果物?」コーラルが反応した「ああ、保健室の先生、管理人さんか、お昼の給食、なに?」
「給食、って、なに?」アイボリーが同じような違うことを訊いた。
「約束したからね。昨日。ケーキ作るって」
「うん、約束、ケーキ。それに果物? じゃあ、フルーツケーキ?」
わーい、ケーキだ、アイムのケーキだ。はしゃぐアイボリーに、みんなのだよ、とユータは軽く釘を刺した。
ユータとシノノメが連れ立って教室を出て行く。
ホッとしたベッコウは、P T A席のほうを見やった。互いに見つめ合う御夫婦が見える。
こんなことが、毎日続くのだろうか。
学校って恐ろしい、ベッコウは思った。




