L1ゲートの解放と旅立ち《デパーチャ》、さよなら《グッバイ》地球
「ユータどこ行った。ゆぅぅたぁ」
中央管制でオールインワンが騒いでいる。
「あ、ゴメン、ゴメン。ここにいるよ」ユータが駆け込んできた「ちょっと家庭の事情で…、すまない」
「それなら、しょうがないや。それはそうと、こんなにブラックホール出力下げていいのか?」
「いいよ」
「これだとL1離脱の時点でほぼ0になる」
「それが狙いさ。離脱後のヒスパニオラは地球とベスタの合成軌道に近いものになる。そこから自転速度とブラックホール出力を徐々に上げていくんだ」
「亜空間クラスターで閉じてあるから、大気だの水だの内容物が逃げてくことはないけど、大嵐になるぞ」
「一回シャッフルしないとね」
「荒っぽいなあ」
オールインワンは指摘は入れるものの、基本、ユータのすることに反対はしない。
「新軌道の周辺領域はベッコウが探査して、軌道の逐次アップデートはコーラルがやる」
「俺の相棒は何してる?」
「そこが肝心なところなんだけど」ユータはぎこちなく腕組みをした。もしもの時のためにプロテクトスーツを着ているのだが、着心地が悪い「この間、トッペンに割り込んできたのがいるじゃない」
「設計者って言ってたヤツ?」
「それ」
「そんなわけないんだし、警戒するほどのことか?」
「警戒はしてないけど、何なのかは気になる」
「俺には入れないけど、トッペンには入れた。だからアイボリー使うってか? ひどい話だ」
「そう思うけど、アイボリーも入れてみたい、って言うんだよ。アイボリーなら入ったら何者かもわかるし。怪しいヤツなら弾き出せば良いって。この間の感じじゃ、それほど悪いヤツじゃないんだろ?」
「何が?」
「頭が」
「性格の話じゃないのか」
「性格の良い人なんて、ボク会ったことないし」
「ま、そだな」
オールインワンはユータの傍に立つシノノメに声をかけた「それでシノノメはユータの監視役か?」
「はい、そうです」
いや、監視とか必要ないでしょ、とユータは言うのだが、シノノメは首を横に振った「いいえ、ユータは何をするかわかったものではないので、シノノメがずっと見張っているのです」
「ボク、お父さんと違うよ」
「どこがですか?」
「うん、その調子で見張ってて、よろしく頼むよ」オールインワンが鼻を振り上げた「ところで、いくらブラックホール出力を下げたとしても、ヒスパニオラ本体の質量分は0にはならないぞ。軌道切替時に地球は大丈夫か?」
「地球? 地球に何の関係が? L1は重力均衡点だし、潮汐力に影響はないよ。地球と月で均衡分担してる」
「そうじゃなくてさ、なくなったら流石に気づくだろ?」
「そりゃ、L1近傍の重力マップでもとってれば気づくだろうけど、不可視フィールドはそのままだし、気づいたからってどうにかできる人いないでしょ。お父さんがヒスパニオラ持ってきたときも騒ぎにならなかったんだし」
「急に現れたり消えたりしたら、騒ぐヤツいると思うんだけど」
「だから、現れてもいないし、ましてや消えないんだよ。ごく一般的な話ならね」
「ごく一般的なんてものに何らかの意味があるとは思えないんだが…」
「おーい」近傍空間全体が工場長の声で共鳴した「総出力レベルをそろそろ上げたほうがいいぞ」
「ちょ、もうそんなレベルか」オールインワンがボヤいた「ブラックホール出力を下げてる分以上に、亜空間クラスターに回すエネルギーがでかい。軌道切替も亜空間でやるんだよな?」
「そうだよ」
「このぐらいのエネルギーレベルだと、むしろ超空間使う方が楽なんだが」
「いずれは、そうするつもりだけど。ヒスパニオラを持ってきた時と違って、いまはヒスパニオラ表面に生体環境を展開している。どれくらい影響があるかわからないから、とりあえずは亜空間だよ。まあ、付け加えればボクらもいるしね」
「ヒスパニオラだけ軌道切替して、あとで月見台から、移動する方が楽だぞ」
「そのとおり、だからこそのヒスパニオラの船出だ。さよなら地球、やっぱり旅立ちはこうでないと」
また、へんな思い入れで効率無視だもの、シノノメは口にこそださなかったが、こういうところがお父さんそっくりだと思う。違う違うと言うけれどどのへんが違うのか、本人に訊いてみたいところだ。
「気軽に言ってくれるなぁ」オールインワンも思うところは似たようなものらしい、愚痴だって出る「いくらエネルギー無限消費可能とは言っても、空間負荷は半端ないんだぞ」
それは、認識の反転からはじまった。
亜空間を通り抜けるのではなく、亜空間になるのだ。
例えば人体が一個のトーラスとホモトピー同値であるとして、それをなめらかに裏返すことに何の問題もない。
たとえいまが裏返すときでないとしても、いつ裏がえったところで問題はない。
だがシノノメがユータの手を握っている限り、その限りにおいては、非同値であって裏返せない。
ふたつのトーラスが点ではない有界平面で接続されるならば、もとのトーラスとは非同値になる。
その手を離さぬ限りは、ユータを見失うことはない。
シノノメには自信があった。
そのために生まれたのだから
裏返らなければ
ただ、平行に移動するだけ
回転もしない
渦巻きでもない
虚実の入れ替わりもない
ただ平行に翔ぶ
入口もない
出口もない
ただ周りが変わる
翔んではいない?
周りが変わる、だけ
ユータは変わらない
シノノメも変わらない
まわりだけが
・・・
「ひえー、ひどい目にあった」
オールインワンが、ぜえぜえ、へたれている。
「まったく、小惑星ごと亜空間転送するなんて、こんな負荷のかかること、もうやらないぞ。やるんなら誰か他のやつに…」
ここでオールインワンは中央管制にひとりきりなのに気づいた。
「おーい、ユータどこ行った。ゆぅぅたぁ。しののめぇ」
「シノノメ、ユータどこ行った。ゆぅぅたぁ」
「ユータァ。ゆぅぅたぁ」




