保健室へ行こうその1、もしくはシンタグマメソドロジーの知識が現実とマッチしないこと、ひるがえってダブルワークはたいへんかも
「はーい、みなさん、おはようございます」
轍先生は今日も元気だ。となりには何故か、管理人さんがモジモジしながら立っている。
「新しい先生を紹介します。保健室の先生です」
ーーえ?
よろしくね、と管理人さん、もとい、保健室の先生が頭をかいた。照れている。
「というわけで、保健室の先生が赴任されました。みなさん、困ったことがあったら、何でも保健室の先生に言ってください。いいですか? 保健室の先生に言うんですよ。大事なことだから2回言いました。轍先生に言ってはいけません。そういうめんどくさいことは轍先生は何にもしません。それではみなさん…」
自習です。と言って轍先生は、いそいそとPTA席のほうに移動したのだが…
PTA席にはパレアナさんではなく、シノノメのお父さんが座っていた。
シノノメのお母さんは、シノノメのお父さんの前の席に着き、うっとりと、自分の夫の顔を見つめている。
ベッコウは、恐る恐る、隣に座っているシノノメの顔を見た。能面のような生気のない顔で虚空を睨んでいる。
初登校以来、もっともスリリングな状況に、ベッコウは膝ががくがくと震えた。
「先生、保健室の先生」
保健室のドアを開けてベッコウが部屋に転がり込んできた。
「どしたの? ベッコウちゃん、具合悪いの」
「具合悪い、ってか、あんな部屋いられないよ。恐ろしい」
「ええ?」
先生は驚いているが、彼女は吉祥家の内情なんか知らないわけで、そんなこと、いくら保健室でも愚痴れるような話ではない。
「恐ろしい、って言えば」ベッコウは話題を変えた「この間、オバケ見ちゃって」
「ええええ? 月見台にオバケなんていないよ」
おや? とベッコウは訝しんだ。シンタグマメソドロジー内の学習では、会話の途中で話題が途切れたら、オバケの話が鉄板、と聞いていたのに。
「います、います。ちゃんとこの目で見たし。キンギョ鉢逆さにしたようなガラスの丸いのかぶって、マシュマロマンみたいな空気で膨らませた服着て、空中に引っかかってた。コイントスもいっしょに見た。オバケです」
「なんか、それ宇宙服ぽくない? 宇宙人でしょ、それ」
宇宙服=宇宙人、て先生もたいがいだ。
「ぜったいオバケですよ。宇宙人なわけない。あんなカッコした宇宙人なんていません。宇宙人はもっとカッコいいし」
「カッコいい、って見たことあるの?」
「パパとママは宇宙人です」
「は?」
「インチさんとリリオンさんです」ベッコウは言った「2人とも宇宙人です」
もともと、ほとんどパパ、ほとんどママ、と言っていたのだ。でも、赤ちゃんお腹にいるんだし、もうパパとママなんだから、めんどくさいから、ベッコウはパパとママと呼ぶことにしたのだ。
「2人ともシンタグマメソドロジーにいたの。第1世代デザイナーズチルドレンも含めて、地球人でシンタグマメソドロジーにいた人なんていない。だから2人とも宇宙人なの」
「ええええ? じゃあ、オバケ本物?」
「え?」
「先生、オバケ苦手なんだけど、ベッコウちゃん、怖くないの?」
「何がです?」
「オバケ、怖くないの」
「オバケいるんですか?」
「いま、いるって言ったじゃない」
「じゃあ、オバケ、ホントにいるんですかぁぁ」
「そう言ったの、ベッコウちゃんじゃないぃぃぃ」
「オバケ、嫌ぁぁぁぁ」
「きゃぁぁぁぁ」
「きゃぁぁぁぁ」
「ベッコウ、いたでしょ」
保健室に顔を突っ込むなり、コーラルが言う。
「うん、ついさっきまでいたよ」
「悪口言ってたろ」
「えー、言ってないよ」
いいって、いいって、知ってるから、などと、勝手なことを言ってコーラルは、保健室に入ってくる。
「先生ってさあ、管理人辞めちゃったの?」
「え? 辞めてないけど」
「辞めてないの?」
「昼間はメロちゃんがやってくれてるので」
「最近、メロゴールドが忙しそうにしてるの、それか」
「それだ」
「昼間って、夜は?」
「肥料の仕込みとか、温湿度データの解析とか、酸素量とか、そういう地味なのしかやってないから、それほど負担じゃないよ」
「……死なない程度に頑張ってね」
でさあ、と患者用のイスにふんぞりかえったコーラルは、無理しなくていいんだよ、と何もかもわかったような口調で言う。
「ベッコウがオレの悪口言ってるのは知ってるから、とにかく、わかってるから」
「ベッコウちゃんは、悪口なんか言わないよ」
「あ、悪口じゃないのか…、なんて言うんだっけ…、とにかく、うるさいんだよ。…靴下履けって」
「靴下? ああ…」
コーラルは両足を突き出すと、両足指を開いてパーにした。指の隙間がはっきり開いている良いパーだ。
「すてきな足の裏だね」
ありがとう、コーラルは言うと、にかっ、と笑った。
「でもさ、コーラルちゃん、ダンベルトレーニングしてるでしょ。裸足だと危なくない?」
「トレーニング中は、ちゃんと芯入りのシューズ履いてるよ」
「じゃ、普段も靴下履けば?」
「くすぐったいもん」
「そかー」
「それにベッコウの理屈が変なんだもん」
「そなのか」
「もう、お姉ちゃんになるんだから、ちゃんと靴下履けって、意味わからん」
「ああ、リリオンさんの赤ちゃんね。お姉ちゃんか、まあ、そうだね」
「ベッコウの言い分だと、オレとベッコウが姉妹ってことになるじゃん」
「姉妹みたいなモンでしょ」
「姉妹みたいなモンと姉妹は違うっしょ」コーラルは力説した「ま、リリオンの赤ちゃんときょうだいなのは構わないけど…」
「育ての親が、結婚したんなら、きょうだいでいいんじゃないの?」
「ぜったいヤダ」コーラルは絶拒「10日しか誕生日違わないのに、えらそうに説教してくるんだぞ、あんな姉さん、いらない」
ーーあー、2人の間では、そういう関係性なのか
姉妹の話はともかく、ベッコウちゃんの言い分もわかるけどなー。先生は、しばし考えたが、ふと気になることがあったので訊いてみた。
「コーラルちゃんてさ、風邪ひいたことある?」
「かぜ?」
「うん、咳出て、熱上がるやつ」
「うーん」コーラルは腕組みして考えている「ないんじゃないかな。シンタグマメソドロジーには、細菌もウィルスもいないから」
「あのね、生まれたばかりの赤ちゃんてね。手足がすぐ冷たくなるんだよ。だから、風邪ひかないように、手袋と靴下を履くんだ」
「風邪ひかないように?」
「そう、風邪ひかないように。リリオンさんはシンタグマメソドロジーは使わないつもりらしいし、これから宇宙に行く。宇宙は寒いからねー」
「シンタグマメソドロジーでも、足冷たいことあったよ」
「そのときは、どうしてた?」
「メロゴールドが抱いてあっためてくれた」コーラルは思い出したようだ「そっか、コイントスだと両足あっためるのは無理そうだもんな」
「うん、赤ちゃんは、すぐお兄ちゃんやお姉ちゃんのマネしたがるからねー。くすぐったいのは大変だろうけどさ」
「赤ちゃん、産まれるまでは、まだ時間あるからなー、まあ、頑張ってみっか」
がんばって、お姉ちゃん。保健室を出ようとするコーラルの背中に応援の声がかかった。




