父と子《むすこ》
月見代にあるお父さんの私室は地球から持ち込んだ太陽系の模型でいっぱいだ。
ティルフィアは部屋の隅から、その太陽系模型をうっとりと眺めている。
月見代に文字通り堕ちてきたティルフィアは、3日間ほどベッドの上で唸っていたが、傷が癒えてからは、ずっとこの作り物の太陽系に見入っている。セドリックは基本、他人には興味がないので、ティルフィアに干渉することはなかった。ティルフィアにとって、それはとても有難いことだ。
「こんにちは」
入り口で少年が挨拶してきた。はじめて会う子だったがティルフィアは、その子のことをずっと知っているような気がした。
「こんにちは」
父親の知り合い、という程度の間柄だ。いくら興味があっても、それ以上ユータくんに声をかけることは憚られた。ティルフィアは、羨望に満ちた眼差しを少年に向けつつ、ただその場に座していた。
「これ、何か動いてない?」主小惑星帯の一部を指して、ユータが訊ねる。
「そりゃ、動くさ」お父さんはソファに座ったまま、こちらも見ないで言った「マッハポイントには基本的に重力や慣性力の縛りはないからな」
「じゃあ、なんで、太陽系銀河軌道に連動してるように見えるの?」
「マッハポイントが連動しているように動いてるからだよ。ときどき追従するの忘れることがあるみたいだけど」
「それで相対位置がズレるのか。がんばってるみたいだけど…」ユータはお父さんのほうを向いた「なんで太陽系に連動しようとしてるの?」
「ユータに見つけて欲しいからじゃないの?」
「そういうものなの?」
「よくわからないよ。初めてのことだし」
「初めて?」
「マッハポイントなんて観測するの初めてだもの」
「じゃあ、本当に、自然現象なんだね?」
「自然じゃないだろ。マッハポイントなんだし」
「お父さんが創ったわけではないんだね?」
「違うよ」
それは良かった、ユータはマッハポイントに視線を戻した。
「お父さんは、そんなおかしなことはしないよ」
「他のおかしなことはするじゃない」
「それは世の中がおかしいだけだよ」
「世の中とお父さんを比べたら、お父さんのほうがおかしいことが多いよ」
「比べなければ、大丈夫だよ」
「そうだね」
お父さんはソファから立ち上がり、ユータの傍らについた「いつ出発するんだい?」
「4時間37分後」ユータは時計も見ずに言った。
「ずいぶん急だな」
「オールインワンからは、ずいぶん前にオーケーが出てるんだ。出発と言ってもラグランジュ1から離れるだけだし、月見代が引き続き中継として機能するから、本当はいますぐでも問題ない」
「そう焦らなくても、マッハポイントは逃げないよ」
「どうだか? そもそも止まってすらいない」
「まあ、マッハポイントは抜きにしても、宇宙に出ることは良いことだよ」
「悪いことではないよ。どこから宇宙かは意見のわかれるところだけども」
「ユータはどこからが宇宙だと思う?」
「ボクとシノノメ以外は全部宇宙」
「お父さんは?」
あからさまに声が震えているので、ちょっとばかり躊躇したが、だからと言って甘い顔を見せると、つけあがるので、ユータはあえて答えた。
「宇宙の一部」
「そんな、マッハポイントとどっこいどっこいみたいな言い方しなくても…」
そんないいもんじゃない、と言おうとしたが、ここでトドメを刺したらかえって面倒だと思い、ユータは黙った。
「マッハポイントさあ、よく考えたら、あんまり良いものじゃないし、別のことしない? パーティー、とか?」
「そもそもマッハポイントの話を振ったのはお父さんじゃなかった?」
あまり無視すると拗ねるかもと思って言ったのだが、意外に喰いついてきた。
「そう、そう、そうだよねぇ。まあ、なんて言うかマッハ好きなんだよ。物理学と数学と哲学が分かれてしまうギリギリぐらいの人だからね。そうは言ってもなあ、ソクラテスがオマエらみんなバカだって言ってからずいぶん経つのに、ぜんぜん進歩してないと言うか何と言うか…」
「物理学と数学と哲学でいちばん大事なのは何?」
「そりゃ、愛だよ。プラトンがあんなじゃなけりゃ、もう少しマシな世の中になってたのに…」
「アリストテレスは?」
「重いものが先に落ちるなんて言ったヤツに何を期待しろと?」
「大学なんか創ったからヘンなのばかり集まっておかしくなっちゃったんでしょ」
「だからぁ、愛だよ、愛。すべてを解決するのは愛なんだよ。ちゃんとシノノメちゃんと仲良くしてる?」
「また、なんか、シノノメにした?」
「何にもしてないよぉ」
「どうだか? だいたいお父さんの創ったボクの友だち、根は良い子たちだと思うけど、ああいうの、どうなの?」
「えぇ?」
「この間もシノノメとお昼交換して食べてたら、何か遠くから見てるし、声かけてくれればいっしょに食べようと思って、多めにサンドウィッチ作ったのに、遠くから見てるだけだし…」
「え? でも、そういうのは、こっそり見てる方が楽しいし…」
「見てたね?」
「え?」
「見てたでしょ?」
「いや、それは、お父さんだけじゃないし、お母さんも見てたし…」
「お母さんも?」
ギロリ、見たこともない険しい目つきでユータに睨みつけられた。
完全にパニクったお父さんは、言わなくても良いことを口走る。しかも止まらない。
「お母さんも、っていうか。みんなで見てたんだよ。みんな一緒にいたしぃ。だから、ユータとシノノメちゃんだけ見てたわけじゃなくて、ベッコウとコーラルとアイボリーも可愛いなぁ、って…」
「みんなって、誰?」
「みんなは、みんなだよ」
「お父さんとお母さん、あと誰?」
「ガントーとシルベとインチとリリオン」
「…そう」
ユータは部屋の入り口に向いた。そのまま出ていこうとしたのだが…
部屋のすみに縮こまる人影を見つけた。
「あの…、あなた?」
「え、あ、あ、オ、オレ?」
「そう、あなた、あなた、その…、ええっと違う、そう、ボクはユータ、あなたは?」
「あ、その、オ、いや、ボクはウィリアム」ティルフィアはファミリーネームではなく、ファーストネームを答えた。それが正しいように思えた。
「ウィリアム」
「あ、いや、ウィリアムだけどビルでいい、ビルで」本当はいままでビルなんて呼ばれたことはなかった。いつもふさぎ屋のティルフィアだった。でもビルって呼ばれたかった。
「ああ、じゃあ、ビル」ユータは小惑星帯の一部を指していう「これへーべだよね。小惑星6へーべ」
「あ、うん、へーべ」
「この間見たときは4ベスタまでしかなかったんだけど」
「足した」ビルはセドリックをチラチラ見やる。お父さんも成り行きに戸惑っているようで何も言わない。
「やっぱり」ユータが微笑んだ「このへーべとてもよくできてる」
「ありがとう」
「でも、ボク、アストラエアも好きなんだけど」
「5番のアストラエアか?」
「うん、そう」
「作るよ」ビルは言った「アストラエアも、イリスもフローラも」
満足したように笑うユータは、よろしくねビル、と言い残すと部屋から出ていった。




