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二、やっぱ残念だったけど、かまわず誉め殺し

 やっと道路らしきものが近づいてきた。前に一樹、うしろに桃香。さっき最後に話してから、ここまで一言も会話していない。

 桃香は、ややうつむいて荒れた地面を見ていた。一樹は、いかにも前向きな感じに顔をあげ、あごを前に出して勇ましそうに見せていたが、その心中は固く閉ざされた貝だった。その貝の奥には、ひとかたまりの球体があった。怯えだった。その、おののきの真珠は、幼児期から育ってきた彼の核であり、彼の抱える濁った心の奥底で、常に白く毒々しく輝いていた。意識はなくとも、さっき桃香に言われた一言が彼を恐れさせた。隠しているものを暴かれる、という恐怖だった。



 一樹はこれまで、誰とも親しくならないよう努めてきた。この容姿だから、さっきみたいに「イケメンでいいよね」などと誉められたことは星の数ほどあり、その都度、「いやぁ、そうでもないよ。女と縁が出来なくてさ」などと頭をかいて爽やかに笑う演技が完璧に身に付いていた。

 なのに、どういうわけかさっきは、いつもならすんなり出てくるその技がまるで出ないばかりか、不機嫌に背を向けるようなことをしてしまった。相手に不審に思われる、という危ない橋を渡ってしまった。相手が本当に無邪気な子供だったら、つい安心して口を滑らすのもわかる。が、さっきは大人だと分かったのに、やっちまったのだ。

 そうか、この異常な状況のせいだ、と彼はすぐ気づいた。考えたら、今はこんなに落ち着いていられる場合ではない。どこか別の世界にワープでもしたのか、その真相は分からないが、とりあえず、今ここにいる二人の状況が危機的なのは確かだ。このまま、この荒野をさ迷ったあげく、野垂れ死ぬかもしれないのだ。はっきりいって、なりふりかまっていられない事態だ。

 そんなんだから、相手に本当の自分を気づかれたって仕方がない。いや、むしろ出してしまえ。出すべきだ。だって、もう死ぬかもしれないんだぞ……。


 急に心細くなって心拍数があがってきたが、そこで「待った」をかける自分もいた。いいや待て、何かの勘違いもあるぞ。ここはあのビルの近所のテーマパークかなんかで、たんに迷い込んだだけで、屋上からここに出る構造になっている。そして、そのうち管理者の誰かが気づいてくれて、すぐに迎えが来て元に戻れる……とか。

 そんな変なことを思うほどに、今こんなところにいること自体が、彼には信じられないのだった。もしや、これは全部夢なのでは。と思っても、自分の腿をつねってみると、キリキリ痛い。やはり、これは現実でしかありえない、と確信する。

 それでも彼は、自暴自棄になれなかった。もっと追い詰められたら自分をさらけ出すかもしれないが、そんなことをしたら心臓が止まって死ぬんじゃないか、と本気で思った。それほどに怖い。

 自分を見せること。それはイコール、死を意味した。死にたくなけりゃ、仮面を被って生きろ。それは幼少の頃から、彼にとって、呼吸するのと同じくらいに当たり前のことになっていた。


「な、なんだよ」

 急に後ろから上着のすそを引っ張られ、ぎょっとして振り返った。そこには不安そうな子供の顔が見上げていた。

(いや、こいつ子供じゃない、大人の女だぞ。俺の一番の敵じゃないか)

 あわてて自分に言い聞かせる。

(こんなのに気を許したら、どんなに傷つけられるか分かったもんじゃない。いいか、絶対に気を許すな。絶対に、だ……!)


「ええと……さっき、変なこと言って、ごめんね」

 桃香は彼を見つめながらぽつりと言ったが、その一言が彼をまたさらに追い詰めるとは、分かっていなかった。一樹は、今度は意識的に笑おうとした。が、口元は固まったように吊りあがろうとしない。

「い、いいよ、そんなこと、もう」

 またも不機嫌な顔で目を伏せ、言い捨てて前を向こうとした。思い通りにならない自分にムカついた。

(ちくしょう、なんでこうなるんだ)(どうして、いつもみたいに出来ないんだ)(甘えちまうんだ……!)

 まとわる不快感を振り払うように、また歩き出そうとする。だが、女が掴んだ手を放そうとしないので、また後ろを向く羽目になった。

「なんだよ、いいって言ってるだろ」

 少し語気が荒くなったが、相手は気にする様子もなく、ただ不安そうに言った。

「ごめん、私、怖いの。出来れば、そのう、ぎゅっとして欲しいくらいなんだけど……。でも無理だよね。彼女に悪いもんね」

『彼女に、悪いもんね』

 彼の何かが、とつぜん切れた。


「う――うるせえよ!」

 怒鳴り声が飛び出し、はっと口を押さえる。桃香はびくっと手を放し、目を丸くしてこっちを見ている。一樹はなんとか自分を抑えたが、それでも地味にイライラしてきて、ぽつりと言った。

「かっ、彼女なんて……いるわけないだろ……」

「ええっ、いないの?! その顔で?!」

 ものすごく驚かれて指さされ、彼はさらに嫌な気持ちになった。


 中学のころに女子の誰かに初めてそう言われて以来、彼女云々の話題は絶対に避けるか、振られたらお茶を濁してきた。だから、この不快感はひさびさだった。

 だが、今までならごまかすか逃げるかすれば済んだが、ここではごまかしても空しいし、どこにも逃げ場はない。そうなると、いきなり言葉がするするとよどみなく出た。

「いないよ。女は――いや男でも子供でも誰でもそうなんだが、最初は俺の顔が気に入っても、一緒にいると、すぐに気づくんだよ。こいつ、なんか変だぞ、って。それで気がつくと、そいつは俺の目の前から消えて、一人になってる。そんなもんなんだ」


 どうせ「そんなことないよ」とか否定して終わりだろう、と思っていると、相手が黙っているので、ぎょっとした。見ればその目は大きく見ひらき、涙がたまっているではないか。これにはあわてた。

「な、なんで泣くんだよ」

 言われても桃香は大粒の涙を流し、目をふせてうつむいた。まるく小さい肩を震わせ、ぼろぼろ泣く女を見て、泣かれた当人は一瞬どうしていいか分からなかった。が、すぐにハンカチを出して、ふいてやった。


 涙が止まると、桃香は泣き疲れて上気した頬と、うろんな目で彼を見上げた。泣き濡れて艶めく少女の顔のあまりの可愛さに、男はどきりとした。

「一樹くん……て呼んでいい?」

 ぽつりと聞かれ、彼はうなずいた。

「ごめん。一樹くん、自分のこと、なんか変だ、って言うから。それで、そんなことで、一人になっちゃうなんてさ。そんなの、ないよ。そんなの……」

 そう言われても、彼は相手が自分のために泣いているのだと、しばらく分からなかった。見た目が良くて立派に見えて、いつも平気そうでいる彼のために泣く者など、いまだかつて一人もいなかったからである。


 しかし次第に、桃香の優しい言葉や、わななくような仕草とあわれみの表情が、浜に波が打ち寄せ、砂に水がひたされるように、彼の中にじわじわとしみとおってきた。危うく彼も涙せんがゆるみかけ、ぐっとこらえた。そして(これは社交辞令だ)と自分に言い聞かせ、無理やりに笑みを作って言った。


「ありがとう、でも俺、そんなに気にしてないから。ええと、桃香……って呼んでいい?」

 桃香はうなずいた。

「桃香、」としゃがみ、真剣に見つめて言う。「ここがどこだか分からないし、これから大変な目に遭うかもしれないけど、俺、できるだけのことはするから。だから、一緒に来てくれるかな……?」

「うん」と指で目をこすって笑う桃香。「そうだよね。だって、私らのほかに、誰もいないしね」

 一樹も笑った。そして一気に気がゆるんで、ほっとした。

(良かった、一段落したぞ)(もう、これ以上ボロが出る危険はなさそうだ……)



「一樹くん、えらいね」

「えっ」

 いきなり言われて驚くと、桃香は夢見るような目で彼を見ていた。そして、うっとりと笑みを浮かべて続ける。

「だって、人に避けられるような自分と、今までずっと戦ってきたんでしょう。そんなすごいこと、ふつう出来ないよ。えらいよ、すっごくえらい」

「な、なに言ってんだ! なにもえらくなんかねえよ!」

 あわてて弁解するように言う。ちがう、俺はひどいんだ、サイテーなんだ……と、また卑屈の装甲に身を包もうとしたが、彼女の柔らかい声が、それをはぎ取って彼を素っ裸にした。


「だって普通は、嫌な自分からは逃げるんだよ。一樹くん、逃げないで、ちゃんと格闘してたんでしょ」

「戦ってなんかいない!」と右手でさえぎる。「ただ落ち込んで、いじけて、自分を責めてるだけの情けないのが、なんで格闘なんだよ!」

「自分が情けないときって、弱いものいじめするじゃん。誰かに八つ当たりして、自分の嫌なとこを忘れようとするでしょ。そういうのを、自分から逃げた、っていうの。君、そんなのしてなかったんでしょ。ひどい目に遭っても、じっと一人でこらえてたなんて、すごいよ。そんなの普通、出来ないよ。すっごくかっこいいよ、一樹くん!」

(か、かっこいい……? 俺が……?)

 予想外の言葉の連打に、一樹は言葉を失った。桃香の優しい気持ちに心臓を射抜かれたような気がして、あわてて背を向けた。

「ほ、ほら……もうすぐ……道があるから……」


 言いかけてうつむき、ゆっくり歩き出した。こみ上げる感情に胸が焼けるようで、熱い涙があとからあとからあふれて止まらず、足元にぼたぼたと落ちて、乾いた地表を点々と黒く濡らした。心がかつてないほどにほんわりと温かくなり、重かった肉体が、まるで跡形もなく消えたかのように楽になった。口元に笑みすら浮かんだ。

 歩きながら、一樹は冗談に、足元に続く染みの列について、桃香にあとでどんな言い訳をしようか、と思った。

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