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十五、イケメンには気をつけろ

「いい? イケメンとは絶対につきあっちゃだめ。ひどい目にあうわよ」

 十歳のころ、向かいに住んでいたミヨちゃんが言った。いつも学校帰りに寄っておしゃべりしていた公園のベンチで、その日はいつになく激した口調で、目を吊りあげて桃香に言うのだった。ミヨちゃんは、後ろで髪をたばねた丸顔のかわいい娘だったが、その顔は、桃香と話すときはいつも苦虫をかみつぶしたようで、今にもかみつかんばかりに愚痴ったれてくるので、桃香はいつもうんうんと相づちをうっていた。二十歳になった今と、寸分たがわぬ外見で。

「いい男は、ぜったいに浮気するからね。桃香はいい子だから、たぶんがまんしちゃうと思う。でもね、一度ゆるしたら、ぜーんぶゆるすことになって、ストレスで身も心もボロボロになるの。お母さんは、五回も自殺未遂したあげく、けっきょく旦那はよその女に逃げたのよ。ひさんでしょ。みんな旦那がイケメンだったせいなのよ」


 ミヨちゃんの「お母さん話」を聞くのはもう百回目くらいだったが、なんど聞いてもかわいそうなので、今度も泣いた。人魚姫などの悲劇の童話を、何度も読み返すのとおなじだった。

 桃香が涙ぐむと、ミヨちゃんはいつものようにハンカチを差しだしてそれをぬぐう。やさしくぬぐいながら、口では大好きなお母さんを痛めつけたイケメンどもを、牙むいて食い殺さんばかりに激しく非難する。

「たとえ周りの女に手当たり次第に手を出すようなチャラ男じゃなくて、付きあってる女に本当にいちずで、ほかの女には目もくれないようなきまじめな性格であっても、やっぱり、イケメンだとダメよ。本人がどんなにまともでも、女のほうから寄ってくるからね。磁石みたいなもんよ。本人の意思とは無関係に、女という砂鉄を無差別に引きよせるのよ。そりゃ、いい男だから当然でしょ。まして野獣系だったら、もうおわり。無数の女が食いちらかされ、そいつのまわりは死屍累々の地獄と化すのよ。ああ、考えるだけでも恐ろしい」

 わが身を抱き、顔を振ってなげく。

「いい男の尻を追って、お母さんみたいに地獄を見るのはごめんだわ。だから私、絶対にデブとかブサメンとしか付きあわないつもりだし、おっさんとか、ぶっさいくな男としか結婚しない」


「で、でも、それって」

 やっと口をはさむ瞬間があったので、桃香は言った。

「むなしくない? 女として、夢も希望もないよ」

「なに言ってるの!」

 さらに目を吊りあげるミヨちゃん。

「いいのよ、男なんてみんな一緒よ! 大差ないわ! えらぶほうがどうかしてるの! イケメンでさえなければ、もうそれだけで、老後まで変わらぬ安心が保障されるのよ!


 お母さんの妹さんなんて、小ダヌキをふくらまして鏡モチにしたような男が旦那で、ころころしてかわいい、とのろけてたわ。そんな外見なら、夫婦生活は生涯安泰よ。女は寄ってこないし、逆に男が寄ってっても女に逃げられるし、まさに方程式のようにバランスが取れてるわ。これ以上素晴らしい男女関係はないのよ。


 だからね、桃香」と手を握って念を押す。「いいこと? 絶対にイケメンなんかと付きあってはダメよ。身の破滅よ。人間は普通がいちばん。高のぞみすると、地獄を見るのよ」



 うーん、そうなのだろうか、とそのときは思っていた。ミヨちゃんの意見は自分の悲惨な経験から来ているので、極論が多い。イケメンだって、女と縁がうすい人はいるだろうし、そういう人と一緒になったら、別に不幸にはならずにすむんじゃなかろうか。

 ミヨちゃんは、そのあとすぐに引っ越していったので、彼女とはそれいらい会っていない。しかし、無数の暗い話の中で、そのイケメン警告だけは、なぜか鮮明に記憶にのこっている。そして、思ってもみなかった今、こんな遠い異世界のまんなかで、その話がとつじょ、頭の中にむくむくと復活したのだ。


 ミヨちゃんは正しかった!

 そうだ、イケメンなんかと付きあっちゃダメだ!




 なぜそんな暴論に今さら納得したかといえば、エスクリックの市長に会って、市庁舎から出てきたときのことだ。

 ここはいたるところにアラビアやインド風のよそおいを持つエスニックな商店がひしめき、ショウウインドウを飾るおびただしい種類の宝石、今にも水のしたたりそうに艶やかな水晶玉の輝く、とてもきらびやかな町である。だが、このチルアウトゾーン内の都市のこと、また何か深刻な、しかし一樹たちほどの知能ならば、あっけなく解決できる問題でも抱えているのでは……と思い、とりあえず市長に会うことにしたのである。

 変わった人ではあったが、けっきょく、市民のあいだで特に困ってることなどはない、とのことだった。だが一樹が英雄であるという情報は市長の耳に入っており、市として歓迎すると言い、毎度のようにタダでホテルに泊まれることになった。


 それはいいのだが、庁舎を出てから桃香の顔は暗かった。一樹が気にして聞くと、「うん、お腹すいただけ」と笑ってごまかした。彼は、ほっとした顔になった。

「そうだ、向こうに面白そうな料理屋があったよ。行ってみようか」

 桃香は、食べ物に対して「面白そう」などと言うボケに、つい笑った。一樹も、意味がわかっていなかったが、とりあえず笑った。だが次の瞬間、このほのぼのタイムを春の突然の(ひょう)のようにぶち壊したのは、彼自身だった。

 彼は、ふと思い出して言った。

「しっかし、あの市長は変わってたよなぁ」

「えっ、あっ、そうだね……」と、また暗くなりかけ、あわてて頭を振るかのように言った。「いきなり顔におっぱい押し付けるんだもん! 参ったよー」

「ああ、たしかに、でかいおっぱいだった……」

 はっとその顔を覗き見した桃香は、凍りついた。

(か、感慨にふけってる……?)

(も、もしかして……)

 今にも息が止まりそうだった。

(うれしかったの、一樹……?!)


 いや考えなくたって、男ならうれしくて当然だろう。おっぱいがきらいな男などいない、という誰かの言葉を思い出した。そしてそんなもん、自分には乳首しかない。今さらわかりきったことだが、この胸板じゃ、ほぼ男だ。

 こんなシャープでストイックで清貧な体より、あっちの化け物のようなでこぼこのボディのほうが、男にはいいに決まってる。しかも一樹はイケメンだ。相手が断るわけがない。

 そのときよぎった「イケメン」という言葉で、幼少の頃の記憶が、まざまざとよみがえったのだった。


 ――イケメンなんかと付きあっちゃダメ!

 やっぱり、ミヨちゃんは正しかった!


(いいや、ちょっと待て!)

 桃香は暴走する思考をおさえ、呼吸を整えた。なに考えてんだ、カズと私は、あんなにも愛しあった仲じゃん。お互いに、ここまで必要としあえるカップルは、そうはいない。私はカズの母親だし、カズは私のかわいい息子で――。

 隣で彼女が身もだえしているのに、気づきもせずに歩いている恋人の顔をチラ見する。

(本当に、私のこと、母親と思ってくれてるのかな……)


「ん? どうした?」といきなり聞くので、あわてて「なんでもない」と目をそらす。

「待ってろよ、もうすぐ面白いもん、たらふく食わせてやるから」

 そう笑ったが、またかましたボケには、もう笑えなかった。



 いまさら気づく。

 そうだ、私をお母さんと呼ぶのは、二人で愛しあってるときだけ。ふだんは、なんか妹みたいなあつかいだ。たしかに、一樹が私に甘えるのが二人の愛のいとなみだから、いちいち甘える必要のない日常で、私が母親をやる意味はない。

 いや、別に一日中やりたいわけじゃない。朝から晩まで「お母さん、おはよう」「カズや、その醤油、取っておくれ」などと母子関係をつらぬきたいわけじゃない。


(ただ、私はただ――)

 彼の顔をうわ目で見ると、のん気に鼻歌までふいていた。人の気も知らないわけだが、その顔をかわいいと思ってしまうダメな自分だ。もしかして、一樹より私のほうがダメ人間か?

(ダメでいい)

(私はただ、あなたにずっと私を見ていてほしいだけ――)

 その、なんとかいう店が見えてきた。

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