29話 同じ瞳
「――吐血は上部消化管からでしょう。詳しく調べないと断定できませんが、きっとストレス性のものですね。今は気絶しているだけですし、命に関わるものではないでしょう」
「そうですか。ライネ、貴女の腕は知っています。貴女がそう言うのなら、そうなのでしょう」
学校の校医――ライネの言葉に、フィデスは安堵したようにセルフィアに顔を向けた。
ライネはフィデスの言葉に微笑みを浮かべると、「少し席を外しますわね」と言って、長い髪を揺らしながら保健室を出て行った。
出ていく彼女を見届けると、私はフィデスと同じように、保健室のベッドに横たわっているセルフィアの顔を見つめた。
……血の気のない顔だ。
しかし倒れた時よりは多少良くなっている様で、青白さは先程より控えめになっている。
彼女の呼吸に合わせて上下する毛布に、安堵の溜息を吐いた。――命に別状がないなら、少しは安心できるだろう。
そこまで考えて、ふと、先程セルフィアの放った言葉が蘇った。
『わ、わたし……言われた、の。ス、スキルなしを許すなって、そう、言われて』
涙を流し、体を震わせながら、セルフィアはそう言っていた。――スキルなしを許すなと言われた、か。
私は少し俯いて、その言葉の意味の事を考える。私を憎む誰かが、セルフィアに私を許すなと吹き込んだのだ。
「……さて、リリア。貴女の口から説明して頂戴。今まで何があったのか……あの時、セルフィアに何があったのか」
顔を上げれば、フィデスが真っ直ぐな瞳をこちらへ向けていた。
……何があったと言われても、私もまったく状況を把握しきれていない。
――とりあえず、話そう。話しながら、頭の中を整理するんだ。
私はフィデスに向き合い、カラカラに乾いた喉で話し始めた。
「……まず、校長室でも言った通り、今年に入ってからセルフィアの様子がおかしくなりました。私達から距離を置きだしたというか……拒絶し始めた、というか。最初は私が何かしちゃったのかなって考えていたんですけど、それも違うみたいでした。その状態がずっと続いていました。そして、今日の事です。昼食前に教科書を片付けていたら、なぜか私の机の中にナイフが入っていて――」
「待ちなさい。ナイフは、貴女が持ってきたわけではないのですね?」
「刃物を学校に持ってくるなんて事、私がすると思います?」
フィデスの横やりに思わず反論すれば、彼女は静かに否定の返事をした。
セルフィアの言い分しか聞いていないのだから、疑ってしまうのも仕方のない事なのだろう。
私はふぅと息を吐き出して、話を続けた。
「先生方は、〝私がセルフィアを脅すために刃物を持ってきた〟と聞いているかもしれませんが、それは違います。あのナイフは、私の物ではありません。……話、続けますね」
私は話を区切り、未だ眠りに就いたままのセルフィアへ視線を落とした。
「さっき、セルフィアの様子が急に変わりましたよね?あの時、セルフィアは言ったんです。――〝スキルなしを許すなと言われた〟と」
「なんですって?」
「続けてこうも言いました。〝でもどうして先生はそんな事を?〟って。――つまり、セルフィアが先生と呼ぶ人物が、セルフィアの事を唆し、このような事態を引き起こしたんです」
「なるほど。……先生、ですか」
私の話に、フィデスは何かを考え込んだ。
それもそうだろう。先生と呼ばれているという事はつまり、教師の中にこの事態を引き起こした張本人がいる可能性が高いのだ。
――でも本当に、この学校の教師がそんな事を?
疑問を持ちながらも、私の脳裏には一人の男の顔が思い浮かんでいた。
目の前のフィデスを見れば、彼女と目が合った。……これは、この学校の校長である彼女には少し言いづらい。
私は浅く息を吸い込んで、口を開いた。
「……校長先生。あの、間違っているかもしれないんですけど――」
「貴女の言いたい事は分かっています。――イレックスの事でしょう?」
フィデスの出した名前に、私はぐっと喉を詰まらせた。
イレックス・ハーパナー。
この学校のスキル学という科目の担当教師であり、ハーパナー子爵家の出身の男だ。
彼と初めて会ったのは、特待生試験の時だ。
あの時の彼の視線は、今でも覚えている。
『まぁ、女神ドミナに愛されていない人種など、たかが知れていますな』
あの、汚物を見るような、冷え切った目。
……その後、彼は私に吹っ飛ばされるのだが。
入学後、私と彼は関わる事はなかった。
スキル学が必須科目になるのは五学年からだから、というのが一番の理由だろう。
イレックスと学校内ですれ違ってしまえば、睨まれたり、舌打ちをされたりはした。
しかし、教師が〝スキルなし〟という理由だけで、一人の生徒をここまで追い込むだろうか?
――でもまぁ、人種差別する人だし。そういう人って、何をしでかすか分からないもんなのかも。
「うーん」と声を漏らしながら腕を組んだ。
――私を狙う人なんて、スキルなしの私を蔑んでいるイレックスしかいない。
しかし、心のどこかで〝まさか〟と思っている自分もいる。
「……ここで考えていても、何も変わらないよなぁ」
「ええ、その通りです、リリア。後程、イレックスに事情聴取を行いましょう。……心苦しいですが、貴女には監視を付けます。これも、他の先生方へ示しをつけるためです。よろしいですね?」
――監視か、嫌だなぁ。
不安と嫌悪が入り混じった自分の心情が口から出掛かって、私はぐっと堪えた。
フィデスの顔が、少し辛そうに見えたからだ。……きっと、彼女も望んでいることではないのだ。
『私は貴女を信じています、リリア。ですがきっと、そうは思わない人も出てくるでしょう。それだけは、覚えておきなさい』
先程そう言ったフィデスの顔の顔を思い出す。
彼女は私を信じてくれている。……私は、それを信じるしかないのだ。
「――はい、分かりました。それで、私への容疑が晴れるのであれば」
「ええ。貴女の事です、きっとすぐに晴れるでしょう。……監視には、貴女と仲が良い先生を付ける様、尽力いたします」
「え?それって、監視の意味ないんじゃ……」
「リリア。これは、容疑者の一人である貴女を見張っているという体なのですよ。……言ったでしょう?私は貴女を信じている、と」
――そこまで信用されているなんて、知らなかった。
私は驚いてフィデスの顔を見つめた。
彼女は私と視線が合うと、お茶目なウィンクを一つして笑った。――彼女はなぜ、私をこんなにも信用してくれるのだろうか。
「先生は、私が犯人だと考えないんですか?」
「考えませんね」
「どうして」
即答した彼女に、私の瞳は瞬いた。
私の瞳をジッと見つめたフィデスは、ふっと微笑みながら視線を外した。どこか遠くを見つめているような視線だった。
「貴女がスキルなしだと貴族に知れ渡り、それをセルフィアが助けようと動いた時。……貴女が、アロウ様と同じ顔をしていたのです」
「――え?」
――先生と、同じ顔?
フィデスの言葉に、私は少し混乱しながらその顔を見上げた。
「永い時間を生きているアロウ様も、貴女と同じように悩んでいた時期があったのですよ。まだ、私がドクトリーナと同じくらいの年だったかしら。……私には、アロウ様が何に悩み、苦しんでいるのか分からなかったわ。あの方は、何も話してはくれなかったから。ですが、私はあの方を――アロウ様を信じていた。私を救ってくれた、あの方の事だけは。私のその思いを伝えた時、あの方は驚き、その美しい顔を泣きそうな、それでいて嬉しそうな表情に染めていました。――それは、あの時。セルフィアに〝ありがとう〟と言った貴女と、同じ顔でした」
微笑みを浮かべて言い切った彼女の顔。
その穏やかな顔が、昨年、初めて言葉を交わした時のセルフィアの微笑みと重なった。
『今まで私が見てきた貴女は、友人と笑いあう、普通の女の子です。友人の優しさに涙を浮かべる、優しい女の子です。……私は、そんな貴女だからこそ、助けになりたいと思ったのです』
『ありがとう、セルフィアさん』
『どういたしまして、リリアさん』
――ああ。どうして、忘れてしまっていたんだろう。彼女は、簡単に人を傷付けるような人じゃないって知っていたはずなのに。今更、思い出すなんて。
込み上げた感情が喉に詰まり、私は浅く深呼吸をした。
『リリアちゃんは、私達の大切な友達なんだから!』
『お前が強いのは知ってる。でも、だからって一人で抱え込む必要はねーんだからな』
『リリア。――なにかあったら、絶対、俺等に相談して』
食堂で口々に私へ言葉を投げかけた友人達の顔が脳裏に浮かんだ。
目の前からは、フィデスの優しい視線を感じる。――私は、こんなにも周りに支えられて来たのか。
『こんなに素敵なお誕生日は初めてよ。本当にありがとう、リリア』
誕生日パーティの時のセルフィアを思い出しながら、ふと思った。
――師匠も、そうだったのかな。
……フィデスの過去に何があったか、私には分からない。
でも私の師匠はきっと、私をあの村から救った様に、目の前の女性を救ったのだろう。いつもの様に、まるで〝大したことじゃない〟みたいな顔をして。
そして逆に救われてもいたんだ。自分が救ってきた人々に。
世界は案外、そうやって回っているモノなのかもしれない。今更気付くなんて、少し遅いかもしれないけれど。
フィデスは微笑みを浮かべた。今まで見てきた彼女の中で、一番穏やかな笑みだ。
「こんな根拠もない事で、と笑われてしまうかもしれません。ですが、私は信じております。アロウ様も、アロウ様が唯一弟子にした貴女の事も――貴女を救ったセルフィアの事も」
「セルフィアの、事も?」
「ええ。自分の中の正義感だけで貴女を助けようとしたんですもの、貴女の事が嫌いというだけでこの様な事態を引き起こすような子ではないのでしょう。セルフィアが〝先生〟と呼ぶ人物、その輩こそが彼女をここまで追い詰めたのです」
「……ありがとうございます。セルフィアの事も、信じてくれて」
「教師として当然の事ですよ」
にっこりと笑顔を浮かべた彼女に、私は微笑み返す。
しかし、私の頭の中では疑念がぐるぐると渦巻いていた。
――〝先生〟か。
感傷的な思いが鳴りを潜め、私の中には〝先生〟の事でいっぱいになった。本当に、イレックスがその〝先生〟なのだろうか?
一気にいろんな事が起こってしまったせいか、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
セルフィアを心配する気持ちと〝先生〟、そしてイレックスへの疑念が入り混じり、自分でも整理がつかなかった。
フィデスと今後の事を話し合い、私達はその日を終えた。
その日、セルフィアが目を覚ますことはなかった。
私は彼女の笑顔を再び見るのを楽しみに、監視されつつも、いつも通りの生活を心がけて日々を過ごした。
……しかし、一週間が過ぎても、彼女が私に笑顔を見せる機会は訪れなかった。
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