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m+other  作者: 刃下
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漁夫の利⑥


順平たちの下に新たな情報が舞い込んだのは、テストを目前に控えた金曜日のことだった。

ネタの情報元は、あの日、香川先生のお手伝いを買って出た二人の片っ方で、佐藤さんという一組の女子だ。順平は名前くらいなら耳にした事があるものの、彼女の顔貌かおかたちまでは浮かんでこない。つまり面識がない。

「私だって喋ったのは初めてよ。もともと接点もなければ、興味もなかったし」

向かい側の席に座った梓は、運ばれてきたばかりの熱々のフライドポテトにフォークを突き立てる。そのまま口に運ぼうとして、急に動きを止めた。

「ん」

「ん?」

「タバスコ取って」

「ああ」

順平からボトルを受け取り、満面の笑みで振りかける。「これよ、これ。ほら、美味しくなった」味付けに満足がいったのか、おもむろに通学カバンに手を突っ込むと、当然のように漫画本を取り出した。順平の手元に広げられた教科書やノートが目に入らない様子で、あまつさえ笑い声まで零し始める。

「テスト勉強はいいのか」

「んー、まー、そうね」

「宝の持ち腐れ。馬の耳に念仏。馬鹿は死んでも治らない」

「何か言った?」

「お前が未だに同じ学年なのが、不思議でしょうがないって言ったんだ。良かったな、中学校に留年がなくて」

「はん、それはこっちの台詞ね。あんたこそ、私より何センチ背が低いのよ。ランドセル背負って、小学校に戻ったら? やーい、小石。小石順平」

「言ったな!」

「言ったわよ!」

二人がテーブルに身を乗り出し、視線でバチバチと火花を散らせる。ここだけの話、勉強を絡めた勝負であれば順平にも少なからず勝ち目はあるだろうが、相手の急所を突くのに長けた梓には、これまで本気の口喧嘩で勝てた試しがない。要するに、これ以上争い続けたところで、言葉の刃物で血だるまにされるのは、こちら側だという事だ。そんな経験則にもとづく、順平が次に取るべき行動とは、早々に不毛な争いを切り上げ、元の話題に戻す事だった。

 「よし、お互いに一度頭を冷やそう。で、佐藤さんからは何か聞き出せたのか?」

「そうね。概ね聞いてた話の通りだったけど、いくつか重要な情報があったわ」

「って言うと?」

順平の問いかけに対し、梓は勿体ぶるように読みかけの漫画をテーブルの端に置く。代わりに手にしたコップの水を一気に飲み干した。「例のブツが見つかった場所よ」

「場所? それが重要な情報なのか?」

「思い出してみて。例のブツが発見されたのは、香川先生の車から荷物を運び出そうとした時。正確には、実験に使う道具の入ったカゴを持ち上げた時よ」

「ああ」

「私は初め、カゴが積まれていたのは車のトランクだと思っていた。だって、車に嵩張かさばる荷物を載せるとしたら、そこが一番に思い浮かぶもの。または後部座席って線もあるけど、実際はそのどちらでもなかったみたい」

「トランクも後部座席も違う」つまびらかにされた情報を鸚鵡おうむ返しにしながら、順平は頭の中を整理する。その二つではないとして、当然、運転席も論外。となると、残る場所は一つしかない。「助手席か?」と口にして、同時に引っかかりを覚える。

「正解。平たいカゴが四つ助手席に積み重ねられていて、その上から紐でシートに固定されていたそうよ」

「ちょっと待て」順平は先程抱いた違和感について訊ねた。「それだと例のブツは助手席にあったって事にならないか?」

「そう、そこなのよ。トランクや後部座席の荷物が記憶から抜け落ちてた、ならまだ話は分かるんだけど、助手席に載せてた物に気がつかないなんて事があるのかしら」

以前に挙げた現実的な仮説の一つで、エロ本の存在自体を失念してしまったという説。はたして運転席からも容易に視認できる助手席で、そんな事が起こり得るだろうか。

さらに言えば、香川先生はカゴを車に積み込む際にも、そこにあるエロ本を見落としてしまっている。そんな偶然がないとは言い切れないが、カゴを紐でシートに固定する用心深さがあるのならば、運転中の揺れでずれたりしないように、カゴの下敷きになっている物がないか真っ先に確認しそうなものだ。順平はそのちぐはぐな感じが気になって仕方ない。

それとも。

「だとすると、やっぱり香川先生は、そこに例のブツがあると知ってて、わざと?」

「それなんだけど。佐藤さんから聞いた話では、香川先生の動揺は相当なものだったって。顔面蒼白で、何度も何度も頭を下げて謝ってたそうよ」演技かもしれないけど、と梓は最後に一言付け足した。

「演技ねぇ」仮にそうだとして、理科室での憔悴しきった様子までもが芝居だったならば、香川先生はかなり腕の良い役者と言えるだろう。「それにしても、そんな詳細な部分までよく聞き出せたな。もしや思いがけず佐藤さんと馬が合ったか? 同性とのコミュニケーションツールが口喧嘩くらいしかないあの梓にも、ついに女友達が出来たわけだ」

「いい度胸ねぇ、順平。ちょっと腕を出しなさい」詰まんであげるから、と無理やり笑顔を浮かべた梓が二本の指を素早く動かす。「それが、どうやら佐藤さんも責任を感じてるっぽいのよね。その時はビックリして人に喋っちゃったけど、気が付いたらクラスが分断されてるし、よく分かんない係のリーダーに担ぎ出されるしで、後悔してるみたい。何とか出来ないかって、逆に相談を受けちゃったわよ」

さも面倒くさそうに肩をすくめる梓は、面倒事に進んで首を突っ込んでいる自覚がないどころか、順平の首根っこまでひっ捕まえて道連れにしている事に気づいていないのだから、本当に救いようがない。

「よし、決めた」梓が突然その場で立ち上がる。

「待て。勝手に決めるな」

「アプローチを変えましょう」どこかの王様と見紛うほど胸を張り、梓は宣言する。「周りに話を聞いてもらちが明かないし、直接本丸を攻めます」

「おい、今度は何をやらかす気だ?」

「明日は、ひとまず一時集合で」

「いやいや、テスト前だし、土曜日だし。第一、先生が学校に居るかどうかも分かんないだろ」

「何言ってんのよ、順平。誰が学校に行くなんて言った? 私は『本丸を攻める』って言ったの。直接、香川先生の家に行くわよ」

これには日頃から梓の無理難題に振り回されてきた順平も、目を丸くする。「家に行くったって、お前。住所も何も分かんないのに」

「住所ならここに」

 食い気味に言葉を被せた梓は、一枚の紙切れを取り出し、見せる。そこには何処かの住所らしき文字列が記されていた。

「一体どうやって」

「お世話になった先生に、どうしても年賀状が送りたいって言ったら、快く教えてくれたわ」

事も無げに、そう言ってのける梓。順平は、確実に困り果てた顔をしていただろう理科教師に、心の底から同情した。

ただでさえ女子生徒に対してナーバスになっている時期に、見え見えの嘘で自宅住所を聞き出そうとしてくるなんて、想像しただけでもホラーだ。過激派生徒が裏で糸を引き、悪用されるんじゃないかと疑うのが自然な反応だろう。それでも結果として住所を聞き出せたのは、香川先生がすでに正常な判断が下せなくなっているからかもしれない。……間違っても、狂人梓が粘りに粘った賜物たまものでない事を祈るばかりだ。

「住所については理解したけど、そもそも家にまで行く必要があるのか? 本人から話が聞きたければ、テストが終わってから学校で聞けばいいだろ」

「順平、犯罪捜査の鉄則を知らないの?」梓は人差し指を立て、至極真面目な顔で、至極マヌケな台詞を吐く。「犯人は自宅に戻る」

「それを言うなら、犯人は現場に戻る、だ」お前こそ、今すぐ自宅に戻ってテスト勉強に励むべきじゃないのかと言いたくなる。

「やっぱり俺は、お前が同じ学年なのが不思議だよ」

「不思議で言ったら、この店の経営も相当不思議よね」

「おい!」

話の流れも何もないうえに、わざわざその店内で、しかも周りにも聞こるような声で言うなよと順平は目を尖らせる。幸いなことに、ポテトを運んできて以来、店員は忽然こつぜんと姿を消していた。

「別にいいでしょ、事実なんだから。むしろ危機感を持たせるためにも、お店の人には聞かせるべきよ。いかに自分たちの店は客入りが少なくて、潰れていない方が不自然なんだって事を」

ファミリーレストラン・ユートピア。地域に昔からあるファミレスで、近所に有名チェーンのファミレスが出店された際に、根こそぎ客を奪われてしまった残念なお店。食事時こそテーブルもそれなりに埋まるが、順番待ちが出るほどではない。そして食事時を過ぎれば、毎度の閑古鳥が鳴く状況。おかげで騒いでも、勉強道具を広げても注意される事がないので、順平と梓は大いに重宝している。

この店の経営については、ちまたでも様々な憶測が飛び交っており、一説には富豪が道楽で経営しているだとか、実は深夜に闇営業のバーを開いてやり繰りしてるだとか、果ては地球侵略を目論む宇宙人の秘密拠点だ、なんて眉唾な噂もあるくらいだ。

「でも妙な安心感だけはあるのよね、ここ。何ていうか、ふとしたきっかけで人類のほとんどが滅んじゃって、この一帯がゴーストタウンになったとしても、ユートピアだけは変わらずに営業してる、みたいな」

「そんな店、恐ろしくて入れないだろ」まるで未来を見てきたかのように話す梓に、順平は口元が緩む。「けど、俺もそう思う」二人で顔を見合わせ、思わず吹き出した。


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