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Storyterror図書館の怪物  作者: タカアキナグラ
1/1

承認欲求

※この小説には死体損壊描写が含まれております。15歳未満の方の閲覧はお断りいたします。

「承認欲求」





 いつものように図書館で本を読み漁る英語教師 羽鳥玲(はとりれい)。彼は普通の人間ではなく、吸血鬼であり、本人曰くおおよそ八十年は生きているという。その長い人生の中で読んだ本は千冊以上にも及ぶ。児童文学書からメディアミックス化された人気作品、さらには人を選ぶホラー小説まで、彼は様々なジャンルの本を無作為に選び読み(ふけ)っている。物語の途中で投げ出したくなるような展開を迎えても、お気に入りの登場人物が突然の死を遂げても、必ず読破する。それが彼のポリシーであり、スタンスでもある。

 彼は話好きで、最近読んだ本で面白かったものを他人に話したがる習性がある。たとえば最近映画化されたあの作品——。彼は誇張も忖度もせず自分の意見を率直に伝える。誰にも媚びることなく、自分に素直に生きる。彼はそういう性格なのである。このような性格だからこそ、同僚からは嫌われて、生徒からは好かれるのだ。

 今日もまた、彼の元には一人の教え子が訪れる。教え子は、絵を描くことが好きで、最近SNSに作品を投稿しているが、思うように作品が伸びないことで悩んでいる。そこで彼は教え子に、最近読んだ本の話をする。その本の内容は、売れない漫画家が友達の死に様をSNSに作品を投稿したら伸びたという、実に奇妙な物語だ。

「なぜ漫画家は死に様を投稿したのですか?」

「気になるだろう?ところでアンタはグロテスクな話は平気かい?」

「私は平気ですよ。だって、昨今の作品は結構グロテスクなのが多いじゃないですか」

「ははは。まぁ、そうだな。あ、そうだ。PTAから苦情が来そうだからこの話はご両親にするなよ?じゃあ、今から話すから俺の話をよーく聞いとけよ」

 そう言うと玲はその本の内容を滔々(とうとう)と語り出した——。







 物語の主人公の名前は須川マサル。年齢は二十五歳。職業は漫画家。連載はことごとく打ち切られ、一年以上続いたことがない売れない漫画家だ。おまけに作品が売れたこともない。SNSに漫画やイラストを投稿すると沢山の人に見てもらえるという話を耳にし始めるも、拡散されることはなかった。このことがきっかけで彼は漫画の才能も絵の才能もないことに気がつき、漫画家をやめようと本気で考えるようになったという。

 しかし、同居人の浅木シゲルは彼を天才と評し、知り合いに自慢している。須川は恥ずかしいからやめてくれと言うが、それでも浅木は自慢をやめることなく、毎日のように

「お前は才能あるんだよ」

 と須川を褒め称える。

 彼はきっと生涯で漫画本を一度も読んだことがないのだろう。須川はそう思っていた。確かに浅木は普段から漫画は読まない。須川がいくらこの漫画が面白いから読んで欲しいと勧めても興味ないからという理由で読むことはなかった。それなのに須川の作品はちゃんと読むのだ。

 たくさんの作品に触れれば、自分の作品がいかに馬鹿馬鹿しく、滑稽なものかわかるというのに、須川は心底、浅木が哀れで仕方ないと思った。

 そんなある日、浅木は須川に

「俺の死に様、描いてよ」

 と意味のわからない頼み事をしてきた。

「俺の死に様を描いてさ、それを須川のSNSに投稿してよ。絶対バズるよ」

 なぜ自身の死に様を描いた絵をネットにあげなければならないのか。そんなことをしてしまえば間違いなくサイコパスの漫画家というレッテルを貼られ、悪い意味で拡散される。須川は嫌だと浅木の願いを断るが、浅木はそれに屈することはなく、須川に何度も自分の死に様を描けと命令する。きっと明日には気が変わっているだろうと思ったが、これがなんと十日も続いた。十日もしつこくせがまれれば、いくら滅多に怒らない聖人でも堪忍袋の尾がプツリ、と音を立てて切れるだろう。

 だが須川は浅木に怒ることができなかった。なぜなら浅木は時給のいいアルバイトをしているからだ。彼がいなくなっては家賃を払うのも電気代水道代を払うのも難しくなる。ヒモ男のような生活を須川はしているのだ。

 そして十一日目、浅木に頼まれ食事の買い出しに行くことになった須川。どうせ帰ってきたら死に様を描いてくれとせがんでくるのだろうと思い、「はぁ」と深くため息をつく。

 買い出しから帰り、須川は浅木に向けて「ただいま」と言う。だが3秒待っても返事は来なかった。浅木は今日バイトが休みで部屋にいる。その証拠に綺麗に並べられた靴がある。彼は几帳面で尚且つ気配りのできる人間で、自分の靴だけではなく須川が脱ぎ捨てた靴も勝手に並べる。もしかすると浅木はリビングで寝ているのかもしれないと思い、須川は靴を脱ぎ、もう一度「ただいま」と言う。だが返ってきたのは冷蔵庫のヴゥー……という振動音だけだった。

 歩き進めると風呂場の近くから鼻を突くような悪臭がし、何事かと思い風呂場の戸を開けると、浅木が浴槽で血を流して倒れていた。

「浅木!」

 須川は必死で浅木の肩を揺するが、人形のようにぐったりとしていて動かない。口元に軽く手を当て息をしているか確認するが息をしていない。脈も確認できなかった。浅木は死んだのだ。須川が買い物に行っていない間に。

 須川は悲しいという感情も寂しいという感情も湧いてこなかった。人の心を失ったのだろうか。それとも浅木のことをどうでもいい人間だと思っていたのだろうか、そう思い彼はズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、警察に連絡をしようとするが、手が震えてボタンがうまく押せない。目の前にある『死』に怯えているのだ。

 その時、須川の頭にある言葉がよぎる。

「俺の死に様、描いてよ」

 なぜ浅木との思い出でも、褒め言葉でもなくこの言葉が頭をよぎったのだろうか。これは死んだ彼からのメッセージなのか。

「俺の死に様、描いてよ」

 この言葉が何度も頭をよぎる。

 彼のためにも死に様を描かねばならないのだろうか。

 須川はスマートフォンを再びズボンのポケットに入れ、その場から立ち上がり、風呂場を後にした。そして作業台から鉛筆とスケッチブックを持ち出し、風呂場に向かう。

 浴槽の横で体育座りになり、スケッチブックに浅木の死体を描き出す。人物スケッチをするのは数年ぶりの須川の脳内に大学時代の記憶が蘇る。漫画家を目指してひたすら人物スケッチに明け暮れる日々。なんだか初心に帰れそうな気がした彼は死体とキャンバスに視線を何度も移動させ、一時間かけてようやく作品が完成した。本来であれば色も塗るべきだが、時間をかけすぎてしまうと死体の状態が悪くなってしまうため、ここで完成ということにする。須川はスマートフォンのカメラで完成した彼の死体のスケッチの写真を撮り、SNSに投稿した。

 すると今までのことが嘘だったかのように、スケッチは瞬く間に拡散され三十分後には拡散数が三百に達した。

「嘘だろ……」

 にわかには信じ難いことだが、これは夢ではなく、現実である。作品がこんなに多くの人によって拡散されたことがない須川にとっては、三百はとてつもなく大きな数字だ。しかもこの短時間で。

 勢いは衰えることなく、十分ごとに百人もの人に拡散されていった。初めてのことで調子に乗った須川は、過去に描いた自信作を投稿することにした。

 三十分後、彼は心を弾ませながらSNSでどれだけ過去の作品が拡散されているか確認した。

 結果はゼロ。死体のスケッチは未だに拡散されているのにも関わらず、過去の作品は拡散されるどころかいいねすらつかなかった。

 この結果に腹を立てた須川は、浅木の死体に何度も何度も力一杯パンチをする。

「くそう。お前なんて、お前なんて!」

 須川は多くの人に拡散され、評価されたのは自分ではなく、浅木という事実に納得がいかなかったのだ。やはり僕には才能がない。才能があるのは浅木の方だったのだ、そう思った彼は目も当てられぬくらい、浅木の死体をひどい状態にしてやろうとペンで落書きをする。

 下品かつ低俗で幼稚な単語で埋め尽くされた死体を見て須川はこれなら拡散されないだろうと思い再び鉛筆で彼のスケッチ画を描き、SNSに投稿した。

 すると先程のように、ものすごい勢いでいいねが増え、多くの人に拡散されていった。

「なんで……なんで……」

 須川は悲しくて仕方なかった。自分の力で作品が伸びなかったことに。作品に描かれているのは須川自身が作ったキャラクターではなく、浅木本人だ。浅木の力で拡散されたことに須川は情けなく思い、罪悪感と劣等感が一気に彼の背中を、心臓を、貫いた。

 そして力尽きた須川は浅木が眠るバスタブの横でぐったりと死んだかのように眠ってしまった。

 翌日、浅木は昨日よりも状態が酷くなっていた。辛うじて人の形をとどめていたが、異臭は凄まじかった。今にでも苦情が出るほどであったが、須川はこんな状態だったらもう誰もいいねは付けないだろう、と思い浅木の死に様を鉛筆で描く。昨日とは違い、浅木は膨張しており、お世辞にも綺麗とは言えなかったが、それでも作品は見事に沢山のいいねが付いた。

「なんでこんなきったねえもんが、いいね大量につくんだよ!」

 須川は激憤していた。バスタブの縁を怒りに任せて力強く殴ったせいか、彼の右手はホオズキのように真っ赤に腫れ上がった。

「くそう、くそう」

 不思議で仕方なかったのだ。何故、死体のスケッチが伸びて、自分の作品は伸びないのか……。須川の精神は限界に達していた。

「もう俺の作品が伸びないんなら死んでやる」

 そう思った須川は刃物を取り出し、自身の首を切り裂いた——。

 翌月、須川の住むアパートに警察官と野次馬が押し寄せてきた。下の階の住民が異臭を訴え警察に通報したのだ。二人の死は新聞や報道番組などで大々的に報道された。

 死をきっかけに須川の作品は浅木の死に様を描いたスケッチ同様、爆発的に拡散されるようになったが、皮肉にも一番拡散されたのは彼の作品ではなく、彼の死を伝えるニュース記事であった。



「……というわけだ」

 と話を締め括った彼に対し教え子は

「須川の承認欲求は度を超えていますね。最低」

 と須川の人格を強く否定した。それもそのはず、須川は死体遺棄だけでなく死体損壊まで行なっているからだ。まともな倫理観があればこれを肯定することはまずない。承認欲求とは誰にでもあるもので、そんなものは無いと主張する者も無意識のうちに承認という麻薬の作用よりも強い快楽を欲している。特に現代人は誰かに認められたいという気持ちが強い傾向にあり、暴発した承認欲求が原因で事件を起こす者も少なからず存在する。だが玲は承認欲求は必ずしも悪いものではないと考える。

「暴走しまくった承認欲求は取り返しのつかないことになる。須川みたいに。でも、承認欲求が無いと人は成長できないんだ。子供の頃、褒められることが何よりも嬉しかっただろう?」

「はい」

「褒められたことをきっかけに、また褒めてもらおうと必死に頑張るだろ?それが成長につながるんだ」

「でも褒めてもらえなかったら?」

 教え子は不安げな顔で玲を見つめる。玲は眉間に(しわ)を寄せ、どう返答するか考える。二人は一分近く、一言も発しなかった。その間に流れた空気はどこか重くどんよりとしており、話していると全く聞こえない生活音がズシズシと耳の奥にまで響く。普段意識していても聞こえない時計の振り子の音さえも、この時はハッキリと聞こえた。そして時計の針がカチッ、と音を鳴らすと玲は何か閃いたのか、「あっ」と無意識に声を出す。無意識のうちに発せられた音が無の空間にこだまする。それはまるでオーケストラの演奏のようであった。

「自分で自分を褒める。自分はいい作品を生み出した。じゃあ次はこれを超える作品を作ろう。そう思うようになる」

「褒め療法……ってやつですか?」

 褒め療法とは、自分を褒めることで自己肯定感を身に付けるというものであり、実践している人も多い現代の心理療法だ。

「そうそう。現代人は他人からの評価に取り憑かれすぎだ。意外と他人からの評価って、百パーセント正しいというわけでもなく、あてにならないこともあるんだぜ」

「そうかなぁ」

 と教え子は首を傾げる。そこで玲は教え子に一つの質問を投げかける。

「ここで質問、アンタはサルバドール=ダリの作品をどう思う? 素直に言ってみ」

 彼は教え子は絵を専攻している人間だからある程度画家の名前は知っているだろうと思い、シュルレアリスムの画家 サルバドール=ダリの名前を出した。案の定、教え子はダリの名前や作品を知っていた。

「ダリってあの、シュルレアリスムのダリですよね?私は……ああいう作品は好きですよ。非現実的な感じが良いじゃないですか」

 教え子はダリの作品を賞賛する。玲はニヤリ、と笑い教え子に少し意地悪げに質問を追加する。

「みんながみんな、ダリの作品が好きだと思うか?」

 教え子は困惑していた。予想通りの展開に再び彼の口角がぐっと上がった。

「アンタみたいに良いって人もいれば、非現実的な光景がまるで悪夢のようで怖いという声もある。話は変わるが、ピカソの絵はどう思う? 彼は特に評価が割れるだろう? 下手くそだ! とキュビズムを受け入れられない層もいれば、芸術と受け入れる層もいる。評価ってのは人それぞれなんだよ。ダリやピカソのような天才でもね」

 玲の言葉を聞いた教え子の表情が綻ぶ。彼女の中から不安が抜けたことに安心した玲はニッ、と笑った。

「……なんだか気が楽になりました。ありがとうございます」

「またなんかあったら図書館に来なさい。俺は大体、放課後はここにいるから」

「はーい」

 図書館を後にした教え子の顔は、まるで先ほどとは別人かのように晴々としていた。手を振る彼女に笑顔で手を大きく振りかえす玲。その手の振り方はまるで引っ越す相手に対するもののようで教え子は思わずクスリと笑う。

 教え子の姿が見えなくなったことを確認し、図書館に戻る玲。そして今日も本棚から無作為に本を選び、読み耽るのであった。



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