精霊へ捧げる旋律
「おじいちゃん、お話聞かせて?」
いつもと変わらない日の夜。
今日もまた、孫が昔話をせがむ。
「そうだなあ……。今日はどんな話がいいか……」
まだ小さい孫をひざの上に乗せて、天井を見ながらなんの話をするか考えてみる。
……といっても、これまでの人生を過ごしてきた話は、寝物語に全て孫に聞かせてやっている。
はてさて、困った。
「はやく、はやく♪」
待ちきれない。とばかりに、ひざの上の孫が跳ねたり暴れたり。
危ないなあと孫の腹に手を添えて落ちないようにしつつ、息子夫婦に目を向ける。
夫婦共々、申し訳なさそうにしながらも、笑顔を隠せていない。
孫と祖父の仲が良い様子に、喜びを隠しきれないのか。
あるいは、祖父と孫の仲が良い様子が、ほほえましいのか。
ともあれ、お手上げだ。すでに小さい子どもに聞かせてやるような話は、全部話してしまった。
ならば……。
「なあ、お前はどんなお話を聞きたい? おじいちゃんに教えておくれ?」
「うーんとねー……」
今日も元気でにこにこ笑顔の孫。
その孫の期待に、今夜も応えてやるとしよう。
じいさんのじいさんが子どもの頃よりずっと昔から、変わらない暮らしを営む村と、そこに暮らす人たち。
春には畑を耕し、
夏には野菜を育て、
秋には実りを授かり、
冬には木を伐る。
村と、森と、精霊とが、仲良くすごす。
そんな暮らしが、ずっと続いてきた。
これからもきっと、ずっと続いていく。
朝起きて、まず最初にやるのは、井戸から水を汲み上げること。
釣瓶をおろして、縄を引き上げる。
井戸の水は豊富だけれど、必要な量は引き上げた釣瓶の一杯では全然足りない。
二回、三回と釣瓶をおろし、水の満たされたつるべを引き上げ、樽に容れる。
そして、その樽を家に運ぶ。
それは、結構な重労働だ。
家の分が終わったら、次は家畜として飼っているヤギの水を運ばなければならないから。
飼育小屋の樽を運び出し、残った水を捨てて軽く洗う。それからヤギのための水を容れて、小屋へ運ぶ。
樽ならば、きちんと蓋をすれば、横にして転がして運ぶことができるから焼き物の壺よりだいぶ楽でいい。
……親に見つかったら、怒られるけれど。
ヤギに水をやり、エサになる飼い葉を与えて食べさせる。
ヤギは、毛も、乳も、肉も採れる。寒さや病気にも強いそうだ。
貴重な、交易の要の品になる。
粗末に扱えば、家が潰れるとさえいわれるくらい。
だから、毎朝掃除をしながら、食欲や毛艶、仕草に気を配り、大事に扱う必要があると、父と祖父からゲンコツと共に何度も教え込まれた。
おかげで、ヤギの扱いにはすっかり慣れて、任されるようになった。
ヤギの世話が終われば、やっと朝食。
畑で採れた小麦と、森から採ってきたブドウ、ヤギのミルクから作ったバターで作られたレーズンパン。
畑から採れた野菜で作ったスープ。
近所の家で育てているニワトリの卵と、別の家で育てている豚のベーコンで作られたベーコンエッグ。
特に代わり映えのない、いつもの朝食。
しかし、自分の家だけでは、用意することができない食事だ。
ヤギのミルクと森のブドウを対価に、物々交換でもらったもの。
両親祖父母と妹の六人揃って、日々、ありがたくいただく。
朝食が終われば、母と妹は洗い物。
僕が運んだ水で、食器を洗い衣類を洗濯。
10歳になる妹は、もう立派な労働力として活躍していた。
僕らは、畑に出るか、森に入るか。
前の日に予定を決めて、準備をするのが常。
今日は森の日。村の男衆が集まって、森の手入れと収穫だ。
森は、木がたくさんあればよいというわけではないらしい。
葉が生い茂るのは良いこと。けれど、地面に日の光が射し込まないのはよくないという。
そのため、時おり必要に応じて木を伐り、森と人と動物とが折り合いよく過ごせるようにしないといけないと、大人たち、特に老人たちは口を酸っぱくして言う。
かつて、森が死にかけたことがあったから、と。
僕らの、じいさんのじいさんくらいの世代の時、天も地も乱れて、森から実りが無くなっていったことがあったと。
だから、僕らの孫の孫の世代になっても、変わらずに森を守っていかなければならないと。
僕のじいさんもまた、子守唄代わりに何度も聞かせてくれた。
トゲのあるイバラや毒草を、それぞれが持つ鎌や鉈で刈り払いながら進む。
今日は狩りではないけれど、剣や槍や弓で武装する狩人の人も一緒にいる。
最近、熊や猪が増えて、村の畑にも出てくる。
森の中で出会ったときに、鎌や鋸や鉈しか持っていないと、猪や熊といった大型の獣には対抗できないから。
だから、狩りを生業にする狩人の親子も同行する。
無口で気難しい父親の狩人と、自信家で粗暴な兄、冷たい目をする物静かな弟という、二人の息子。
性格が全然似てない親子なのに、親世代は二人の息子の特に兄の方を「父親の若い頃にそっくりだ」とからかう。
父親の狩人も若い頃は自信家で粗暴な性格だったとよく言われていた。
……寡黙で落ち着いた様子しか知らない僕には、とてもそんな風には思えないけれど。
目的地まであと少しのところで、狩人父が止まれと合図する。
遅れて、体格のいい狩人兄が槍を構え、狩人弟は弓に矢をつがえる。
男衆は雑談をやめ、まだ見えない襲撃者に警戒を強める。
そのまま少しの時間がたち、目的地の方の草葉が揺れて、姿を現してきたのは猪。
鼻息荒く、後ろ足で土を蹴る猪の姿に、男衆に緊張が走る。
しかし、狩人親子は決して慌てず騒がず。
突進してきた猪に、弟が矢を撃ち込み、父は剣ではなく鉈を手にして前に出て、すれ違いざまに脚を斬りつけ、兄が首に槍を突き込んであっという間に倒していた。
見事な連携を見せる狩人親子。男衆も「もう立派な狩人だ」と感心しきり。
しかし、狩人父は、槍を掲げて高揚している息子の顔面を無言で殴り付けていた。
狩人弟は、その様子にため息つきつつ、男衆からスコップを借りて黙々と穴を掘っていた。
僕もまた、持参したスコップで狩人弟に協力して穴を掘る。
ほどよく穴を掘ったら、狩人父をはじめとする数名が猪を穴に運び、首を落とし腹を捌いて痛みやすい部分を取り出し少しでも軽くする。
穴をしっかりと埋めつつ、他の男衆が4本の足を2本の棒に括り付けて、4人で担ぐようにする。
今日の予定は変更。
せっかくの獲物がダメになる前に急いで村に戻り、女衆を集めて猪の皮を丁寧に剥ぎ、解体し、肉が村人全員に行き渡るようにする。
配られた肉をどうするかは、各家庭による。
さっそく焼いて食べたり、塩漬けにして薫製にしたり、スープに入れて煮込んだりと、それぞれ違う。
一つ共通していることは、森の恵みに感謝することが先で、森の手入れはまた明日、ということ。
明くる次の日、村の男衆と狩人親子はまた森に足を運ぶ。
今日は森の手入れをするのだと、下草を踏みかため枝やイバラや毒草を刈り払い、目的地へと進む。
そうやってたどり着いた所は、森の開けた場所。
以前に、木を切り倒し、切り株に苗を接ぎ木した場所。
こうすることで、僕らの孫が大人になる頃には立派な木に育ち、建材や薪に利用できるようになるという。
これもた、森の恵みだ。
男衆が苗の様子を確認し、新たに苗を植えている間に、僕らは指導役の大人に従いつるが絡みついて表面がへこんでいる木を見つけて、絡むつるを切って剥がしていく。
しかし、指導役の大人の見立てでは、この木はもう持ち直すことはないのだという。
そういった木は、冬が来たら伐り倒すのだからと、斧ではっきりと分かる傷を付けておく。
こーん、こーん、と、しばし、斧を振るう音が森に響く。
苗の様子の確認と植樹が終われば、休憩となる。
まだ若い苗は、鹿などの動物に食べられてしまうこともあるとか。
今回は大丈夫だったようだけど、どうにか苗を守れないかと首をひねり知恵を出しあっているが……。
狩人父が手を上げて合図する。
すると、全員ピタリと会話をやめ、できるだけ物音をたてないようにする。
……狩りの時間だ。
森の奥から飛び出してきたのは、鹿。
なにかから逃げている様子で、こちらを見るなり向きを変えるが、狩人父の投げたナイフが足に突き刺さり、狩人弟が射った矢が頭に刺さって倒れた。
これもまた、森の恵みになる。
また穴掘りかとウキウキしながら立ち上がれば、狩人父は警戒を解いていない。
いや、むしろ警戒を増して、背負っている弓を取り出し矢をつがえていた。
狩人弟がまた矢をつがえた時、森の奥から飛び出してきたのは、熊。
持ち前の厚い毛皮と肉が鎧となり、矢じりが鉄の矢も鉄の槍もまともに通用しないという。
もし出会ったなら、背中を見せないようにしながら、できるだけ音を立てずに静かに立ち去れ。
大人たちに、そう、教わった。
さもなくば、と。
熊は、鹿を追ってきたのか、離れている僕が見ても血走った目をしているように見えた。
倒れている鹿を見て、こちらを見て、後ろ足で立ち上がり、前足を腕のように振り上げて吠えたあと、前足をつく突進体勢になる。
それに合わせて、狩人父は狩人弟とともに矢を放つ。
それらは、大した効果はないはずだった。
しかし、2本の矢は熊の両目に突き刺さり、傷を負って暴れだす熊に狩人兄は素早く近づき、口に槍を突き刺す。
その一度では倒しきれず、暴れる熊に何度も槍を突き刺し、目に深々と槍が突き刺さった時が熊の最後だった。
わぁっ! と歓声が上がる。
男衆に囃し立てられて得意気になる狩人兄に、狩人父は拳をコツンと当てた。
「狩りは、獲物を狩って終わりではない。村に獲物を持ち帰ってようやく成功だといえる」
静かに、しかし誇らしげな狩人父の言葉が、騒がしい男衆の歓声の中でも、なぜかはっきりと聞こえてくるのが印象的だった。
そこからは、掘って捌いて埋めて、まずは手分けして鹿を持ち帰る。
熊は大きすぎて担いでいけないので、村に帰って大きいソリに縄を付けて引っ張って持ち帰る。そのためのソリを取りに行く班と、熊の見張りをする班とで別れた。
僕は、年の近い狩人兄と残って見張り役。
危険な熊を相手に槍で立ち向かい仕留めたのだから、労働の免除と休憩を兼ねた居残りだ。
しかし、自信家で粗暴な狩人兄は、大物を仕留めたことで明らかに高揚していて、自慢げに大声で語り出す。
見かねた居残り組の大人にたしなめられて声は抑えていたが、村からソリを持ってくるまでの待ち時間、止めが入るまで延々と自慢話を聞かされるはめになった。
僕は、この自信家で粗暴で、何かにつけて僕を見下してくる狩人兄のことは、有り体に言って嫌っていた。
……と、いうよりは、嫌がっていた。
と、いうのも……。
「だんだんに、ブドウとヤギを増やさないといけないかもしれないな」
隣の家に住む、僕の父と同い年の男性が、狩人兄の肩を叩き、僕の頭を大きな手で撫でてきた。
隣に住む、幼馴染みの少女の父親だ。
僕の気持ちを察して、間に割って入ってくれたのかもしれない。
そこからは、定期的に村に訪れる行商人との交易の話。
その話をすると、狩人兄は嫌がるのだけれど、村で使う包丁や鍬や鍋や斧や鋸、狩人親子が使っている槍や弓やナイフなどの鉄製品は、村である程度の手入れと修理はできても、新たに作り出すことはできないために交易に頼っている。
弓の扱いが苦手で槍の扱いが荒く、何度も買い換えている狩人兄は、耳が痛い話のようだった。
「商人たちがな、村のワインやチーズを増やしてくれないかと持ちかけてきてるんだ」
幼馴染みの父の言葉に、僕もうなる。
村で作るワインは、森で採ったブドウと村の畑で育てたブドウを合わせて作っているので、簡単に増やせるものではないから。
「お前さんは父親に似て、頼れるようになってきたが、槍をもっと丁寧に扱わないとな」
そういって狩人兄の肩をバンバンと叩いてから幼馴染みの父は離れていった。
季節は変わり、ブドウの仕込みが終われば、ささやかな祭りが執り行われる。
寒い冬を前に、一年の実りに感謝して精霊に祈りを捧げ、来年の実りと幸福を願って、肉と酒を振る舞い、火を囲んで楽器を鳴らし歌って踊る。
祈りに惹かれて来るといわれている精霊に、夜なお明るく楽しげな歌声と旋律とが届けば、来年もまた豊かな恵みが約束されるという。
……大人はそれでいいのだろうけれど、今年15になった者たちはそうもいかない。
僕もまた、15で成人した者の行う習わしとして、15になった女性に花を贈り、手をとって共に踊る必要がある。
……それが、成人の義とプロポーズを兼ねた村の風習。
笛の音や弦楽器の旋律に誘われるように、将来を共に歩む相手の手をとり、踊る。
僕もまた、心に決めた相手に向かって歩みより、幼馴染みの少女に花を渡して言葉を贈る。
幼馴染みの少女が花を受け取り、僕を受け入れて手をとったところで、狩人兄が険しい顔で寄ってくる。が……。
去年の祭りの日、狩人兄に花と一緒に拳を叩きつけた少女が、狩人兄の尻を蹴飛ばし耳を引っ張って連れていった。
あの狩人兄の、既に尻にしかれている様子を見て、僕と幼馴染みの少女は、顔を合わせて笑って踊って、結ばれた。
……そして、将来を共に歩む夫婦として、精霊に認められた。
なぜかは分からないけれど、奏でられる曲に合わせて踊るうちに、突然顔を合わせて、驚き、そして笑った。
僕は、声を聞いた気がした。
彼女は、優しく抱き締められた気がした。
こうして二人は結ばれて、僕はいずれ父に。彼女はいずれ母になる。
いずれ生まれてくる子どもに、きっと聞かせてあげよう。
村と、森と、精霊の話を。
じいさんのじいさんが子どもの頃よりずっと昔から、変わらない暮らしを営む村と、そこに暮らす人たち。
春には畑を耕し、
夏には野菜を育て、
秋には実りを授かり、
冬には木を伐る。
村と、森と、精霊とが、仲良くすごす。
そんな暮らしが、ずっと続いてきた。
これからもきっと、ずっと続いていく。
今度は僕たちが、ずっと繋いでいく。
「今日のところは、これでおしまい。……と、寝ちゃったか?」
途中からおとなしいと思ったら、その時からすやすやと眠っていたようだ。
「おじいさん、お疲れさまです」
かつて、精霊に認められた少年と少女は、二児の父母に、それから孫を持つ祖父母となった。
息子は家を継ぎ、娘はあの狩人兄の二人の子どものうち、狩人兄の若い頃にそっくりなやんちゃボウズと結ばれた。
狩人弟の子どもの、物静かな兄妹の兄と取り合いになったが、静かだけれど芯の強い娘は、やんちゃボウズを支えることを選んだ。
そして、狩人弟のおとなしい娘が、僕の息子の嫁として一緒に住んでいる。
分からんものだ、と息を吐く。
ぐっすり眠っている孫を、息子夫婦のところに、と思ったところで、僕と同じ歳を重ねた妻は静かに首を振る。
仕方ない。今夜は、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に寝ようか。
妻と連れだって、寝室へ向かう。
いずれ、この子も今の僕たちのように、孫を抱いて寝る日がくるのだろう。
その時もまた、村と、森と、精霊とが、仲良く過ごすことができますように。
祈りよ、時を重ねた先へ届けと、願い、妻と孫と三人で眠りについた。




