3.真実と嘘
急いで研究室を飛び出し、私は殿下のお部屋に向った。
時間的には執務を終え、自室に戻っている頃だろう。
殿下のお部屋を尋ねるなんて、普通に考えたら失礼極まりない。
でも今回は事情が事情だ。
やさしい殿下ならわかってくださる。
そう信じていた。
そしてたどり着いた。
殿下の部屋をノックしようとした時、声が漏れてきた。
「君は今日も美しいね」
「ありがとうございます、殿下」
殿下ともう一人、聞き覚えのある声。
聞き間違えかと思ったけど、次の言葉で確信へと変わる。
「今夜も来てくれてありがとう。嬉しいよ、ミーニャ」
「めっそうもない。私の心は殿下の物です」
ミーニャさんの声だ。
殿下の部屋に彼女がいる。
時間的にはとっくに仕事を終え、王宮を出ているはずの彼女がなぜ?
ううん、それよりも声の感じがまるで……
「殿下……今夜も優しくしてくださいますか?」
「もちろんだよ。君は頑張ってくれているからね」
「まぁ嬉しい」
愛し合っている男女のよう。
私はすでに、殿下の部屋を訪ねた理由を見失いかけていた。
それ以上に動揺していたんだ。
彼女と殿下が、この扉の向こう側で何をしているのか。
気になって仕方がなかった。
けれど……
「君の発表、素晴らしかったよ」
「ありがとうございます。全ては殿下のお陰です。殿下があの女から手に入れた情報を下さったから」
え……?
今……なんて?
「いつものことさ。彼女は単純だからね? 少し褒めれば簡単に見せてくれたよ。大事な研究データだというのに」
「ふふっ、罪なお方。ですが聊か今回は強引過ぎたのではありませんか? これでは殿下が疑われてしまうかも」
「それはないさ。彼女が僕を信じているからね? 僕が疑われるどころか、今よりもっと近づこうとするんじゃないかな?」
「そうなれば殿下の思い通りに動く人形の出来上がりですね」
ああ……聞き間違いじゃない。
二人の会話は、私のことを言っている。
私のことを蔑んでいる。
「つくづく不憫な娘だ。せめて唯一の長所を有効活用してあげないと」
「ええ。全ては殿下と、私のために」
どこまでが本当で、どこからが嘘なのだろう。
いいや、きっと全てが嘘だったんだ。
私に見せていた表情も、言葉も、どれも偽物で……今、聞いていることが真実。
利用されていたんだ。
私は……殿下と彼女に、弄ばれていた。
後ずさる。
一歩、倒れるように。
大きく後ろに出た一歩が、廊下に音を響かせる。
その音は部屋の中にも届いていた。
「――?」
「誰だ?」
扉に駆け寄る音がする。
きっと殿下だ。
逃げないと、立ち去らないと。
そんなことを思う余裕すらなくて、扉が開いて殿下が現れた時、私は絶望を覚えた。
「殿……下」
「ユリア? どうしてここに――」
一瞬で理解したのか、殿下の表情が変わる。
蔑むように冷たい眼差しで私を見る。
「そうか。今の話を聞いてしまったんだね?」
「あ……わ、私は……」
「最初に言っておくけど、全て事実だよ? 君のことは最初から利用させてもらった」
悪びれもなく、堂々と殿下は罪を告白した。
きっと罪だとは思っていない。
だから答えられる。
「ど、どうして?」
「どうして? それは何に対してかな? 君を利用していたこと? それとも優しくしていたこと?」
どちらも、と答えるだけの力が出ない。
代わりに部屋の奥から、ミーニャさんが口にする。
「どちらもじゃありませんか?」
「そうだろうね。まぁ一言でいうなら、君が扱いやすかったからだよ」
「あ……」
扱いやすい?
「優しい言葉をかければ簡単に信用して、靡いてくれるだろう? 最初は遊んであげようかと思ったんだけど、さすがに没落した辺境貴族……芋臭さを感じる娘は嫌だからね」
「芋臭い……」
「あらあら、酷いお言葉」
「そうでもないさ。褒めているんだよ? 芋臭いだけの娘じゃなくて、利用価値はあったんだからさ? 君の努力はちゃんと実を結んだよ? 君より美しくて家柄もある彼女によってね」
二人は見つめ合う。
厭らしく、愛らしく。
私だけがショックを受けている。
利用されていたことより、裏切られた気分が大きい。
私にかけてくれた優しい言葉も、全部嘘だったんだと。
知ってしまったら、涙が止まらなくなった。
「ぅ……――」
気付けば私は逃げ出していた。
真っすぐに廊下を走って。
「あら? 逃げてしまいましたよ?」
「いいさ、どうせもう潮時だ」
「本当にひどいお方……でもそこが素敵です」
「ははっ、君の美しさには敵わないよ」
◇◇◇
早朝。
普段なら起きてすぐ、研究所に向かう時間だ。
でも今日は、そんな気分になれなかった。
「……夢」
じゃない。
現実だ。
私が昨夜、あの場所で見聞きした全ては。
信じたくない。
だけど信じないわけにはいかない。
目の前で見てしまったから。
私の耳でハッキリと聞いてしまったから。
疑いようのない事実を。
嘘を嘘だと見抜けなかった……自分の愚かさも含めて。
「悔しい」
涙は昨日のうちに出し尽くして枯れた。
今は悲しさより、悔しさのほうが目に染みる。
これまでの努力を踏みにじられ、利用されていたんだから。
トントントン――
ふいに扉をノックされた。
こんな朝早くに誰だろうと、私はゆっくり扉へと向かう。
泣いて晴れた瞼を擦りながら。
扉を開けると……
「え?」
「ユリア・ロクターンですね?」
「は、はい」
扉の前に立っていたのは、屈強な騎士三人。
背も高くて威圧感がある。
「陛下がお待ちです。ご同行願います」
「え、陛下が? どうして?」
「それは私どもからはお伝えしかねます。ともかく来てください」
「はい」
陛下から呼び出されるなんてありえない。
ただ、思い当たるふしはある。
昨晩のこと……殿下とミーニャさんが行った不正。
もし陛下がそれに気づいてくれたのなら、これはチャンスだろう。
違った用件だったとしても、陛下に真実を語ることが出来る。
そう思っていた。