21.動き出す悪意
「ミーニャ様、先日の依頼は確認して頂けたでしょうか?」
「え、ええ。今取り掛かっているところです」
「かしこまりました。期限は明日の午後までとなっております。遅れないようにと、用件は以上です。失礼いたします」
男は研究室の扉を閉める。
にこやかだったミーニャの表情は一変。
怒りと疲れに満ちた表情になった。
「明日の午後? そんなのわかってるわ。わかってるのよ……」
取り掛かっているのは嘘じゃない。
しかし、まったく終わる気配はなかった。
彼女自身も、期日までに終わらせられるとは思っていない。
不可能だから。
高品質を保ち、与えられた素材と時間だけで依頼品を錬成する。
どれも足りない。
素材も、時間も……そして技術も追い付いていない。
「……数日で終わる量じゃない。これを……やっていたというの?」
信じられないだろう。
これまで周囲に守られ、ぬくぬくと育っていた彼女には。
彼女は錬金術師としてではなく、一人の令嬢として生きてきた。
宮廷付きでありながら、その責務のほとんどを他者に押し付けていた。
多忙だと理由をつけ、努力を否定してきた。
その怠惰の結果が現在だ。
「……っ、やるしかない」
そう、やるしかない。
だが目算通り、終わることはない。
期限が遅れ、上からおしかりを受ける。
明日も、明後日も、その次も。
褒められ、甘やかされ続けていた彼女にとって、叱る一言は重く恐ろしい。
まるで、自分の全てを否定されているかのような感覚に陥った。
そんな日々が続き……
◇◇◇
ミーニャの研究室には、毎日のように書類が積まれていく。
ほとんど全てが依頼書だった。
新しい錬金術師が次々に辞めていき、ユリアが抜けた穴が埋まらない状況が続いている。
しわ寄せのほとんどは彼女に集まっていた。
ここ数日の反応で周囲も察し始めたこともあり、彼女への依頼は減っている。
減った分は他の二名の錬金術師に回されているのだが、そちらも滞り始めていた。
「こんな……」
こんなはずじゃなかった。
明かりも消え、暗い研究室でうつむくミーニャの姿。
かつての自信に満ち溢れた彼女はどこへやら。
現実を知り、実力の違いを思い知った彼女は、プライドから全てが砕けてしまいそうだった。
元よりガラス細工だったのだ。
綺麗な装飾が施され、周囲から大事に扱われていたからこそ光っていた。
それがなくなり、日常的に使われれば負荷がかかり、簡単に割れてしまう。
今の彼女は、ひび割れたガラス細工だ。
そこへ一人――
「ミーニャ」
「殿下……」
ゼノン殿下が研究室を訪れた。
暗い部屋を明かりで照らす。
ミーニャの瞳からは寂しさと悲しさで満ち溢れ、彼を見た途端に涙を流す。
「ごめんなさい……ごめんなさい殿下……私は……」
「……ミーニャ」
ボロボロと涙をこぼすミーニャ。
そんな彼女を見つめるゼノンは、僅かに躊躇したように見える。
ほんの一瞬だけ考えて、彼はミーニャを抱き寄せる。
「自分を責めなくて良い。君はよくやっているよ」
「殿下……」
「気にする必要はない。君は、君が出来ることをやればいいんだ」
優しい言葉を並べて、聞こえの良いセリフだけを吐く。
いつものゼノン王子のやり口。
美しい女性を見つけて、立場的にも釣り合いそうならキープする。
そういう男の浅はかな言葉でも、追い詰められた人間には天からのお告げに聞こえただろう。
「殿下ぁ……」
「ああ、美しいミーニャ。君に涙なんて似合わないよ」
優しく彼女の頬に触れ、涙を拭う。
しかし、ゼノンの内心。
(……困ったことになったな。さてどうするか)
この展開は彼にとっても予想外だった。
ユリアが錬金術師として優秀であることは知っていた彼も、ここまで実力の差があるとは思わなかったのだ。
原因の一端はミーニャにもある。
彼女は日頃から、自分の方が本当は優れている。
本気になれば彼女以上の仕事が出来ると、口には出さずとも態度で示していた。
そんな彼女と身近にいたこと、彼が錬金術に詳しくないことも相まって、認識のずれは発生した。
(いやしかし、ならば彼女の実力が特別だったと……そうか。それは……使えるかもしれないな)
心の中でニヤリと笑う。
「安心してくれ。僕に良い考えがあるんだ」
「本当ですか?」
「ああ、だから君は何も心配しなくて良いよ。いつも通り、美しい姿を見せてくれ」
「殿下……はい」
二人は抱きしめ合う。
ミーニャはそのぬくもりに安らぎを感じている。
たがこの男、ゼノン王子は別の女性のことを思い浮かべていた。
(ユリア・ロクターン。近くに置くには足りないが……まぁ、道具として活用するなら悪くないな)
相手を人間ではなく、道具に置き換える思考。
生まれた時から選ばれし者で、人々の上に立っていた彼は、魂の芯から支配者になっていた。
自分以外の個は、役に立てば道具、美しければ愛でる対象。
それら以外は等しく……無。
彼の目が見据える先に、彼女の姿が映る。






