風の始まり①
人は人から生まれる。当り前のこと過ぎて、みんな深く考えない。自分がどこの誰から生まれて、どうやって育ったのか。
自身のルーツと呼べる出来事ですら忘れてしまう。今が、日々が楽しく充実している者ほどその傾向が強い。だけど人は、いつか必ず考えなければいけない時が来る。向き合わなければならない日が来る。
自分が一体、何もであるかということに。
◇◇◇
先に出発した冬風のみんなを見送って、私たちも身支度を始める。普段と違って商業的な目的での滞在じゃなかったから、片付けも時間はかからなかった。
「この分なら明日には出発できそうだね」
「うん! 出発は明日でいいの? お兄ちゃん」
「……」
可愛らしく問いかけたレンテちゃんだったけど、エアル君はぼーっとしながら返事をしない。
「お兄ちゃん?」
「ん? ああ、なんだった?」
「聞いてなかったの? 出発は明日でいいのって聞いたんだよ」
「ああ、出発か……そうだな……」
エアル君は視線を下げて悩んでいる。そんなに深く考えることだろうか。数秒あけてからゆっくりと彼は答える。
「いや、もう少し滞在しよう。まだ十五日は経過していないし、みんなも普段やらないことをして疲れてるはずだ。急ぐ必要もない」
「じゃあいつにするの?」
「……三日、いや四日でちょうど十五日だ。そこまでは滞在しよう」
「そんなに休まなくても私たちなら大丈夫だよ? みんなだってとっても元気だったから」
「休めるときに休んでおくんだよ。どうせこの先また長旅なんだ」
「はーい」
レンテちゃんが気の抜けた返事をする。エアル君は続けて私にも問いかける。
「ユリアもそれでいいか?」
「うん、いいけど……」
どうしてだろう?
エアル君が言っていることはもっともだし、何も間違っていない。それなのに、私は何かがひっかかって納得できない。
レンテちゃんも同じなのかもしれない。だからいつもみたいに元気よく返事をしなかった。今日の……ううん、少し前からエアル君の様子がおかしいような……。
どこか上の空で、何かに悩んでいる気がする。
「ねぇエアル君、何かあった?」
「何もないよ。少し動き回って疲れてるから、今日は早く寝るつもりだ。二人も変に夜更かしなんかせず寝るんだぞ?」
「うん」
「はーい!」
そう言ってエアル君は自分の部屋に戻っていく。作業はすでに終わりかけで、彼が指揮する必要もなくなっていた。けど、珍しい。
いつもなら最後の作業が終わるまで必ず残っていたのに。
「エアル君……どうしたのかな」
「なんだか元気ないね、お兄ちゃん」
「レンテちゃんもそう思う?」
「だっていつもと全然違うもん! あんなお兄ちゃん初めて……ううん、昔に戻ったみたい」
「昔?」
レンテちゃんは自分の胸に手を当てる。少し辛そうな顔をして。
「私、小さい頃の記憶が少しだけあるんだ。まだ赤ちゃんだった頃にファスルさんたちに拾われたことも覚えてるの」
「そうだったの?」
「うん。うっすらとしてて曖昧だけど覚えてるよ」
驚きはしたけど、ありえない話でもない。赤ん坊のころの記憶を持っている人は意外といる。
私は以前にエアル君から聞いた昔の話を思い出す。母親一人で育てられた二人は、母親が亡くなったことで拠り所を失ってしまう。
そんなエアル君たちに救いの手を差し伸べたのはファスルさんとリエータさんだった。だからエアル君たちにとって二人は恩人であり、もう一人の親のような存在なんだ。
「お兄ちゃん、ずっと辛そうな顔してたんだ。私を守ろうと必死で、ファスルさんに助けられた後もしばらくそんな感じで……」
「気を……張ってたんだろうね」
「うん。お兄ちゃん真面目だから……それに、優しいから」
「そうだね」
よく知っているよ。私も、彼の優しさに救われた一人だから。
レンテちゃん曰く、今のエアル君の様子は当時の状況とよく似ているらしい。ふさぎ込んでいるというより、何かを一人で抱え込んでいるような。
それが何なのかはわからない。聞いても答えてはくれなさそうだった。
「でも大丈夫だよ! 私たちに相談しないってことは、きっと自分で解決できそうな悩みだってことだから」
「そう……なのかな」
そうだといい……と心の中でつぶやく。レンテちゃんはエアル君のことを信頼している。私だって同じ気持ちだ。だけど、どうしても胸騒ぎがする。
言葉では上手く表せないけど、このまま放っておいたらダメな気がした。
「……明日」
改めてエアル君に聞いてみよう。何を悩んでいるのかを。願わくば、私にも手伝わせてほしい。エアル君には笑っていてほしいから。
明日になったら一番に尋ねようと決めた。たとえはぐらかされても、彼がちゃんと答えてくれるまで粘り強く聞き続けよう、と。






