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好き嫌いを無くす赤い薬と青い薬

作者: ウォーカー

 夕食時で賑わうレストラン。

客は多いが静かなそのレストランで、

その男は、テーブル席に座って食前酒を楽しんでいた。

食前酒が半分ほど減ったところで、

待ち合わせ相手の友人が姿を現した。

二人とも片手を上げて挨拶する。

「よう、やっと来たか。」

「すまん、遅くなった。」

「構わないさ。

 最近、仕事が忙しいんだってな。

 僕は先にやらせてもらってるよ。」

その男と友人は十年来の友人同士。

今日は久しぶりに予定が合いそうだということで、

二人で会食をする約束をしていたのだった。


 その男は友人と酒を酌み交わしながら、久しぶりの歓談を楽しんでいた。

「僕の方は最近、カメラに熱中しちゃってな。

 高価なカメラとレンズを買ったから、やりくりが大変なんだ。」

その男が頭を掻きながらそう話すと、友人は肩をすくめて返事をした。

「君は昔から熱中しやすい性格だものね。

 好き嫌いが多いのも相変わらずのようだ。」

そう言いながら友人が顎をしゃくった先、

その男の前にある料理の皿には、

ニンジンやピーマンが端に避けて置かれていた。

呆れたように友人が指摘する。

「君はまだニンジンやピーマンが嫌いなんだな。」

子供のような小言を言われて、その男はバツが悪そうに応える。

「ニンジンやピーマンが苦手なのは、子供の頃からずっとさ。

 この歳になっても好きになれなくて。

 好き嫌いはするな!って、よく怒られるよ。」

すると友人が、テーブルの上に身を乗り出して言った。

「そんな君に、ピッタリの物があるんだ。

 試してみないか?」

そう言って友人が取り出したのは、大きな薬箱だった。


 友人が取り出した薬箱を開けると、中には、

赤い錠剤と青い錠剤が入った薬包シートが、山のように詰め込まれていた。

その男は薬箱の中を覗き込んで尋ねる。

「この錠剤は?」

「これは、好き嫌いを消す薬。

 赤い薬を飲むと、好きなものの記憶が消える。

 青い薬を飲むと、嫌いなものの記憶が消える。

 そういう薬なんだ。」

友人はテーブルの上に錠剤を並べて、手を広げてみせた。

自信満々の友人の表情に対して、その男は心配そうな表情で応える。

「記憶が消える薬なんて、危ないんじゃないのか。」

しかし、友人は大げさに手を振って否定した。

「いやいや、体に大きな害は無いから大丈夫。

 この薬の素材は全て自然由来。

 記憶を消去するわけじゃなくて、思い出し難くするだけだよ。

 連続して服用しなければ、消えた記憶もまた思い出せる。」

「この薬を飲んだら、

 記憶がいっぺんに消えるのか?」

「この薬を飲むと、一番最近に感じたことがある記憶が消える。

 記憶を全ていっぺんに消すわけじゃないよ。

 複数の記憶を消したければ、その数だけ同時に薬を飲めばいい。」

つまり友人の話によると、

赤い薬は、一番新しい好きなものの記憶を消す。

青い薬は、一番新しい嫌いなものの記憶を消す。

ということのようだ。

友人は微笑みながら説明を続ける。

「例えば、

 今、君がこの青い薬を飲んだとしたら、

 ニンジンかピーマンが嫌いという記憶が消えるだろう。

 一番新しい嫌いなものを感じた記憶は、それだろうからね。

 そうすると君は、

 ニンジンかピーマンに、何のマイナスイメージも無く接することができる。

 もしかしたら、食べたら逆に好きになるかも知れない。」

締めくくりに、友人は赤い薬と青い薬を差し出した。

「どうだい。

 好き嫌いが多い君にピッタリの薬だろう。

 この薬は人気商品で、そこそこ高価な代物なんだけど、

 友達の好で、最初は無料で提供するよ。

 効果が気に入ったら、飲むのを続けてくれ。

 さあ、

 好きなものの記憶を消すか、

 嫌いなものの記憶を消すか、

 どっちにする?」

差し出された薬を間近に見て、その男はゴクリと喉を鳴らした。


 好き嫌いが多いその男のために、友人は好き嫌いを消す薬を差し出した。

好き嫌いを無くすために飲むべきなのは、

好きなものの記憶を消す赤い薬か、

嫌いなものの記憶を消す青い薬か、

どちらにするべきか、その男は腕を組んで考え込んだ。

好き嫌いは無い方が良い。

これは昔から言われていることで、その男もよく注意されていること。

では、既にある好き嫌いを直すには、

好きと嫌いとどちらを消せばいいだろう。

あるいは、他にやり方があるだろうか。

もしも、

好きなものの記憶を消したら、

高価な買い物をしてしまうことは無くなるかもしれない。

しかし、毎日がとても退屈になることだろう。

逆に、

嫌いなものの記憶を消した場合は、容易に想像がつく。

嫌いなニンジンやピーマンを食べられるようになったり、

苦手意識が付いてしまったことに再び挑戦できるようになるかもしれない。

記憶を消すのなら、嫌いなものの記憶を消すのが良いように思える。

そこまで考えて、その男はふと気が付いた。

好き嫌いを無くせと言われるが、

実際には、嫌いなものを無くせと言われることの方が遥かに多い。

好きなものが問題にされるのは、そればっかりに熱中した時くらいか。

では、記憶が好きなものばかりになったら、何の問題も無いだろうか。

はて、何のために好き嫌いを無くさなければいけないのだったか。

その男は腕を組んで考えていた。


 好き嫌いを無くすためには、

好きなものと嫌いなものと、どちらの記憶を消すべきか。

考えることしばらく。

時が過ぎて、テーブルの上の料理が冷めかかった頃。

その男の結論が出たようだ。

組んだ腕はそのままで、ポツリポツリと話し始めた。

「好き嫌いを無くせ、とはよく言われるけど、

 実際に問題にされるのは、嫌いなものについてだと思う。」

「ああ、そうだね。

 じゃあ、嫌いなものの記憶を消す、青い薬を飲むかい?」

相槌を打った友人が、青い薬を差し出してきた。

しかし、その男はそれを押し戻して応えた。

「いいや、嫌いなものの記憶は消さない。

 何故なら、

 嫌いなものは、ただ嫌いってだけだとは限らないから。

 嫌いだと感じる理由は、

 害になるものを無意識に避けたり、

 過去の経験に従ってるからなのかもしれない。

 それを消してしまったら、学習効果を捨ててしまうことになる。

 僕は、今までの経験が全て無駄だとは思わない。

 だから、僕は嫌いなものの記憶は消さない。」

その応えを、友人は予期していなかったようだ。

面食らった様子で聞き返した。

「じゃあどうするんだ。

 赤い薬を飲んで、好きなものの記憶を消すのか?」

しかしその男は、それにも首を横に振る。

「好きなものの記憶を消したら、

 金や時間を使う対象が減って良いかもしれないね。

 でも、それじゃ何もする気が無くなってしまう。

 そんなことをするくらいなら、赤と青の薬の両方を飲むよ。

 この薬は同時に複数個を飲んでも良いんだろう?

 確か最初にそう言っていたはずだ。」

「ああ、そうだよ。

 赤と青の薬を一度に複数、混ぜて飲んでも良い。

 あまりにも大量に飲むと、効果が無くなるそうだがね。

 では、両方をいっぺんに飲んで、

 好きなものと嫌いなものと両方の記憶を消すかい?」

「好き嫌いを無くすって言葉をそのまま受け取るなら、

 赤い薬と青い薬を両方飲むのが、実現するには一番近いかもしれない。

 でも、それじゃまるで修行僧だ。

 僕は人間としての喜怒哀楽を無くしたいわけじゃないんだ。

 だから僕は、

 好きなものの記憶と、

 嫌いなものの記憶と、

 そのどちらも無くさないことを選ぶよ。」

つまりその男の結論は、

赤い薬も青い薬もどちらも飲まず、

好きなものの記憶も、嫌いなものの記憶も、

どちらも消さないということだった。


 好き嫌いを無くす薬があっても、それでも好き嫌いは無くしたくない。

それが、その男の結論だった。

薬を突き返された友人が、渋い顔で言う。

「本当にそれで良いのか?

 記憶を無くす薬が開発されてから、好き嫌いを克服する人は多くなった。

 それでもなお好き嫌いがある人は、自らそれを望んだということ。

 そんな人は少数だ。

 少数になれば、それはある種の病人と同じ扱いをされるんだぞ。」

友人の忠告に、その男は苦笑いしてしまった。

「生まれ持った好き嫌いを病気扱いなんてひどいな。

 でも、それでも僕は好き嫌いを無くさない。

 さっきも言っただろう?

 好き嫌いは過去の経験の学習効果かも知れないんだ。

 自分の経験は役に立つはず。

 だから僕は、赤い薬も青い薬も飲まないでおく。

 薬を紹介してくれたことには感謝してるよ。

 ありがとう。」

そう言われた友人は、俯き加減に下を向いていた。

目を合わさずに応える。

「・・・そうか、分かった。

 薬で好き嫌いを治せるのに、

 それを望まない人がいるのも理解してるよ。」

友人は伏せていた顔を上げた。

その表情は、もうすっかり普段の表情に戻っていた。

手を軽く打ち鳴らして言う。

「さて、と。

 随分と長居をしてしまったし、そろそろこの店を出よう。

 私は薬を片付けてから行くから、

 君は先に会計をしておいてくれないか。」

「あ、ああ。

 じゃあ、僕は先に会計をしてるから。」

友人に促されて、その男は会計をするため先に席を立った。

いつの間にか、

レストランにいた他の人たちの注目を集めていたようで、

店中の人たちが、歩いていくその男のことを見ていた。

その後ろ姿が見えなくなったのを確認して、友人はやれやれと口を開いた。

「せっかく薬を用意してやったのに。

 全く、彼らしい結論だ。

 好き嫌いは無い方が良い、これは昔から言われていることなのに。

 それに背くなんて、それはもうある種の病気だ。

 もしも伝染ったらどうしてくれるんだ。

 そんな友人の相手をする私の苦労も考えて欲しいね。」

そうして友人は、懐から薬を取り出して口に含むと、

苦そうな顔でゴクリと飲み込んだ。

友人が人知れず飲んだ薬、

それが赤い薬だったのか青い薬だったのか、その男は知らない。

そして、

レストランにいた他の人たちも、

薬を取り出して飲み込んでいたのだった。



終わり。


 好き嫌いを無くせる薬がある世界を考えてみました。


好きなものや嫌いなものの記憶を消す薬があったとしたら、

薬を飲むこと自体が失礼にあたるようになって、

隠すようになるだろうと思います。

特に、どちらの薬を飲んだのかは隠したいところです。


お読み頂きありがとうございました。


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