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佇む座敷  作者: 佐奈田
1/2

佇む座敷・1

 指定された住所にあったのは古い門がある建物だった。

 敷地の周囲を生け垣でぐるりと覆われているのは平屋建ての家屋で、門と同じくかなりの年代物に見える。家屋が建っている場所や敷地面積からして、それなりの地位の人間が代々住んで守って来た家であると推測する事は出来た。

 出迎えた男性に通された室内は壁や梁の割には段差が少なく、この数年の間にかなり大規模にリフォームされているのが判る。ただ日当たりは良さそうなのにやけに薄暗い印象なのは気になり、どうせなら外壁も一緒に塗り替えてしまえばもっと明るい雰囲気の家になったろうに……と人の家を見て余計な事を考えながら、樹は雇い主の石井と共に問題のある場所へと足を踏み入れる。

 今回は珍しく依頼主が立ち会うとあって最初は緊張した物の、仕事については概ね何時も通りの内容でやる事は一緒。いつもの依頼と違って別段外での仕事も必要無さそうなので、石井も樹も非常に身軽な装備でお邪魔していた。





「こちらが先程お話しした客間です」


 依頼主の男性は表札の通り田崎と名乗り、薄暗い廊下の奥にある客間に樹達を案内した。田崎氏はほんの数ヶ月前に娘ほど年の離れた妻を持ったばかりだそうで、話によればその妻がどうもこの客間を嫌がるという話だった。


「この家に来た頃から、ここへは絶対に立ち入らないのです。この通り家具も何も無いのに、気味が悪いと言って廊下のこっち側には近付きもしない」

「ほー」

「今は私がこの辺りを掃除しているんですが……時間が無い事も多いし、どうにか妻に任せられるようにしたくて。ひとまず見て下さる方がいたらと思って方々へご相談したら、そういう案件なら貴方が適任と勧められまして」


 成程。それでこの御仁はこの無礼千万な男に複数人の諭吉を支払う羽目になっているのか。と、樹は依頼人を気の毒に思った。

 一見した所そこはただの客間だ。障子の引き戸で仕切られ、窓があり、畳が敷き詰めてある部屋という以外に変わった所は無い。ただ気になると言えばその室内の空気というか雰囲気で、素人の樹でも何となく『重い』と感じられる何かがあるように思え、室内を見渡してその重さが何によるものかを考えた。

 何となくだが、樹はその重たさとかび臭さを知っているような気がする。果たして何処で知ったのだったかと思考を巡らせ始めるより早くそれまで黙っていた石井が動き、田崎氏に目を向けたのが見えた。


「……失礼、家系図のような物は?」


という、不躾なその口調に面食らったのは樹の方で、まるで気にしていない様子の田崎に非礼を詫びると、彼はニコリと笑って石井が欲した物を探しに奥の部屋へと歩いて行った。

 樹は田崎の姿が見えなくなってから小声で「お客様なんだからもっと丁寧に接して下さいよ」と石井に抗議し、不機嫌そうに顔を背けた彼が眺めている方向に同じように視線を走らせた。


「……何か見えるんですか」

「……襦袢の男だ。そんなに年は行ってなさそうだが、随分長い事ここにいたらしい」

「ここに……?」


 襦袢、つまり今でいう肌着とか、寝間着のような感じだろうか。そんな物を日常的に着ていた時代となると今の田崎氏以前の代まで遡る事になりそうだが、それで急に家系図などと言い出したのかとさっきの発言を思い出す。

 石井に倣って改めて周囲を見渡して見ても樹に見える物はその場にある物だけで、彼が言う男性の姿などは一向に見えてくる気配がない。樹がそうして通常の和室よりも淀んだ空気のそこを眺めていると、石井はズイと和室に入り込んで窓に面した障子戸を開け、その奥のアルミサッシも開けて生暖かい外の空気を呼び込む。それで幾分かは部屋の空気が軽くなったと感じられたが、きっとこの窓が閉じられれば同じように淀んだ空気が満ちるに違いないと思った。


「……ここも辛気臭えな。さっさと帰りてえ」

「……同感です」


 いつもの不機嫌そうな様子とは異なり、今日の彼はやけに静かで不気味である。しかし舌打ち混じりに漏らされた呟きは相変わらず不躾な言葉で、彼の口から漏れる文句に安堵しながら開け放たれた窓に近寄って外を見渡してみた。

 そこからは広い庭が一望出来、手入れされた庭木や小さな溜池が風に吹かれる様は見事で、ゆったりとした時を過ごすには持って来いの場所だと思える。残念なのはその庭を囲むように作られた高い生け垣で、まるで塀のような生け垣で切り取られた庭をこの窓から眺めていると、目にした光景を箱庭か何かの中だと錯覚してしまいそうになり、この部屋にいる自分自身までもがその箱庭を構成するミニチュアの一部であるように思えた。


「……良い庭ですね」

「一時眺める分にはな。ずっとは御免だ」

「……まあ、そうですね」


 覇気のない石井の言葉を受け、樹は彼に何が見えているのか疑問に思う。

 こんなに大人しい彼の様子はそもそも珍しいし、樹にはさっきの彼の『長くここにいた』という表現がどうも引っ掛かった。この部屋の使用者であるならそう言えばいい物を、石井がわざわざそんな表現をした理由は何だろうか。


 ……あれ。


 ふと、視界の隅に佇む誰かの姿が見えた気がして振り返る。家系図を取りに行った田崎氏が戻ったのかと思ったが誰もいない。何かの見間違いかと窓の外に視線を戻すと、やはり窓から近い部屋の隅に誰かの姿が見える気がする。今度は目だけでチラリと見ても、見えるのは何もない薄暗い畳の縁だけである。

 確かに見えているのに直視できないモノの存在に思い至って背筋はヒヤリとしたのだが、石井が騒いでいないという事は何も問題ない事と同意であると思い至り、そのまま黙って庭の外の風景を見ていた。


「すみません、お待たせしました」


 それから五分も経たない内に田崎氏が戻り、手にしていた古びた巻物を畳の上に広げて見せる。巻物といっても掛け軸のような立派な装飾などはされておらず、書き初め用の長い紙をただ繋げたようなそれには左端から右端に至るまで歴代の田崎家の人物名を筆文字で書き記されていて、こういう物を残せるという事は田崎家が何代も前から読み書きの教養があったという事の証明でもあった。

 確かこの辺りの藩に学校が出来たのは江戸時代の中期頃だった筈だ。武家や商人、農民でも大きな農園の経営に関わるような人間ならひらがな混じりの文章位は残せたかも知れないが、庶民に読み書きが広まったのは更にその後。この家屋の規模と、こうして家系図として記録を残せる位の教養。やはりこの家の人間は身分的にそれなりの立場にあったようである。

 っていっても樹はそれ以上の歴史や元号なんかに詳しくは無いから、正保何年だの正徳何年だの、そういう文字を見てもいまいちピンと来たりはしない。辛うじて天明の大飢饉、安政の大獄位の単語は何となく覚えてはいたので、それらの元号が書かれた名前をヒントに、自分から見える範囲に名前がある人が何時代の人なのかを考え始めた時だ。


「コイツだ」


 黙ってジッと家系図を見ていた石井が不意にその図の中程にある名前を指し示した。見るとそこには喜三郎という名が記されている。没年は寛政となっている。喜三郎の周囲にあった親兄弟の名にはそれこそ天明で没したと思しき表記があり、彼の兄弟は恐らく飢饉で亡くなったのだろうと推察する事が出来る。しかし奇妙な事に飢饉を生き延びた喜三郎とその妻子もその後の寛政から享和辺りの年に相次いで亡くなっているのが判る。紙面には全て病死と記されていた。


「その人は、田崎の家を一代で大きくした人だと祖父から聞いています。ただ、新しく始めた事業が軌道に乗り出した頃に運悪く飢饉に見舞われて、その後疫病の後遺症に苦められて亡くなったのだと」

「ふん、疫病ねえ」


 喜三郎の文字から指を離した石井は不遜な態度で鼻を鳴らし、さっきまでとは打って変わって嘲るような笑みを口元に滲ませている。そうして田崎家の家系図を改めて左から右へと流し見た彼は、「という事は、あんた方は喜三郎の子孫では無いんだな」と田崎氏に言い、田崎氏から「我々は喜三郎の祖父の兄弟側の子孫です」と言われて短く「そうか」と返した。


「その喜三郎の時代、この家に田崎家とは別な人間がいたような話を聞いてないか。使用人でも親戚でも」

「ええ。当時は相当羽振りが良かったと聞いてますし、繁忙期には何人か頼んで泊まり込みで来てもらっていたようです」

「あー、そういうのとは違うな。もっとずっと、長い期間ここにいなければならないような事情がある人間はいなかったのか」

「それは……、どういう意味でしょうか」


 石井の問いの意図を計りかねた田崎が困惑したような顔をし、補足を求めてか樹の方へ視線を寄越す。何となくだが石井の言わんとした事を察した樹は、石井の方にチラリと視線を送りつつ「そうですね……」と言って家系図に視線を戻した。


「先程疫病とおっしゃいましたが、例えばこの部屋を長く療養に使っていた人がいたとか」

「療養……」

「そうです。回復出来ない病に冒された人がいたとか、そういう事は」


 自分で話しながら少しずつ思い出して来た。この部屋と似た空気をした場所、あれは確か祖父の部屋だった。五年という短くも長くも感じられる期間、病床に伏していた祖父の部屋には独特の空気が漂っていた。この部屋の空気はあの時の祖父の部屋に似ている気がする。という事はここでも誰か、治らない病気に罹った人がいたんだろうか。


「そういう話は聞かなかったですね」と、思案顔の田崎氏が唸るように言う。それに

「そりゃあな。普通そういうのはひた隠しにするモンだろうから、わざわざ好んで伝える事は無い」と返した石井は実に趣味の悪い笑みを浮かべて再び窓を見やり、「随分綺麗に直したモンだ」とやけに優しくアルミサッシを撫でた。


「ここは昔で言う座敷牢ってヤツだったんだろう。閉じ込められていた人間が誰かは知らないが、残っているのは恐らくそいつの穢れだ。この部屋で長い時間過ごして、この部屋で死んでいる」

「座敷牢って、そんな……」

「昔なら珍しい事でも何でも無い。訳の判らない病気の人間は勿論、家にとって都合の悪い人間も時にそうやって世間から隠されていたのを考えると、家系図に名前が無い人間がここにいたとしても別におかしくはない」

「それはそうかも知れませんけど……」

「まあ、場所が離れや蔵じゃないし、少しでも庭が見える所に置かれていた分マシとは言える。座敷牢に違いは無いが、家の者に大事にはされていたんだろ」

「……という事は、その穢れというのはここにいた方の供養をすればどうにかなるのでしょうか。お祓いのような」

「それはやってみないと何とも。俺は多少見えるってだけで別に専門家では無いので」

「そうですか……」

「と、こんな所で良いでしょうか。これ以上出来る事は無さそうだ。なあ樹?」

「えっ? あ、はい……」


 ニヤニヤと薄ら寒い笑みを浮かべた石井に名前まで呼ばれ、滅多に名前を呼ばれない樹はすぐに反応を返す事が出来なかった。さっきまでのやる気のない態度と違い過ぎて、いっそ別人にでもなったのかと考えて寒気がする。しかし自分が知る限りこんなにも根性が悪そうな笑みや物言いをする男は他におらず、釈然としない思いを抱いたまま心付けを受け取ってその家を後にした。


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