9 信じる覚悟
事前に報告は翌日で良い、と許可をもらっていた。そのため、退勤の記録だけ付けるとクロードは私服に着替え、シズルを待たせていた場所に戻ってきた。しかしそこに誰の姿もないのを見て、非常に嫌な予感を覚える。
そして、薄暗い路地裏から声がした時、その予感が本物だと知れた。
「何をしているんですか!?」
そこにいたのは怯えた顔の男二人と、片手で一人の男を押さえ込み剣を抜くシズル。
シズルはクロードを見ると嫌そうに舌打ちをする。
「君たち! いったい彼女に何をしたんだ!?」
「この状況でなんでその台詞なんだよ!??」
「シズルさんは理由もなくそんなことはしません」
男の怒鳴り声に返すクロードの返答に、あからさまに顔を歪めたのはどういう訳かシズルの方だった。シズルは男から手を離すと、その背を蹴り飛ばす。
「おい、なんだよ。その言いざまは」
「へっ? なんでシズルさんが怒るんですか。ともかく、一度詰所に行きましょう。言いたいことがあるならそこで聞きますから」
よろめきながらも合流した男たちは、クロードが詰所と口にしたことで、騎士団の関係者である事を察したのだろう。
後ろ暗いところしかない男たちは、途端に挙動不審になって、そそくさとその場を後にしようとする。
「うっせえ! 誰が詰所なんかに行くかよ!」
「待って、駄目ですよ!」
「丸腰でどうやって俺らを連れてくって言うんだよ」
騎士服から私服に着替え、帯剣どころか一切の武装をしていないクロードを鼻で嘲笑う。そして彼の胸を突き飛ばし、路地を出ていこうとする。
「だから駄目ですって」
クロードは胸元から何かを取り出すと、口元に持っていった。そして、それに思い切り息を吹き込む。
次の瞬間、漏斗状に開いた先端から響き渡ったの、耳を劈くような、低く濁った爆音であった。
男たち、そしてシズルも咄嗟に耳を抑えて盛大に顔を歪める。
「な、何だテメエ、五月蝿えじゃねえか!?」
あまりの騒音に耐えきれず掴みかかってくる男の一人に、クロードはしれっと答えた。
「これは騎士団の補給班の一人が、料理人時代に修行に行った遠方の国の楽器でしてね。確か名前が……ブブ、ズケ? ただったかな?」
それは東方の料理だと、勘違いを訂正できる者はこの場には誰もいなかった。
「それが何だってんだよ!」
「かなり強烈で個性的な音がすることから、騎士団の呼子に採用されてます」
その言葉に被さるように、「おい、こっちだ」と複数の足音が掛け脚で近付いてくる。
男たちはさっと顔を青褪めさせた。
「クソッ、てめえ!」
「覚えとけっ!」
突き飛ばすようにクロードの胸ぐらから手を離し、男たちは焦った様子で路地から逃げていく。そしてそれに気づいたのか、その後をさらに複数の足音が追い掛けて行った。
「明日、報告書書かないとなあ。とりあえず助かっ……シズルさんっ!?」
クロードの喉元に突きつけられたのは、鋭い刃のきらめきだった。
抜身の剣の切っ先をクロードに向け、シズルは険しい表情を浮かべていた。
「……何故だ?」
「何がですかっ!? こんなとこ、巡邏の騎士に見つかったら捕まっちゃいますよ!」
目を白黒させたクロードは、降参とばかりに両手を上げたまま、どうにかシズルを宥めようとする。
「私が理由もなく剣を抜かない? いったい私の何を見て、そんな事をほざく」
「いや、だって!」
クロードが悲鳴のように声を張り上げる。
「シズルさんが言ったんじゃないんですか!」
「何をだよ!」
「『誰彼構わず斬り殺したんじゃ、犯罪者だ』って! つまり、シズルさんはそんな事しないってことでしょう!?」
ぐっと言葉を詰まらせたシズルは、それでも粗を探るよう言い募る。
「テメエの国の騎士様は、会ったばかりの女の言い分を信じるのかよ!」
「そりゃそうでしょう! 話してくれた言葉も信じられないような相手を勧誘して、背中を預けようとする訳ないじゃないですか!」
「私は人を斬り殺すことを好む人斬り女だぞっ」
「知ってますよ! 『戦乱の魔女』で『血啜り』なんでしょう!? そんの二つ名が付けらるほどの英傑だと知っているからこそ、あんなに必死になって勧誘しようとしてたんですよ!」
それを早々に諦めたのもクロードであるが、そこは言わぬが花である。
ぜいぜいと息も荒く言い争っていたクロードとシズルだったが、先に視線を逸らしたのはシズルの方だった。
「テメエの国は甘ちゃんばっかりかよ……。私が大嘘付きの殺人鬼だったら、どうするんだよ」
「それと僕らが信じるか否かは別の話です。もっとも、信じると決めた以上、責任を取る覚悟はあります」
真っ直ぐにシズルを見つめるクロードとは対象的に、シズルはそっぽを向いたまま下唇に歯を立てる。
「後悔しても、知らねえからな」
「ご心配には及びません。僕はともかく、うちの上司の見る目は結構確かなんで」
「……そこは嘘でも自分って言っとけよ」
しれっと答えるクロードに、がっくりとシズルの肩が下がる。
クロードは話は終わったとばかりに、話題を変えた。
「えーと。興が削がれてなければ、そろそろ次の店に案内してもいいですか?」
「もう、どこにでも連れていけ……」
深々とシズルが溜息を落とした。