4 獣も酔い痴れる甘美なる饗宴
春の穏やかな日差しが、心地よく降り注ぐ昼下がり。
王宮前の広場には食べ物や雑貨の露店が並び、地元民を中心に賑やかな空気に包まれている。
この国は“風光明媚な景観”という名の、ありがちな田舎の風景以外に特に見どころがなく、観光名所になり得る数少ない建物である王宮の一部を、一般に公開していた。
それもあって、王宮前の広場は定期的に市が立つ他、日常的に露店が並ぶ何とも庶民的な空間になっていた。
そんな広場の片隅に、ひっそりと立つ人物の元へクロードは急いで駆け寄った。
「お待たせしてしまって、申し訳ありませんっ」
「いや……」
短い否定の言葉とともに、その人物は伏せられていた視線をクロードに向ける。
「えっと……先日、指名手配されていた賊の捕縛に協力してくださった、シズルさん……でよろしかったですか?」
「ああ」
女性はこっくりとうなずいた。
蘇芳色の瞳は感情が読み取れないほどに静かで、その佇まいも落ち着いている。
それがクロードにとっては違和感を覚えるほどに不思議で、凶行をその目で確認をしておきながら、思わず人違いを疑いそうになるほどだった。
あの日、たった一人で砦跡に死体の山を築き上げた『人斬り女』と同一人物とは、とても思えなかったのだ。
服装は、女性にしては物々しいのは確かだ。
革と金属で補強した動きやすい長衣をまとい、外套の下には剣を下げている。だがそれも、性差を別にすれば旅装としては特に奇抜なものではない。
柳のようにすらりとした肢体は敏捷そうではあるが、それでも彼女が戦場で名を上げるほど強そうに見えるかというと、一見でそれと気付くのは難しいだろう。
「守護騎士団ブルックナー隊所属のクロード・フランシス・シュタインハウエルです。先に書面でお伝えしましたように、報奨金なのですがまだお渡しが難しいのです」
クロードはあらかじめ用意してきた言い訳を、おずおずとシズルに伝える。
「賊の大半が死亡しているため事情聴取もままならず、被害状況や窃盗品の確認、残党の捜索に難航しておりまして……」
これは部隊長およびその上から伝えるように指示された文言ではあるものの、でっちあげの時間稼ぎではなく、実際に現場が頭を悩ませている問題だった。
国は賊に対して懸賞金を掛けてはいたが、捕縛ではなく死亡による確保であった為、諸々の検証に時間がかかっていた。そして、その検証が終わらなければ手続き上、報奨金が出せないのだ。
申し訳なさそうに理由を伝えるクロードだったが、シズルが不快そうに眉根を寄せたのを見て、慌てて手を振る。
「あっ、でもお待ちいただく間の宿泊費は騎士団で持ちます! 何でしたら宿の手配もしますし、それから……」
あたふたと言葉を連ねる青年騎士を、彼女は無言で見ていたが薄い唇から小さな溜め息がふっと漏れた。
「分かった。確かに、生捕りが条件だったのにやり過ぎたのはこっちだからな。大人しく待つことにするさ」
そして彼女が身を翻したものだから、伝達が終わりホッとしていたクロードは慌てる。
「えっ!? あの、どこに……!?」
「話は済んだんだろう。宿に戻る」
もう用は無いとばかりにさっさと帰ろうとするシズルの手を、クロードはとっさに掴んだ。
「……何だ?」
振り返った彼女の目が、一瞬赤黒く底光りした気がした。
クロードはごくりと息を呑み込むと、おもむろにそれを口にした。
「あの……お茶、しませんか?」
+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+:-:+
机の上に並ぶのは、目に眩しいほどに煌めく砂糖と生クリーム、小麦とバターの饗宴だ。
絡んだ蜜がツヤツヤと照り輝く、芳ばしいナッツの軽やかなタルトに、季節のベリーをふんだんに用い、甘酸っぱさと生クリームの濃厚さが口の中で溶け合う魅惑のパフェ。氷室に冬の氷が充分に残るこの時期にしか楽しめない、冷たいアイスクリームとサクサクした薄焼き菓子が奏でる神秘的なサンデー。
もちろん一番人気のチーズケーキや定番の焼き菓子なども、しっかり揃っている。
クロードはともすれば崩れそうになる相好を、さっと引き締めて言った。
「それでは、さっそくいただきましょう」
「……これは、何なんだ?」
茫然、というよりも若干引き気味な様子で尋ねるシズルに、クロードは途端にトロリと甘い蜜が滴るような笑みを浮かべる。緊張感のある凛々しい顔つきは、ほんの数秒しか持たなかったようだ。
「ここは、今この国で一番人気の菓子専門店の喫茶室です。いつもすごい混んでいるんですが、テラス席が空いていてついていましたね」
季節柄、テラス席では凍えてしまうような日もあるが、今日は幸運にも春らしいポカポカとした陽気で、外での飲み食いするのにふさわしい気温だ。
通り沿いのテラス席からは、首都の人々の道行く様子が良く見える。
「勿論、こちらの奢りですので遠慮せずに召し上がってください」
にっこりと笑って胸を叩くが、当然クロードの自腹ではなく、騎士団の経費で落とす予定である。
自分もご相伴に預かるつもりで、大盤振る舞いをし過ぎた気もするが、これくらいの役得はあってしかるべきだろうと、クロードは内心一人ごちる。
「ずいぶんと豪勢だな……」
言外に、田舎とは思えないくらいに、という言葉を聞き取ったクロードは誇らしげに胸を張った。
「我が国の陛下の方針です。うちの国はろくな娯楽もなければ、最先端の流行も聞こえてこないような田舎でしょ。だったら食べものくらいは美味しいものが欲しいよねって」
そうやって料理人を他国から引き抜いて来たり、留学させたり、優遇制度を作ったり等としているうちに、食べ物だけではなく菓子や酒などの質もまとめて底上げされていった。今では庶民の口に入るものですら、かなりの高水準となっている。
ちなみにそれに味を占めたのか。
絵画が趣味の前王陛下は、隠居先の離宮がある街で絵描きに対して同様の優遇制度を作り、芸術の街を勝手に作っていたりする。
一方、芝居が好きな王太子殿下や薔薇が好きな幼い王女殿下はやれ将来劇場を作りたいだの、巨大な薔薇園を作りたいだのと言って、関係者各位をそわそわさせていた。
国の首たる王族がこんななので、国民に至っても推して知るべしである。
「ずいぶんと呑気な国だな……」
「それくらいしか取り柄のない国ですからね」
クロードは頬を染めてうなずく。
恐らく、褒められたわけではないだろうことは、彼女のどこか呆れたような声色から察せられたが、クロードは別にかまわなかった。
歴戦の傭兵という彼女から見れば、この国がおめでたいくらいに安穏としているのは間違いない。
そして、そんなのどかでお気楽なこの国をクロードは心の底から愛しているのだ。
「さて、アイスが溶けてしまう前に、いただきましょう」
クロードはにっこり笑って、シズルを促す。
彼女が口を付けてくれなければ、クロードも食べられないのだ。