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麗しの守護騎士様は人斬り女を嫁にする  作者: 楠瑞稀
一章 花と酒、君も浮かれる春の季節に
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3 戦乱の魔女シズル



 耳障りな軋みを立てながら開く扉から、疲れた顔をしてのっそり出てきたのは、クロード所属部隊の隊長ヤニック・ユルゲン・ブルックナーであった。彼は、歴戦の戦士そのものといった髭面を疲労で青ざめさせ、のっそりと冬眠明けの熊のような足取りで椅子に腰掛ける。


「あー、ブルックナー隊長。事情聴取は終わったんですか……?」

「本人確認も終わったわ。畜生め」


 執務机に倒れ込むように肘をついたお陰で、溜め込んでいた書類の一部が床に滑り落ちる。クロードは慌ててそれを拾い集めた。


「それで、あの彼女……は?」


 何者なのか、と言うその場全員を代表する質問に、吐き捨てるように返されたのは名前ですらなかった。


「『戦乱の魔女』だ」


 唖然とする部下たちを前に、部隊長はようやく口元を笑みの形に歪めた。


「お前らが知らなくて当然だ。この前の戦で名を売った『人斬り女』だ、アイツァな」


 『戦乱の魔女』、『人斬り女』、『血啜り』。


 それ以外にも彼女に付けられたあだ名はいくつかあるが、いずれも戦場での姿を呼び称したものだ。

 当然どれも二つ名であって、本名ではない。

 女の名はシズル。家名を持たない、ただのシズルである。


「簡潔に言っちまうと、有名な女傭兵ってやつだ」


 戦場に身を置いていた彼女は、ご多分に漏れず終戦後この国に流れてきたらしい。

 戦の火種も消えきらない時分だ。女ひとりで旅をできるほど、どこも治安は良くないはずだが、あれだけ腕が立つならばそんな心配は杞憂だろう。

 

「ですが、それほど名の知れた傭兵なら、戦時下でなくても召し抱えたいという国はあったんじゃないですか?」


 先輩騎士のひとりが、不思議そうに首をかしげる。

 どれだけ名高い英雄であっても、ひとりで一万の軍勢に勝てる訳ではない。しかし、しかしひとりの英雄の存在が、百万の軍勢を鼓舞することもある。

 功名よりも悪名の方が鳴り響いていそうな二つ名ではあるものの、こんな田舎にすら名が聞こえてくる英傑を招くことが出来れば、それだけで国の箔になるだろう。

 恐らくは引く手数多であったはずの彼女が、何故こんなところにいるのか。

 それはごく当然の疑問であったが、隊長はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「知るか、気になるなら本人に直接聞け。そんなことより、クロード。お前に命令がくだったぞ」

「へっ? 俺ですか!?」


 もはや自分には関係ないとばかりに、散らばった書類の整理を始めていたクロードは、ぎょっとした表情で顔をあげる。

 こんな時に指名を受けるなんて嫌な予感しかせず、意図せず頬がひくりとひきつる。


「お前の長所を存分に生かせる仕事だぞ」

 

 部隊長は、髭面の奥に悪い笑みを浮かべて言った。


「人斬り女を籠絡して、この国に引き留めろ」


「無理です! 絶対に無理っ!」


 クロードは反射的に悲鳴じみた声を上げ、拒否する。

 脳裏に浮かぶのは、血に塗れ臓物と糞のずた袋のようになった賊を引きずる、魔物じみた女の姿。

 ちなみにあの時の賊は、引き渡されてすぐ、取り調べを受ける間もなく死んだらしい。砦内部もすでに虫の息であった数名を残しことごとく殺されており、虐殺が始まる前に逃げ出すことに成功した勘の良い何人かから、どうにか取り調べをしているような状況だ。

 もっともその者たちも常になく怯え取り乱しており、まともな受け答えも難しいと聞いている。

 女性たちが逃げ出してから、騎士団が到着するまでの僅かな時間に果たしてどんな地獄絵図が展開されたのか、想像するのもおっかない。

 そんな相手をどうやって口説き落とせというのか。

 クロードは、絶望の淵に突き落とされたような気持ちであった。


 そもそも良く勘違いされるのだが、クロードは自分が女性にモテると思ったことがない。

 田舎国(ヴィルピニア)においても特に土臭い田舎出身の上に、男ばかりの汗臭い騎士学校で青春時代の大半を過ごしてきたクロードに、女性に対する免疫はなかった。しかも抵抗を覚えない数少ない女性であるはずの姉にいたっては、心理的外傷トラウマを彼に植え付けている。


 もちろん、親から引き継いだ甘く洗練された美貌は決して女性受けしない訳ではなく、熱烈な愛の告白を受けたことも一度や二度ではないのは確かだ。

 しかし、いずれの場合も数度一緒に出掛けたあたりで、思っていたような人ではなかったと言われ、振られて終わりである。

 つまるところクロードは、分不相応な顔を持て余しているだけの、純朴な田舎者なのであった。


「だいたい、俺が相手の好みに当てはまっているかどうかなんて、分からないじゃないですか! 女だてらに名の知れた傭兵ですよ。もっとムキムキで髭面の男臭い奴が好きかも知れないじゃないですか!」


 騎士団の一員である以上世間一般よりは鍛えているとは言え、甘い面相マスクの優男風であるクロードは、見ようによっては頼りなく映るだろう。

 それを逆手に取って主張すると、丸太もかくやな筋肉質の手足に熊を思わせる髭面、女よりもはるかに男にモテる、どこをとっても雄臭い部隊長はすっと視線を逸らした。


「……俺ぁ、満月亭のマリーナちゃんに操を捧げてるもんでな」

「あっずりぃ! それは卑怯っすよ部隊長っ!」

「マリーナちゃんはオレの方が先に狙ってたのに!」


 騎士団御用達の大衆食堂に新しく入った可愛らしい女給の名前を上げる部隊長に、あちこちから野次や怒号が飛び交う。


「五月蠅えっ! てめえらは仕事しろ、仕事っ!!」


 ブーブーとしつこく文句を言う騎士たちを腕の一振りで追い払った部隊長は、僅かに憐みの籠った眼差しで、クロードのとどめの一撃を放った。


「ちなみに、今のは王命だからな」

「……拝命いたしました」


 部隊長よりも、騎士団長よりもさらに上。

 断る術もない最上部からの指示であることを知ったクロードは、がっくりと肩を落としながら、命令を受けるしかなかった。


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