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麗しの守護騎士様は人斬り女を嫁にする  作者: 楠瑞稀
二章 君は人の血、おれは葡萄の血汐を吸う

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10 夜のバケモノ



 夕陽が、森へ落ちていった。

 それでも空の大部分には、しがみつくように橙色が残っていたが、みるみる間に藍色、濃紺、黒と端から染め替えられ、気付けばすっかり夜の色だった。

 都の中心地からいささか外れたこの屋敷は、日中でさえしんと静まり返っている。

 夜にともなれば、虫の声さえ遠慮する、まるで水の中にでも沈んだかのような有様だった。

 その静けさは、常ならば朝日が昇り鳥たちが囀りだすまで、変わらず続いていただろう。

 しかし、今日に限ってはその静謐は打ち破られた。


 突如響き渡る怒号に悲鳴。物が割れ、壊れる音に続き、剣戟さえ響いてくる。

 屋敷内や庭先など、あちこちで明かりが灯され、これまでどこに隠れていたのかと言わんばかりの人間たちが敵味方入り混じり、戦いはじめた。

 やがて、その戦いは片一方の優勢が目立ち始め、それに飲み込まれるように徐々に収束していく。長々と続いたように思えたが、おそらく時間にして一刻にも満たなかっただろう。


 天も割れんばかりの喧騒が収まり行く中、屋敷の裏手から続く森への小道、それをやや外れた獣道をかき分けるように走っていくものがいた。

 なにかに追われているのだろう。しきりに背後を気にしながら、足元も危うい獣道を一心不乱に走っている。


「クソッ、何でバレたんだ……!?」

 

 この男も、つい先程まで争いの中に身を置いていたのだろう。手に下げた抜身の剣は血油で曇っている。


「この仕事を終えたら、おれはあいつらのツテでこの国を出てーー、」


「お、来た来た。待っていたぜ」



 ぎょっとした男が足を止める。

 これは男の失態だった。そのまま脇目も振らずに駆け抜ければ、まだ落ち延びる目もあっただろうに、男は声の方を見てしまった。


「せっかく暴れられる機会を得られたと思ったのに、私ひとりだけ除け者なんだぜ。まったく酷いとは思わないか?」


 獣道の中、ポッカリと空いたその空間は大きな木が倒れた後だろう。

 月の光だけが僅かに注ぐその場所で、倒木に腰掛けていたのは小柄な人影だった。


「それなら逃げ道の途中で待ち構えてやろうと思ったのに、あいつ等が予想以上に奮闘してくれちゃったのか、それとも獲物が貧弱だったのか、人っ子ひとり来やしやがらねえ」


 このまま待ちぼうけかと思ったぜ。

 そう笑いながら立ち上がり、身をほぐすように伸びをする。


「それじゃあ、ちょっくら私と遊んでくれよ」


 立ち上がれば、それはますます小柄だった。男が比較的大柄なのもあるだろうが、華奢な男か女のような細さだ。


「お前が勝ったら、あとから来る奴らにはここには誰も通らなかったと言ってやるぜ」


 その言葉に、男は目を見張る。

 背後から自分を追ってくるものがいるのはほぼ確実で、本当ならば一秒を争って逃げなければならない。

 だが、追手の目を眩ませることができるなら、逃げられる確率はより上がるだろう。


「じゃあ、テメエが勝ったら……いや、何をすればいいんだ?」


 尋ねる男に、小柄な人物はニヤリと笑う。

 楽しげに、歌うように告げるその声が、低いながらも女のそれだと気付いたのは、一瞬遅れてだった。


「なあに、勝負の付け方は簡単だ。ーー最後まで、立っていた方の勝ちさ」


 言うやいなや、息をする間も与えないような速度で、ぐんとその人物は迫ってくる。

 身体の陰という死角から、飛び出すように振り抜かれた剣を男はほぼ本能的な反射で避けた。

 ぴゅうと口笛が鳴る。


「へえ、ちっとはやるみたいじゃねえか」


 ぺろりと唇を舐め、その人物は目を輝かせる。


「そのまま最後まで、私を楽しませてくれよ」

「……ッ!」


 輝くその目は、赤黒く、まるで滴り落ちる血を思わせ、光を弾いて瞬いた。

 気が狂った獣のように、迫りくる女に、男は自分が最悪の札を引いたことを自覚する。

 もはや逃れられないと、自身も剣を構えると女の笑みが更に深くなったかに見えた。


「来いよ! ぶっ殺してやる!!」

「ははっ、良いね。良い、良い、最高だ!」


 男が振りおろした剣を紙一重で避ける女の身体が、軽業師じみた身のこなしで跳び上がる。

 さながら宙を舞うかのように、月影を背に身を翻す女の姿は、さながら悪夢のようだった。


「この、化け物め……っ!」


 毒づく男に、女は心底楽しげに笑った。


「違うね。私はただの」


 一直線に、刃が疾走った。


「人斬りさ」




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