2 歪な紅玉に滴る雫
シュタインハウエル家は、総じて顔が整っていた。
クロードの両親は、劇俳優や女優もかくやといった顔にほっかむりをして畑を耕しているが、姉のブリジッタなんかは、その容姿を使ってまんまと王女の近衛騎士に収まっていた。あそこの騎士団は剣の腕以外にも、外見が重要視されている。
クロードもいざ騎士学校の卒業を目前にし進路を決める段になった時、周囲は当然のように近衛騎士を薦めてきた。だがクロードは姉と同じ職場で働くのは嫌だった。
では兄と同じ国境騎士団か守護騎士団を目指すかと思った時、クロードは守護騎士団から打診を受けた。
当然、他の志願者と同じように試験を受ける必要があったが、最終的な道のりは段違いに近くなる。
喜び勇んで守護騎士への道を選んだクロードだったが、彼はその時知らなかったのだ。
自分が声を掛けられた理由が、民衆向けの広報用人材を求めての顔採用であったことに。
(そりゃ、知ってたら断ったかと言われたら答えには困るけど、広告塔になるために騎士を目指した訳じゃないんだぜ……)
クロードの騎士学校の成績は、飛び抜けて良かった訳ではない。隠れた才能を見出されたと浮かれる前に、その裏に隠された思惑を察するべきだったかもしれない。
そもそも自身の食い扶持を稼ぐ為に安定した職を得る、という目的で騎士学校に入ったクロードあるが、騎士に憧れを持っていないわけではない。いずれは弱きを助け、悪を挫く立派な騎士となり、人々を救いたいと思っていた。
それがいつまでたっても顔採用のヒヨッコ扱いでは、腐るなと言う方が無理である。
特に同期であるギュンターが、順調に周囲に認められ出世をしているのだから、余計に自身を比べて落胆をしてしまう。
(今回の出動は、うちの国では数少ない手柄を立てる機会だ。何とかして、ここで皆を見返さないと、ずっと広報騎士のままだぞ)
クロードは自分を叱咤し、気合いを入れ直す。
賊が隠れ家を設けている山はもう目前だ。山中にある大昔に廃棄された砦跡を、奴らは根城にしているらしい。
これまでクロードは巡回中の喧嘩の仲裁や、追剥ぎや小規模な窃盗団の捕縛くらいでしか剣を抜いた経験がない。だが、今回の出動で相手をするのは長年の戦争を生き抜いてきた猛者。ギュンターの言葉ではないが、気を抜いて掛かっては顔に怪我をするどころの話ではないだろう。
武者震いを起こしそうな腕を叱咤するように、手綱を強く握る。
「おかしいな……」
「ええ、確かに」
怪訝そうな声で呟いたのは団長であり、それを肯定したのはクロードの所属部隊の隊長だった。
クロードは顔を上げて、上官二人の会話を耳に入れる。
「確かに情報を得てから即座の強襲ですが、これだけの人数がこの距離まで近付いて何の反応もないのはおかしいですな」
「罠か……?」
「だとすれば、斥候部隊から何らかの報告があるはずですが……、お待ち下さいっ!」
何かに気付いた部隊長が、目配せをして馬の速度を上げる。それを受け、クロードたち部下も後を追った。
山から降りてきたのは、斥候として先行させた騎士のうち数名だった。彼らは馬に何者かを同乗させていた。
「何があったっ!」
「賊に捕われていた女性数名を保護いたしました」
「指示を待たずに根城に潜入したのかっ!?」
「いえ、自力で逃げ出してきたところを山中で見つけました」
くわっと目を見開く隊長に、保護されたと思わしき女性の一人が声を張り上げる。
「助けてあげてください! 一緒に浚われた女性の一人が、囮になってくれて……」
これまでずっと張り詰めていたものが解けたのだろう。強張り蒼ざめた顔は、今にも倒れそうである。
「分かった。その女性たちはそのまま救護班まで連れていけ。パウロ、ニール、スヴェンはこのまま俺に続け! クロードは彼女らと一度下がってーー、」
「いえっ、俺も着いていきます!」
ここで後衛に戻されては、何の為に着いて来たか分からないとクロードは食い下がる。
部隊長はクロードをちらりと見ると、足手まといにはなるなよ、と言い放ち、そのまま山道を一気に駆け上った。
クロードも必死でその後を追いかける。
現在、騎士たちに賊が気付いていないのは、その囮となった女性に彼らの注意が向けられているからだろう。だが、今頃その女性は再び捕らえられているはずだ。
一刻の猶予もない状況に、部隊長は厳しい顔で指示を下す。
「まずは女性の救出を最優先にすること。遅からず、本隊が来る筈だ。それまでは耐え凌げよ」
「はいっ」
女性を救出するには、賊との戦闘が避けられない。だが、他の女性を逃がした事で頭に血が上っているだろう賊たちの前に、一人取り残された女性を一秒たりとも置いておく訳にはいかない。
本隊が来るまでの間、クロードたちだけで女性を救いつつ、賊たちの猛攻を退けなくてはならないのだ。
だが、賊の根城に着いたクロードたち一行は、何やらその様子がおかしい事に気付く。
「おい、この状況はなんだ!?」
「そのう、先ほどから賊が散り散りに飛び出してきまして、何人かは捕まえて尋問をしてみたのですが、妙にはっきりしなくてですね……」
「はあ?」
砦の前でこっそりと様子を伺っていた斥候部隊を見つけ、隊長は様子を尋ねるが斥候たちも良く分かっていないようだった。
その足下に縛られ転がっている賊らしき男に視線を向けると、何かに怯えているようで碌にものを言える様子ではない。
「ともかく、女性を救出するぞ。総員、突入の準備をーー、」
部隊長がそう命じようとした瞬間、乱暴に砦の門が開かれた。
ずるり、ずるり——と重いものを無理やり引きずるような音ともに、濃厚な血の臭いが砦の中から溢れ出る。
「……ああ、こいつはちょうど良い」
ぐっと口元を抑えた同僚の一人が地面に膝をつき、えづき始める。
クロードもいっそ嘔吐したかったが、それすらできないほど身体は強張り、目はその光景に釘付けになっていた。
ぐちゃりと粘ついた音を容易に想像させるその姿は、ほぼ人の形を残していなかった。不気味な風の音にも似た、途切れ途切れな喘鳴だけが辛うじて息があることを伝えてくる。
元よりだいぶ軽くなっているだろうそれを、さながらズタ袋のように無造作に掴んでいたその人物の視線は、まっすぐクロードらが隠れるその茂みを捕らえていた。
「お前ら、この国の騎士団だろう? こいつには懸賞金が掛けられていたが、生捕りが条件だった筈だ。下山するまで生かしておけるか微妙だったから、助かった。すぐに検分してくれないか?」
爛々とした眼差しは、この抜けるような青空の下、偽物の紅玉のように赤く歪に光っている。艶のない黒髪は、そこだけぽっかり闇に沈んだようだった。細身の身体は、遠目から見れば少年のようにも見える。
しかし張り上げている訳でもないのに妙に通る愉しげな声は、まさしく女性のそれで、部隊長もクロードもまた呆然とその姿を見ているしかできなかった。