8 食う寝る所に住む所
(注意:二話連続投稿の二話目です。)
コプコプと音を立てて注がれる葡萄酒は薄暗い灯りの中、紅玉のように光を弾く。
ふわりと薫るのは、薄暗い地下室でじっくりと寝かされた酒精が醸し出す、芳醇な熟成香だ。
酒杯にほんの僅かに注がれた宝石のようなそれを、くるくる回しながら眺めていたクロードはおもむろに口をつける。
「薄いし、酸っぱいぞ」
「まだ少し早かったですね。古い葡萄酒は、開くまでに時間が掛かるんです」
期待を抑えきれず飲み始めてしまったが、そのことをすっかり忘れていた。
同じく杯に口を付けたシズルが、渋そうに顔をしかめるのを見て、クロードは苦笑しながら謝る。
「葡萄酒が開くまで、先に食べましょうか。結局、お昼ご飯を食べ損ねていましたよね」
ごそごそと荷物の中からサンドイッチの包みを取り出す。高所から落っこちたにも関わらず、包みはほとんどひしゃげてなかった。
「……こんなところで、食うのか?」
「たまにはいいんじゃないですか。あ、埃っぽいの、気になりますか?」
「気にならねえけど……」
なんとも複雑な表情を浮かべるシズルに、クロードはサンドイッチをひとつ渡す。そして自分も包み紙を開いた。
そのお店のサンドイッチは絶品で、昼を過ぎると売り切れてしまうことがほとんどだ。
香ばしく焼かれたパンそのものは、やや固めであった。しかしぱりっとした焼き目の内側は、もっちりとした重めの食感で、噛めば噛むほど小麦の甘みを感じられる。
切り口に塗られたバターには、マスタードが混ぜられ、具材の水分がパンをふやかすのを防ぐと同時に、ぴりっとした刺激が抑揚を与えていた。
あいだに挟まれた青菜も朝採り新鮮で、みずみずしさと同時に噛み切る歯応えがシャクッとして楽しい。
メインとなるハムは充分に脂肪がのっていて、肉の旨味が融けた脂と一緒に口の中に広がる。しかも、微かに残る薫製香が余韻をさらに深いものにしてくれる。
極めつけは、生クリームを使って作った自家製の柔らかいチーズだ。乳製品特有の僅かな酸味とまろやかな甘みで、それぞれの食材をまとめあげている。
「んん〜、やっぱりここのサンドイッチは最高です!」
ごくんと一口目を呑み込んだ時点で、クロードは口内に広がる極上の味覚に舌鼓を打つ。
騎士団本部や、昨年、騎士寮を出て以来住むようになった部屋からは、店の位置は離れているものの、ついつい足を伸ばしてでも買いに行きたくなるだけはある。
「どうしました、シズルさん。あまりお気に召されませんでしたか?」
シズルが何やら考え込むように眉根を寄せて咀嚼しているのを見て、クロードは心配そうに尋ねる。
「いや、美味い。……美味いのが逆に、負けた気になると言うか」
「美味しいものを食べるのに、勝ち負けなんてないです。気にせず、幸せな気分で食べたらいいんです」
「お前はいつでも幸せそうだよな」
諦めたようにサンドイッチに再度口をつけるシズルだが、眉間の皺は消えている。
それに心なしかほっとし、クロードもまた食事を続けながらシズルに問いかける。
「シズルさん、こんないつ床が抜けるか分からない家で、今日までどうやって生活してきたんですか?」
「どうって、普通に寝起きしてだよ。屋根があるだけ上等だろう」
「屋根でそこまで価値が上がるなんて、家の基準が低すぎますよ」
屋根の有無は最低限以前の条件だろう。そこを下回ると、否、その条件を超えてなお、野宿の様相を呈している。
「家というのは、ただ雨風を避けられれば良いというものではないと思いますよ」
「じゃあ、お前の思う『家』とは何だ?」
苦笑するクロードにシズルはむっとした表情で返す。
クロードはふむと、しばし考えた。
「熟睡できる場所、ですかね」
「言うに事欠いて熟睡かよ……」
シズルは呆れたような表情をするが、クロードは意見を曲げるつもりはなかった。
クロードもこれまで訓練や任務などで、野外で寝起きすることはあった。
また私的な交友関係の中で、知り合いの家に泊めて貰うようなこともあった。
しかし、前者は当然のことながら、後者の場合であっても、自分の家で眠るときとは違う。
疲れて気絶するように眠ることはあっても、くつろげる度合いが違うのだ。
「自分にとって居心地の良い、そして誰に害される心配がないと安心できる場所。それが俺にとって『家』なんだと思いますよ」
「……私にはいまいち理解できないな」
ぴんと来ないと言わんばかりの表情を浮かべるシズルに、クロードは苦笑する。
「これまでシズルさんは、どんなところに住んでいたんですか?」
「家、という意味では住んだことはないな」
傭兵家業を続けていたシズルなら、確かに仕事を求めてあちこちを転々とする生活を送っていたのは確かだろう。
しかし子供の頃は、というクロードの疑問に答えたのはシズル自身だった。




