3 彼の用件 彼女の用事
「気を使わせてしまったかな」
「さてね?」
鞘に剣を納めながら尋ねる団長に、シズルは肩を竦めてみせる。そしてふと団長の足に視線を投げて、言った。
「……あんたの足のそれは、生まれつきか?」
「あなた! ジルベール団長に対する、口の利き方に気を付けなさい!」
思いついたように尋ねるシズルに、食って掛かる声がした。
「ルピナ、やめなさい」
静かな団長の制止に、ぐっと声を堪えたのはまだ若い女性の騎士だった。
この国の騎士団に、女性騎士はまだ数が少ない。さらには彼女たちの大半は経理部隊や庶務部隊などの事務方に所属することも多いため、同僚と言えど外回りの多いクロードたち一般騎士とは顔を合わせることもそうない。
ただ、数が少ない割に顔を見て誰だか分からないことがまずないのは、ここが男所帯であることも多いに関係しているだろう。
ルピナと呼ばれた女性は、事務仕事の補佐役として団長に付けられた若手の騎士だった。
団長から剣を預かりながら、ルピナは静かに注意を受ける。
「シズルさんは、食客としてこの騎士団に所属してもらっている。だから、厳密に言えば僕の部下ではない。僕にへりくだらないといけない理由はないんだ」
「しかし礼儀として……」
「礼儀は他者に押し付けるものではないよ。先に戻っていなさい」
柔らかな口調で、しかしきっぱりと退去を命じられた彼女は、一瞬シズルを睨みつけてから、見物人を押し分けて中央棟へ戻っていく。
「すまないね。部下の躾がなっていなくて」
「いや、気にするな」
シズルは不思議そうな顔をしていたが、団長の言葉に小さく首を振る。
団長もまたそれに僅かに頭を下げ礼を示しながら、自らの足を軽く擦った。
「ちなみに僕の足は昔、戦場で矢に射られてね。完治に至らず、長くは戦えないんだ。模擬戦くらいには支障はないと思ったけれど」
「足運びが少し気になっただけだ。この国は、先の大戦には参加していないと聞いたんだが」
戦場、という言葉が引っかかったのかシズルが訝しげな口調で尋ねる。
団長は細い目をさらに細めてうなずいた。
「僕は移住者でね。出身は他の国なんだ。僕に限らず、騎士団にそういう人間はいるよ」
「なるほど。見た所、妙に一般の騎士と束ね役との腕に差があると思ったら、そう言う訳か」
その言葉に、納得がいったとばかりにシズルは手を打つ。
ジルベール団長のように、請われて役職付きで騎士団の所属になった人間は他にもちらほらいた。
クロードの上司、ヤニック・ユルゲン・ブルックナー隊長などもその一人だ。
「だが、そんな他国の人間をほいほい国の守りの要である騎士団に入れて、問題ないのか?」
「それがうちの陛下の意向だから。この国は長らく平和で、戦い方を知らない人がほとんどだしね」
平和であることはヴィルピニア王国の誇れる点であるけれど、弊害がないわけではない。
正直、騎士団を含め個々の戦闘能力は、他の国に比べると格段に落ちるだろう。それが分かっているから、騎士団は他国からの移住者であっても、割合すんなり受け入れる土壌ができている。
そしてそれを聞くと、他国の人間の大半は奇妙な物でも見るような目をするのだ。
「ところで、シズルさんは本当はもっと奇をてらった戦い方をすると思ったのだけど、今日は調子でも悪かったのかい」
言外に手を抜いていたことを指摘するジルベール団長であるが、シズルもひょうひょうとしたものだった。
「こんなところで傭兵が、早々に手の内を明かすわけにはいかないだろう。それに、ヒヨッコ共の手本にするなら、私の真似をさせても意味がない」
ニヤリと笑ってみせるシズルに、今度は団長の方が苦笑をするのだった。
シズルと団長の会話は途中であったが、クロードは身を翻して事務棟に足を向けた。
二人の模擬戦が終わったあたりから、他の見学者たちもそれぞれ仕事に戻り始めたようで、だいぶ人ははけていた。クロードも一歩出遅れる形で、それに追随する。
シズルはどうやら元気そうだし、団長とも上手くやれているようだ。
団長は一見ひどく面倒くさがりにも見えるが、その実結構勤勉だし、困っている部下がいればそれを見過ごすことはない。自分よりもよっぽど頼りになるだろう。
そのことに、安堵とともに一抹の寂しさを覚えながら歩いていたクロードは、それ故に周囲に対する警戒を怠っていた。
「おい」
「グエッ!?」
背後から襟首を強く引っ張られたクロードは、呼吸を妨げられて異音を発する。
「な、なんですかッ!?」
咳き込みながら振り返ったクロードは、しかしそこで目を丸くする。
「何だとはお言葉だな。私の餌の分際で」
「シズルさん!」
そこにいたのは、先程まで団長と剣を合わせていたはずのシズルだった。
「ご無沙汰してますッ!」
「ああ、まったくだ。つれない奴だよ。私をここに引っ張りこんだのは、お前の癖に」
からかうような口調で、意地悪くシズルは目を細める。クロードはしどろもどろに謝る以外、返す言葉がなかった。
「見物人の合間にお前の顔が見えたから、てっきり何か用があるのかと思ったが」
「用事ならすでに済みました」
クロードは先程感じた安堵の気持ちを思い出して、シズルに微笑みかける。
「シズルさんの事が気になっていたんです。元気でいるかな、困ってないかなって。でも、元気そうで安心しました」
寂しい気持ちは上手く隠して、ふんわり蕩ける甘いクリームのような笑みを向けるクロードに、一方のシズルはへの字に唇を引き結び、据えた眼差しで彼を見ている。
「な、なんですか?」
「いや……」
シズルは首を振る。
「では、お前の用はもう無いんだな。私の方はお前に手伝ってもらおうと思ったことがあったんだが、仕事中なら構わない」
そう言って踵を返すシズルを、クロードは呆然とした顔で見送りかけたが、はたと自分が胸に抱えていた預かり物の書類の束を思い出した。
「待ってください、シズルさん! こんなの仕事でも何でもないんです! ちょっと待っていてくだされば、すぐに戻ってきますから! 五分、いえ、三十秒でいいんで!」
クロードは余計な仕事を押し付けてきた同僚に対する仕返しを再度心に決めながら、大慌てで事務棟までの道のりを走った。