ユーシャ、道端で休憩する
翌朝は快晴だった。
うららかな春の陽気のなか、私たちは宿を出発した。近くの食堂でパンとスープ、サラダの朝食をとり、東門へと向かう。
道すがら、ユーシャさんが口を開いた。
「そういえば、昨日の夜夢を見たんだ」
「へえ。どんな夢ですか?」
「なんか魔王が出てきてね、それで、魔王は実は悪いやつじゃなくて……。魔王は何も悪いことしてないのに、人間たちが怖がって魔王を倒しちゃうって夢だった」
あー……。ああー、なるほど。昨日のあの寝言のとき、そういう夢を見てたわけか。
「それでねルルッカ、わたし思ったんだけど、もしかしたら真の……」
私はユーシャさんの言葉を先回りするように言った。
「『真の魔王は私たち人間の心の中にいる』……ですか?」
ユーシャさんのくりくりのおめめが、満月みたいにまん丸くなった。
「ルルッカすごい、なんで知ってるの? わたしちょうど夢の中でそう思ったんだ」
私は首をかしげてとぼけてみせた。
「はてさて、何ででしょうね? なんとなく言ってみたんですけど……不思議な偶然ですねえ」
「うーん、怪奇現象だね」
やがて、行く手に東門が見えてきた。
「ほら、見えてきましたよ」
石材でつくられた巨大な二対の塔と、壮麗な剣と盾のレリーフ。エルデューアの玄関口である東門は、いつもと変わらず、冒険都市の名に恥じない立派な威容を誇っていた。
「どうしました? ユーシャさん」
ユーシャさんは立ち止まって、門を見上げると言った。
「うん。いよいよ旅が始まるんだなって」
いつになく神妙な面持ちのユーシャさん。その心のなかで、きっといま様々な想いが渦巻いているのだろう。じっと門を見上げたまま、ユーシャさんはいつまでもたっても動こうとしない。
私はにっと笑って、ユーシャさんの小さな手をとると、門の前まで引っぱっていった。
「せっかくだから、せーので一緒に門をくぐりましょうよ」
「うん、わかった」
ユーシャさんがうなずいた。私たちは門の前に並ぶと、手をつないで身構えた。
「いきますよ、……せーの!」
合図とともに、二人そろってマントをなびかせ、門を駆けぬける。一歩街の外へ踏みだした瞬間、風が吹き、土と草のにおいが私たちを包んだ。
私は胸いっぱいに新鮮な空気を吸いこんだ。
そして。
「いざ、魔王討伐の冒険にしゅっぱーつ!」
右手を青空に突きあげると、ユーシャさんが続いた。
「しゅっぱーつ!」
私たちは顔を見合わせると、おたがい笑いあって、意気揚々と歩きだした。
私たちは、石畳で舗装された道をてくてくと進んだ。道の両脇に生えている草花を目で楽しみながら、小川にかかっている小さな橋を渡る。舗装された道はそこで終わり、あとは延々と踏み固められた地面が続いた。
出発から一時間経過したところで、ユーシャさんが音をあげた。
「ねえルルッカー、つかれたー」
「疲れたって、まだ全然歩いてないじゃないですか」
「だってつかれたんだもん」
頬をふくらませるユーシャさん。子供だなあ。
「もうちょっと頑張りません? 日が暮れるまでに目的地に着きたいですし」
「ううー」
ユーシャさんはうなり声で不満を表明すると、仕方なさそうに再び歩きだしだ。
それからいくらも行かないうちに、またユーシャさんが立ちどまった。
「ねえルルッカー、足のうらが痛いよ」
昨日もギルドへ行っただけで疲れたとか言ってたし、体力ないなあ。
「ねえねえ、膝のうらも痛いよ。どうしよう、なにか病気かもしれない」
「病気じゃないですよ。たくさん歩いたせいで痛むだけです」
「あー、なんだ。そういうからくりか」
そう言うと、ユーシャさんは脇の芝生に踏みいり、近くにあった石の上に座りこんでしまった。
「ちょっとユーシャさん、なに勝手に休憩してるんですか。目的地はまだまだ先ですよ」
「そうは言うけどルルッカ、なにごとも無理はよくないよ」
「それは確かにそうですけど」
ユーシャさんは自分のポーチから水筒を出すと、グビっと一口やって大きく息をはいた。靴を脱いで芝生の上に両足を投げだし、指先を動かして血流をうながし始める。休憩する気まんまんだ。
私は仕方なくユーシャさんの隣に腰をおろした。
「まあ、急ぐ旅ってわけではないですけど……。今日の目的地のオルセー泉には着いておきたいので、少し休憩したら出発しますよ」
「はーい」
気のない返事をして足をぶらぶらさせるユーシャさん。……でも確かに、ユーシャさんが疲れて動けなくなったりすると、万一レムスルに遭遇したときに大変なことになっちゃうんだよなあ。ユーシャさんが疲れないようなペースで、少しずつ進んでいくしかないか。
気持ちを切りかえて、水でも飲もうとリュックをあさくっていると、突然、ユーシャさんが隣でパチンと手を打ち鳴らした。
「そうだ、わたしがそのダサいリュックの中に入って、ルルッカに運んでもらえばいいんだ! よいしょっと」
「わっ! こら、ダメですよ。入っちゃダメ!」
思いつくなり即実行しようとするユーシャさん。本当に子供だ。
「いいじゃん、重さも軽くなるフシギなリュックなんでしょ?」
なおもリュックに入ろうとするユーシャさんを、強引に引っぺがす。
「違いますよ。……いや違わないけど違うんですよ。ユーシャさんを運ぶのが嫌なんじゃなくて、レムルスに出くわしたときに危ないからダメってことです」
「どういうこと?」
リュックに入ろうとするのをやめ、はてな? と首をかしげるユーシャさん。
「だってユーシャさん、リュックに入っちゃったら一人で出られないでしょ? もしレムルスに遭遇して、ユーシャさんをリュックから出す前に私がやられちゃったら……」
ユーシャさんはハッとなって身を引いた。
「そっか。そしたら、このダサいリュックのなかで一生を過ごすことになっちゃうね。それはカンベンだな」
いやダサくないから! ダサくない……よね? お店でもほかのアップリケがついたやつはほとんど売り切れで置いてなかったのに、このモデルだけ大量に積んであったもん。たくさん入荷してるってことは、人気商品だってことだよね? そういうことだよね? え? 違うのかな……。
うん、いまあらためてウイングコボルトのアップリケを見てみたけど、顔の大きさと不釣りあいな尖った耳も、どこを見てるのかわからない赤い眼も、丸くておっきくて低い鼻も、左右非対称の突きでた牙も、いびつでなまめかしい翼も、全部ぜーんぶかわいい。
まあ……ユーシャさんって変態だし、きっとこういうカワイイ物に対する考え方も普通の人と違うんだろうな。
なんてことを考えてると、ユーシャさんが服のすそを引っぱってきた。
「ねえルルッカ、これあとどれくらい歩くの?」
「オルセー泉には今日の夕方に着く予定ですよ」
「泉ってなに? わたしたち街を目指してるんじゃないの?」
「ゴールスロウに着くのは一週間後ですよ」
ユーシャさんは悲鳴みたいな声をあげた。
「一週間⁉ そんなの聞いてないよ! 少し歩いただけでこんなに足が痛いのに、一週間も歩いたら足がもげちゃうよ!」
「ちゃんとギルドで言いましたし、足ももげません」
ユーシャさんは肩を落とし、あきらめたようなため息を漏らした。
「はあー。冒険ってこんなに大変なのか。酒場で見かけたぷるぷる魅惑おっぱいのあの娘も、ギルドで見かけたいたずら挑発おっぱいのあの娘も、すてきなおっぱいの裏で、みんなこんな思いをして冒険してたんだなー」
「まあ、私たちが受注したのは勇者クエストですからね。ほかの冒険者たちは一週間も歩いたりしないと思いますよ」
「どういうこと?」
「ほとんどの冒険者たちは、おもに自分たちがホームにしてる地方のクエストを受注するんです。お金を稼いだり冒険者ランクを上げたりするのが目的なので、わざわざ遠い地方のクエストを受注しても、費用や日数の面で非効率なだけですからね」
「じゃあ、わたしたちはなんでこんなに歩かなきゃいけないの?」
「私たちは魔王討伐のために勇者クエストを選んだので……。魔王関連のクエストは数が少ないので、都合よく近隣のクエストが貼りだされたりとかしない限り、基本的には世界をめぐる感じになりますね」
「ていうことは、わたしは今後世界中を歩かなきゃいけないってこと? 魔王をたおすその日まで? こんなおっぱいも何もない道を?」
「まあ、そういうことになります」
ユーシャさんはしばらく放心したように私を見つめたあと、よし決めた、とばかりに手でひざ小僧をたたいた。
「わかった。じゃあ魔王たおすのやめよう」
あっさりと重大な決断を下していく。本当に行動に躊躇がない。
「やめちゃうんですか?」
「うん。よく考えたら、べつに個人的に魔王に何かされたわけでもないし。父さまの言いつけには背くことになっちゃうけど、そもそも当主はわたしだし」
「えっ、ユーシャさんってアウレリアス家の当主なんですか?」
「うん。アウレリアス家では、代々一番強いひとが当主につくきまりだから。わたしが歴代で一番つよいって、昨日言ったでしょ」
私は、昨日酒場でユーシャさんから聞いた話を反芻した。――『だってわたし……三百年前に魔王をたおしたアウレリアス家初代当主・ヴィルザが直々に指導した二代目を継承戦で圧倒した三代目が天才と絶賛した四代目に危険視されるほどの力を持った爺ちゃんがアウレリアス家歴代最強と認めた父さまのことが大好きだし』……うん。言ってないね。
「でも、若いのに当主だなんて、すごいですね。かっこいい!」
私の言葉に気をよくしたのか、ユーシャさんは自慢げに胸をはった。
「まあね。魔王討伐も、一番つよい当主のわたしが行くべきだって、父さまがね」
すごいぞ! ユーシャさんったら、ちゃんとお父さんより強いんじゃないか! 昨日の時点ではただお父さんのことが好きなだけの女の子でしかなかったけど……。いまは正真正銘の勇者に見えてきたぞ。
「で、どうします? 本当にクエストキャンセルしちゃいます? 私は冒険できればなんでもいいので構わないですけど……。でも普通にクエストをこなしてるだけだと、王宮に招待される可能性はほぼなくなっちゃいますよ」
ユーシャさんは額にぱしっと手をやると、しまった、というように天を仰いだ。
「それはまずい。姫さまのおっぱいは絶対にみたい……」
しばらくその姿勢のまま固まったあと、絞りだすような声で言った。
「……しかたない。一週間歩こう……。……よし!」
気持ちを入れなおしたのか、ユーシャさんは跳びはねるようにして石から立ちあがった。
「クエスト続行ってことでいいですか?」
「うん、続行」
ユーシャさんは水筒をポーチにしまうと、ズボンのおしりをぱんぱんとたたいた。屈伸して足首をグネグネまわして、脱いでいた靴をはきなおす。
……まあでも、確かに、歩きなれていない人に一週間はちょっと堪えるかもしれない。野宿だってしたことないだろうし、体調崩して戦えないなんてことになったらコトだし……。命がかかってる冒険なわけだし、もしかしたら無理して続行するより、キャンセルしたほうが判断としては懸命なのかもしれない。
「本当に大丈夫ですか? さっきユーシャさんも言ってましたけど、冒険においては無理しないってのも重要なことですよ?」
私の問いかけに、ユーシャさんはグッとこぶしを突きだし、凛々しい顔で答えた。
「だいじょうぶ。ルルッカのおっぱいと『ゴージャスミルク』と『王都通信』があるから、一週間くらいならなんとか正気を保っていられると思う」
いや……その心配はしてない。