ユーシャとルルッカ、旅立ち前夜
東門区街へ着くころには、もう完全に日が落ちていた。私たちは魔玉灯のほのかな明かりを頼りに、ひとまず本日の宿を探すことにした。
市壁の中と外とをつなぐ東門区街には、たくさんの宿屋が軒を連ねている。ほかの都市や近隣の村からやってきた来訪者たちは、まずこのエルデューア東門区街で宿をとり、翌日以降それぞれの用事を済ませに市内のあちこちへと散らばっていくのだ。
私たちは明朝すぐに出発できるように、門にほど近い安宿に部屋をとった。一泊一五〇リディアのところを、軽くねぎって一二〇リディアまで下げた。区街全体に宿の数が多いので、経営者も客を逃さないように必死なのだ。
宿を確保した私たちは、そのまま晩御飯を食べに出かけた。
旅人のための街である東門区街には、宿も多いが酒場も多い。よその都市から来た商人や、クエストをこなして帰ってきた冒険者など、腹ペコな旅人たちの胃袋を満たすため、安さと速さと量がウリのお店がたくさん並んでいるのだ。私たちは、その中のひとつ、『いちじく亭』に入った。
『いちじく亭』の店内は木造の簡素な造りで、椅子はなく、みんなテーブルに寄りかかったり、壁にもたれかかったりして飲食を楽しんでいた。私たちは空いているテーブルについて、おのおの好きなメニューを注文した。私はシチューと丸パンとリンゴ酒、ユーシャさんはチーズグラタンとミルクを頼んだ。
料理はすぐに運ばれてきた。シチューの野菜はごろごろと大きく、煮詰めたソースとよく絡んでおいしかった。ユーシャさんはチーズグラタンを食べながら、私が買ってきた『ゴージャスミルク』を読んでいた。
「ユーシャさん、食事中に本を読むのは行儀が悪いですよ」
ユーシャさんは『ゴージャスミルク』から目を離さずに答えた。
「わかっちゃいるけど、やめられない」
私は熱々のじゃがいもをハフハフしながら思った。ユーシャさんのおっぱい好きって、もはや軽く病気なのでは? おっぱい依存症的な。それにしてもじゃがいもおいしい。
丸パンをちぎってシチューに浸し、お口を大きく開けて放りこむ。小麦の豊かな風味と、デミグラスソースの濃縮された旨味が、舌の上でとろけるように混ざりあう。あん、幸せ。
「ふう。……いよいよ明日、出発ですね」
「うん」
「ワクワクするなあ。――あ、そうだ。もしもレムルスが出たら、ユーシャさん戦闘お願いしますね。さしあたって街道沿いにゴールスロウへ行くだけですから、出くわす確率は低いと思いますけど……」
「まあ、まかせてよ」
……。この、『ゴージャスミルク』を読みながらの軽い返事、不安なんだなよなあ……。
「ねえ、ユーシャさんって実際どれくらい強いんですか? 魔王を倒すのが目的なんですよね? 仮に魔王の居場所がわかったとして、一人で戦って勝てるものなんですか?」
「勝てるとおもうよ」
『ゴージャスミルク』のページをめくりながら、あっさりと答えるユーシャさん。もしかして適当に答えてない?
「あの……疑うわけじゃないんですけど、勝てると思う根拠とか理由ってあるんですか?」
ユーシャさんは『ゴージャスミルク』を閉じると、少し考えてから答えた。
「だってわたし……三百年前に魔王をたおしたアウレリアス家初代当主・ヴィルザが直々に指導した二代目を継承戦で圧倒した三代目が天才と絶賛した四代目に危険視されるほどの力を持った爺ちゃんがアウレリアス家歴代最強と認めた父さまのことが大好きだし」
いや……。代々すごく強い人が継いできたってのはわかったけど、肝心のユーシャさんの強さがまったく伝わってこなかったんですけど。
「ユーシャさんだけお父さんに対する気持ちじゃないですか。本当に大丈夫なんですか?」
ユーシャさんはミルクを飲みほすと、口の上に残った白ヒゲを袖でぬぐいながら言った。
「大丈夫。父さまもわたしのことが大好きだから」
いやだからそれ気持ち……。しかもお父さんの。
「とにかく戦闘はまかせてよ。魔王なんてちょちょいのちょいだから」
うーん……。実際に勇者免許状を持ってるわけだし、戦技一〇〇点なんだし、強いのは間違いないんだろうけど……。
「おっ、いま入ってきた女の子、いいおっぱいしてる。ちょっと近くで見てこよう」
不安だ……。
『いちじく亭』でお腹を満たした私たちは、夜の東門区街をてくてく歩き、宿へと戻った。
宿は木造の三階建てで、一階部分は雑貨屋兼ロビー、二、三階に宿泊用の部屋がそれぞれ二つずつ設けられていた。宿泊用の部屋は狭く、粗末なベッドが二つと小さな書き物机が一つあるだけの、値段相応の簡素で質素なものだった。
私はリュックからランプを取りだすと、書き物机の上に置いて明かりを灯した。それからベッドに腰をかけ『勇者クエスト実録記』を引っぱりだし、表紙を開いた。
「中庭に共同の浴場があるみたいですね。ユーシャさん先に行ってきていいですよ」
「ルルッカも一緒に行こうよ」
「え、でも一緒に入れるほどの大きさはないと思いますよ」
「一緒に入らなくてもいいから行こう。ルルッカの着替えおっぱいが見たい」
見せるわけない。
「いや……荷物番もいりますし、交互に入りましょう。ユーシャさんお先にどうぞ」
「ちぇ」
ユーシャさんは布タオルを持って、残念そうに部屋を出ていった。
……大丈夫なんだろうか。いや、酒場ではレムルスとの戦闘に不安を覚えたけど、今度は私の貞操が不安になってきた。ユーシャさんと同じ部屋で寝るって、もしかして危険なことなんじゃないだろうか。力で来られたら抵抗できないぞ。まあ、無理やり胸を揉んできたりとか、そういうことをする人じゃないとは思うけど……。
気を取りなおして『勇者クエスト実録記』を読んでいると、ほどなくしてユーシャさんが帰ってきた。
「あ、おかえりなさい」
ユーシャさんは、濡れた金色の髪をタオルでわしゃわしゃしながら答えた。
「ただいま。ルルッカ、交替だよ」
「はい。それじゃ荷物番よろしくお願いします。……リュックの中には入らないでくださいね」
「うん。いってらっしゃい」
中庭に降り、月明かりの下に素肌をさらす。木桶にたまった水をすくい、一日の汗と汚れを洗い落とす。明日は出発の朝だ。私は禊でもするような気持ちで、念入りに体を洗い流した。
部屋に戻ると、ユーシャさんはすでに寝息をたてていた。
私はそっと自分のベッドに座った。明朝すぐに出発できるように、音を立てないよう気を使いながら荷物を整理する。それからランプを消そうと机に手を伸ばすと、ユーシャさんが何やらぼそぼそとつぶやいた。どうやら寝言らしい。
私は眠っているユーシャさんをあらためてまじまじ眺めてみた。こうしてよく見てみると、心がほわほわしてくるくらい可愛らしい顔立ちをしている。まつ毛は長いし、お肌はぷるぷるだし。鼻の形は整ってるし、くちびるは桃色でみずみずしいし。
「んん、ルルッカ……むにゃ、むにゃ」
ユーシャさんのくちびるが動いて、小さな吐息がもれた。
「ふふ、夢見てるのかな? かわいい。なんですか、ユーシャさん」
「むにゃ、んん、違うよ……。そうじゃない……。真の魔王は、私たち人間の心の中にいるんだよ……」
いや……なんの夢?