君への答えと気持ちの名前
あたしの恋人は少し変人だ。
漢字間違えてるわけじゃないよ? 変わってる人が、恋人。ややこしいけど、そうとしか言えないんだよね。
学校の休み時間はずっと本読んでるし、朝や昼休みには図書室に行ってる。だけど他の人とコミュニケーションをとらないわけでもなく、話しかけられたら本から顔を上げて答える。
え? それって変じゃないって? 本が好きなら普通?
あたしだって、理由もなしに変人なんて思ってるわけじゃないよ。これまであたしのまわりには、そういう人がいなかったから。だから恋人を見てると変……他の人とは違うんだなぁって思う。
だったらなんでそんな人と恋人になったかって? そっか、きっかけから話せばいいんだ。普段本とか読まないからちょっと変かもしれないけど、頑張ってみようかな。
*
あれは冬休みも明けた頃。数学の移動教室で彼の隣になった。ちょうどその授業は隣の席の二人で取り組むかんじで、勉強ができる方じゃないあたしにはさっぱりわからなかった。
「ねえ紫苑くん。ここってどう解くの?」
これまでほとんど関わったことはないけど、同じクラスの人だし。もともとあたしは、初対面の人だって気にせず話しかけるようなタイプだ。
「どこまでわかる?」
「えっと、あの公式使うとこまで。どこに何あてはめるかとかは、もう全然」
「そっか。なら……」
あとは、カツアイ? 省略する。
同じ立場になって、少し先から導くように教えてくれた紫苑のやり方はわかりやすくて、以来あたしはわからない宿題や問題があるたびに彼のところへ行くようになった。友達からは、なんかペットが飼い主に懐いてるみたいって言われた。
とにかく、そのたびに丁寧に説明してくれる紫苑に告白したのは、それから一ヶ月くらい後。
なんか、あっさりオッケーされた。
どうなんだろ、それって。いや、断られなくてよかったんだけど、紫苑が本当はあたしのことをどう思っているのかがわからない。
あたしは、恋愛的な意味で紫苑が好きだとはっきり言える。でも紫苑も同じかどうかは、自信がない。
「燈華、一緒に帰ろう」
「うんっ!」
これだけのことでうれしくなれるなんて、あたしって少し単純?
「帰り、本屋に寄っていこ。紫苑の欲しい本、今日発売日じゃなかった?」
「そうだよ、覚えててくれてたんだ。でも、寄ってもいいの? 燈華はあんまり本好きじゃないでしょう?」
「いいの! だって、紫苑が楽しそうにしてるの、好きなんだもん」
それに、好きな人が話してることくらいは頭良くないあたしだって、ちゃんと覚えてるんだから。
本は、好きな人が好きなもの。読まないけど嫌いじゃない。紫苑を好きになってからは、あたしも本を好きになれたらなって思う。
「ありがとう」
なんだろう、これって恋人に対する反応じゃないよねぇ。淡々と「ありがとう」って。あたしたち恋人同士だよね? うーん、やっぱり自信ないなぁ。
「えと、はい」
「……!」
差し伸べられた手は、迷いなくとる。こんなだから、よく懐いたわんこみたいだなんて言われるんだよね。
ぎゅーっと繋いだ手がもっとうれしくて、紫苑に笑いかけてみる。笑い返してくれた紫苑の顔は少し赤くなってたから、意識されてないわけじゃないみたいだ。
学校のすぐ近くの本屋には、制服姿のままの人たちが案外いる。紫苑みたいな人は、どこにも一定数はいるらしい。
もしかして、紫苑はそういう人の方がいいのかな。趣味が合えば話だってしやすいし、一緒にいてきっと楽しい。
あたしじゃ、釣り合わない。本は読まないし、勉強もできない。紫苑に何かしてあげられることもない。
気をつかってくれたのか、紫苑は早めに本を買った。本屋から出た帰り道、近い距離を並んで歩く。
「燈華、付き合ってくれてありがとう。おかげですぐに買えたよ」
だって、紫苑が楽しみにしてたのを知ってるから。
そうやって笑う顔、今だけでもいいからあたし一人だけに向けてよ。他の人は知らないままでいい。
だけどその本、恋愛小説だよね。もともと紫苑はあまり恋愛物は読んでなかった。思い出してみれば、あたしと付き合うようになってからだ。
そうだよね。恋愛小説に出てくる女の子ってかわいいし、いいところがたくさんある。きっと、あたしなんかよりも。
嫌だ。奪われたくなんかないし、譲ったりなんかしない。
だったらさ、本の中の人じゃできないことしてあげるから。
ねえ。本の中からじゃ、自分の言葉を紫苑には伝えられないでしょ。
「紫苑。好きだよ」
好きだよ。それって、あたしだけ?
もしそうだとしても、好きになっちゃったんだもん。今さらやめられない。恋人になったんだもん。もう離せない。
一方通行じゃやだ。寂しいのは嫌い。
紫苑の制服のワイシャツの襟を掴んで、目を合わせる。驚いてわずかに開いた唇にキスする。
やっぱりあたし、紫苑が好きだ。だって、キスしただけでこんなに胸があったかい。
「紫苑は、あたしのこと好き?」
「それは、その……」
顔を真っ赤にした紫苑が、恥ずかしそうにうつむく。
「……燈華、来て!」
「え?」
手を引かれて、街中を走る。すぐに路地に飛び込んだ紫苑は、気づけばあたしとつないでいない空いた方の手に本を持っていた。
今買ったものじゃない。ときどき、人目につかないところで紫苑が開いていたのを見たことがある。あたしが見ているのに気づくと、いつもさりげなく隠してた本だった。
手帳くらいの大きさの、いつでも持ち歩けるようなそれを、しまう場所は制服のポケット。肌身離さず、誰にもみつからないように。
運動部じゃないけどやっぱり身体の大きさが違うから、あたしは紫苑についていくのがやっと。なんとか、転ばないように走る。
「燈華、気を付けてね」
「な、何? 紫苑、ちょっと待って!」
「ごめん、今は無理」
急に立ち止まった紫苑が、本を持ったままの手でどこかの建物の扉を開けた。
その瞬間、目の前で光が弾けた。眩しくて閉じていた目を、おそるおそる開く。
「わ……!」
ずらりと並んだ本棚と、そこに詰め込まれたたくさんの本。木と紙の匂いをふわりと感じた。
あたしたちがいたのは、広い図書館の中だった。
「なんで? あの辺りって、空き家しかないはずじゃ……」
「特別な鍵があるからね。ここは、その鍵を持ってる人しか来られない場所なんだ」
あたしは、紫苑と手をつないでいる。たぶん、そのおかげでここに来れた。紫苑が案内してくれたんだって、考えてもいいよね?
「あのね、さっきの質問の答えだけど……」
いつだって、最初からずっと、紫苑はあたしが聞くことに答えをくれた。返ってくるって知ってて、あたしはあのことを聞いた。
それがどんなものでも、覚悟はしなきゃ。
「僕はこれまで、それなりに本を読んできたと思ってる。その分、言葉や表現も知ってる。けど……燈華に対する気持ちを表す言葉が、みつからないんだ」
「……うん」
それがどんな気持ちなのかはっきり言わないけど、紫苑の答えはまだ終わってない。だから、あたしもただうなずく。
「恋愛小説とかも読んでみたけど、やっぱり何かが違うような気がするし……。ねえ燈華、どうすればいいかな」
「……!」
紫苑からあたしにこういうことを聞くの、初めてじゃない? なんかうれしい。だってあたしは、その答えを知ってる。もらってばっかりだったあたしが、紫苑に返せる。
「じゃあ、一つ聞いてもいい?」
「うん」
紫苑みたいに、相手の立場になって考えなきゃ。何がわかってて、何がわからないのか。そしてあたしなりの答えを伝えればいい。
「好きか嫌いかで言ったら、紫苑はあたしのこと好き?」
「それはもちろん『好き』だよ!」
「よかった! あたしも大好き!」
とりあえず、ぎゅっと抱きつく。図書館だからあんまり大きくない声で、誰かの迷惑にならないか確認してから。
でも、ほんとによかったぁ。
「簡単だよ。言葉にできないなら行動すればいいの。手つないだり、抱きしめたり、キスしたりとか」
キス、のところで紫苑が真っ赤になる。かわいいところもあるよね。どんな紫苑も好きだけど。
「それに、あたしバカだから紫苑に難しい言葉使われたら、わかんなくて寂しいよ。あたしでもわかるような、シンプルな言葉にしてくれたらいいな」
「そっか……。うん、わかった。燈華、好き。声をかけただけで嬉しそうなのも、そばにいて目が合ったら笑ってくれるのも。自分からキスしてくるときの、いたずらするみたいな顔も、全部」
「……うん」
あらためて言葉にされると、照れるけどやっぱりうれしい。うん。言葉も態度も紫苑からもらうと他の人とは違う。すごく、好きだなぁって気持ちになる。
「ね、紫苑からも何かしてほしいな。……キスとか」
こういうときの顔かな。紫苑がいたずらするみたいなって言うのは。
「わ、わかった……けど。まずは、言葉で」
「そうだね。そっちの方が紫苑っぽくていいな」
「好きだよ、燈華。本を読むよりも、一緒にいたいくらい」
目を合わせて、自然に笑える。そんな人を好きになれてよかった。それが紫苑で、もっとよかった。
本棚の陰で、あたしたちはキスをした。目を開けると、すぐ近くに紫苑がいて、後ろには本棚が見える。
本が好きなところもあって、紫苑なんだ。そこは違うって言うところじゃなくて、そのおかげでって考えるところ。
だから。
「紫苑が本読んでるとこ、好きだよ。あたしのこと見てくれるときが一番好きだけど」
「これからは、燈華のことをもっと見るよ。僕の、一番好きな人を」